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 こんな題名の映画が完成、4月からの全国上映への旅の準備中です。
 映画の舞台は四国の右下、徳島県美波町。
 アカウミガメが産卵に訪れる、太平洋に面した美しい町です。
 東京に本社を置く、IT企業サイファーテックは、東京での人材確保に行き詰まりを感じていました。
 人材確保を巡る競争は激烈なものでもありました。
 そんなサイファーテックが着目したのが、美波町だったのでした。
 美波町・・・まさに過疎地で、高齢者人口比率も年々高くなる・・・典型的な地方の町でしたが、ここには都会にはない、素晴らしい海が、山が、川がありました。
 仕事をしながら、その生活の中で無理なくサーフィンが、山歩きが出来る・・・。
 これをねらって打ち出した社員募集のスローガン「半IT,半X」は大きな反響を呼ぶことになりました。
 仕事をしながら、「X」には自分らしい生活を組み込んでもらおう、とのねらいでした。
まさに「働き方改革」とも云うべきこの企画は急速に話題となって拡がり、都会では叶えられなかった優秀な人材が集まったのでした。
そしてサイファーテックが美波町に出したサテライトオフィスで、社員たちは、まさに生き生きとしながら、日々の仕事と向かい合うことになったのでした。
この成功事例は人の口から口へと伝えられ、美波町内にはその後も、町内にサテライトオフィスを出店する企業が相次いだのでした。
いつの間にか、町の姿が変わり始めていました。
町内に若者の姿が目立ち始め、そして流入人口が流出人口を上回ったのでした。
町には、こんな人達をねらったカフェやしゃれたラーメン店が出店、大学のサテライトオフィスも生まれて行きました。
古い町がその歴史を生かしながら、それでも新しいものを見事に取り込んで、町が活性化し始めたのでした。
映画「波乗りオフィスへようこそ」は、こんな美波町の未来への挑戦をドラマにしたものです。
 都市と地方との格差が語られてから、ずい分長い時間が流れていました。
 格差を埋めるための数々の努力が続けられていました。
 この作品は、決してあきらめなくて良い、・・・どんな町にもきっと素晴らしい未来があることを感動とともに語ってくれることと思います。
 「都市と地方との均衡ある発展」・・・そんな夢もかかげながら、「波乗りオフィスへようこそ」は、私たちの配給の手でまもなくその旅に出ます。
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ウミガメが訪れる砂浜
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「波乗りオフィスへようこそ」


# by cinema-tohoku | 2019-04-15 15:31 | 映画 | Comments(0)
 車で2日間の岩手への出張でした。
 昨日は、午後から三陸沿岸を通って、最後の予定地久慈市から仙台への帰途へ。
 間もなく4月・・・もはや雪の心配はないだろうと、車を走らせた夜の東北自動車道は、途中から何と吹雪・・・あまりの吹き降りに前方は見えなくなり、道路の白線も雪にかくれ、ほうほうのていで仙台に戻って来ました。
 そして、その翌日に訪れた東京は桜の満開・・・街は桃色一色に彩られていました。
 まるで魔法のトンネルをくぐった様な季節の移り変わりに、改めて南北に連なる日本列島を実感させられました。
 色彩の乏しい冬から巡った桜の春・・・何とも華やかなこの風情は、行き交う人々も心を浮き立たせているように思えるのです。
 そんな東京の姿に目を向けながら、胸によぎるのは通り過ぎて来た岩手県三陸沿岸の街の姿・・・。
 大惨禍から8年、街は新たな姿に変り始めているのですが、そこここにまるで櫛の歯が抜けた様な空地が目立つ「新しい街」なのです。
 ここに再び人の生活の営みがよみがえり、街のにぎわいを取り戻すことが出来るのか・・・。
 そして、皆が笑顔を交し合う真の春の季節を迎えることが出来るのか・・・。
 東京の咲き誇る桜を見つめながら、そんな思いにさせられた春の一日でした。
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満開の桜
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 3月10日・・・74年前の東京大空襲の日の翌日は、東日本大震災慰霊の日。 
 私にとって決して忘れることの出来ない8年目のこの日を、今年は「あの日のオルガン」を携えた金沢の街で迎えました。
 あの日、東日本一帯に押し寄せた波の壁は、そこにあったあたりまえの生活を、そして沢山の夢さえも奪って行きました。
 そして、あの直後から寄せられた全国からのご支援のやさしい手の数々は被災地を支えました。
 〝支え合い〟〝絆〟・・・数々の美しい言葉が語られていました。
 そして、あの日から8年が・・・・・。
 あの時、国をあげて支え合った記憶は遠いかなたのものになってしまったのでしょうか。
 人々の口から、これらの言葉が語られることはなくなり、これと交代をする様に「復興五輪」の言葉が踊っています。
 聖火リレーが福島から始められる…リレーのトーチが展示される…。
 まるで、この8年で被災地は立ち上がり、オリンピックが新たな未来を拓く「復興」を実現するが如き報道が語られています。
 しかしながら、北の地の実態は・・・。
 かつての生活の場からの避難生活を送る人は、福島県を中心に未だに5万人を越え、復興住宅での孤独死は急増・・・そして、あの甚大な被害を受けた陸前高田は、いまだに「かさ上げ」工事のダンプカーが行き交う茶色の街・・・。
 現実は、いまだに「復興」にはほど遠いものですし、人々は、今も精いっぱいの思いで日をつないでいるのです。
 一過性のスポーツイベントの開催が、まるで手品の様に被災地に希望の光を放つ筈がないのです。
今必要なのは、被災地の現実をありのままに伝えて、変わらぬ支え合いの心を国中に拡げることだと思いますし、その先頭に国が立つべきだとも思うのです。
今年の3.11は、私の胸に少しばかりの悲しい思いを語りました。
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8年・・・



