私の胸の中で36年にわたって あたため続けて来た一本の映画がいよいよクランクインの朝を迎えました。

 「あの日のオルガン」・・・、あの戦火の時代に子どもたちの命を守った若き保母たちを描くこの作品は、心配された天候も晴れ上がった31日午前9時、松竹京都撮影所につくられた、疎開先の設定の妙楽寺に響く平松監督の高らかな〝ヨーイ、ハイ!〟のかけ声で船出をすることとなったのでした。

撮影初日のシーンは、疎開先に決まった荒れ寺の掃除に若い保母たちが訪れる設定のシーン。

松竹撮影所の中につくられたのは、それにしても見事なまでの荒れ寺・・・。

寺の本堂はまるで廃墟、そこここに、くもの巣が張り、須弥檀はまるでガラクタ置き場と化し・・・こんなところで子どもたちが数ヶ月に及ぶ生活を送ることなど、到底想像すら出来ない、見事な美術スタッフの技でありました。

そして、それとはまさに対極に位置する様な、若い保母役の女性たちのまぶしい程の若さが際立つ初日の撮影でした。


 それにしても、ここにたどり着くまでの、長い長い時間・・・。

 そして、この日を迎えるまでに差し出された、全国多くの方々の熱いご支援の数々・・・。

 これまでの作品のクランクインの時とは異なる思いが胸をよぎり、思わず目頭を熱くした私でありました。

 それでも この日は、やっとたどり着いたスタートライン。

 これから一ヶ月余にわたる撮影、そして編集から完成、更には来年2月から始まる全国公開・・・。

 この先にも数々の障害が待ち受けることを予想しながら、ともかくもスタートラインに着いたことを祝うべく、JSN加盟社のK氏とささやかな祝の盃を合わせたのでした。

 「子どもの命と平和」を願うお声が、この映画の回りに大きく大きく育っていくことを願って・・・。

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子どもの命を守った「若き保母たち」・・・


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# by cinema-tohoku | 2018-03-22 14:28 | 映画 | Comments(0)

 「あの日のオルガン」市民プロデューサーの輪が日増しに大きく拡がっていました。

全国の多彩な方々が熱い思いで私たちの手に、その手を重ねて下さいました。

そのほとんどの方々とお会いして参りましたが、改めてこの作品が今日語るべき意義の大きさも実感していました。

それにしても映画です。
 完成した作品が、この方々の思いにお応え出来るものにならなければ・・・そんな思いにさせられていた時、このブログでもご紹介した市民プロデューサー第一号、青森県十和田市のTさんからお送りしたシナリオへのご感想が寄せられました。


「あの日のオルガン」決定稿読ませていただきました。久し振りにシナリオというものを読んだので、最初はト書きでイメージをふくらませるのに難儀しましたが、終盤東京大空襲あたりから引き込まれ、ついというか、不覚にもというか、涙があふれ出て止まりませんでした。映像になれば、オルガンの物哀しいノスタルジックな音色が、戦争で最も悲惨な犠牲となる幼児(子どもたち)の笑顔に重なり、感動を生み出すでしょう。子どもたちの笑顔が可愛いければ可愛いほど悲惨な戦争を浮き彫りにするでしょう。

個人的には「みんな我が子」のようなエネルギッシュなラストが欲しいと思いましたがそれでも、滂沱の涙の自分に驚いています。

今の映画界では大ヒットという訳にはいかないテーマではありますが、「母べい」「小さなおうち」など山田洋次作品を書いてきた平松監督の、日本の良心を見た想いでした。

 こんな映画として完成の日を迎えたいものです。



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# by cinema-tohoku | 2018-03-12 09:52 | 映画 | Comments(0)
 「あの日のオルガン」に描かれる戸越保育所が、保育所の地方への疎開を決定してその準備に入った時、目の前に横たわる大きなハードルが、疎開地の問題でした。

 何せ、下は3才からの50名をこえるこどもたちの生活の場、そして子どもたちの命をつなぐ食料供給の課題も解決を迫られる大きな問題でした。

 この窮状に応えて、生活の場を提供して下さり、食料支援体制までつくって、東京の子どもたちの命を受け止めたのが埼玉県平野村(現蓮田市)の方々でした。

 この心やさしき平野村民に支えられて、疎開保育園は一人の子どもの命も失うことなく、平和な時代に子どもたちを送り出すことが出来たのでした。

 そして、あの日から73年・・・子どもたちの命を守った平野村民のやさしき心は、一本の映画となって世に出ようとしているのです。

 「あの日のオルガン」を支える市民プロデューサーの輪が、一歩ずつそして確実に全国に大きく拡がって来ていました。

 その輪が拡がる中で、だんだんと私の胸の中に大きな位置を占めるようになってきた思いがございました。

 この史実にとって欠くことの出来ない地、蓮田市民の方々にも市民プロデューサーの輪にお加わりいただき、共に全国上映への道を歩むことが出来ないか・・・、この地のご参加を除いては、この全国に拡がる製作運動は画竜点睛を欠くことに、なるのではないか・・・、そんな思いが日増しに大きくなっていたのでした。

