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タグ:あの日のオルガン ( 19 ) タグの人気記事

 節約の思いで、閑散期をねらって片道5200円のピーチでの久し振りの北の大地です。
 仙台は、桜の満開を迎えていましたが、訪れた北の地の桜の開花はまだ遠く、吹く風も冷たく感じられています。
 更生保護の心を語るべく製作した「君の笑顔に会いたくて」も、その上映をスタートしてから間もなく2年を迎えます。
 この間、各地保護司会の方々を中心とした上映の輪は全国に拡がり、その数は既に170ヶ所を数えるまでに育って参りました。
 そして迎えた本年度、更生保護が制度化されてから70年の周年の年・・・法務省ともご相談を重ねて、この周年に向けて更に上映の輪を拡げようと、チラシもリニューアル、そして上映の仕組みにも一考を加えて、全国へのお呼びかけを始めたところでした。
 今回の北海道への訪問は、「あの日のオルガン」の上映基盤づくりに加えて、「君の笑顔に会いたくて」の上映促進を願ってのことでした。
 北海道での「君の笑顔に会いたくて」の上映は、ここに至るまでに大きな拡がりを道内につくって下さっていました。
 ホール上映では、仙台に続いて全国第2位の観客数となった旭川市、市と保護司会が手をつないで見事な上映となった釧路市、そして社会を明るくする運動の一環として取り組んだ北見市・・・その上映は既に道内10ヶ所を数え、その一ヵ所一ヵ所に、心通う地域社会を願った主催者が織り成した数々のドラマがありました。
 空港から先ずもって訪れた室蘭保護司会の皆様方は、私の携えた願いに熱い共感の思いを重ねて下さいました。
 担当エリアが大きく拡がり、なかなかていねいな手当てが出来ないもどかしさを抱えながらのこの度の北の地へのご訪問・・・やっと天候も回復した青空のもと、今日は旭川まで足をのばして見るつもりです。
 人と人とが心を交わせ合い、子どもたちがその未来に向けて希望を語りながら成長することの出来る社会を願いながら・・・。
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「君の笑顔に会いたくて」更生保護制度70周年チラシ

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北大のポプラ並木

by cinema-tohoku | 2019-04-17 16:47 | 映画 | Comments(0)
 3月10日・・・74年前の東京大空襲の日の翌日は、東日本大震災慰霊の日。 
 私にとって決して忘れることの出来ない8年目のこの日を、今年は「あの日のオルガン」を携えた金沢の街で迎えました。
 あの日、東日本一帯に押し寄せた波の壁は、そこにあったあたりまえの生活を、そして沢山の夢さえも奪って行きました。
 そして、あの直後から寄せられた全国からのご支援のやさしい手の数々は被災地を支えました。
 〝支え合い〟〝絆〟・・・数々の美しい言葉が語られていました。
 そして、あの日から8年が・・・・・。
 あの時、国をあげて支え合った記憶は遠いかなたのものになってしまったのでしょうか。
 人々の口から、これらの言葉が語られることはなくなり、これと交代をする様に「復興五輪」の言葉が踊っています。
 聖火リレーが福島から始められる…リレーのトーチが展示される…。
 まるで、この8年で被災地は立ち上がり、オリンピックが新たな未来を拓く「復興」を実現するが如き報道が語られています。
 しかしながら、北の地の実態は・・・。
 かつての生活の場からの避難生活を送る人は、福島県を中心に未だに5万人を越え、復興住宅での孤独死は急増・・・そして、あの甚大な被害を受けた陸前高田は、いまだに「かさ上げ」工事のダンプカーが行き交う茶色の街・・・。
 現実は、いまだに「復興」にはほど遠いものですし、人々は、今も精いっぱいの思いで日をつないでいるのです。
 一過性のスポーツイベントの開催が、まるで手品の様に被災地に希望の光を放つ筈がないのです。
今必要なのは、被災地の現実をありのままに伝えて、変わらぬ支え合いの心を国中に拡げることだと思いますし、その先頭に国が立つべきだとも思うのです。
今年の3.11は、私の胸に少しばかりの悲しい思いを語りました。
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8年・・・



