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 突然のコロナ禍で仕事を奪われてから、何と5か月を数えようとしていました。
 思いあって、映画の道を志してから49年…この間、こんなにも長い期間にわたっての停滞を強いられたことは、勿論のことございませんでした。
 会社の売り上げはゼロを重ね、我が人生その最終盤で、最大の危機を迎えていました。
 こんな時、心が折れてしまいそうな私たちを支えてくれたのは、<JSN支援運動>に寄せられたご支援のお声の数々でした。
 そして、3か月に及んだ支援運動は、全国に大きな支援の輪をつないで、7月20日その幕を閉じることとなりました。
 ここに至るまでに積みあがったあたたかなご支援は、当初は予想だにしなかった1537口...。
 その一つ一つが温かな手で、崩れそうになっていた私たちを支えて下さいました。
 9年前、私たちは東日本大震災の真っ只中にいました、そして今はコロナ…。
 自らの努力ではいかんともしがたい困難に追い込まれた時、差し伸べられたご支援の手の温かさを実感させられましたし、時代の閉塞感が語られる現代社会に、それでも間違いなく息づく〝人の情け″も受け止めさせていただいた、この3ヶ月でした。
 これだけの大きなご支援の輪を拡げることになった<JSN支援運動>の終了報告会を開催して、ご支援いただいた方々へのご報告を果たそうと、支援運動を主宰した「応援する会」が、その論議を始めたのは、当然の流れだったのかも知れませんでした。
 そしてこの支援運動で、ご支援者から熱く語られた、「あの日のオルガン」の上映再開を願うお声に応えて<「あの日のオルガン」再開第一歩上映会>も、併せて開催して頂くことになったのでした。
 当日は上映終了後、プロデューサーの李鳳宇さん、監督の平松恵美子さん、そして私の3人でのトークショーも予定しております。
 この日が、私たちJSNと「あの日のオルガン」の再スタートの大きな契機となりますことを心から願っております。
 皆様方にも、ご参加いただければ幸いです。
 
 <JSN支援運動終了報告会>と<「あの日のオルガン」再開第一歩上映会>については
こちらから
    「あの日のオルガン」再開第一歩上映会_a0335202_15343668.jpg

# by cinema-tohoku | 2020-07-16 15:37 | 映画 | Comments(0)
 突然のコロナ禍で、全ての仕事を奪われてから4ヶ月が流れていました。
 この間、季節は冬から春へ、そしてもはや初夏を迎えていました。

 長いようで短かったこの4ヶ月…正直に申し上げるなら、とてもつらい毎日でした。

 先の見えない感染の拡大…そして、国中を覆う「自粛」の声、声、声。
 数多くの業種の方々が、その仕事を奪われて行きました。
 そして、私たちも…。
 今日は北海道、そして明日は京都…、連日のように連なっていた出張が全く無くなりました。
 仕事が止まってしまったので、かかってくる電話は、ほんの僅かに。
 そして…会社の収入は、見事なまでにゼロになってしまいました。
 あの時、〝今は耐えなければ…″そう思った私は、自らに課題を課しました。
 私たちの会社は、その存続さえ危ぶまれる状況に追い込まれてしまいましたが、自らの生活を律して、そのリズムを崩してはならない、との課題を…。
 こんな時、何よりも健康であらねばならないと思い、毎朝のランニングを日課にしました。
 そして、目に見える仕事は無くなっていましたが、毎日必ず定時に、会社に出ることも課題にしました。
 〝弱音を吐かずに、歯を食いしばって…″9年前、東日本大震災と向かい合った時の自らを思い返しながらの4ヶ月でもありました。
 そんな辛い、そして時には折れてしまいそうな私を支えてくれたのは、<JSN支援運動>でした。
 支援運動が立ち上がるや、全国から寄せられる有難いご支援は、当初は予想もしなかった大きな拡がりとなって、毎日事務所に寄せられて来ました。
 そこに添えられたメッセージの数々は、私の胸を熱くさせ、励ましても下さいました。
 そして、これに付随して、見る見るうちに仕事が目の前に積みあがって行きました。
 ご支援者へのお礼状、ご支援者へのお礼の品々の発送準備…。
 そんな実務にも追われながら、シネマとうほくの未来とも向かい合った日々でした。
 そして、4ヶ月が過ぎていました。
 国が発した「緊急事態宣言」なる恐ろしい響きの体制が解けて、テレビでは、一転して明るい話題を振りまきはじめました。
 こんな動きに背を押されるようにして、私の周りでも少しずつ、仕事が動き始めてきたのです。
 そして…先日は、コロナ禍以降初となる東京出張でした。
 久し振りに、愛用のカバンに一式を詰め、前の晩は何とも不思議な緊張が…。
 以前は、いつもほぼ満席だったはずの仙台発7時52分発の新幹線…何と乗車した車両にはたった8人の乗客…それでも、やっと出張できた感慨を胸に車窓に身をゆだねたのでした。
 ソロリ、ソロリと仕事は動き出したようです。
 このまま、収まってくれることを願わずにはいられません。
        ソロリ、ソロリと…_a0335202_10060596.jpg
たった8人の乗客

