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 阿寒湖から始まった北海道の旅、明けて翌日は、国際ソロプチミスト釧路アミティが主催した「あの日のオルガン」の釧路での試写会でした。
 以前、札幌の試写会でご覧になった、市議会議員の会員さんが大感激、今年創立25年を迎える会の記念行事での上映を・・・そんな願いで開かれた試写会でした。
 試写会には、会場をいっぱいに埋めた、市内各団体の90名の方がご参加、流れる涙をぬぐいながら上映の成功を誓い合う試写会となりました。
 本番の上映は12月8日、78年前の日米開戦の記念の日に、平和を願う北海道第一号の旗が釧路に立つことになりました。
 そして翌日は名寄市・・・。
 ことの始まりは、名寄市立大学保育科の先生が学生さんを連れて札幌の映画館でこの映画をご覧になったことからでした。
 幸い、お二人とも映画に大感激、私にご連絡をとって下さり、以前お二人とお会いして、上映の仕組みと進め方をお伝えしていました。
 数日経って学生のY君からお電話が・・・学生が中心になって名寄市上映を実現したい、相談にのってくれ・・・とのことでした。
 それでは、先ずもって何人かお仲間に集まってもらい、映画をご覧いただくことから準備を始めよう・・・こんな経過でのこの度の試写会でした。
 試写会には、5人の学生さんと一人の先生にご参加いただき、上映終了後は、感動で頬を染めた若き学生さんたちから、私たちの手で名寄市民に向けた上映会を実現したい・・・そんな熱い思いが語られ、全員一致でその歩みはスタートをすることになったのでした。
 現代の若者たちを巡っては、必ずしも積極的ではない話題も数多く語られている現代・・・それでも語られた若き学生たちの決意は私の胸を熱くさせました。
 〝子どもの命と平和〟を願うもう一つの旗は、道北の若者たちの手で高らかに掲げられようとしています。
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若者たちが学ぶ名寄市立大学



by cinema-tohoku | 2019-10-08 17:27 | 映画 | Comments(0)
 いつの間にか、北の地には秋が訪れていました。
 「あの日のオルガン」を携えて、久し振りの北海道、空港でレンタカーを借りて、一路道東へ…。
 何と、目に映る森の木々の葉は赤や黄色に色づいて、北の大地は秋まっ盛りの風情でした。
 社会に目をやるなら暗い話題ばかり…、国の未来に漠たる不安も覚える毎日でしたが、自然の営みは変わらずに四季の巡りを重ねていることに、安堵の思いにもさせられました。
 明日の釧路での試写会に間に合わないので、前日に仙台を発って、オフシーズンの安い宿を探して阿寒湖に一夜の宿をとりました。
 森の湖阿寒湖…数えれば何と52年ぶりの訪問でした。
 大学一年の夏休みに、当時〝カニ族〟と呼ばれていた流行にのって、リュックサックを背負い、ゴムサンダルを履いて20日間の北海道一人旅に出ました。
 それまでは両親の庇護のもと、ぬくぬくと育っていた私にとって、この旅は、新たな大学生活を始めるにあたっての、いささかの冒険でもありました。
 初めて泊ったユースホステルの独特の世界と、宿泊者同士の不思議な連帯感…車窓から流れる北の大地の壮大な姿…そして、ちょっとの異性との出会い…。
 その一つ一つが、私にとっては発見であり、青年の成長と自立の舞台でもあったのだとなつかしく思い返します。
 その旅の折に訪れたのが阿寒湖でした。
 あれから52年が流れていました。
 年も重ね、頭髪はすっかり白くなりましたが、52年前と変わらぬ熱き思いが、又私を阿寒湖の湖畔に立たせました。
 夕食の折の酒の酔いに誘われるようにして夜の湖畔へ…。
 振りあおげば、満天の星が私を見守っていました。
 〝子どもの命と平和〟… 今、かけがえのないこのテーマを一人でも多くの方々に・・・そんな思いを胸に刻んだ北の湖でした。
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阿寒湖に姿を映す雄阿寒湖



