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 映画「君の笑顔に会いたくて」製作のきっかけは今から4年前のことでした。
 宮城県名取市で、長年にわたって保護司としてのご活動を続けて来られた大沼えり子さんとお会いしたことが、この企画のスタートとなりました。
 大沼さんと幾度かにわたってお話をする中で、心ならずも罪を犯し、それでももう一度、社会の中で立ち直ろうとする人たちを、全身全霊で支えよとする彼女の姿に感銘し、そしてその情熱の原点にあったものが、子どもたちに寄せる深い愛情であったことに気がついた時、この映画の製作を決意していました。
 この企画に幸いにも、宮城県の24人の企業人の方々がご賛同の手を重ねて下さり、又法務省、全国保護司連盟を始めとした多くの方々のご支援で、一昨年7月この作品は無事完成を迎えました。
 そして、そこから始まった全国上映は一年を経て全国160ヶ所、7万人の感動の輪をつなぐこととなったのでした。
 その一ヵ所一ヵ所に、この映画の上映を通して、心通う地域社会と子どもたちの健やかな成長を願う、保護司の方々を先頭にした地域住民の方々の願いがあり、数々のドラマもございました。
 こんな私共の活動が法務省のお目にとまり、この度、68回目を迎えた社会を明るくする運動に貢献があった、とのことで法務大臣からの感謝状の贈呈式が法務省でございました。
 この日は、吉本興業の社長様と私が法務省に招かれ、感謝状が山下法務大臣から直接手渡され、身に余るご評価をいただきました。
 しかしながら、この日頂戴致しました感謝状は、この映画製作を支えて下さった全国の多くの方々へのご評価であり、又地域での上映を通して更生保護の心を多くの住民の方々に語ろうとした、全国160ヶ所の上映を実現して下さった方々へのご評価でもあることも深くかみしめながら法務省を後にしたのでした。
 本年は、更生保護制度70年の記念の年・・・この日のご評価を力に、制度70年を語る上映会としてこの上映の輪を更に大きく拡げなければ・・・こんな決意も胸にいだきながら・・・。
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(前列右から門山政務官,株式会社シネマとうほく鳥居,山下大臣,吉本興業株式会社大﨑様,岡本様)
(後列右から松本秘書課長,小山官房長,黒川事務次官,畝本保護局長)


# by cinema-tohoku | 2019-01-07 16:03 | 映画 | Comments(0)
 「あの日のオルガン」の全国への発信地蓮田市で、心暖まる集会がありました。
 平和を願った市民の方々が、毎年日米開戦の記念の日に続けて来られた集会も回を重ねて今年は38回目。
 今回は、平和を語る「あの日のオルガン」について、私に話をして欲しい・・・とのご要請でございました。
 私は映画の世界の人間、人様の前で1時間ものお話をすることには、いささかのはばかられる思いがございましたが、この作品の製作決定から多大なご助力をいただき、市民プロデューサーに関っては、3口ものご支援をいただいておりました他ならぬ蓮田市のこと、お断りしかねて望んだこの日でした。
 当日はこれまでの最大という150名にものぼる市民の方々が、会場をいっぱいにうめて下さり、蓮田市副市長様、そして蓮田市教育長様のごあいさつで集会は幕を開けました。
 お二人とも既に試写会でこの作品をご覧になっていらっしゃいまして、この映画を通した平和への、そして蓮田市の全国発信への願いを語って下さいました。
 そして、ご指名されて登壇した私のつたない話も、ご参加の市民の方々は暖かく受けとめて下さいました。
 又、最後にはサプライズが・・・。
 当時の疎開保育園の園児で、3月10日の東京大空襲で全ての家族を奪われ、それ以降の人生を孤児として歩んでこられた田辺健之さん(ケンちゃん)が登場・・・、会場は驚きと共感の思いに一気につつまれました。
 “この映画が実現して、こうして蓮田の方々にお礼が言えることになった・・・本当にありがとうございました・・・。〟
 こんな言葉を語る田辺さんに、ご参加の方々は暖かい満場の拍手で応えて下さいました。
 平和・・・つくずく実感します、この概念は思想や信条を超えた、人が生きるための最低条件なのだと・・・。
 そして平和が語られる場には、こんなにもやさしき心が通い合うのだとも・・・。
 映画上映の成功への思いを更に大きく拡げることとなった蓮田の一日でした。
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会場いっぱいの集会