 1945年3月10日未明から、東京下町を襲った悪魔の使いの如き怪鳥たちは、一夜にして10万人にのぼる人々の命を、無残にも奪って行きました。
 そのお一人お一人に生活の営みがあり、家族もありました。そして何より非戦闘員でした。
 この悲惨極まる無差別爆撃の実相は、作家の早乙女勝元さんらのご努力で掘り起こされ、語り継がれて来ていました。
 そして、あの日から長い時間が流れて行きました・・・。
 この間、ご体験者の方々の数も年々減少し、戦争体験の風化も語られ、この悲惨な事実は人の口にのぼることも少なくなって来ていました。
 それでも、忘れずに語り継ぐご活動をねばり強く、そしておやさしい言葉で語って来られたのが海老名香葉子さんでした。
 東京大空襲で家族を失い、その戦後を孤児として生きて来た海老名さんの胸には、いつも空襲でお亡くなりになった方々への鎮魂の願いがありました。
 その願いを実現するべく、上野の山に私費を投じて鎮魂の慰霊碑を建立、毎年3月9日に慰霊祭を行っていらっしゃいました。
 85歳を迎えられた海老名さんは、今年の慰霊祭で〝二度と戦争がおきてはならない。まだまだこの活動を続けて行きたい。〟と決意を語って下さいました。
 そして、翌3月10日の新宿ピカデリーにも、東京大空襲に思いを寄せた、平和を誓う声が響きました。
 この記念の日に上映中の「あの日のオルガン」・・・、74年前の東京大空襲を振り返り、平和への願いを語るべく、上映終了後の舞台に、平松監督、私、そして当時疎開保育園の園児だった3人の方々が並びました。
 疎開保育園での生活の時、東京大空襲で全ての家族を奪われ孤児となった〝健ちゃん〟、そしてあの3月10日の業火の下で一夜を過ごし、翌日まるで地獄絵図の様な焼け野原をさ迷い、幸い保母さんと巡り会い、連れられて疎開保育園に参加した佐瀬さんご姉妹・・・。
 映画を観終わった観客は、お一人お一人の語る言葉に驚き、共感し、平和への願いを胸の中に深く刻んで下さいました。
 どんな理屈を語ろうと、戦争は人類最悪の罪悪であり、平和は、そのよって立つお立場を越えて守り続けなければならない人が生きる基本の概念・・・そんな思いもこの日のオルガンは語ってくれたのでした。
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3月10日新宿ピカデリー舞台あいさつ

by cinema-tohoku | 2019-03-20 10:14 | 映画 | Comments(0)
 「あの日のオルガン」の全国展開が活発な動きとなり、その対応での出張が連続する毎日を過ごしていました。
 昨夜、久し振りに仙台に戻って、今日は仙台での朝を迎えました。
 自宅で朝食を摂り、バスで事務所へ・・・。
 幸いの晴天に恵まれて心おだやかな朝でした。
 バスに乗りながら、不思議な既視感を覚えました。
 そして思いあたったのでした。
 間もなく8年が巡って来る2011年のことだったことを・・・。
 完成直後に東北を襲ったあの大惨禍で東北での上映を断たれた「エクレール~お菓子放浪記」・・・、私たちはあの時一大決心をしました。
 この作品の全国上映を通して、全国に被災地支援への願いを語ろうとの・・・。
 そして、そこから始まった全国への旅は、12泊、13泊と日を連ねていったのでした。
 ヘトヘトになってやっと帰ったあの日の仙台の朝も、今日と同じくおだやかなほほえみで私を迎えてくれていたのでした。
 やはりバスの乗って事務所に向う私を、不思議な安堵感が包んでもいました。
 そうでした、あの日と同じ感慨だったのでした。
 やはり、ここは私のマイホームタウン。
 生活があり、迎えてくれる家族が、そして会社の同僚や友人がいて・・・。
 人は、帰るところがあるから旅にも出ることが出来るのだと思うのです。
 そんな一時の感慨を胸に、久し振りの事務所の扉を開きました。
 今日一日で、たまった仕事をこなさなければ。
 又、明日からは旅に出るのですから・・・。
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東京、日比谷公園は梅が咲いていました



