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 新型コロナウイルスの国内感染確認から3年の時間が流れました。
 私たちは、この間、何とか会社を維持してコロナ以降の社会での上映運動の展開を再開させるべく、数々の努力を続けていました。
 幸い、数多くのご支援者の方々の温かなお手が私たちの背を支えて下さり、何とかここまでの歩みを続けて来ることが出来ました。
 そんな私たちの前に、昨年に引き続き国の支援策が届けられました。
 <AFF2>・・・コロナ禍で困難になった文化関係の企業団体に向けた支援策です。
 申請致しましたところ幸い採択となり、国の支援を受けて4つの上映会を開催することになりました。
 昨年の経験も含め検討し、上映地は仙台、盛岡、山形、郡山の4市で<オペラ映画>と<クラシックシネマコンサート>の上映会と致しました。
 それぞれの上映会には、オペラに造詣の深い先生方の上映前の解説を設定致しましたが、山形会場では、俳優の渡辺えりさん(山形市ご出身)にトークをお引き受けいただき、魅力的な企画と相成りました。
 3年におよんだコロナ禍は社会に様々な影を投げ落とすこととなりましたが、この影は社会の活力や元気さえ奪ってしまいました。
 本場ヨーロッパの文化に触れることで、そんな地域の方々に生きる元気もお伝え出来れば幸いです。
 皆様方のご来場を心からお待ち申し上げます。
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# by cinema-tohoku | 2022-10-12 13:40 | 映画 | Comments(0)
 9月26日、台風15号による豪雨は静岡県を襲いました。
 そして、各地にも甚大な被害の爪跡を刻むことになりました。
 この日の朝、私はテレビのニュースでこの報道を見て、胸がしめつけられる思いにされました。
 そこには、静岡市の山あいの温泉、油山温泉元湯館の無残な被害の様子が映し出されていたのでした。
 私たちが心を込めて製作した映画「エクレール・お菓子放浪記」がありました。
 製作のきっかけは、この作品の原作になった「お菓子放浪記」を手に取ったことでした。
 お会いした原作者の西村滋先生は、笑顔の素敵なとてもやさしい方でした。
 西村先生は、この映画化をとても喜んで下さり、西村先生を取りまくお仲間の方々共々、大きな製作支援の輪をつくって下さいました。
 そして映画は完成・・・3月10に行われた東京での完成披露試写会には、西村先生とお仲間の方々においでいただき、この映画は全国発信のスタートラインに立ったところでした。
 しかしながら、その翌日に東北一帯を襲った津波は、この作品に寄せた私の夢をたちまちのうちに破壊したかと思えたのでした。
 全国上映の道を絶たれた私は、絶望の淵に立たされることになったのでした。
 そんな私を、西村先生とお仲間の方々はあたたかく支え、全力をあげて上映再開の道を探って下さいました。
 そんな沢山のやさしさに支えられて、この映画は<東日本大震災復興支援映画>として、一歩ずつ全国に上映の輪を拡げて行ったのでした。
 そんな時、西村先生からお誘いをいただきました。
 毎年、西村先生とお仲間の方々で行っている、西村先生を囲む懇親会に招待したい。
 鳥居さんを励ましたいので・・・。
 お誘いに甘えて訪れたのが、会場となった油山温泉元湯館でした。
 山あいの心あたたまる宿、そしてそこで交わされた交流は私の胸を熱くさせ、頬から流れる涙を止めることは出来ませんでした。
 それ以来、毎年行われる元湯館での懇親会には参加を続けておりました。
 その元湯館を大災害が襲い、テレビから流れる映像には、旅館の中をまるで滝の様な激流が流れるさまが映し出されていました。
 元湯館の再興は・・・やさしかった女将さんのお顔が目に浮かび、胸がふさがれる思いにさせられたのでした。
 そしてその翌日は、安倍元総理の国葬の日でした。
 国民の過半の反対を押し切って開催されたこの空虚な儀式・・・。
 しかもその実施には、莫大な国費が注ぎ込まれていたのです。
 突然襲った大災害に見舞われ、道を失おうとしている国民を一顧だにせずに進むこの国の行く先は一体どこなのか…。
 暗たんたる思いが胸にひろがった2日間でした。
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西村先生がお亡くなりの後も、元湯館での懇親会が


