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 あの日から5年を越えた3月、被災地の復興を願って一本の映画が完成しました。

 「東北の新月」、カナダにお住まいの日系3世リンダ・オオハマさんが自らのルーツに関わる国の悲劇に触れ、止むにやまれぬ思いで映像化を決意、単身被災地を訪ねながら4年の長い製作期間を経てこの度完成した作品です。

 全国で初の公開が仙台で行われ、お招きに応えて行って参りました。

 この作品も素晴らしい人との巡り合いが織り成されながら完成の日を迎えた作品でした。

 被災地の復興を願って単身東北を訪れたリンダさん・・・しかしながらそれだけではこの作品は完成の日を迎えることはなかったかも知れませんが、東北の復興を願う彼女の熱い願いは、いつの間にか人の心から心へと拡がることになったのでした。

 最初に巡りあったのは、仙台市在住、元英語の教師をされていたSさん、彼女はリンダさんの願いに全面的に共感し、製作支援の人の輪はSさんの周りに一歩一歩拡がって行きました。

 そしてその手は私のもとにまで差し伸べられてきたのでした。

 ご要請に応じて初めてお会いしたSさん・・・、長年にわたって子ども達と向かい合ってきた「やさしさ」を全身から発信させながらも、意志的な瞳が印象に残る・・・Sさんはそんな姿で私の前に立って下さいました。

 請われるまま、映画界の仕組みや映画製作に必要なことなど・・・いくつかのご助言は申しましたが、目前の雑事についつい追われて有効なご助力はほとんど出来ないまま時間は過ぎていきました。

 風の便りに製作運動のご苦労と併せて、一歩一歩完成に向けたご努力を重ねておいでのことは耳に入っていましたが、この度、そのご努力が実って遂に完成の日となったのでした。

 会場を満席に埋めた方々の前には、遠くカナダから駆けつけたリンダさんの姿も・・・。

完成の日に頬を染めたSさん共々、感動的なそしてやさしい披露の日となりました。

 「東北の新月」・・・目には見えなくとも、大きな力が脈打っている・・・そんな東北の心をスクリーンは私たちに語ってくれました。

この作品がこれから歩む道の先に、被災地の復興を願った一日でした。

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舞台挨拶のリンダさん




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by cinema-tohoku | 2016-03-30 12:56 | 映画 | Comments(0)


 2016311日・・・生涯忘れることの出来ないあの日から5年の時間が流れ、そして又、この日が巡ってきました。

 この節目の日を私は、「ちえりとチェリー」の上映拡大に走り回る宮城県七ヶ宿町役場の前で迎えました。1446分・・・サイレンが鳴り、悲しい大惨禍で亡くなられた方々への黙祷が呼びかけられています。

 5年前のあの日私は東京に・・・絶望と向き会いながら一晩中まんじりともしないでテレビから流れる信じられない映像を見続けていました。

 明けて、翌日の風の強かった晴天の朝はしっかりと記憶しているのですが、その後10日経ってやっと仙台へ戻るまでの記憶のほとんどが飛んでしまっていることに気づかされたのです。

 「エクレール・お菓子放浪記」の東北公開を目前にしながら、それが全てついえてしまった私の精神状態は、いささか異常なものであったのかも知れないと思いおこしています。

 背中の筋肉はまるで鉄板の様に張り切り、そして精神的に不安定な私はよく泣いてもいたのでした。

 あれから5年…よくも頑張ってこれたものだと振り返りながら、そんな私たちを支えてくださった方々のやさしい手の感触を今でもありありと思いおこしております。

 そんな私の体験は、あの日被災した多くの方々と共通するものだったとも思えるのでしす。

 そして5年・・・被災地は山積する課題をいまだに数多く抱えながら、それでも確実に人の記憶からは遠い過去のものとなって行こうとしています。

 報道各社は、まるで一大イベントを報ずるかの如く、被災地から5年の報道を競う様にして流していますが、明日からはまるで何事も無かったかのような紙面と電波に戻るのだと思います。

 そして又、日一日と人の記憶からは遠いものとなってしまうのかも知れません。

 でも・・・やはりそれはダメなのだと思うのです。

 こんなにも沢山の人々の苦しみや悲しみを、たった5年でまるで何もなかった様に忘れ去ってしまったら・・・その先に私は、どうしても健やかな国の未来を描くことが出来ないのです。

 もう一度振り返ってほしいのです・・・この東北が向かい会っている沢山の悲しみを。

 そして、私たちは大きく声をあげて、この悲しみを発信し続けなければならないのだと思います。

 人と人とが心を通わせ、支えあう国の未来をつくりあげるために・・・。

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山陽新聞より

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毎日新聞より


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全てが奪われた大槌町


 「ちえりとチェリー」の被災地での上映準備もいよいよ佳境に入り、先日は岩手県釜石市、大槌町、山田町を巡って参りました。

 震災以降この地を訪れるのはこれが初めてのこと、いささかの緊張を胸にしながらの三陸沿岸への旅でした。

 このあたりは以前は、何度も何度も車で通った道...しかしながら車窓から流れる懐かしい風景は釜石の町に入るや一変...そして釜石から峠を超えて隣町大槌町を一望に出来る高台に立ち、そこから大槌のかつての市街地に入ったときはまさに息をのむ思いでした。

