タグ:エクレール・お菓子放浪記 ( 4 ) タグの人気記事


 「エクレールお菓子放浪記」をご覧になった方は作品を思い起こしてください。

 劇中、石田あゆみさん扮する「フサノバアサン」の住む「ボロ屋」(大家さんごめなさい)が出てきました。

 このシーンを撮ったのが宮城県富谷町でした。

 このシーンの他にも、映画館のセットや戦後の闇市のオープンセット等々、富谷町の方々のたくさんの心やさしいご支援をいただきながらこの作品は完成したのでした。

 そんな富谷町を久しぶりにお訪ねし、町長さん(撮影時の町長さんとは変わっていました)とお会いしたのは「ちえりとチェリー」上映拡大のご要請でのことでした。

 町長さんは、私からのひとしきりの「ちえりとチェリー」の願いを受け止めて下さり、更に話はいつの間にか「エクレールお菓子放浪記」のことに・・・。

 実は、富谷町は全国の市町村の中では珍しく年々人口増加を重ね、本年10月にはめでたく「新市」の立ち上げになるとのことでした。

 この記念行事の一つとして「エクレールお菓子放浪記」の上映を検討したいと語る町長さんは、町のイメージアップの一つとして「スイーツの町」を企画し、そして何と映画撮影の時にフサノバアサンの家として使った「ボロ屋」を現在改装中で、間もなくユニークなスイーツの店となってオープンすることを私に語って下さいました。

 帰路立ち寄ってみました。

 ごうつくバアサン、フサノさんが住んでいたあの家は、その姿と雰囲気を残しながらも、新たな町の看板となるべく改装工事の真っ最中でした。

 間もなく昭和の風情を伝えるユニークなスイーツの店としてオープンとなる様です。

 どうぞ皆さんも足を運んでみて下さい。

a0335202_11404000.jpg
フサノバアサンの家のシーン(『エクレールお菓子放浪記』より)

a0335202_10135565.jpg
あのボロ屋は改修の真っ最中




[PR]
by cinema-tohoku | 2016-03-22 10:15 | 映画 | Comments(0)

 なつかしい方が仙台を訪ねてくれました。

 「しんちゃん」、三重県菰野町を起点に全国に向けて絵本の読み聞かせの活動をやって来られた方です。

 しんちゃんとの出会いは2011年震災直後の頃にさかのぼります。

 あの時私は、完成した「エクレール・お菓子放浪記」を携えた全国への旅をはじめたばかりの頃でした

 この動きのご報告に石巻を訪れた時、製作時から大きなご支援をいただいていた石巻グランドホテルの社長のG氏がぜひ引き合わせたい人が居る...まだ石巻周辺に居るはずだから...とお電話をして下さりその直後にお会い出来たのがしんちゃんでした。

 しんちゃんはお仲間の方々と震災直後から絵本を携えて遠路被災地にはいり、被災地の子どもたちに向けて、絵本の読み聞かせをして子どもたちを励ます活動を幾度にもわたって続けていた方でした。

 少林寺拳法の達人でもある彼...、極めてガッチリとしたお体ながら、その目はまるで仏様の様なやさしさをたたえ、笑顔がいつまでも印象に残る...初めてお会いしたしんちゃんはそんな方でした。

 私の語る「エクレール・お菓子放浪記」上映の願いに彼は即座に賛同してくださり、菰野町での上映実現を約束して下さいました。

 そんな彼のご案内で菰野町を訪れ、町長さんとご面会、上映は心やさしき菰野町の方々の手にゆだねられ1500人を超える大成功の上映となって実を結んだのでした。

 そしてしんちゃんとの親交はその後も続き、引き続いての「じんじん」上映にもつながってゆきました。

 そんな彼からのお電話がありました。

 来週、仙台市内の小学校に招かれて、絵本の読み聞かせに行くことになった...もし可能なら会いたいと...。

 勿論了解のご返事をして、山梨県のスケジュールを早めに切りあげて帰仙、久し振りの再会となったのでした。

 変わらぬやさしい瞳にこぼれる様な笑顔をたたえた彼は、熱く熱くこれから始める活動の夢を語ってくれました。

 来年、菰野町を舞台に菰野町の昔話をベースにした「創作絵本コンクール」を開催することになったと...。

 子どもたちの未来にこんなにも熱い夢を描いている男が居る!

こんな夢が語られるうちは、まだまだ日本も大丈夫...。

 そんな思いが胸いっぱいに拡がり、思わず盃を重ねた仙台の一夜でした。

a0335202_09382913.jpg
真ん中がしんちゃん



[PR]