 ていねいに時間をかけて、全国の多くの方々のやさしきお手にも支えられて完成した、映画「あの日のオルガン」の全国上映が、2月22日全国の53スクリーンでそのスタートを切りました。
 何回経験しても、初日の数字とお客様の反応は気がかりなものです。
 しかしながら、私はこの日を、この作品とは別の仕事で徳島で迎えました。
 そして、翌23日上京、この上映のメイン会場となった、新宿ピカデリーでの舞台あいさつの回に、製作委員会メンバー一同が集合となりました。
 新宿ピカデリーで最も大きな580席のシアター1を満席に埋めた舞台に、上映終了後登場いただいたのは、この作品のダブル主役をつとめていただいた戸田さん、大原さん、そして疎開保育園の園長役の田中さんと平松監督でした。
 それぞれの方々が、語る作品への思いや撮影中の裏話に、場内の観客の方々は映画の感動を更に新たなものにもしていただいた様でした。
 このスタートの日22日に、やはり初日を迎えた作品は何と35本もありました。
 幸い、ご覧いただいた方々の反響は素晴らしく、「ぴあ」の初日満足度調査では、僅かな差で一位はのがしましたが堂々の第二位を占め、我々製作委員会一同、今後への期待を抱かせるスタートとなりました。
 劇場上映はスタートを切りましたが、私たちの全国上映はこれだけで終わるものではありません。
 夏からは、映画館が姿を消した町にも村にも、ていねいに時間をかけてこの上映を拡げて行きたいと願っています。
 いよいよ長い旅のスタートです。
 皆様方のご支援を心よりお願い申し上げます。
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新宿ピカデリー
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by cinema-tohoku | 2019-03-05 17:39 | 映画 | Comments(0)
 訪れた九州は、もはや春の風情でした。
 梅の紅色と、菜の花の黄色に彩られた宮崎県を巡って、今日の朝は熊本で迎えました。
 「あの日のオルガン」がたどるべき道がやっと見えて来た思いです。
 各県毎にていねいに作品に込めた私たちの思いを語って、その輪を全国につなぐ旅は、佳境に入って来た様です。
 「エクレール~お菓子放浪記」の折、熊本には何度か訪れていました。
 熊本市に泊って、朝時間のある時には、朝の空気を胸に、熊本城を訪れることも楽しみにしていました。
 加藤清正ゆかりの、国の重要文化財にも指定された、まさに天下の名城です。
 訪れる度に、天を衝くが如き天守閣の姿に、ほれぼれする思いで見入っていたものでした。
 そして、あれから7年・・・。
 久し振りに訪れた熊本城は見るも無残な姿に変っていました。
 2016年に発生した熊本地震は、熊本県と大分県に甚大な被害を与え、この被害は熊本城にも及んでいたのでした。
 美しい曲線を描いていた石垣はそこかしこで崩れ、天守閣は巨大な修理のクレーンに囲まれて、城はかつてのりりしい姿を取り戻す必死の努力を重ねていました。
 それでも街には活気が戻り、その未来に向けて確実な歩みを踏み出していることに、人の限りない生命力も感じながらの、熊本の朝の散歩でした。
 人の生活の営みを取り戻し始めた熊本県に向けて、人の命の尊さを語る「あの日のオルガン」をしっかりとお届けしたい・・・。
 今日も、精一杯の努力を我が胸に誓っての出発です。
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 1月が駆け抜ける様にして去って行った2月4日、時ならぬ暖かさに包まれた東京で「あの日のオルガン」初の一般へのご披露となった、「プレミア上映会」が開かれました。
 会場となった、東京有楽町の丸の内ピカデリーには、開始前から待ちわびた観客の波・・・、600席を満席に埋めた華やかな雰囲気で開会となりました。
 この映画企画が最初に語られてから42年、私たちが再度の映画化に立ち上がってからも5年の時間が流れていました。
 今の時代に〝子どもの命と平和〟を語ろうとした私たちの願いは、いよいよそのスタートラインに立つことになったのでした。
 初のお披露目の舞台には、この映画で若き保母役を見事に演じて下さった、戸田恵梨香さん、大原櫻子さんはじめ5人の女優と平松監督が、そして、この映画で、必死になってその未来に生きた子どもを演じてくれた〝子役〟達も登場、会場は人へのやさしさと、映画への期待に包まれたのでした。
 開映・・・、会場を満席に埋めた観客は、笑いと涙でこの作品に応えて下さいました。
 そして、上映終了後には思ってもいなかったサプライズが・・・。
 主演の戸田恵梨香さんが再度ご登場下さったのでした。
戸田さんが舞台に立つや、会場からは驚きと感動のお声が・・・。
戸田さんは、こんなお話で観客との交流をはじめられたのでした。
 〝戦争ものにはこれまでも出演してこなかったので、はじめは、この出演のお話を聞いた時、お断りしようと思った。それでも・・・。私は神戸で生まれて阪神淡路大震災と6歳の時巡り合った。あの時見た真っ赤に染まる空を思い返した時、この戦争の時代を描く作品で、私でも出来ることがあるのでは・・・。そんな思いで出演を引き受けました・・・。〟
その後交わされた会場との感想のやりとりでは、感極まって泣き出す方も出るなど、心暖まる交流の場となったのでした。
こんなやさしさに包まれながら、この作品は全国への旅に発ったのでした。
人の幸せを願って・・・。
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プレミア上映会



