私たちが「じんじん」の製作を決意した時、私たちの前に解決しなければならない大きな課題がありました。
まもなく完成するこの作品を、どんな方法で多くの方々にお伝えするのか…、公開の仕組みを巡る課題でした。
戦後、日本映画は大きな変転の道をたどって来ました。1945年、日本は敗戦を迎えました。平和な、そして新たな民主主義の時代を迎えた国民はこぞって娯楽を求め始めました。そして、当時の国民の心を一番掴んだのは映画でした。映画は「大衆娯楽の王」とも語られ、映画館にはたくさんの観客が詰めかけました。そして小さな町にも村にもさえも映画館は次から次へと開館していったのでした。

私は当時小学生でしたが、たくさんの映画を観て自らの心を育ててゆきました。又、あの時代を振り返ってみると、不思議なことに、観た映画の記憶と共に誰と一緒に観たのかも思い出されるのです。あの当時の映画は産業としての隆盛を誇っていただけではなく、「地域コミュニティ」を語る上でも欠く事の出来ない要因ともなっていたのだと思われるのです。
しかしながらこんな映画の幸せな時代もいつまでも続くことはありませんでした。
その後登場したテレビの普及と娯楽の多様化の波は、映画界を長く暗い低迷の時代へと突き落としたのでした。年間を通した映画人口は全盛期の一割に減じ、映画館の閉館も相次ぎました。
・・・「スローシネマ②へ続く」