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 中村哲さんの足跡を描いた「荒野に希望の灯をともす」は、変らずにその上映の輪を全国に拡げていました。
 そしてここに、新たな配給の準備に入っていた「ぼくが生きてる、ふたつの世界」の動きが本格的に稼働し始めて、コロナで途絶えていた私の旅も再開した様です。
 昨日は朝仙台を発って、遠路はるばる静岡県湖西市へ。
 静岡県聴覚障害者協会から、上映についてのお話を聞きたいのでよろしく・・・とのご依頼を受けての訪問でした。
 湖西市はその名の通り、浜名湖の西岸にひろがる町、もう少し行けば愛知県。
 仙台を発った朝は少し肌寒い思いでしたが、降り立った鷲津駅は初夏の日差しが降り注ぐ暖かさでした。
 そんな初夏の日差しを受けながら打合せの会場へ・・・ご指定の会議室には次から次へと湖西市聴覚障害者協会の会員さんが集まり、その数は何と20名・・・。
 ここにお集まりの方々は、そのほとんどが聴覚障害者、手話通訳の方も交えての私の話を、皆さんはとても熱心に聞いて下さいました。
 当初は120名入る会場での上映を考えていた様でしたが、この映画を聴覚障害者のみに止めず、広く市民にご賛同の輪を拡げて、障害への差別も偏見もない地域社会をめざす運動として進めよう・・・こんな方向になり、その段取りを打ち合わせて2時間に及んだ打合せを終了しました。
 でも、疲れるのです。
 この作品に関ってから、耳の聞こえない方々とお会いする機会が増えました。
 間に手話通訳の方をはさんでの会話はまさに隔靴掻痒の思い。
 手話通訳の方の通訳のテンポにも合わせなければならず、ご面会後は疲労が・・・。
 でも、あきらめるわけには行きません。こんな障害をもった方々も、あたり前の様な社会で生活することの出来る地域づくりのために・・・。
 精一杯の思いでの打ち合わせを終えて、ホッと胸をなでおろしながら会場を後にしたのでした。
 そして、翌日は釧路でした。
 国際ソロプチミスト釧路アミティの皆さんが、「荒野に希望の灯をともす」の上映を実現して下さって、この上映に谷津監督もお招きしていましたので足を運んだのでした。
 もはや上映会は始まっていて、2回目の上映のスタートしたところ・・・先ずはと会場をのぞいたら場内は満席!
 1回目とのトータルでほぼ1000人の入場者とのこと、良かった!
 久し振りの谷津監督との再会もそこそこに主催の皆様ともお別れして、札幌に向かう電車に飛び乗ったのでした。
 疲れた体にムチ打って・・それでも仕事の出来る嬉しさを胸に・・・。
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釧路駅

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釧路から札幌までは4時間。上映成功の一人祝杯をあげました。