# by cinema-tohoku | 2022-09-29 14:37 | 映画 | Comments(0)
 コロナ禍から早3年・・・思わずため息が出るような毎日を送っていました。
 感染拡大の山また山・・・一旦は収束したかに思えても又新たな山が・・・。
 先の見えないこの3年間は、心と体を切らさずに、ただひたすらに耐えるしかすべのない日々でした。
 それでも、そんな私の上に一すじの光が降って来たかと思える動きが出始めて来ていました。
 今年に入ってから「あの日のオルガン」の上映が、今までにない動きを見せ始めて来たのでした。
 本年2月、突然国境を破ってウクライナに侵攻した、ロシアによる侵略行為は、世界中に戦争の悲惨さと平和への願いを伝えることになりました。
そんな動きが、この作品の背を押したのかも知れません。
 コロナの感染者数はかつてなかった程の高い数字を示したのでしたが、今年の夏の平和行事の一環としての行政による上映会は中止ともならずに各地に拡がり、そしてこの動きは平和を願うこの映画の自主上映にも火をつけることとなりました。
 東京葛飾区での上映を願うお声が私のもとに届けられたのは6月のことでした。
 発起人となった葛飾区保育問題協議会を中心に、11月29日上映をめざして実行委員会がつくられ、この対応での私の東京通いが始まっていました。
 先日は、先ずもっての試写会が開かれ、感動のお声を連ねて上映実行委員会が結成され、その場で決まった観客目標は何と800名!
 かつてコロナ前は当然の様に1000名を目標としていた上映運動を展開していましたが、コロナ以降の困難な3年間は上映会さえ実現出来ず、よしんば実現してもその観客規模はせいぜい100~200名前後に止まるものしかありませんでした。
 葛飾上映はまた先のことで、800名はあくまでも「目標」ですが、この規模の観客目標を設定出来たことだけでも、私にとってこれは大きな「光」と思えるものでした。
 そしてもう一すじの光が・・・。
 東北地区での「梅切らぬバカ」の上映運動に取り組んでいました。
 幸い、自閉症協会関係者始め、各地の方々からのご賛同を得ることとなって、この上映は東北地区で一本の映画としてはコロナ禍以降では最も大きな10ヶ所に拡がっていました。
 そして、そのトップを切った自主上映会が福島県白河市で行われました。
 これを主催した上映実行委員会は、白河市の自閉症協会と手をつなぐ親の会の手による、心やさしき方々が集う会でした。
 市民に向けた上映の運動は、まさにスローシネマ上映運動の名の通り一歩ずつ、ゆっくりと浸透し、迎えた上映会は何と500名のご参加で大成功のうちに幕をおろしたのでした。
 コロナ第7波が猛威をふるっていた中で、当初目標の300名を大きく上回ったこの上映は、コロナ禍で元気を失いがちな地域の方々に活力を伝え、障害に対する差別も偏見もない地域社会づくりに大きな一歩を刻むことにもなったのでした。
 こんな一連の上映の動きは私に、この時代の中でもやれるかも知れない…。
 そんな一すじの光となって伝わって来たのでした。
 コロナに負けないみのりの秋にしたいものです。
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沢山の市民が足を運んだ白河の「梅切らぬバカ」試写会
 