by cinema-tohoku | 2019-02-14 17:44 | 映画 | Comments(0)
 「あの日のオルガン」の監督脚本を担当して、見事なお仕事でこれに応えて下さったのは平松恵美子さんでした。
 平松さんは、倉敷市でお生まれになりました。
 若い頃から映画に心を寄せるようになり、〝年間300本も映画を観るすごい高校生が居る〟と県内でもいささか話題になる方だった様です。
 岡山大学に進学され、卒業後東京の会社に就職しましたが、映画への思いはやはり断ち難く退職、松竹山田洋次監督のシナリオ塾に通い始めました。
 持ち前の分析力たっぷりの頭脳と、冷静な知性故か、みるみるうちにシナリオづくりにその才能を発揮して、山田監督のお目にとまり、いつの間にか山田監督と「共同脚本」をになうまでになりました。
 そして、ご高齢を迎えた山田監督にとっては、今や欠くことの出来ないパートナーとしてご活躍されていました。
 「あの日のオルガン」の製作を思い立った時、私たちがこの監督・脚本として白羽の矢を立てたのが平松さんでした。
 お渡しした原作に、幸い彼女は熱く共感して下さり、平松さんの手による脚本づくりからこの制作はスタートしたのでした。
 そして作品は無事完成を迎え、引き続き公開劇場の編成に着手、その劇場の一つに設定されたのが彼女の故郷倉敷の、ムービックス倉敷でした。
 この映画の完成と、倉敷での公開決定が倉敷に届くや、平松さんにゆかりの方々や、市民の方々はこの報を喜びをもって受け止めて下さいました。
 そして、このお声は急速に〝平松恵美子応援団〟に結集して行ったのでした。
 迎えた1月17日は、平松監督をおむかえしての、応援団の発足を兼ねた県下最初の試写会、私もこの地を訪れました。
 これまでも幾度か倉敷を訪れていましたが、倉敷の看板とも云うべき、古い蔵の建ち並ぶ「美観地区」を訪れたのはこれが初めてのこと。見事に古い街並が残された街の風情にいささか感激の思いでした。
 そして、試写会場となった、これも古い建造物倉敷公民館には、会場のそこかしこで、平松さんとの再会を喜ぶお声が響いていました。
 上映終了後、舞台に立った平松監督は、会場から注がれる市民のやさしき、そして応援のまなざしにしばし絶句・・・会場は、映画への感動もあいまって、不思議なやさしさに包まれたのでした。
 応援団の主だった方々と開かれた夜の懇親会は、試写会場の雰囲気をそのままに持ち込んだものとなり、尽きぬ話は平松監督の倉敷を舞台にした次回作にまでおよび、夜は更けて行ったのでした。
 こんな人のやさしさに支えられながら、この作品は2月22日、全国への旅をはじめます。
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倉敷・・・蔵の街並み

