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 文化庁の支援を受けた一連の上映会が「マリア・カラス 伝説のオペラ座ライブ」で幕を開けました。
 トップバッターをつとめた「マリア・カラス 伝説のオペラ座ライブ」は、1958年数々の注目を浴びたマリア・カラスが、パリオペラ座にデビューしたコンサートを撮ったシネマコンサートでした。
 映画は、コンサートに足を運んだきらびやかな人々のオペラ座入場のシーンから始まりました。
 フランス大統領ルネ・コティはじめ、ブリジット・バルドー、イブ・モンタン、ジュリエット・グレコ、チャーリー・チャプリン、ジャン・コクトー等々・・・キラ星の様なセレブが列席、コンサートはヨーロッパ各地にテレビ放送されて、100万人が観たと言われているのです。
 この映画は、その放送のためにコンサートの全てを収録したライブ映像でした。
 マリア・カラスは、ギリシャ系移民の子どもとしてニューヨークで生まれ、その圧倒的な才能を開花させながら、53才で他界しました。
 そんな短かった生涯で、オペラ歌手としてはまさに絶頂期だった時の歌声とその姿を、この映画は見事に再現して観客の胸に届けたのでした。
 上映終了後、感動に頬を染めた方々が交々に受付に立ち寄り、その思いを語る姿に〝やって良かった〟そんな思いにさせたこの日の上映会でした。
 上映終了から数日後・・・、一通のお手紙が会社に届きました。
 映画をご覧になられた観客の方が寄せてくれたアンケートが同封されていました。
 そこに綴られていた感動のお声と私たちへの励ましは私の胸を熱くさせ、この困難からの再生を決意させる力ともなったのでした。
 この文化庁支援上映会は、まだ続きます。
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「マリア・カラス 伝説のオペラ座ライブ」(c)ina

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# by cinema-tohoku | 2021-10-12 13:44 | 映画 | Comments(0)
 オリンピックの開催で騒がしかった、酷暑の夏もいずこへやら…朝の空気の冷たさに、秋の深まりも感じさせられる頃となって来ました。
 コロナ禍で、さぞかしご苦労の日をお過ごしのことと存じます。
 振り返ってみると、新型コロナウイルスが日本を襲ってから、もはや1年半の時間が流れていました。
 この間、コロナ禍の影響は社会の各方面におよび、地域に人が孤立すること故の、自殺者の急増にも胸が痛みます。
 そしてコロナ禍は、私たち文化芸術分野にも深刻な影を投げ落としました。
 日本の文化芸術分野の活動は、主にフリーランスや零細な企業の努力によって支えられていました。
 こんな脆弱な文化芸術分野に、新型コロナウイルスの感染拡大は、深刻な影響を投げかけていました。
 この度文化庁は、コロナ禍で困難を強いられている、これら文化芸術分野の企業団体への支援策<「Arts For the Future」(略称AFF)>を発表しました。
 これらの企業団体からの申請を受けて、採択となった文化催事には国が経済的支援を行い、日本の文化芸術企業団体を支えようとするものです。
 私たちも、まさに藁にも縋る思いで申請を致しましたところ、幸いこれが採択となり5つの上映会の開催を決定しました。
 <世界的オペラのシネマコンサート>、<田中邦衛さんをしのぶ「若者たち」上映会>、<「あの日のオルガン」上映会>、計5件の上映会を文化庁のご支援を頂いて開催することとなりました。
 長期にわたるコロナ禍で沈滞した地域社会にこの上映会が、いささかでも元気を与えてくれれば幸いです。
 皆様方のおいでを心よりお待ち申し上げます。
 詳しくは、当社ホームページをご覧下さい。(http://www.cinema-tohoku.co.jp)
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# by cinema-tohoku | 2021-09-28 15:35 | 映画 | Comments(0)
 新型コロナウィルスが大変な勢いで拡大して、全国各地に「非常事態宣言」なるものが発せられています。
 私の居住する宮城県にも、明日からこの宣言が発令とのこと…。
 心が暗くなる話題ばかりです。
 全国の感染者数は、2週間前の数字が今発表されているとのこと・・・。
 カレンダーに目をやるなら、この度の感染爆発の要因は、2週間前に明らかにそこにありました。
 2週間前は・・・そうです、感染拡大の中、東京オリンピックが強行され、全てのマスコミは異常なまでにオリンピック一色に塗りつぶされて、テレビからは、競技を伝えるアナウンサーの<絶叫>が耳ざわりに響いていた時でした。
 そのツケは見事なまでの感染爆発となって今、私たちを襲って、多くの命が失われています。
 何故これ程のリスクを犯してまで、オリンピックを強行したのか・・・。
 仕事を奪われ・・・政治には絶望して・・・胸ふさがる思いです。
 そんな8月、私にとっては胸に小さな灯がともった様な、心暖まる上映が2件、相次いで行われました。
 以前のブログでもご紹介していた、長野県松本市と塩尻市で行われたのが、コロナ禍以降では、シネマとうほく初となった、前売り券を売っての「あの日のオルガン」地域上映でした。
 長野県での試写会にご参加になり、映画に感激・・・、是非塩尻での上映を実現したい・・・そんな思いで上映を決意した塩尻子ども劇場の方々、そして、映画をご覧になった群馬県のお友だちから上映をすすめられて、私の会社にご連絡を下さった、チェルノブイリ支援活動を続けて来られた松本の方・・・。
 古い手帳を開いて見たら、この方々と初めてお会いしたのは、何と2年前の2019年9月のことでした。
 私の語るこの作品のこころに感銘して下さったこの方々の手による上映計画は順調に進み、いよいよスタートラインに立ったとき、その前に大きく立ちはだかったのが、コロナ禍でした。
 一旦は中断した上映でしたが、この方々は上映の実現を決してあきらめませんでした。
 何度も立ち上がっては又中断・・・、それを繰り返しながらやっと実現したこの度の上映会でした。
 結果は、松本市100名、塩尻市200名、当初1,000名規模を論議していた数には到底及ばないものでしたが、コロナ禍を前にして、それでも立ち上がって、地域の方々の胸に〝命の輝き〟を語った上映会は、まるで宝物の様な光を放っていました。
 そして何よりも、この上映会は、本来人の命を語るべき今の政治に絶望してしまった私への大きな励ましとなって、温かな手は私の心を支えてもくれたのでした。
 有難うございました・・・。
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# by cinema-tohoku | 2021-08-26 17:46 | 映画 | Comments(0)
 酷暑の夏…残暑お見舞い申し上げます。
 今日は8月6日、巡り来た76年目の広島の日です。
 本来なれば、あの日の広島に思いを寄せて、静かに平和を願う日なのですが、今年の8月6日は何とも騒々しい記念の日になりました。
 新型コロナウイルスの感染拡大は、止まるどころか、更なる爆発的な拡大となって日本を襲っています。
 そして、このタイミングでの東京オリンピックの開催。
 よくもこれほど…と思うほどの、オリンピックを報じる莫大な報道の量。
 そして、まるで日本人たるもの、こぞってオリンピックに感動するべき…とでも言いたげな、アナウンサーの<絶叫!>。
 まるで何らかの思惑で、国民の思考を停止させようとしているような…何とも暑苦しい日々が続いています。
 そして、この狂騒の中に、76回目の8月6日がありました。
 相変わらず出張の無い私はここ仙台で、8時15分遠く離れた広島にそっと手をあわせたのでした。
 同調圧力に屈することなく、自らの思考で自らの行動を起こす日本人であって欲しい…そんな願いも込めながら。
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今年の仙台七夕まつりは、竹飾りも少なく寂しいまつりになりました。