# by cinema-tohoku | 2022-09-01 17:47 | 映画 | Comments(0)
 仙台市の西の郊外・・・仙台の奥座敷とも言われる秋保温泉から山形県境に寄ったところに清々しい風情の寺院があります。
 慈眼寺・・・ご住職をつとめられる塩沼亮潤氏がひらかれたお寺です。
 塩沼ご住職は、仙台でお生まれになり、僧を志して吉野山金峯山寺で出家、得度。
 その後、1300年の歴史上二人目となる<大峯千日回峰行>を始め、いくつかの困難な修行を積まれ、<大阿闍梨>の称号を得て、ふるさとに慈眼寺を開山された方でした。
 シネマとうほくの上映運動の大切なパートナーのYさんがご縁をつないで下さり、実現した「梅切らぬバカ」の慈眼寺上映会でした。
 上映会場は、ご本尊が見守る本堂・・・100名程の訪れた方々で上映前に本堂はいっぱいになり、塩沼ご住職の心に響く法話に引き続いての上映となりました。
 こんな舞台だてでの上映だったせいか、この映画のこころは深く観客の方々の胸に刻まれた様で、上映後は、涙をこらえながら自閉症の子どもを持つ親としての困難さと映画の感動を語って下さる方や、是非私の地区でも上映をしたい、どうやったら上映会が出来るのか・・・等々のお声が届けられ、私たちが励まされる上映会となりました。
 ロシアによる不当なウクライナ侵攻を契機にして、我が国の防衛費の圧倒的な増額が語られています。
 経済的困窮国日本のどこからかお金が湧いてくる訳ではないとしたなら、この財源は消費税の増税か、福祉教育予算の減額によらなければならないのではないかと危惧します。
 更なる弱者切り捨てさえもが予感させられる今、「梅切らぬバカ」は、社会での多様性の容認と、弱者を見つめる温かな視点を語りながら、更に大切な作品となって来ていることも実感させた慈眼寺上映会でした。
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塩沼ご住職の法話

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境内には、福祉作業所の物品販売のテントも



# by cinema-tohoku | 2022-06-22 09:56 | 映画 | Comments(0)
 「梅切らぬバカ」青森県上映の手当てで、毎週の週末、青森県に通い続けていました。
 この上映運動の中心を担ってくれたのは「青森県自閉症協会」の方々で、自閉症の子どもを持つ親の方々でつくられた団体です。
 障害をもって生まれて来た子どもたちを育てながらのこれまでの足跡・・・さぞかしご苦労があったことと思うのですが、皆様とても明るく積極的で、この上映にも〝障害に対する差別も偏見もない地域社会をつくりたい〟、そんな思いで立ち上がって下さいました。
 こんな方々の一生懸命な思いと向かい合って、どのように展開をしたらこの上映を成功に導くことが出来るのか・・・しばしの検討の結果、行き着いたのは<スローシネマ上映方式>でした。
 この上映の仕組みは、以前全国上映を大成功させた「じんじん」の折に、完全に体系化された上映運動の進め方で、一人の実行委員の回りに試写会も活用しながら多くの<上映賛同者>を拡大して、そんな人と人とのネットワークの力で上映を成功させ様とする仕組みでした。
 大きな組織の裏付けもなく、地域での上映運動の経験もない方々が〝観せたい!〟この思い一つで上映を成功させるのには、この仕組みしかないと思ったのでした。
 しかしながら、この仕組みをご理解いただき、上映運動をその軌道に乗せるためには、ていねいな、そして回を重ねたご相談の積み重ねが要求されるもので、そのための毎週の出張となったのでした。
 青森県に通い始めた頃は、まだ冬の名残の厳しい北風が吹く頃でしたが、そんな北の地にもいつの間にか甘い香りの薄紅色のリンゴの花が咲き、そして今、津軽の地は春真っ盛りの時を迎えていました。
 こんな今、自閉症協会の方々と一緒に種をまいた「梅」の生命は、秋にはきっと、たわわな実を実らせることと思います。
 弘前での会議が終わり、宿をとった青森へ…夕食前の一時を利用して青森港を散歩していた時、夕闇迫る海を渡って私の耳に届いたのは、青森の夏を代表するまつり<ねぶた祭>のお囃子を練習する笛と太鼓の音でした。
 コロナ禍で2年連続中止に追い込まれていた夏の祭りが今年は開催の予定・・・それを待ち望んだ市民が奏でるねぶたばやしの音は、コロナを乗り越えたよろこびを謳う様でもありました。
 そろそろ私も立ち上がらなければ・・・そんな思いを胸に抱いた初夏の津軽路でした。
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津軽の象徴、岩木山

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夕刻の青森港



# by cinema-tohoku | 2022-06-01 10:03 | 映画 | Comments(0)