 海に向かってひらけた、かつての大槌町は既にその姿を消し、全く何もなくなってしまった平坦な大地の上を、かさ上げ工事のダンプカーが土ぼこりを巻き上げながら走るだけ...。

 町には人の姿もなく、あの人のにぎわいに溢れていた大槌町はその姿を一変させていました。

 町の中心部に唯一残る旧役場庁舎の前に立ち、改めて5年前の大惨禍の凄まじさにただただ両の手を合わせるばかりでした。

 あの日から間もなく5年...5年経ってもこの姿とは...。

 こんな変わり果てた町の姿に日々接する町民の思いに心を寄せた時、もはや我慢も限界を超え、町での再起をあきらめ、他の地に移り住む選択をした町民の思いが胸に迫って来る思いでした。

 こんな膨大な、そして長期にわたるかさ上げ工事ではなく、住民の日常生活に寄り添った別の町再建の道があったのではないのか...。

 そんな思いにもさせられたのでした。

 そして訪れた町役場、お忙しいお時間を割いてご面会下してさった平野町長さんは、満面の笑顔で私たちを迎えて下さいました。 

 実は、平野町長さんとは、平野さんが町職員であった頃からのお付き合い。

 映画の上映を通した町の活性化と子供たちの健やかな未来にご賛同いただき、これまでもいくつかの映画の上映に取り組んで下さった、平野さんはそんな好漢でした。

 震災以降の町の未来に、止むにやまれぬ思いで町長選に立候補し幸いご当選、一番大切な時の町政の舵取り役となったのでした。

 思わず話はあの日あの時のことに...あの時は大槌町の幹部職員が集って会議中、この中に平野さんもおいででした。

 迫り来る津波が目には見えていたのだが、いくら思い返してもあの時の音を思い起こせない...全く音の無い世界に立ち止まっていたのだと...。

 当時の町長さんを始め、貴重な幹部職員の何人かの命は奪われて行きましたが、幸い平野さんは自らの命を拾うことになったのでした。

 あの当時のことを振り返るなら今は、仲間も、そして復興に向けて一生懸命に努力する職員もいる...幸せなことですよ...、と語る平野町長さんの言葉に思わず胸が熱くなったのでした。

そして、私たちの語る「ちえりとチェリー」大槌町上映についてもその実現を約して下さいました。

 5年を経てなお、まだこの現状にある被災地への思いと、そこへの支援の手を更に重ねなければならない...そんな思いを強くした岩手県沿岸の一日でした。


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旧大槌庁舎



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今日311日は4年前の東日本大震災発生の日です。

昨日降った雪が日陰に残る寒い記念の日となりました。長かった様で、そしていつの間にか過ぎ去って行ったこの4年でもありました。

あの日は私は東京新宿に居りました。今の時代に“支え合う人の心のやさしさ”を語ろうと、映画「エクレール・お菓子放浪記」の製作を決意したのは2007年のことでした。

この作品の撮影地を石巻を中心とした宮城県に決めたことを、宮城県民は熱く迎え入れて下さり、知事を先頭とした県民運動でこの製作を支えて下さいました。そして20112月、この作品はこの世に生を授かり、東京で完成披露試写会を開催したのは2011310日のことでした。

幸い会場は、完成を待ち望んでいた観客で満席に埋まり、上映終了後の満場の拍手は、まさに宮城県民の夢の出発への合図とも思えたのでした。

そしてその翌日、4年前の311日のあの時間、私は試写会の御礼で東京新宿区に事務局を置く全国和菓子協会をお訪ねしていたのでした。突然のビルを大きく揺らす振動に驚いた私に、テレビをつけた和菓子協会専務理事さんから語られた言葉は“鳥居さん、東北が大変だ…”との言葉でした。

同行していた、シネマディストのK氏と一緒に外に出て、新宿駅を通った折に観たビジョンから映し出された映像は、巨大な津波が岩手の沿岸を襲い堤防を乗り越える映像でした。

どこをどう歩いたのか…。

ともかく事務所に戻ろう…とのK氏の言葉で六本木の彼の事務所に辿り着き、一晩まんじりともせずにテレビから流される悲惨な映像に見入っていたのでした。

明けた翌日…、まるで昨日のことが嘘のように晴れ上がった東京の空を、これから始まることへの大きな不安と共に眺めていたことが思い出されます。

そしてあれから4年の時間が流れてゆきました。振り返ってみればこの4年間はあの大惨禍に負けずに歩もうと挑戦し続けて来た時間の積み重ねだったのかも知れません。


「エクレール・お菓子放浪記」は2年かけてその上映を全国に大きく拡げました。

そんな動きを受け継ぐ様に「じんじん」も全国に500ヶ所以上の上映を数えました。

新たな日本映画の未来を願って協同組合ジャパン・スローシネマ・ネットワークは立ち上がりました。


そして、そんな一つ一つの局面で私たちを支えて下さった数多くの方々のお顔が今、目に浮かびます。これから5年、10年、更なる歩みを重ねる私たちに求められていることは、あの日そしてそれ以降の復興に関って、私たちが授かった数多くの「人の情」を今度は、全国に向けて語り続けることなのかも知れません。

支え合う地域社会と心優しき国の未来をつくりあげるために…。



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石巻市 北上川河口の葦原


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石巻市 岡田劇場





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