 幸い、こんな私の願いは蓮田市民のもとに届き、先日先ずもってこの映画の企画を聞いてみようと、心ある蓮田市民15名がお集まりになり、この場への参加を求められました。

 私の語るこの歴史と、平野村民の心をもとに製作しようとするこの映画の願いに、蓮田市民の方々は感動と共に熱くご賛同いただき、更に多くの市民にお呼びかけをして、製作の一翼にご参加していただくことをその場でお約束して下さいました。

 あの日から73年を経た今、心やさしき蓮田市民のこころは、間もなく一本の映画として完成し、今の時代に子どもの命と平和を語るべく31日クランクインを迎えます。

 子どもの命を戦火から守った、蓮田の誇りも語りながら・・・

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蓮田市の心やさしき方々





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# by cinema-tohoku | 2018-03-05 15:06 | 映画 | Comments(0)

 寒さにふるえた北海道から一転、今日は久し振りに南国沖縄を訪れました。

 空港から降りたったこの地は・・・暖かい!・・・。

 街は、早咲きのヒガン桜の桃色に彩られ、南の地は春からもはや初夏の風情でした。

 小さな国日本ではありますが、南北に連なる弧は、見事に季節の変化を語っていることを身をもって実感させられました。

 「君の笑顔に会いたくて」で訪れた那覇保護観察所では、所長様をはじめ保護司の方々が私をお迎え下さり、この作品の趣旨に幸い皆様ご賛同いただき、県内の関係者に向けた先ずもっての試写会をお約束して下さいました。

 その後お会いした うるま市の方は、原作者大沼さんからご紹介いただいた方、大沼さんのもとをお訪ねし、彼女が展開している自立支援ホーム「ロージーハウス」から学びながら、4月にうるま市に子どもたちのホームの立ち上げの準備をされている方。

 子どもたちの輝く未来を語るこの映画に熱くご賛同いただき、ホーム立ち上げにつなげた上映をこれもお約束して下さいました。

 又、今私が抱えるもう一本の作品「あの日のオルガン」では、沖縄の保育士

の方々15人がお集まりいただき、この企画に寄せる私達の思いを胸を熱くして聞いて下さいました。

 あの戦火の時代に、日本の領土で唯一の地上戦を経験し、数多くの民間人の貴い犠牲を強いられ、そして戦後は、日本にある米軍基地の75%が集中する沖縄・・・。

 この悲しい歴史と現実を抱える沖縄に、それなればこそ「命」「と「平和」を願う心が熱く県民の心に息づいていることをしっかりと心に刻んで、一人那覇の居酒屋で泡盛を傾けたのでした。

 今は、南の地沖縄に吹く春の風が、まもなく北の地にも届けられることを願って・・・。

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沖縄の春を彩るヒガンザクラ

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那覇の街並み


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 立春も過ぎて暦の上では春を迎えたと言うのに、日本列島には寒気団が居すわり、いつになく寒さの厳しい毎日が続いています。

 そんな折、更なる寒さを求めるように北海道を訪れていました。
 「君の笑顔に会いたくて」の全国上映の動きが始まっていましたが、この動きは北海道にも拡がり、すでに道内何ヶ所かでの上映準備がスタートし、この対応での北海道訪問でした。

 昨日は札幌から帯広、そして今日は釧路・・・とにかく寒い!
 美川憲一の「釧路の夜」に歌われる幣舞橋のかかる釧路川は、川面がすっかり凍結し、一面に氷の蓮の葉が拡がり、街の中はすっかり凍りついて道はさながらスケート場状態・・・。
 北の街は氷の街となっていました。
 それでも、開かれた試写会とその後の上映実行委員会には多くの方々が足を運んで下さり、映画の感動に頬を染めながら、ご参加者全員の思いで釧路での上映運動は、その成功に向けてスタートを切ることになったのでした。
 スローシネマ方式・・・つくずく手間のかかる上映運動だと思いますが、直接お訪ねし、作品に寄せる思いを語り、上映成功に向けた共感の輪をつなぐことが、上映成功への唯一の道であることを改めて実感して、札幌に向かう夜汽車に寒さにふるえる我が身をゆだねたのでした。
 明日は、訪れる石狩市での上映を必ずや拓こうと心に熱く願いながら・・・。

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凍結の釧路川


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