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田辺健之さん


# by cinema-tohoku | 2018-12-12 13:37 | 映画 | Comments(0)
 多くの方々の、やさしいお手に支えられて、映画「あの日のオルガン」が完成し、明年2月からの上映成功に向けて、全国でその準備が始められていました。
 そして、その先頭を切って上映実行委員会の発足に向けた「呼びかけ人会」が開かれたのが埼玉県蓮田市でした。
 1944年、戦火から子どもたちの命を守るため、東京品川区にあった戸越保育所は、保育園の疎開を決断しました。
 しかしながら、その前には乗り越えなければならない課題が山積していました。
 そして、その大きな一つが、場所の設定の課題でした。
 下は3才からの53名の幼児を生活させる場所・・・そして欠くことの出来ない食糧確保の課題も大きな問題でした。
 当時、この保育所を経営していた、恩賜財団大日本母子愛育会は、最大の努力でこの課題に向かい合いました。
 そして、その願いに手を重ねて下さったのが、埼玉県平野村(現蓮田市)の心やさしき方々でした。
 平野村高虫にあった無住の荒れ寺 妙楽寺が、疎開先を引き受けて下さり、食糧問題は、有難いことに、平野村の方々が食糧支援体制をつくってこれを支えることで疎開先は決定したのでした。
 それ以降平野村の方々は、子どもたちの命を守る心やさしきご支援の手で、疎開保育園を支えて下さったのでした。
 この平野村のやさしきお手がなければ、この53の幼い命は、地上から消えてしまっていたのかも知れなかったのでした。
 まさに平野村は、53人の子どもの命を救った村だったのでした。
 そしてあれから73年・・・この平野村の心やさしき歴史は、一本の映画となってこの地に生を授かったのです。
 この映画の製作支援に、先ずもって立ち上がって下さったのは蓮田市民の有志の方々でした。
 この市民の方々の熱い思いは、短い時間の中に市内に共感の輪として拡がって行きました。
 そして、この願いに熱く賛同して下さったのが蓮田市長さんでした。
 映画をご覧になって大感激・・・ 子どもたちの健やかな成長に赤信号の灯った現代社会に、「子どもの命」を感動と共に語るこの作品は、蓮田市民の誇りでもある・・・そんな市長さんの思いは、これも市内多くの方々の共感ともなり、11月8日蓮田市上映成功をめざす上映実行委員会の「呼びかけ人会」が、開催されたのでした。
 当日は、市内の主だった団体の方々がご参加され、「子どもの命を救った町蓮田」の誇りを市民の心に語る運動、そしてそんな蓮田の誇りの全国発信へのスタートは、この日切られたのでした。
 この共感の輪を、10,000名の市民の心につなぐ夢を語りながら・・・。
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蓮田市呼びかけ人会議