「エクレール・お菓子放浪記」原作者西村滋さんを囲む恒例の春の集いが、桜も満開を迎えた静岡市の郊外の山あいの温泉宿で開かれました。

西村滋さん…、とてもとてもお優しいお心を胸の中に育て上げ、そのお心を外に向けて静かに語り続けて来られた方です。

そして先生の周りにはいつの間にか、これも心やさしき方々が集い始め、グループをつくり、これまでも数々の素晴らしい活動を展開して来たのでした。

名付けて、「西村滋とゆかいな仲間たち」お一人お一人のすてきな笑顔が目に浮かぶ心やさしき仲間たちでした。


私が西村先生とお会いしたのは、先生の代表作「お菓子放浪記」の映画化を決意したことがきっかけでした。

私たちの手による映画化を先生は満面の笑顔で迎えて下さり、暖かくその行く手を見守って下さいました。

そして、迎えた2011310日の東京での試写会会場には、静岡からバスで駆けつけて下さった先生を始め、心やさしき仲間たちの笑顔が輝いていました。

ここまでにこの方々のご努力で静岡県内上映の準備も進み、上映終了後の西村先生のご満足そうな笑顔に、私はほっと胸をなでおろしたのでした。

そして、何とその翌日

西村先生からのお電話が私の携帯に届いたのは、あの日から2日後のことだったと記憶しています。

先生は心を込めた言葉で私の無事を喜んで下さいました。

そして、その3日後、静岡市で開かれた上映準備の会議には、先生始めやさしき仲間たちがお顔をそろえて下さり、必死の思いを込めて私の姿を見つめるその視線に、いつのまにか私の目には大粒の涙があふれ、頬を伝ったのでした。

その日お別れの時、西村先生はこんな言葉を私に残して下さいました。

“もう少し経てば、春が訪れ、桜も満開を迎える。その折に開いている恒例の集いに、鳥居さんをご招待して励ましてあげたい。

是非参加してくれ…“と。

お招きに甘えて参加させていただいたこの集いは、私の胸を熱くさせ、御礼のご挨拶の言葉は、こみあげたおえつに曇ってしまったのでした。

あの日以来の緊張で張り切った心を温泉宿の湯にゆだね、迎えた翌朝、朝食会場の窓から垣間見た満開の桜の花は、今でも脳裏にしっかりと焼きついています。

“そうか…、時は春を迎えていたのだと…。”


それ以来、毎年この季節になると、この集いに参加することを一年間の行事に加えていました。

迎えた今年の会、西村先生は90歳の卒寿の祝いともなり、笑いのはじける、そして心安らぐ集いとなりました。

時代の閉塞感が語られ、力ある者が弱き者を「自己責任」と語りながら蹴落とすことが、あたかも社会の公正なルールとして語られる現代社会に、それでも人と人との心をつなぐ、こんなにも心やさしき人々が居たことに心安らぐ、そして未来への希望さえ感じさせられた春のひと時でありました。


a0335202_13595105.jpg
当日頂戴したご本『三日月ごよみ』


以下は、本の中のスナップ写真です。

a0335202_13594511.jpg
西村先生と林隆三さん


a0335202_13594899.jpg
「エクレール・お菓子放浪記」撮影中


a0335202_14031879.jpg
集いの一コマ






[PR]

今日311日は4年前の東日本大震災発生の日です。

昨日降った雪が日陰に残る寒い記念の日となりました。長かった様で、そしていつの間にか過ぎ去って行ったこの4年でもありました。

あの日は私は東京新宿に居りました。今の時代に“支え合う人の心のやさしさ”を語ろうと、映画「エクレール・お菓子放浪記」の製作を決意したのは2007年のことでした。

この作品の撮影地を石巻を中心とした宮城県に決めたことを、宮城県民は熱く迎え入れて下さり、知事を先頭とした県民運動でこの製作を支えて下さいました。そして20112月、この作品はこの世に生を授かり、東京で完成披露試写会を開催したのは2011310日のことでした。

幸い会場は、完成を待ち望んでいた観客で満席に埋まり、上映終了後の満場の拍手は、まさに宮城県民の夢の出発への合図とも思えたのでした。

そしてその翌日、4年前の311日のあの時間、私は試写会の御礼で東京新宿区に事務局を置く全国和菓子協会をお訪ねしていたのでした。突然のビルを大きく揺らす振動に驚いた私に、テレビをつけた和菓子協会専務理事さんから語られた言葉は“鳥居さん、東北が大変だ…”との言葉でした。

同行していた、シネマディストのK氏と一緒に外に出て、新宿駅を通った折に観たビジョンから映し出された映像は、巨大な津波が岩手の沿岸を襲い堤防を乗り越える映像でした。

どこをどう歩いたのか…。

ともかく事務所に戻ろう…とのK氏の言葉で六本木の彼の事務所に辿り着き、一晩まんじりともせずにテレビから流される悲惨な映像に見入っていたのでした。

明けた翌日…、まるで昨日のことが嘘のように晴れ上がった東京の空を、これから始まることへの大きな不安と共に眺めていたことが思い出されます。

そしてあれから4年の時間が流れてゆきました。振り返ってみればこの4年間はあの大惨禍に負けずに歩もうと挑戦し続けて来た時間の積み重ねだったのかも知れません。


「エクレール・お菓子放浪記」は2年かけてその上映を全国に大きく拡げました。

そんな動きを受け継ぐ様に「じんじん」も全国に500ヶ所以上の上映を数えました。

新たな日本映画の未来を願って協同組合ジャパン・スローシネマ・ネットワークは立ち上がりました。


そして、そんな一つ一つの局面で私たちを支えて下さった数多くの方々のお顔が今、目に浮かびます。これから5年、10年、更なる歩みを重ねる私たちに求められていることは、あの日そしてそれ以降の復興に関って、私たちが授かった数多くの「人の情」を今度は、全国に向けて語り続けることなのかも知れません。

支え合う地域社会と心優しき国の未来をつくりあげるために…。



a0335202_16394438.jpg
石巻市 北上川河口の葦原


a0335202_16393851.jpg
石巻市 岡田劇場





[PR]