 「あの日のオルガン」には、2つの「ご当地」があります。
 一つは、戦火から逃れた子どもたちを受け止めた埼玉県平野村(現蓮田市)、そしてもう一つは、戸越保育所があった東京都品川区です。
 いずれの地でも、この映画製作企画を喜びをもって受け止めていただき、支援の運動は始まっていました。
 一歩先に上映の実現となったのは蓮田市、市民の運動に市も賛同し、以前のブログでご紹介した素晴らしい上映会となりました。
 そしてこれに続いて品川区でも、区民に向けた上映の動きが始まりました。
 幾度かにわたるていねいなご議論を経て、品川区上映に向けた実行委員会と試写会が開催されたのは8月20日、全国でも有名な元気な商店街「戸越銀座商店街」の一角にある、古い歴史のお寺の集会室でのことでした。
 当日は、あいにくの天候にもかかわらず、会場立錐の余地もない程多くの区民の方々がお集まりになり開会となりました。
 そして、この日の運動のスタートにおいでいただいたご来賓の方々は、まさにオールスター、とても賑やかなスタートとなりました。
 蓮田からは、「市民の会」を代表して2名の方、東京福祉大学の先生でライフワークとして「疎開保育」を研究されてきた西脇先生、立川からは、長年公立保育所に勤務されてきた大ベテランの先生が、そして、疎開保育園の園児で、3月10日の東京大空襲で孤児になった「健ちゃん」・・・。
 試写会が始まる前に、皆様方から語られるこの作品の今日的な意義に、ご参加者の方々は、上映成功への思いを一つにされた様でした。
 蓮田市に、そして品川区に・・・「オルガン」の2つの「ご当地」にあがった旗は、〝子どもの命と平和〟を願いながら、更に全国へとその輪を大きく拡げているのです。
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品川区実行委員会

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戸越銀座商店街



by cinema-tohoku | 2019-09-02 17:35 | 映画 | Comments(0)
 「あの日のオルガン」の製作企画を始めていた頃、是非観たい、と願っていた記録映画がありました。
 「或る保姆の記録」、発足間もない戸越保育所での子どもたちの生活を描いた作品です。
 戸越保育所が幼い子どもたちの命を育んでいたのは、東京都品川区でした。
 この地区は、大井町駅を中心とした、小さな工場が林立する労働者の街でもありました。
 戸越保育所の創設者となった大村栄之助・鈴子さんご夫妻は、労働者に心寄せるお二人でもあって、労働者の子どもを育てる場を・・・、そんな夢が実現して発足した戸越保育所でした。
 「或る保姆の記録」は、大村栄之助さんがその後、芸術映画社を立ち上げ、自らプロデュースして、戸越保育所での子どもたちの生活を見事に描いた作品でした。
 幸いこの作品が、私が以前勤務していた共同映画の倉庫にあることが分かり、共同映画のご好意で作品を拝見しました。
 作品は、大井町駅からはき出され、それぞれの職場に向かう、当時の労働者の姿が、生き生きと映し出される朝のシーンから始まります。
 そして、その後に展開される戸越保育所の生活には、戦争の影は全くなく、保母が父母と連携をとりながら、子どもたちと向かい合う姿が生き生きと描かれて行くのです。
 この作品の製作年は1942年・・・。
 この前年が日米開戦でしたから、日本中が戦争に狂奔していたあの時代に、よくぞここまでの製作を貫き通せたものだと・・・。
 製作者たちの平和への願いと、子どもたちへの深い愛情がにじみ出る作品でした。
 子どもたちの健やかな、そして平和な未来を願う戸越保育所の子育て理念が、1942年一本の優れた記録映画となり、そしてそれから77年を経て、今又、一本の劇映画として結晶した・・・。
 この保育所の創設者の思いも深く胸に刻みながら、「オルガン」の全国への旅を続ける私であります。
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或る保姆の記録


