以前のブログ「満開の桜」で、この度全国配給を担当することになった「ソ満国境 15歳の夏」に描かれた新京第一中の少年達の史実を「満蒙開拓青少年義勇軍」と書きましたが、この表現は間違っていました。
「満蒙開拓青少年義勇軍」は日本国内から集められた少年達を旧満州国農村部に生活させ、期限を定めずに農業に従事させながら一旦事がおこれば銃をもってこれにあたる、半ば兵士(兵士と呼ぶにはあまりに幼い彼らですが)でもありました。
しかしながらこの度の映画に描かれた新京第一中学の少年達は、関東軍のための食料増産にあたるべく、一定の期間を限って「報国農場」の援農にあたったものでした。
この限りでは「青少年義勇軍」とは明らかに区別されるものでございました。
私の至らなさでありましたことをお詫び申し上げます。
それでも、この報国農場の援農のその後ろにあった実相を見つめた時、改めて怒りを覚えるのです。
原作者田原さんを始めとした新京第一中の少年達がソ満国境の報国農場の援農にはいったのはまさに敗戦間近の時でございました。
この頃には、「無敵」と語られた関東軍は、その大半の兵を南方戦線にさかれ、その実体はまさにスカスカでした。
そして、近々国境を破る可能性の大きなソ連軍に備えるため、戦線を大きく後退させる準備も着々と進めていたのでした。
しかし、その作戦をソ連軍にさとらせないための策の一つとして、新京第一中の少年達をソ満国境に配置したのが実体でした。
民間人が居るなら、それを“守る”ために関東軍もいるはずだと...。
こんな策略のために少年達は国境に置かれたのでした。
8月9日、戦車の車列を連ねながら、圧倒的なソ連軍が国境を破った時、そこには既に日本軍の姿はなく、徒手空拳で取り残された少年達だけがそれに向かいあうことになったのでした。
まさに「軍隊は国民を守るものではない...」この実相を見事に語った惨劇が展開されることになったのでした。
今また、戦争と平和を巡る論議が活発に交わされるなかで公開されるこの作品を通して、「戦争」そして「軍隊」の実相も語ってみたいと心から願うのです...。