子供たちの未来は地域社会、そしてひいては国の未来そのものです。
地域の未来を語ろうとした時、そこにはごく当たり前の様に子どもたちの健やかな成長がその前提として語られます。
しかしながら今我が国では、こんな子どもたちの健やかな未来に黄信号が灯っているのです。
これまでにも子どもたちの未来を危惧せざるをえない事件は多々生まれて来ていましたが、川崎市で起きた少年殺害事件ほど、社会に大きなショックを与え、子供たちの未来に危機感を抱かせた事件はなかったのではないかと思われるのです。
この様な事件が起きると、これまで展開されてきた世の論議は、事の本質とは相容れない「犯人探し」であり、ほころびをつくろう様な「対症療法」だったのではなかったでしょうか。
しかしながら、18歳の少年が年少者である13歳の少年の生命を不当に奪ったことに目をやるなら、又、この手の議論でこの事件をいつの間にか人の記憶から遠ざけてしまって良いのか不安な思いにもさせられるのです。
力を持った者が自らより弱者である者を不当に虐げる…。
この事件の本質の一つはこんなことにあるのではないかと思うのです。
そして振り返ってみて、この事件が現代の社会そのものをまるで鏡の様に写し出したものであることに気付かされた時、私たちは腹を据えてもう一度この事件としっかりと向き合わなければならないのではないかと思われるのです…。
今や社会不安を生みかねないところにまで拡がった貧困の拡大、非正規雇用の固定化、そして自己責任を声高に叫び、人をひたすら傷つける連鎖の拡大…。
私たちの社会はいつの間にか、弱きものをひたすら傷つけ、社会の片隅に追いやろうとする、そんな社会になってしまったのかも知れないし、この度の事件は、そんな社会の反映として生起したものなのかもしれないとさえ思えるのです。
傷つけあう社会から、支え合う社会へ・・・。
今私たちは真剣にこのことを語り合ってゆかなければならないと思えるのです。
そう考えた時私たちの手にこんな社会を解き、新たな未来に導く「小さな鍵」があったことに気付かされるのです。
映画「じんじん」…ひたすら人と人とが信じ合い愛し合い、そこから地域社会と家族の再生を語ろうとするこの作品は、今更に大きな光を放っているのかも知れません。
