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 秋も深まった111日、幕張メッセの国際会議場は、全国から集まった、より良い高齢化社会を願う1,000名の方々の熱い熱気に包まれていました。

 東北大学の川島隆太先生が開発した「脳トレ」を通して、認知症の予防や改善にあてようとした「学習療法」は、これを全国に拡げ、このことを通して「地域社会の再生」を計ろうとした「公文」の方々の手で、その輪は大きく拡がっていました。

 このシンポジウムは、「学習療法」が開始から10年を数え、ここからの更なる発展を願って、そのスタートとして開催されたものでした。

 「学習療法」をテーマに製作した長編記録映画「僕がジョンと呼ばれるまで」の全国配給に取り組んでいる私も、川島先生のご講演があるとお聞きして参加して来ました。

 このシンポジウムの冒頭ご講演に立たれた川島先生は、50分の限られたお時間でしたが聴く者の心に響く語り口調で、高齢化社会のあり得べき素晴らしき未来について語って下さいました。

 そのキーワードは「スマートエイジング」…。

 年を重ねることは成長であり、加齢は発展である。

 脳を意識的に使い、脳の前頭葉を活性化させることが出来れば、その先には素晴らしい高齢化社会を実現出来る…。

 そんな、あり得べき未来を、先生は分かりやすく私たちに語って下さいました。

 そして、それに引き続き上映された「僕がジョンと呼ばれるまで」は、前段の川島先生のお話を受けてのものだったこともあり、観客の胸に高齢化社会に向けた確信も語ってくれた様でした。

 このシンポジウムにご参加された方々の輝く表情を拝見して、こんな一歩一歩の運動の積み重ねが、きっといつかは素晴らしい未来を拓く…。

 そんな思いを胸にしまって、次の出張先京都へ向かったのでした。

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熱心に意見が交わされた全体会
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映画に出演のジョンもシンポジウムに駆けつけてくれました



# by cinema-tohoku | 2015-11-19 17:32 | 映画 | Comments(0)

「ちえりとチェリー」宮城県でもスタート_a0335202_11223056.jpg
 震災からの復興と子どもたちの健やかな未来を願って、岩手県に引き続いて昨日(1029日)宮城県上映運動のスタートが切られました。

 この日はこの作品の宮城県上映にご賛同された方々が河北新報ホールにお集まりになり、県内初となる試写会、「ちえりとチェリー」が繰り広げる少女の想像の世界を堪能しました。

 昨日の試写会でも感じたのですが、この作品は不思議な作品と思えるのです。

いわば“山あり谷あり”の物語りではありませんし、どちらかというと感情の高ぶりをあえて抑えながら淡々と語られる作品なのです。

 それなのに、観ているうちに不思議に作品の中に引き込まれ、いつの間にか主人公の「ちえり」に感情移入している自分に気づかされるのです。

 人形アニメーションが持つ、不思議なやさしさのせいなのかも知れませんが、何より、この作品完成に込めたつくり手たちの熱い熱い思いがいつの間にか伝わっているからなのかも知れません。

 昨日もご覧になった方々は、涙をぬぐい、上映終了後は交々に熱い感動が語られる試写会になりました。

 映画の感動が余韻として残っていたのか、その後開かれた呼びかけ人会議では活発なご意見が交わされ、宮城でも上映の運動はスタートを切ることになったのでした。

 こんな熱い思いを持ったつくり手たちの結晶を、東北被災地の多くの親と子どもの胸にお届けしたいものです。

 そして、被災地から全国に大きく育てて送り出したいものです。

「ちえりとチェリー」宮城県でもスタート_a0335202_11284571.jpg
仙台での呼びかけ人会議の様子



# by cinema-tohoku | 2015-11-05 11:30 | 映画 | Comments(0)

「ちえりとチェリー」発進します_a0335202_09560231.jpg

 以前のブログでもご紹介しておりました、人形アニメーション「ちえりとチェリー」が、被災地の復興と子どもたちの健やかな心の成長を願ってその上映の準備をスタートさせました。

 本年3月、宮城県石巻市で全国初めてとなる被災地からの発信上映を開催、それ以降全国上映実現への努力を重ねて参りましたが、石巻上映以降、この作品の上映の意義を更に大きく語ることになった悲しい事件が起きていました。

 岩手県矢巾町では、中学2年の少年が不当な“いじめ”によって、たった13年にしかならないあまりに短かった命を自ら絶ちました。

 そしてもう一件は、この事件を追うようにして明らかになった仙台での、これも“いじめ”に起因する中学生の自殺でした。

 私たちが地域社会と国の未来を見つめた時、そこには当然のように未来へのバトンを受け継ぐべき子どもたちの成長が前提となっています。

 そんな子どもたちの未来が閉ざされた時、それは国の未来そのものの危機であるのではないでしょうか。

 今の時代に生きる私たち大人は、こんな子どもたちの心からの叫びを受け止めて、真剣にこの問題と向き合わなければならないところに来ているのではないかと思えるのです。

 “子どもたちの心に命の輝きを取り戻すために・・・”

