映画「あの日のオルガン」に描かれる、日本で初めて保育所を疎開させて53名の子どもたちの命を守ったのは、戸越保育所でした。
 東京品川区にあったこの保育所は、まさにドラマティックな成り立ちで生まれた保育所でした。
 ここには若い二人の男女が登場します。
 一人は東大経済学部の学生だった大村英之助さん、そしてもうお一人は都バスの車掌だった鈴子さんです。
 このお二人は当時の社会運動に目覚め、その中で巡り会い、そして結婚をしました。
 二人がこれから歩む道を探っていた時、子どもが授かり、この育児を通して、いつの間にか二人は、子どもたちの命を育む保育所をつくって見たい…そんな夢を描く様になりました。
 しかしながら貧しかった二人にはとても手の届かない夢かと思われましたが、英之助さんのお父様のご援助で、この夢は急速に実現に向かって行ったのでした。
 英之助さんのお父様は、当時の満鉄総裁をおつとめになられていました。
 我が息子は社会運動に目覚めた、いわゆる〝グレた息子〟でしたが、鈴子さんの夢には賛同して応援の手を差しのべてくれたのでした。
 そして、1939年、若い二人の夢を語る戸越保育所は開園したのでした。
 こんな足跡をたどって生まれた戸越保育所は、とても自由な風が吹く保育所でした。
 保育所の主任保母となった畑谷光代さんがこんなことを語っています〝とにかく自由な保育所だった…。新任の保母がベテラン保母の前でも臆することなく意見が言える…。保育をすることが楽しくて楽しくて…。〟
 しかしほどなく、この自由な保育所に暗い影が差して来ることになります。
 戦争が困難になるにつれ、この保育所に向けた当局の目は日増しに厳しいものとなって行きました。
 若い二人は深刻な議論を交わしました。〝このままでは保育所の存続が危ぶまれる…。〟
 そして二人は保育所を残すため、この保育所の経営を他の団体に譲り渡すことを決意したのでした。
 若い二人からこの保育所の経営を引き受けたのは、恩賜財団母子愛育会でした。
 この財団は、現天皇陛下のご誕生を記念して昭和8年創立された財団でした。
 当時の国民生活は極めて困難な状況に追い込まれて、子どもと母親の保健はほとんど顧みられない状況にありました。
 こんな時代に、母子の健全なる成長を願って活動してきた財団でした。
 そして迎えた1944年、財団と戸越保育所の保母たちは、疎開保育を決意したのでした。
 戦火から子どもたちの命を守る決意を込めて…。

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# by cinema-tohoku | 2018-07-02 15:25 | 映画 | Comments(0)
 間もなく完成を迎える「あの日のオルガン」を、全国に拡がる<子どもの命と平和>を語る上映運動にするべく、各都道府県毎の運動づくりを願っての旅が始まっていました。
 昨日は福岡で県組織立ち上げのための相談会が、そして今日は熊本での話し合いに参加して、その夜は長崎へ・・・。
 長崎県では、この上映運動スタートの第一歩として、<「あの日のオルガン」を応援する長崎のつどい>を準備して私を迎えて下さいました。
 私も、この作品の市民プロデュ―サーの拡大を願って、これまでにずい分各地を巡って多くの方々とお会いして参りましたが、この映画に描かれる「疎開保育」の史実については、ほとんど知られていなかったことを実感していました。
 長崎では、全県に拡がる上映運動を展開するにあたって、先ずはこの貴重な史実を知っていただくことから、その第一歩を踏み出そうと計画された、この夜の会でした。
 準備されたこの会は、ご多忙のお時間を調整してご参加いただいた、何と40名に上る方々を会場にお迎えして開会となりました。
 会の第一部は、疎開前の戸越保育所の保育の姿を描いた記録映画「ある保母の記録」の上映… 戦争の遂行に狂奔していたあの時代に展開された、子どもたちと向かい合った保育の姿に、そしてそこからにじみ出る製作者の平和への願いは参加者の胸を打ったのでした。
 そして、第二部はご指名されて、私のこの作品に寄せる思いと、疎開保育の歴史にしばしお耳を傾けていただきました。
あの困難だった戦火の時代に、子どもたちと向かい合って、その命を守った若き保母たちの姿は、ご参加者の胸を打ち、長崎の夜は更けて行ったのでした。
 それにしても昨今の社会状況・・・たった五年しか生きることの出来なかった幼い女の子の命…、世間では公然と〝嘘〟や人への野蛮なののしりの言葉が語られ、拝金主義がまかり通る社会…。
 小説家の高村薫氏が〝まるで文明社会の終焉のような・・・〟と語るこの時代に、この作品は「子どもの命と平和」を願って生まれようとしています。
 その重大な役割を実感させもした長崎の夜でした。


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「あの日のオルガン」を応援する長崎の集い

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長崎港の朝


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# by cinema-tohoku | 2018-06-28 11:01 | 映画 | Comments(0)

 北海道紋別市・・・冬は流氷に覆われるオホーツク海に面した北の港町は、今桜の開花の時を迎えていました。

 3月に沖縄を訪れた時、那覇市は早咲きの桜で彩られていました。

 あれから2ヶ月をかけて、桜は日本列島を縦断した様です。

 「君の笑顔に会いたくて」はやっとその上映の動きを全国に展開し始めていました。

 そして、有難いことに北海道ではその動きに拍車がかかった様で、各地から上映のお声があがり、先週に引き続いての北海道出張となりました。

 ここ紋別は、ずい分以前に息子との思い出を刻んだ町でありました。

 数えれば今から24年前・・・我が息子が中学2年の年の夏休みに、思い立って北海道への自転車旅行を計画。

 フェリーで渡った苫小牧から稚内までの、7日間700kmにおよんだ旅の終盤に一泊したのがここ紋別でした。

 あの日、夕食に立ち寄った居酒屋のおやじさんは津軽出身の方・・・、東北仙台からの親子自転車旅行に大感激して下さり、やおら奥から三味線を出して津軽の歌の数々を披露・・・冷蔵庫からは、とっておきの〝トドの肉〟を出して私達に振る舞って下さったことを記憶しています。