by cinema-tohoku | 2019-08-27 10:27 | 映画 | Comments(0)
 振り返れば、蓮田市の製作上映運動は、そのスタートから2年を数えていました。
 戦火から逃れて来た、53人の幼い命を守った、誇り高い蓮田の歴史を語ろうとする運動は、劇場上映に引き続く第2次上映の全国トップを切って行われ、その上映は見事な大輪の花を咲かせたのでした。
 初めにこの運動のお声をあげたのは、心やさしき市民の方々でした。
 〝子どもの命と平和〟を語るこの作品を完成させ、蓮田の地から全国に発信しようとした市民の方々は、〝支える会〟をつくり、この映画の製作支援活動を展開して下さいました。
 そんな願いは、急速に数多くの市民の方々のご賛同となり、市をも巻き込んだ運動として育って行きました。
 こんなご支援に支えられて完成した作品を、次の課題として多くの市民の胸に届けようと、〝支える会〟と市が中心になって、映画「あの日のオルガン」蓮田市上映実行委員会が結成されたのは、本年2月のことでした。
 子どもたちの健やかな成長に赤信号が灯った現代社会に、子どもの命の輝きを語ろうとした実行委員会の皆様は、その観客目標を何と人口(5万人)の20%、10,000名に設定して、その歩みを始めたのでした。
 こんな市民の情熱に応えて下さったのが、蓮田市と蓮田市教育委員会でした。
 〝子どもの命と平和〟を語り、そしてあの戦火から幼い命を守った故郷の歴史を、蓮田の未来を担う子どもたちの胸に伝えようと、市内全小中学生の観賞を決定して下さったのでした。
 この決定に心を強くした実行委員会の皆様は、市民に向けて前売り券の販売活動を展開して行ったのでした。
 そして迎えた4日間にわたった蓮田市上映会は、入場者数4200名の熱い心の輪となってつながったのでした。
 さかのぼる2月に行われた映画館上映では、1300人の蓮田市民の方々が既に鑑賞していましたので、小中学生4500名を加えるなら、その総数は目標としてかかげた何と10,000名!
 閉塞感でいっぱいになってしまった現代社会に灯った〝子どもの命と平和〟を願う灯は、蓮田の地に誇り高くかかげられたのでした。
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蓮田市上映


by cinema-tohoku | 2019-08-06 17:19 | 映画 | Comments(0)
 心安らぐ北の街盛岡・・・私を生み育てた故郷です。
 仙台まで、新幹線に乗るなら45分、泊ることはほとんどなかったのでしたが、昨日の夜の予定が急に変更になって、そのまま盛岡の宿泊を決め、思いたって市内で書店を営む中学校の同級生に連絡をして、これも中学の同級生がやっている居酒屋で久し振りの旧交を温めました。
 昭和23年に盛岡に生まれた私でしたが、父親の転勤でその後、函館、東京と転校を重ねて、盛岡に戻って来たのは中学2年の時でした。
 すっかり東京の少年の風情となっていた私にとって、久し振りの故郷は驚きの連続でした。
 街の真ん中を馬車が堂々と通り、道路には馬糞が・・・入学した下小路中学のクラスに身をおいて、クラスメイトの会話に耳を傾けて・・・困った!言葉が分からないのです。
 そして、クラスで目立った女子生徒の口からは、自らのことを“俺は・・・〟。
 何とも大変なところに来てしまったと思いながらも、いつの間にか盛岡の少年に変身していたのでした。
 それから高校の卒業まで、私を見守った盛岡の街は、壁にぶちあたったその都度に、私の心を支えた癒しの街でした。
 幸い空襲の被害をこうむることのなかった古い街並み、街の中心を流れる清流、石川啄木が振りあおいだ城跡、遠くに望む秀峰岩手山・・・。
 通りすぎた風景としてのそれだけではなく、私の人格形成にもこの街は大きな影響を与えた様にも思えるのです。
 中学の同級生が営む居酒屋は、300年をこえる歴史の盛岡八幡宮への参道からはいった横道にあります。
 聞けばもはや40年続けて来たという店のカウンターに、55年前の中学生が3人・・・。
 満開に咲いた昔話に夜は更けて行ったのでした。
 明けた今日は、10月から盛岡ルミエールで公開が決った「あの日のオルガン」上映成功への支援団体回りです。
 久し振りの故郷と友に心癒され・・・さあ出発しますか・・・。
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街を流れる中津川


