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「あの日のオルガン」市民プロデューサーのお一人で、東京恵比寿で精神科医師として、心を病んだ方々と向かい合っていらっしゃるYさんのフェイスブックに映画原作本のご感想がアップされました。
ご本人のご許可をいただいて掲載させていただきます。
皆様も是非お読みになって下さい。

夏休みの極私的課題図書、『あの日のオルガン~疎開保育園物語』(久保つぎこ著、朝日新聞出版)。映画化に際し36年ぶりの復刊であります。ちびちび読んで終戦記念日にようやく読み終わりました。

敗戦の前の年、1944年4月に幼稚園閉鎖令が施行され、同年8月からは小学3年生から6年生までの集団疎開が始まるのだが、保育園はといえば、「戦時託児所」と名前を変え、その数を増やした。就学前の幼児の「疎開保育所」が地方に開設されたのは、終戦のわずか2ヶ月前、東京大空襲の後のことだった。

そんな時節にあって、44年11月に幼児疎開を単独で決行した民間の保育所があった。戸越保育所(現・品川区)と愛育隣保館(現・墨田区)である。このふたつの園から幼児53名と職員11名(うち保母8名)が、旧国鉄桶川駅から6km離れた高虫の荒れ寺に疎開したのである。

幼くして親元を離れた幼児は3歳から5歳、親に代わって子どもたちの保育にあたる保母は19歳から27歳。日々の激務と負わされた責任の重さからか、終戦までの約9ヶ月間、保母たちは全員が無月経であったという。

童話作家であり新劇の女優であり3人の子を持つ母親であった久保つぎこは、丁寧な取材と調査を重ね、3年の歳月をかけてこの本を書き上げた。登場する人物、とくに若い保育士たちが活き活きと描かれているのは、著者の経歴と経験によるところが大きい。インタビューの言葉ひとつひとつにリアリティがある。

内容が内容だけに反戦・非戦の想いがこめられているのは言うまでもないが、読み進むうちに、子どもを育てること、子どもが育つこと、人が生きることの根本を問われている気がしてくる。

疎開保育園の子どもたちは、終戦の日まで全員が無事であった。しかし、その中には45年の3月と5月の空襲で、親きょうだいをすべて失った子どももいた。そして、疎開せず東京の親元で暮らしていた幼児たちの、いったい何人が戦火に焼かれたことか。

1982年に出版された本書の原題は「君たちは忘れない」だったそうである。忘れないだろう、忘れてほしくない。私たちも決して忘れない。世界に平和を。Love & Peace.
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「あの日のオルガン」

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by cinema-tohoku | 2018-08-24 10:27 | 映画 | Comments(0)