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クランクインの日、平松監督と



by cinema-tohoku | 2019-02-01 16:03 | 映画 | Comments(0)
 「あの日のオルガン」の全国への発信地蓮田市で、心暖まる集会がありました。
 平和を願った市民の方々が、毎年日米開戦の記念の日に続けて来られた集会も回を重ねて今年は38回目。
 今回は、平和を語る「あの日のオルガン」について、私に話をして欲しい・・・とのご要請でございました。
 私は映画の世界の人間、人様の前で1時間ものお話をすることには、いささかのはばかられる思いがございましたが、この作品の製作決定から多大なご助力をいただき、市民プロデューサーに関っては、3口ものご支援をいただいておりました他ならぬ蓮田市のこと、お断りしかねて望んだこの日でした。
 当日はこれまでの最大という150名にものぼる市民の方々が、会場をいっぱいにうめて下さり、蓮田市副市長様、そして蓮田市教育長様のごあいさつで集会は幕を開けました。
 お二人とも既に試写会でこの作品をご覧になっていらっしゃいまして、この映画を通した平和への、そして蓮田市の全国発信への願いを語って下さいました。
 そして、ご指名されて登壇した私のつたない話も、ご参加の市民の方々は暖かく受けとめて下さいました。
 又、最後にはサプライズが・・・。
 当時の疎開保育園の園児で、3月10日の東京大空襲で全ての家族を奪われ、それ以降の人生を孤児として歩んでこられた田辺健之さん(ケンちゃん)が登場・・・、会場は驚きと共感の思いに一気につつまれました。
 “この映画が実現して、こうして蓮田の方々にお礼が言えることになった・・・本当にありがとうございました・・・。〟
 こんな言葉を語る田辺さんに、ご参加の方々は暖かい満場の拍手で応えて下さいました。
 平和・・・つくずく実感します、この概念は思想や信条を超えた、人が生きるための最低条件なのだと・・・。
 そして平和が語られる場には、こんなにもやさしき心が通い合うのだとも・・・。
 映画上映の成功への思いを更に大きく拡げることとなった蓮田の一日でした。
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会場いっぱいの集会

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田辺健之さん


by cinema-tohoku | 2018-12-12 13:37 | 映画 | Comments(0)
 多くの方々の、やさしいお手に支えられて、映画「あの日のオルガン」が完成し、明年2月からの上映成功に向けて、全国でその準備が始められていました。
 そして、その先頭を切って上映実行委員会の発足に向けた「呼びかけ人会」が開かれたのが埼玉県蓮田市でした。
 1944年、戦火から子どもたちの命を守るため、東京品川区にあった戸越保育所は、保育園の疎開を決断しました。
 しかしながら、その前には乗り越えなければならない課題が山積していました。
 そして、その大きな一つが、場所の設定の課題でした。
 下は3才からの53名の幼児を生活させる場所・・・そして欠くことの出来ない食糧確保の課題も大きな問題でした。
 当時、この保育所を経営していた、恩賜財団大日本母子愛育会は、最大の努力でこの課題に向かい合いました。
 そして、その願いに手を重ねて下さったのが、埼玉県平野村(現蓮田市)の心やさしき方々でした。
 平野村高虫にあった無住の荒れ寺 妙楽寺が、疎開先を引き受けて下さり、食糧問題は、有難いことに、平野村の方々が食糧支援体制をつくってこれを支えることで疎開先は決定したのでした。
 それ以降平野村の方々は、子どもたちの命を守る心やさしきご支援の手で、疎開保育園を支えて下さったのでした。
 この平野村のやさしきお手がなければ、この53の幼い命は、地上から消えてしまっていたのかも知れなかったのでした。
 まさに平野村は、53人の子どもの命を救った村だったのでした。
 そしてあれから73年・・・この平野村の心やさしき歴史は、一本の映画となってこの地に生を授かったのです。
 この映画の製作支援に、先ずもって立ち上がって下さったのは蓮田市民の有志の方々でした。
 この市民の方々の熱い思いは、短い時間の中に市内に共感の輪として拡がって行きました。
 そして、この願いに熱く賛同して下さったのが蓮田市長さんでした。
 映画をご覧になって大感激・・・ 子どもたちの健やかな成長に赤信号の灯った現代社会に、「子どもの命」を感動と共に語るこの作品は、蓮田市民の誇りでもある・・・そんな市長さんの思いは、これも市内多くの方々の共感ともなり、11月8日蓮田市上映成功をめざす上映実行委員会の「呼びかけ人会」が、開催されたのでした。
 当日は、市内の主だった団体の方々がご参加され、「子どもの命を救った町蓮田」の誇りを市民の心に語る運動、そしてそんな蓮田の誇りの全国発信へのスタートは、この日切られたのでした。
 この共感の輪を、10,000名の市民の心につなぐ夢を語りながら・・・。
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蓮田市呼びかけ人会議






by cinema-tohoku | 2018-11-19 15:30 | 映画 | Comments(0)