# by cinema-tohoku | 2025-04-16 13:31 | 映画 | Comments(0)
 突然の訃報でした。
 長年にわたって日本の芸能界の一線で活躍をされていた石田あゆみさんがお亡くなりになったとの報道は私を驚かせました。
 私たちが、西村滋さんのご本を原作に、映画「エクレール、お菓子放浪記」の製作を思いたったのは20年ほど前のことだったと思います。
 <新自由主義>が日本の政治の旗として掲げられ、社会的格差が拡大して社会的弱者が取りこぼされている現状に、“支え合う人の心のやさしさ”を語ろうとしたこの映画の製作には、幸い東北のテレビ局、新聞社等が賛同の手を重ねて下さり企画は製作開始に向けて歩み出したのでした。
 近藤監督とキャスティングの話し合いを始めた時、本作でとても大切な役どころとなる<フサノバアサン>役に石田あゆみさんを・・との願いが監督から語られたのでした。
 近藤監督が参加したある会合で石田さんとご一緒した時、彼女から“私も年をとったので、バアサン役をやりたい・・・”との話があったとのこと、サプライズも含めて是非いしだあゆみさんを・・・との希望でした。
 しかしながら、石田さんは超一流の役者さん・・当然ながら出演料も常識的には大きなものとなるし、私たちが考えていた全国公開は必ずしも映画館のみによらない<上映運動>・・
 数々の困難が予想されましたが、当たって砕けろ・・! 監督共々石田さん所属のイザワオフィスに石田さん担当のベテランマネージャーをお訪ねしました。
 幸い、作品の概要はとてもよく聞いて下さり、話も進む中で彼女からいかほどのギャランティを予定していましたか?の問い、いよいよと思い素直に私たちが用意できる金額を申したところ、その金額に彼はしばし唖然・・・。
 ともかく石田とも相談します・・とお別れした時、これはご無理かな、との思いが胸に拡がったのでした。
 しかしながら、ほどなくして彼女からのお電話、石田に話したところ、私共が進めて来た<上映運動>に興味を持って下さり、“石田が出たいと申しているので、その条件でお引き受けします”とのご返事でした。
 その後諸準備が整い、クランクインを迎えたのは2010年10月、秋のやわらかな光が降り注ぐ宮城県石巻市の北上川河畔でのことでした。
 広い河川敷をはさんで対岸に、コンクリート造りの立派な建物が。
 ご参加していた石巻市役所の方にお訪ねしたところ、あそこは<大川小学校>です、とのこと。
 翌年3月この一帯を襲った津波で児童、教師76名の命を奪うことになった大川小学校の対岸でのクランクイン・・・始まりからこの映画は不思議な運命に彩られていたのかも知れません。
 撮影は順調に進みました。
 作品の設定上、多くのエキストラが必要な作品、石巻市民にご参加いただいた撮影現場では、エキストラの方々と役者さんとの交流も・・こんなことにも石田さんは嫌な顔せず応えて下さったのでした。
 そして、完成、翌2011年3月10日の東京での完成披露試写会にもいしださんは舞台あいさつに足を運んで下さいました。
 満席の会場からの上映終了後の共感の拍手は、見事な全国への船出の合図にも聞こえていたのでしたが・・・何とその翌日、東日本の沿岸一帯を襲った波の壁は、この作品に込めた私たちの夢をも破壊したかと思えたのでした。
 いくつかの企業と多くの宮城県民のご支援で完成したこの作品、完成さえすれば東北での上映で製作にかかった資金の半分は回収を・・・との計画を立てていましたが、その東北の上映全てが実現出来なくなり、私は茫然として被災地石巻に立ち尽くしていました。
 そんな折、全国からあたたかな支援のお声が寄せられました。
 この映画のテーマは“支え合う人の心のやさしさ”、ロケ地は石巻、そして完成披露試写会はあの前日…。
 不思議な運命に彩られたこの作品は、被災地支援の映画として全国に伝えるべき作品になった・・・。
 こんなお声に励まされて、4月の東京でのチャリティ試写会を始めとして全国への被災地支援を伝える上映会が始まったのでした。
 石田さんはこの動きにも熱い思いでご参加して下さいました。
 東京、名古屋での試写会で被災地支援を語る彼女の脳裏には、あの撮影現場のたくさんの石巻市民の笑顔があったのでした。
 時には涙ぐみながら語る彼女の思いはこの作品を全国に押し出す大きな力になったのでした。
 そしてこの上映は2年をかけて全国47都道府県850ヶ所45万人観客の大きな心の輪となってつながったのでした。
 先日の震災から数えて14年の3月11日は、あの時と打って変わって温かな春の日差しが差し込む日となりました。
 あの時から14年・・・そしてほどなくして石田あゆみさんが旅立たれたことに、不思議な縁さえ感じさせられたのでした。
 今はただ合掌・・・。
 安らかにお休み下さい・・・。
石田あゆみさん_a0335202_11422888.jpg
🄫2011『エクレール・お菓子放浪記』製作委員会


 