 
 


# by cinema-tohoku | 2020-06-23 10:08 | 映画 | Comments(0)
 コロナ禍で、心までもが塞がってしまいそうな時、一陣の風のような爽やかな話題が届けられました。
 
 1944年11月25日…戦火から子どもたちの命を守ろうと決意した、戸越保育所の保母たちは、埼玉県平野村(現蓮田市)の妙楽寺に、全国初の疎開保育園を開設して、全ての子どもたちの命を守り抜きました。
 この史実は、これまでほとんど知られてはいませんでしたが、「あの日のオルガン」が完成し、この全国上映を通して、多くの方々の知るところとなりました。
 この貴重な保育実践は、勿論のこと11名の保母たちの献身的な努力によるものでしたが、それを支えた平野村民の心優しきご援助がなければ、とうてい実現できたものではありませんでした。
 この疎開保育園の地、蓮田市高虫にある、妙楽寺の一角に、市民の願いが叶い「あの日のオルガン」上映を記念した、記念碑とご案内の看板が建立された、とのお知らせでした。
 
 2年前、蓮田市民の方々は、この疎開保育園の史実の映画化を、大きな喜びで受け止めて下さいました。
 そして、映画支援の「市民の会」を結成、製作支援の運動に取り組んで下さいました。
 〝戦火から子どもたちの命を守った町、蓮田を全国に語る映画″こんな訴えは、短い時間のうちに、市民共有の願いとなって、この映画製作を大きく支えて下さいました。
 そしてその後、この運動は行政をも巻き込むこととなり、映画完成後の蓮田市上映会は、官民一体の上映会となって、10,000人参加の〝大成功上映会″として、その幕を閉じたのでした。
 上映終了後、益金の使途が語られ、これを使って妙楽寺境内への、記念碑と案内看板の設置となったのでした。
 本来なれば、盛大な除幕式を…こんな願いもあった様でしたが、このコロナ禍、時期を待ってお披露目の機会を作りたい…こんなお声も添えられていました。
 74年前、あの悲惨な戦火から子どもたちの命を守り抜いた、若き保母たちと、平野村民(蓮田市民)たちの願いは、「子どもの命と平和」を誓うモニュメントとして、疎開保育の地に誇り高く、その史実を語ることになったのでした。
 機会があれば、足を運んでみて下さい。
 平和を願う、オルガンの音と子どもたちの歌声が、風に乗って耳に届くかも知れません。
          蓮田市…妙楽寺…_a0335202_16043824.jpg
疎開保育園を語る、記念碑と案内板