 残念ながらこの店を見つけることは出来ませんでしたが、遠い思い出を振り返りながら、港町の小さな居酒屋のカウンターに身を委ねたのでした。

 あの日、中2の息子も今や1児の父親になり、私は年を重ね老人の域に足を踏み入れましたが、目の前に拡がる仕事は、私の旅の日々を更に前に向けている様です。

 明日は遠軽から士別、そして名寄・・・、桜の桃色と、淡い黄緑色の新緑が混じり合った鮮やかな北の大地を、「君の笑顔に会いたくて」を携えて、駆けて見ようと思うのです。


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紋別の高台から望む朝のオホーツク海

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 310日・・・73年前の東京大空襲の日、311日・・・7年前の東日本大震災の日・・・。
 平和と命に関って決して忘れてはならないこの両日に、「あの日のオルガン」の製作上映運動の成功に向けた第一歩が、撮影地京都の地に確実に刻まれました。

 市民プロデューサー…製作費の不足する分を、ご賛同の方々の一口100万円のご出資で補おうとするだけでなく、この製作上映運動を、この方々と手を携えた運動として全国に向けて展開したい…。

 そんな願いを込めて、この募集運動は始められました、そしてその目標は64口…。

 310日に開催が決まった、市民プロデューサーが一同に会する「市民プロデューサー会議」までに、この目標を達成するべく、募集の運動は全国に展開されて行きました。

 そして、こんな私たちの願いに、多くの方々が熱い思いで応えて下さいました。

   子どもの命と平和を語るこの映画に賛同して、真っ先に手を重ねてくれた保育運動の組織の方々…。

   子どもの命と向かい合う保育の原点にご賛同いただき、この運動にお加わりいただいた民間保育所の役員の方々…。

   
一人では無理でも、多くの方々との共同の運動として、出資金募集運動を地域に展開し、見事にこれを達成して下さった鹿沼や蓮田の方々…。

   更には、この映画にご賛同いただき、この出資に応えて下さった、人、人、人…。

 まさに多彩な方々が、この運動にご参加いただき、310日までに重ねられた口数は見事に目標の64口となって、この会議は開催されたのでした。

 当日は、北海道から九州まで・・・全国からご参加の62名の方々が、会場となった京都華頂大学の大講義室をいっぱいに埋め、全国上映運動への第一歩は京都の地で刻まれたのでした。

 そして、その夜に開かれた「交流会」では、ご参加のほとんどの方々からのご発言があり、笑いあり、そして感動の涙も交えながら、京都の夜は更けて行きました。


 明けて翌日は、撮影中の松竹京都撮影所の見学に、90名程の方々がご参加、撮影所内につくられた、疎開先となった妙楽寺の荒れ寺セットの見事な美術の技に感動・・・  二日間におよんだ運動第一歩の全ての予定は終了となったのでした。
 子どもの命と平和・・・今の日本社会にかけがえのないものとなっているこの願いを、一本の映画の製作上映運動を通して語ろうとする思いは、その成功に向けて見事な第一歩を前に向けて踏み出したのです。

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会場を一杯にした会議

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撮影所見学


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# by cinema-tohoku | 2018-04-02 14:26 | 映画 | Comments(0)

 私の胸の中で36年にわたって あたため続けて来た一本の映画がいよいよクランクインの朝を迎えました。

 「あの日のオルガン」・・・、あの戦火の時代に子どもたちの命を守った若き保母たちを描くこの作品は、心配された天候も晴れ上がった31日午前9時、松竹京都撮影所につくられた、疎開先の設定の妙楽寺に響く平松監督の高らかな〝ヨーイ、ハイ!〟のかけ声で船出をすることとなったのでした。

撮影初日のシーンは、疎開先に決まった荒れ寺の掃除に若い保母たちが訪れる設定のシーン。

松竹撮影所の中につくられたのは、それにしても見事なまでの荒れ寺・・・。

寺の本堂はまるで廃墟、そこここに、くもの巣が張り、須弥檀はまるでガラクタ置き場と化し・・・こんなところで子どもたちが数ヶ月に及ぶ生活を送ることなど、到底想像すら出来ない、見事な美術スタッフの技でありました。

そして、それとはまさに対極に位置する様な、若い保母役の女性たちのまぶしい程の若さが際立つ初日の撮影でした。


 それにしても、ここにたどり着くまでの、長い長い時間・・・。

 そして、この日を迎えるまでに差し出された、全国多くの方々の熱いご支援の数々・・・。

 これまでの作品のクランクインの時とは異なる思いが胸をよぎり、思わず目頭を熱くした私でありました。

 それでも この日は、やっとたどり着いたスタートライン。

 これから一ヶ月余にわたる撮影、そして編集から完成、更には来年2月から始まる全国公開・・・。

 この先にも数々の障害が待ち受けることを予想しながら、ともかくもスタートラインに着いたことを祝うべく、JSN加盟社のK氏とささやかな祝の盃を合わせたのでした。

 「子どもの命と平和」を願うお声が、この映画の回りに大きく大きく育っていくことを願って・・・。

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子どもの命を守った「若き保母たち」・・・


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# by cinema-tohoku | 2018-03-22 14:28 | 映画 | Comments(0)