# by cinema-tohoku | 2019-03-22 17:46 | その他 | Comments(0)
 1945年3月10日未明から、東京下町を襲った悪魔の使いの如き怪鳥たちは、一夜にして10万人にのぼる人々の命を、無残にも奪って行きました。
 そのお一人お一人に生活の営みがあり、家族もありました。そして何より非戦闘員でした。
 この悲惨極まる無差別爆撃の実相は、作家の早乙女勝元さんらのご努力で掘り起こされ、語り継がれて来ていました。
 そして、あの日から長い時間が流れて行きました・・・。
 この間、ご体験者の方々の数も年々減少し、戦争体験の風化も語られ、この悲惨な事実は人の口にのぼることも少なくなって来ていました。
 それでも、忘れずに語り継ぐご活動をねばり強く、そしておやさしい言葉で語って来られたのが海老名香葉子さんでした。
 東京大空襲で家族を失い、その戦後を孤児として生きて来た海老名さんの胸には、いつも空襲でお亡くなりになった方々への鎮魂の願いがありました。
 その願いを実現するべく、上野の山に私費を投じて鎮魂の慰霊碑を建立、毎年3月9日に慰霊祭を行っていらっしゃいました。
 85歳を迎えられた海老名さんは、今年の慰霊祭で〝二度と戦争がおきてはならない。まだまだこの活動を続けて行きたい。〟と決意を語って下さいました。
 そして、翌3月10日の新宿ピカデリーにも、東京大空襲に思いを寄せた、平和を誓う声が響きました。
 この記念の日に上映中の「あの日のオルガン」・・・、74年前の東京大空襲を振り返り、平和への願いを語るべく、上映終了後の舞台に、平松監督、私、そして当時疎開保育園の園児だった3人の方々が並びました。
 疎開保育園での生活の時、東京大空襲で全ての家族を奪われ孤児となった〝健ちゃん〟、そしてあの3月10日の業火の下で一夜を過ごし、翌日まるで地獄絵図の様な焼け野原をさ迷い、幸い保母さんと巡り会い、連れられて疎開保育園に参加した佐瀬さんご姉妹・・・。
 映画を観終わった観客は、お一人お一人の語る言葉に驚き、共感し、平和への願いを胸の中に深く刻んで下さいました。
 どんな理屈を語ろうと、戦争は人類最悪の罪悪であり、平和は、そのよって立つお立場を越えて守り続けなければならない人が生きる基本の概念・・・そんな思いもこの日のオルガンは語ってくれたのでした。
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3月10日新宿ピカデリー舞台あいさつ

# by cinema-tohoku | 2019-03-20 10:14 | 映画 | Comments(0)
 「あの日のオルガン」の全国展開が活発な動きとなり、その対応での出張が連続する毎日を過ごしていました。
 昨夜、久し振りに仙台に戻って、今日は仙台での朝を迎えました。
 自宅で朝食を摂り、バスで事務所へ・・・。
 幸いの晴天に恵まれて心おだやかな朝でした。
 バスに乗りながら、不思議な既視感を覚えました。
 そして思いあたったのでした。
 間もなく8年が巡って来る2011年のことだったことを・・・。
 完成直後に東北を襲ったあの大惨禍で東北での上映を断たれた「エクレール~お菓子放浪記」・・・、私たちはあの時一大決心をしました。
 この作品の全国上映を通して、全国に被災地支援への願いを語ろうとの・・・。
 そして、そこから始まった全国への旅は、12泊、13泊と日を連ねていったのでした。
 ヘトヘトになってやっと帰ったあの日の仙台の朝も、今日と同じくおだやかなほほえみで私を迎えてくれていたのでした。
 やはりバスの乗って事務所に向う私を、不思議な安堵感が包んでもいました。
 そうでした、あの日と同じ感慨だったのでした。
 やはり、ここは私のマイホームタウン。
 生活があり、迎えてくれる家族が、そして会社の同僚や友人がいて・・・。
 人は、帰るところがあるから旅にも出ることが出来るのだと思うのです。
 そんな一時の感慨を胸に、久し振りの事務所の扉を開きました。
 今日一日で、たまった仕事をこなさなければ。
 又、明日からは旅に出るのですから・・・。
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東京、日比谷公園は梅が咲いていました