# by cinema-tohoku | 2025-03-21 11:47 | 映画 | Comments(0)
 新しい年を迎えて皆様新たな決意を誓っておいでのことと存じます。
 本年は、あの悲惨だった戦争の終結から80年の大きな節目の年にあたります。
 平和は人類の永遠の課題と思いますが、あの大戦以来平和を願う声に反して、世界に戦火の絶える時はありませんでした。
 又、日本でも、不安を増す東アジア情勢を奇貨として、国の防衛費(軍事費)を大幅に拡大する動きが明らかになって来ています。
 こんな折、平和と民主主義を語る一本の熱い記録映画と巡り合いました。
 「オン・ザ・ロード~不屈の男 金大中」、韓国での民主主義を求める第二次大戦以降の国民の運動を貴重な記録映像で綴った映画でした。
 「あの日のオルガン」をご一緒に製作した李鳳宇さんから“韓国から持ち込まれたすごい映画がある。是非観て欲しい・・・。”こんなご要請を受けて拝見した作品でした。
 2時間を超える長尺の作品でしたが、一時も目が離すことが出来ない、まさに“すごい映画”でした。
 第二次大戦以降朝鮮半島は、東西両陣営の思惑に分断され、南にはアメリカの支援を受けた独裁政権が生まれ、民主主義を願う国民の動きを強圧的に弾圧して来ました。
 それでも国民はその圧力に抗して何度も立ち上がり民主主義を求め続けて来ました。
 そして、その真中に居たのが「政治家・金大中」でした。
 「オン・ザ・ロード」は韓国で国民が民主主義を血と涙で勝ち取ってきたこと、そして国民の立場に立つ政治家が、そんな国民の願いに応えて、何を語りどんな道をたどって来たのかを熱く語ってくれました。
 観ている私の胸が感動で熱くなるのを押さえることは出来ませんでした。
 振返って日本の政治の現状と政治家のあまりのレベルの低さ・・・。
近くて遠い隣人の韓国をもっと知らなければ・・。
 思い立って東アジア近代史に関る本を何冊か読み始めていました。
 そんな折、韓国で戒厳令が発令された、とのニュースが突然伝えられて
来ました。
 それでも、これまでの歴史の中に民主主義を勝ち取って来た韓国国民は、たちまち国会に集まり、国会と民主主義を守ったのでした。
世界で民主主義の危機が語られる今、「オン・ザ・ロード」は今伝える
べき一作になったのだと思います。
今年1年、皆様方の変らぬご支援をお願い申し上げます。
  新年明けましておめでとうございます_a0335202_10143425.jpg




# by cinema-tohoku | 2025-01-01 08:00 | ご挨拶 | Comments(0)
 時の流れが速い!たちまちのうちに一年の幕が閉じようとしています。
 年をとるほど時の流れを早く感じる理由は、脳の情報量が少ないから、と言われています。
 「周りの世界が見慣れたものとなってくると脳が取り込む情報量は少なくて済み、時間が早く過ぎ去ってゆく様に感じられる」らしいのです。
 情報が多くなれば、それを理解するのにより多くの時間が必要で、そのためたくさんの新しい発見をする若い世代は、時間の流れが遅く感じられる、のだそうです。
 この世に生を授かってから76年・・・振り返って見るなら、大学卒業後映画の世界に身を投じてから54年が経っていました。
 若い頃は何も分からない映画の世界に飛び込んで、必死に仕事を覚え様としていました。
 そして1998年、長らくお世話になった共同映画から独立して、シネマとうほくを立ち上げ、これも必死の思いで新しい時代の映画運動創造のため努力を重ねて来ました。
 そんな全国に向けた映画運動が横につながって、2014年協同組合ジャパン・スローシネマ・ネットワークを結成、映画の製作上映を通した人の世の幸せをめざして仕事に向き合って来ました。
 その間、2011年東日本大震災・・・あの大惨禍に上映の道を阻まれた「エクレール お菓子放浪記」を全国行脚で何とか立て直し、長年の夢だった疎開保育園の史実を描いた「あの日のオルガン」をやっと完成させて、いよいよ本格的な上映を、と思った時私の前に立ちふさがったコロナ禍・・・神は度重なる厳しい試練を私に課して来たのでした。
 そんないくつもの山を乗り越えて気付けば人生の最終盤に差しかかっていました。
 今年一年、変らぬ情熱で全国を駆け回って来ましたが、やはりいささか守りの姿勢に陥っていたのかも知れません。
 年の瀬を迎えて、今年一年の時の流れの速さと向かい合った時、新たな時代への挑戦の志に曇りがなかったか、少しの反省も胸に感じていました。
 日本社会の現状と世界に目をやるなら、閉塞感を通り越してもはや危機的な状況にも思える今、私たちに課せられている課題は更に大きなものとなっていることも実感しています。
 今年一年、全国多くの方々のやさしさに支えられながら歩んで参りましたが、来たる年はもう一度原点に立ち返って新たな未来への挑戦に取り組んでいかなければ・・・。
 そんな思いを胸に抱く師走でした。
 来年もよろしくお願い申し上げます。
   一年間お世話になりました_a0335202_16455526.jpg