 母なる湖琵琶湖を、その県の中央にかかえる滋賀県に、「あの日のオルガン」の全県上映成功への旗が掲げられようとしています。
 きっかけは、参議院議員会館で開催された、国会議員さんに向けた試写会からでした。
 この試写会の中心になって、その実現にご尽力いただいた参議院議員Aさんから、上映後、感激した・・・上映の成功に協力したい・・・、こんな有難いお申し出をお受けして、つないでいただいたのが滋賀県知事でした。
 「あの日のオルガン」で主役をつとめ、力強い疎開保育園の主任保母役を演じていただいた戸田恵梨香さんが、9月から放送のNHK朝ドラの主役に決定し、このドラマの舞台が滋賀県であったご縁をたどっての、ご紹介のお願いでした。
 お会いした三日月知事は、若々しい笑顔で私を迎えて下さり、子どもの命と向かい合い、子どもたちの健やかな未来を願う、この作品のこころに大きくご賛同いただきました。
 そして、先ずもって、ご自身と県内の関係団体の方々にご覧いただくことから、その一歩を・・・とのご意向を語られて、6月26日の滋賀県初の試写会と相成ったのでした。
 当日は、知事を始めとした県庁関係者、県内の首長様、保育関係者、遺族会・・・等、70名程の方々にご参加いただき、私の冒頭のあいさつで上映はスタートしました。
 ご参加の皆様は、ドラマの進行を身じろぎもせずに見入って下さり、東京大空襲以降は、会場のそこここに、涙をぬぐうお姿が見られ、上映終了後は満場の拍手でこの作品に応えて下さいました。
 最後のごあいさつに立たれた三日月知事は、5月に大津市で起きた保育園児を巻き込んだ悲惨な事故にも触れながら、〝この映画の全県上映を通して、広く県民の心に、子どもの命を語って行きたい・・・〟と、ご決意も語って下さいました。
 近江の地に、〝子どもの命と平和〟を願う旗は、まもなく高らかにたなびきそうです。
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三日月知事のごあいさつ


 こんな名前の団体があることをご存知ですか。
 故、日野原重明先生が呼びかけられて発足した組織で、知的で生き生きとしたシニアをめざそう、との願いで全国に拡がった組織です。
 こんな素晴らしい理念を掲げて活動を続けて来た「新老人の会宮城」の方から、「あの日のオルガン」について会員の前で話して欲しい、とのご要請を受けました。
 仙台の映画館でご覧になった会員の方からのご希望だった、とのお話でした。
 人様の前でお話をすることは、私の本業ではありませんでしたので、いささかの躊躇はございましたが、熱いご依頼を受けては、もはやお断りをすることも出来ず、お引き受けしてのぞんだ当日でした。
 会場には、各方面でご経験を積んで来られたことを推測させる、30数名の方々においでいただき、一時間を超える私の話にお耳を傾けて下さいました。
 話の終了後、会場の方々からは、〝情熱たっぷりの話に感動した・・・。〟〝一本の映画をつくるのに、沢山の人の手が合わさっていることが良く分かった・・・。〟など、過分な評価のご発言もいただき、ホッと胸をなでおろした私でありました。
 会の始まる前にお聞きしましたら、新老人の会宮城会員の平均年齢は80歳とのこと。
 年を重ねても、知的な好奇心を旺盛にして、社会に向けてその持てる経験とおとろえない力量を発揮し続ける会員の方々の生き方に、私が学ばせていただいた一日でもありました。
 年も70年を数え、肉体的な衰えを実感しながら、仕事に向かい合う私にとって、諸先輩達のこんな生き方は、とても刺激的なものでもありました。
 42年来の思いが叶って、又多くの方々の暖かい手に支えられて、この世に生を授かった「あの日のオルガン」、全国に向けて上映運動の働きかけを続けていましたが、思いのほか苦戦中でありました。
 それでも、この作品はかけがえのない我が子・・・ていねいに、時間もかけながら、その個性も見極めながら育てて見よう・・・、この作品をご覧になった方々のご評価は圧倒的なものですから・・・。
 そんな思いも胸に刻みながら、帰路についた私でありました。
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by cinema-tohoku | 2019-07-01 10:02 | 映画 | Comments(0)
 桜のつぼみもまだ固い北海道から一転、まるで夏の風情の沖縄を訪れました。
 「君の笑顔に会いたくて」の全国上映に対して昨年12月、山下法務大臣からの感謝状を頂戴しました。
 その折、ご一緒した吉本興業の社長とのご縁で、吉本興業が毎年沖縄で開催している沖縄国際映画祭への作品の出品を求められての沖縄訪問でした。
 吉本興業は、〝お笑い〟のクリエーターとしてのお仕事を展開するかたわら、社会貢献の一環として、法務省が主唱する「社会を明るくする運動」にも、全面的なご協力をされて来ていました。
 そんな吉本興業とシネマとうほくが、法務大臣からの感謝状をいただくご縁をつないでの、この度の出品となったのでした。
 この映画祭には、お招きがあって、私の他に主演の洞口さん、そして法務省保護局長を始めとした関係の方々もご参加、那覇市の桜坂劇場での舞台あいさつにのぞみました。
 幸い、劇場は満席となり、スクリーンに展開する更生保護を語るドラマに、参加者の方々は涙をふきながら胸を熱くして下さいました。
 そして上映終了後は、那覇市メインストリートの国際通りを通行止めにして、赤い絨毯を敷き、何とレッドカーペットのウォークと相成ったのでした。
 心配された天候も回復し、南国のあざやかな光が降り注ぐ青空のもと、人生初体験のレッドカーペットの歩行は・・・多くの方々に見つめられながら・・・嬉し恥ずかし・・・・・とにかく無事に終了したのでした。
 そして、映画祭での私のスケジュールが終了するや、関係者の方々にお別れを告げて宮古島へ・・・。
 東京で「あの日のオルガン」をご覧になった一人の女性から、感激した・・・宮古島で上映をしたい・・・、とのお話が届けられ、それにお応えしての訪問でした。
 空港ターミナルの喫茶店で初めてお会いしたTさんは、熱い思いで上映実現への夢を語って下さいました。
 一歩ずつ、とてもスローな歩みを重ねながら、私たちが手がけた作品は、多くの方々の胸に伝わって行くことを実感した南の地への訪問でした。
 それでも・・・いささか・・・疲れました。
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宮古島のビーチ