# by cinema-tohoku | 2018-11-19 15:30 | 映画 | Comments(0)
 昨日は「立冬」・・・、暦の上では冬を迎えるというのに、ここ東京は季節はずれの暖かさ・・・思わず上着をぬいで手にかかえました。
 台風、集中豪雨、地震・・・昨今の「異常気象」は、もはや異常とは言えない、日常のものになってしまった様です。
 この先に、漠たる不安も感じさせる自然現象が続いています。
 自然が異常になると、人の心も異常になってしまうのでしょうか。
 事は10月31日のことでした。
 甲府から東京に戻り、私が以前勤務していた会社の社長と久しぶりに旧交をあたためようと、待ち合わせをしたのが渋谷駅でした。
 夕刻に渋谷に到着、そしてそのあまりのすさまじさにしばし立ちつくしたのでした。
 そうです、この日はかの「ハロウィン」なるその日だったのでした。
 この頃には、駅前のハチ公前広場は、立錐の余地のない人、人、人で埋まり、その一人一人に目をやるなら、そのすさまじい姿に絶句でありました。
 そして刻一刻と、その人の波は大きくふくらんで行ったのでした。
 本来は〝秋の収穫を祝い、悪霊を追い出す宗教行事〟とのことですが、この祭りの本来の意義は全て放り投げ集まる若者の姿は、ただひたすらに刹那的な快楽と、バカ騒ぎを求める悲しい姿としてしか、私の目には写りませんでした。
 消費文明のみをあおるマスコミにおどらされて、「理性」や「知性」とは真逆な道をたどるあわれな姿にも感じさせられたのでした。
 明けて今朝のニュースは、アメリカの中間選挙の結果を報じていました。
 反知性とフェイクに塗り固められたトランプ政権にストップをかけたのは、立ち上がったアメリカの若者たちであったと・・・。
 このあまりの落差にぼう然としながら、それでもあきらめてはならないのだと思うのです。
 私の手の中にある文化としての映画を、今を生きる一人一人に、そして若者たちにも今だからこそ伝えなければ・・・。〝人の情〟や〝人の道〟を映画を通して学んできた私たち世代なのですから・・・。
 そんな思いにさせられた渋谷の一夜でした。
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映画「あの日のオルガン」より


# by cinema-tohoku | 2018-11-16 12:09 | その他 | Comments(0)
 紅葉が盛りを迎えた北海道にやって来ました。
 空路札幌にはいり乗り換えて小樽へ・・・。
 これまで幾度か訪れていたのですが気が付きませんでした。
 小樽に向かう途中の駅には、「星置(ほしおき)」「ほしみ」・・・満天の星空の輝きを思わせる素敵な駅名があったことに気付かされました。
 そんな発見に心を和ませながら、訪れた小樽地区保護司会の皆様は、やさしい笑顔で私を迎えて下さいました。
 そして明年、発足70年を迎える小樽地区保護司会の記念上映会として、「君の笑顔に会いたくて」の上映を決意して下さいました。
 ご相談はトントンと進み、仕事が早めに終わったので、小樽の山手の一角にある「小林多喜二文学碑」を訪れてみようと思いました。
 この碑は、1964年多喜二の同窓生が発起人となって募られた資金で、小樽を一望する山の一角に建立されたものでした。
 小林多喜二・・・秋田県で生まれ小樽に移り住み、その中で社会の諸問題と向かい合い、人の幸せに寄り添いながら、その短い生涯を駆け抜けるようにして熱く生きた文学者です。
 日本映画の名匠今井正監督の手で製作され、1974年公開となった映画「小林多喜二」は、私が以前勤務していた会社の配給によるものでした。
 小林多喜二の名前は、それまでにも知ってはいましたが、この作品の配給に誠実にあたるため全集を買い求め、それを読みながらこの仕事に向かっていったことを記憶しています。
 そして多喜二の、人に寄せた心のやさしさと、時代の矛盾を解くため、身を投じてそれにあたった情熱に、私の胸を熱くしたことも思い出したのでした。
 もはや晩秋を迎え、雪虫も飛び交い始めた小樽の山を、落葉を踏みしめながら一人歩き、過ぎ去った若かりし頃の自らとしばし向かい合ったのでした。
 そしてたどり着いた高台に建つこの碑は、大地に根を張った確かな存在感を語っていました。
 夕刻が忍び寄り始めた碑の前に立ち、思わず両の手を合わせた私でした。
 人の幸せに寄り添いながら、もうしばらくは私も努力を重ねる決意も込めて…。
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小林多喜二文学碑
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夕やみの迫る小樽運河