 
 


# by cinema-tohoku | 2021-08-10 11:41 | その他 | Comments(0)
 埼玉県蓮田市から、一冊の宝物の様な冊子が事務所に届きました。
 題名には「妙楽寺疎開保育園物語」…蓮田市で展開された、市民の手による「あの日のオルガン」製作上映運動が一段落となり、3年にわたった運動の報告集として制作されたものでした。
 蓮田市は今から76年前、日本国中が戦火に包まれていた時、数々の困難が予想されながらも、東京の戸越保育所の疎開を受け止め、幼い53人の子どもたちの命を守った町でした。
 「あの日のオルガン」の製作が決定して、その製作資金の調達のための<市民プロデューサー>ご参加の働きかけに全国を駆け回っていた時、そのご依頼で蓮田市を訪れたのは、クランクインを間近に控えた2018年2月のことでした。
 急なお声がけにもかかわらず、集まって下さった10数名の市民の方々は、私の語るこの映画のこころを、時には涙もぬぐいながら熱く熱く受け止めて下さいました。
 これまで、疎開保育園の地蓮田市では、この史実は必ずしも多くの市民共有のものとはなっていませんでした。
 “この史実を映画として作り上げ、全国上映を通して蓮田の誇りを語ろう!″
 そんな願いは、短い時間の中に、市民の胸に拡がって行き、<映画「あの日のオルガン」を支える蓮田市民の会>となって、この映画製作を支えて下さいました。
 そして映画完成後は、蓮田上映の実現へと市民の願いは拡がり、行政も巻き込んだ上映運動は、人口6万人の蓮田市で、何と1万人市民が鑑賞する、見事な結果となってその実を結んだのでした。
 地方の活性化を願って、いわゆる〝ご当地映画“は数々製作されていますが、残念ながらそのほとんどの例は、持続的な地域運動とはならず、撮影の時だけの〝お祭り騒ぎ″は、映画の完成で終息を迎えるもので止まっていました。
 しかしながら、蓮田市民が3年にわたって展開した製作上映運動は、製作支援から全国上映…そして、地域の歴史の掘り起し…この一連の運動を通して、映画の製作を市民の誇りとして、市の未来に定着させようとしたものでした。
 そしてその願いは、3年をかけて見事な花を咲かせたのでした〝戦火から子どもの命を守った町、蓮田″として…。
 コロナ禍で、全国上映の中断を余儀なくされている今…
 この冊子に込められた願いは、全国上映の再開と更なる拡大へと、変わらぬ情熱で光を放っているのです。
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# by cinema-tohoku | 2021-07-19 14:45 | 映画 | Comments(0)