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那覇でのレッドカーペット



by cinema-tohoku | 2019-04-23 14:47 | 映画 | Comments(0)
 節約の思いで、閑散期をねらって片道5200円のピーチでの久し振りの北の大地です。
 仙台は、桜の満開を迎えていましたが、訪れた北の地の桜の開花はまだ遠く、吹く風も冷たく感じられています。
 更生保護の心を語るべく製作した「君の笑顔に会いたくて」も、その上映をスタートしてから間もなく2年を迎えます。
 この間、各地保護司会の方々を中心とした上映の輪は全国に拡がり、その数は既に170ヶ所を数えるまでに育って参りました。
 そして迎えた本年度、更生保護が制度化されてから70年の周年の年・・・法務省ともご相談を重ねて、この周年に向けて更に上映の輪を拡げようと、チラシもリニューアル、そして上映の仕組みにも一考を加えて、全国へのお呼びかけを始めたところでした。
 今回の北海道への訪問は、「あの日のオルガン」の上映基盤づくりに加えて、「君の笑顔に会いたくて」の上映促進を願ってのことでした。
 北海道での「君の笑顔に会いたくて」の上映は、ここに至るまでに大きな拡がりを道内につくって下さっていました。
 ホール上映では、仙台に続いて全国第2位の観客数となった旭川市、市と保護司会が手をつないで見事な上映となった釧路市、そして社会を明るくする運動の一環として取り組んだ北見市・・・その上映は既に道内10ヶ所を数え、その一ヵ所一ヵ所に、心通う地域社会を願った主催者が織り成した数々のドラマがありました。
 空港から先ずもって訪れた室蘭保護司会の皆様方は、私の携えた願いに熱い共感の思いを重ねて下さいました。
 担当エリアが大きく拡がり、なかなかていねいな手当てが出来ないもどかしさを抱えながらのこの度の北の地へのご訪問・・・やっと天候も回復した青空のもと、今日は旭川まで足をのばして見るつもりです。
 人と人とが心を交わせ合い、子どもたちがその未来に向けて希望を語りながら成長することの出来る社会を願いながら・・・。
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「君の笑顔に会いたくて」更生保護制度70周年チラシ

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北大のポプラ並木

by cinema-tohoku | 2019-04-17 16:47 | 映画 | Comments(0)