 突然の「コロナ禍」に見舞われてから3ヶ月、<JSN支援運動>が呼びかけられてから、2ヶ月を数えようとしていました。
 この間、コロナの影響は、日毎にその深刻の度合いを増し、社会のそこここに暗い影を投げ落とし始めています。
 いつもながら、感じさせられていることです。
 本来は、真っ先に政治が守らなければならない筈の、弱い立場の人々から先に、困難な状況に追い込まれている現状…。
 暗澹たる思いにさせられていました。
 そんな中で呼びかけられた<JSN支援運動>は、有難いことにその輪を大きく拡げていました。
 三ヶ月前、「コロナ禍」と向かい合って、そのただならない姿に、私はかってない程の困難を予想しました。
 そして、私たちが今、なさなければならないことは何?と思った時、「人」とのつながりを決して切ってはいけないと思ったのでした。
 「人」に支えられながら歩んできた私たち。
 私たちだけの手に余る困難に見舞われた時、その状況をを率直に周りの方々に訴えて、可能な分で支えても頂きながら、共に乗り越えていくことが求められている、と思ったのでした。
 そして、立ち上げて頂いたのが、この度の支援運動でございました。
 この運動に当たって私は、目標を300口に設定しておりました。
 あたたかなご支援が、次から次へと寄せられて来ました。
 そして、ご支援の輪は当初の予想を大きく超えて、今日現在で何と1260口にまでなったのでした。
 そこに添えられたメッセージは、私の胸を熱くさせ、かってなかった困難と向かい合った私たちを支えてくれたのでした。
 寄せられたメッセージに一つに、こんな危惧が語られていました。
 〝コロナが終息した際、上映・興行の現場が再起不能の焼け野原になっていた、という事態はなんとしても回避しなければなりません。″(仙台市・男性)
 映画の世界では、残念ながら欧州各国と異なり、製作現場、中小の配給社、そして映画館、そのいずれもが国の支援を受けられず、大変な困難に直面しています。
 生活が出来ずに、心ならずも映画の世界から身を引かざろう得なくなった制作スタッフ、事業が行き詰まり、廃業や倒産の危機に追い込まれている配給会社も数多く語られています。
 コロナ終息後の日本映画界が、大手の企業のみが生き残って、文化としての「多様性」を失ってしまうことのないように、先を見つめた視点と、ともかくもこの苦境を乗り越える努力が求められています。
 寄せられたご支援を頼りに…耐えて…。
 数々のご支援に心からの感謝です、〝ありがとうございます″。
          ありがとうございます・3_a0335202_10164004.jpg

 私たちへの<JSN支援運動>が始まってから、1ヶ月が過ぎました。
 この間毎日、途絶えることなく届けられる、有り難いご支援のお声の数々は、ともすれば折れてしまいそうな私たちを支え、励まし、そして積み上げられたご支援は、当初の予想を大幅に上回って、760口を数えるまでになったのでした。
 困難な時に重ねられた「人の情け」が、こんなにも深く胸に刻まれるものであることも実感していました。
 
 有難いご支援は次々と寄せられて来ましたが、段々と心配になって来ていた事がありました。
 ご支援の方々にお届けしなければならない、撮影地の名産品の発送作業についてのことでした。
 まずはと思い、4つの撮影地に第一次として500個の発注をしましたところ、皆様、その量に驚かれ、そして喜んでもいただきました。
 蓮田のせんべい屋さんや、川崎のお菓子屋さんは、いずれも家族で経営の小規模な、町のお店…一度にこんなにも大量な注文をもらうことは稀なことだったようで、大車輪での製造にあたっていただきました。
 この度の支援運動を、JSN支援だけではない、撮影地の元気回復にも寄与しようとした企画は、見事にその実を結んだようでした。
 そして、各地からのお礼の品が事務所に届けられ、その段ボール箱は天井まで届き、事務所は足の踏み場もない有り様となったのでした。
 なんとか、第一次の発送は、連休前に済ませようと、社員総出であたった発送作業は、連休をはさんで、4日間で第一次を終えたのでした。
 寄せられたご支援の、一つ一つに込められた、〝文化の灯を消さないで″〝「あの日のオルガン」の上映を再開して″そんな願いを胸に刻みながらの一大作業でした。
 
 コロナの感染拡大は止まらず、社会のそこここから、辛い叫びも伝わってくる今、私たちに寄せられた、あたたかな情けに胸を熱くしながら、その責任の大きさも痛感させられた春の一日でした。
        ありがとうございます・2_a0335202_15102919.jpg
てんやわんやの発注作業