# by cinema-tohoku | 2024-12-24 17:11 | ご挨拶 | Comments(0)
 協同組合ジャパン・スローシネマ・ネットワーク(略称JSN)は10年前、映画運動を通した人の世の幸せを願って生れました。
 加盟する10社が心を合わせて、これまでたくさんの作品を全国の方々の胸にお届けして来ました。
 認知症をテーマにした記録映画「僕がジョンと呼ばれるまで」、中国大陸への侵略を現代の子どもたちの視点から描いた「15歳の夏」、見事な技法で製作されたパペットアニメ「ちえりとチェリー」。
 そして、私たちの手による製作作品としては、更生保護のこころを描いた「君の笑顔に会いたくて」、戦時中の疎開保育を描いた「あの日のオルガン」・・・未来への希望と子どもたちの健やかな未来を映画の感動と共に多くの方々にお伝えして来ました。
 そんなJSNも10年の区切りを迎えて、新たな体制で新たな未来に向けたスタートを切ることになりました。
 JSNの発足から10年にわたって、私は理事長としてその先頭に立って来ました。
 しかしながら10年は一つの区切り、併せて私の年齢が刻々と増していることもあってこの際、新たな体制での更なる時代への歩みを期待して、理事長を退任、新体制にこれからの発展をゆだねることにしたのでした。
 先日開かれたJSN第11回総会に諮り、JSNは新たなスタートを切ることになりました。
 振り返って見るなら、多くの方々の温かい心に支えられながら走り続けて来た10年でした。
 JSN前史の「エクレール~お菓子放浪記」の製作完成、そして東日本大震災…地域社会と家族の再生を熱く語った「じんじん」の全国配給・・・必死になって全国を駆け巡って、作品を多くの方々の胸にお届けして来ました。
 私にとっては40年来となる企画<疎開保育園>の映画製作決意・・・不足する製作費を補うための市民プロデューサーのお願いの全国行脚…そして完成、上映開始・・・そこに立ちはだかったコロナ禍での上映の中断・・・振り返れば、多くの感動とそれを上回るような数々の困難に彩られたここまでの歩みでした。
 それでも、これで私の歩みが途絶えることはありません。
 新たな体制のJSNの中で私は<会長>として、その発展に更なる努力を重ねる決意です。
 その新体制の会長としての第一歩の出張に出ていました。
 昨日、愛知県知多半島の半田市を訪れました。
 半田市の<九条の会>の方から、来年迎える敗戦から80年の区切りの年の記念上映会として「荒野に希望の灯をともす」を上映したい・・こんな願いが届けられ、半田市まで足を運びました。
 会議には10名のこの地区の<九条の会>の方々にお集まりいただき、来年8月3日1000名を目標とした上映が決定したのでした。
 会議の後の時間を利用して半田の街を歩いてみました。
 運河も整備され、歴史の歩みも感じさせる落ち着いた街の一角に、かつてはビール製造工場だった赤煉瓦の立派な建物がありました。
 半田市は1945年7月24日、米軍機による空襲を受けました。
 その折受けた、米軍機の機銃掃射の後が赤煉瓦の建物の壁面にありありと残っていたのです。
 平和への願いを込めた上映会を決めた直後だったこともあり、この弾痕は私の胸に上映成功への更なる決意となって伝わったのでした。
 これから、名古屋、三重、岐阜への仕事です。
 私の旅はまだまだその先への続いて行きそうです。
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元のビール工場

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レンガに刻まれた弾痕