 そして今、そんな願いを込めた「ちえりとチェリー」はこの世に生を授かり、全国に向けて上映を発信させようとしているのです。

 全国公開に向けた第一歩は、岩手、宮城、福島の被災3県からおこしてゆくことになりました。

 被災地の復興と子どもたちの心の成長を願った私たちの上映企画は被災3県に輪となって拡がり、上映成功に向けた「上映運動」はスタートをきったのでした。

 あの日から5年を迎える明年春、こんな願いは全国に向けて誇り高く発進することになります。


# by cinema-tohoku | 2015-10-26 09:56 | 映画 | Comments(0)

 なつかしい方が仙台を訪ねてくれました。

 「しんちゃん」、三重県菰野町を起点に全国に向けて絵本の読み聞かせの活動をやって来られた方です。

 しんちゃんとの出会いは2011年震災直後の頃にさかのぼります。

 あの時私は、完成した「エクレール・お菓子放浪記」を携えた全国への旅をはじめたばかりの頃でした

 この動きのご報告に石巻を訪れた時、製作時から大きなご支援をいただいていた石巻グランドホテルの社長のG氏がぜひ引き合わせたい人が居る...まだ石巻周辺に居るはずだから...とお電話をして下さりその直後にお会い出来たのがしんちゃんでした。

 しんちゃんはお仲間の方々と震災直後から絵本を携えて遠路被災地にはいり、被災地の子どもたちに向けて、絵本の読み聞かせをして子どもたちを励ます活動を幾度にもわたって続けていた方でした。

 少林寺拳法の達人でもある彼...、極めてガッチリとしたお体ながら、その目はまるで仏様の様なやさしさをたたえ、笑顔がいつまでも印象に残る...初めてお会いしたしんちゃんはそんな方でした。

 私の語る「エクレール・お菓子放浪記」上映の願いに彼は即座に賛同してくださり、菰野町での上映実現を約束して下さいました。

 そんな彼のご案内で菰野町を訪れ、町長さんとご面会、上映は心やさしき菰野町の方々の手にゆだねられ1500人を超える大成功の上映となって実を結んだのでした。

 そしてしんちゃんとの親交はその後も続き、引き続いての「じんじん」上映にもつながってゆきました。

 そんな彼からのお電話がありました。

 来週、仙台市内の小学校に招かれて、絵本の読み聞かせに行くことになった...もし可能なら会いたいと...。

 勿論了解のご返事をして、山梨県のスケジュールを早めに切りあげて帰仙、久し振りの再会となったのでした。

 変わらぬやさしい瞳にこぼれる様な笑顔をたたえた彼は、熱く熱くこれから始める活動の夢を語ってくれました。

 来年、菰野町を舞台に菰野町の昔話をベースにした「創作絵本コンクール」を開催することになったと...。

 子どもたちの未来にこんなにも熱い夢を描いている男が居る!

こんな夢が語られるうちは、まだまだ日本も大丈夫...。

 そんな思いが胸いっぱいに拡がり、思わず盃を重ねた仙台の一夜でした。

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真ん中がしんちゃん




 昨年秋に発足した協同組合ジャパン・スローシネマ・ネットワークは全国配給の志を共にする13の会社で構成されています。

 その一社に四国4県を担当する、シネマ四国があります。

社長はT氏、まるで相撲取りを思わせる様な風貌ですが、とても誠実な、そして朴訥な人柄を備えた人でした。

 そんな彼が急な大病を患って緊急入院となり人生の大ピンチに陥ってしまったのです。

 病とは全く無縁と思われる様な健康体であった彼が...。

 この事態は彼にとっても、そしてJSNを束ねる立場の私にとってもショックなことでした。

 実は、前回のブログでご紹介した「きみはいい子」の高知県での全県規模の上映運動の準備を内々に進め、まさにこの時はスタート直前の時でもあったのでした。


「きみはいい子」の原作者中脇初枝さんは徳島に生まれ、2歳の時から高知県四万十市で育ちました。

前回のブログでもご紹介した、心やさしき地域の人々と素晴らしい自然、そして地域社会を見事に彩る歴史と文化の中に包まれ、中脇さんはその感性を大きく育ててゆきました。

そして高校3年生の時に発表した小説「魚のように」で、第2回坊ちゃん文学大賞を受賞し、17歳で作家としての道を踏み出すことになったのでした。

そんな高知県が生んだ中脇さんが、現代社会の中で傷つき苦悩する人々と向かい合いながら、その先に一すじの希望を語ろうとしたこの原作、そしてそれをもとに映画化された作品に触れた時、T氏は心やさしき高知の心を県内全域に語るべく全県上映を決意したのでした。

それなのに...。

一報の電話をもらい、電話から語られる彼の苦悩の言葉を耳にして電話を切った時、私の心には一つの決意が芽生えていました。

彼の思いを受け止めて、彼に変わってこの作品の高知県全県上映を実現しようと...。

そしてそんな思いを携えて高知県を訪れていました。

突如の病を患っているT氏の夢を叶えるべく...。

私の土佐もうではこれから始まります。


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朝日に映える高知城


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高知駅前には、幕末三志士の像が