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 「あの日のオルガン」には、2つの「ご当地」があります。
 一つは、戦火から逃れた子どもたちを受け止めた埼玉県平野村(現蓮田市)、そしてもう一つは、戸越保育所があった東京都品川区です。
 いずれの地でも、この映画製作企画を喜びをもって受け止めていただき、支援の運動は始まっていました。
 一歩先に上映の実現となったのは蓮田市、市民の運動に市も賛同し、以前のブログでご紹介した素晴らしい上映会となりました。
 そしてこれに続いて品川区でも、区民に向けた上映の動きが始まりました。
 幾度かにわたるていねいなご議論を経て、品川区上映に向けた実行委員会と試写会が開催されたのは8月20日、全国でも有名な元気な商店街「戸越銀座商店街」の一角にある、古い歴史のお寺の集会室でのことでした。
 当日は、あいにくの天候にもかかわらず、会場立錐の余地もない程多くの区民の方々がお集まりになり開会となりました。
 そして、この日の運動のスタートにおいでいただいたご来賓の方々は、まさにオールスター、とても賑やかなスタートとなりました。
 蓮田からは、「市民の会」を代表して2名の方、東京福祉大学の先生でライフワークとして「疎開保育」を研究されてきた西脇先生、立川からは、長年公立保育所に勤務されてきた大ベテランの先生が、そして、疎開保育園の園児で、3月10日の東京大空襲で孤児になった「健ちゃん」・・・。
 試写会が始まる前に、皆様方から語られるこの作品の今日的な意義に、ご参加者の方々は、上映成功への思いを一つにされた様でした。
 蓮田市に、そして品川区に・・・「オルガン」の2つの「ご当地」にあがった旗は、〝子どもの命と平和〟を願いながら、更に全国へとその輪を大きく拡げているのです。
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品川区実行委員会

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戸越銀座商店街



# by cinema-tohoku | 2019-09-02 17:35 | 映画 | Comments(0)
 「あの日のオルガン」の製作企画を始めていた頃、是非観たい、と願っていた記録映画がありました。
 「或る保姆の記録」、発足間もない戸越保育所での子どもたちの生活を描いた作品です。
 戸越保育所が幼い子どもたちの命を育んでいたのは、東京都品川区でした。
 この地区は、大井町駅を中心とした、小さな工場が林立する労働者の街でもありました。
 戸越保育所の創設者となった大村栄之助・鈴子さんご夫妻は、労働者に心寄せるお二人でもあって、労働者の子どもを育てる場を・・・、そんな夢が実現して発足した戸越保育所でした。
 「或る保姆の記録」は、大村栄之助さんがその後、芸術映画社を立ち上げ、自らプロデュースして、戸越保育所での子どもたちの生活を見事に描いた作品でした。
 幸いこの作品が、私が以前勤務していた共同映画の倉庫にあることが分かり、共同映画のご好意で作品を拝見しました。
 作品は、大井町駅からはき出され、それぞれの職場に向かう、当時の労働者の姿が、生き生きと映し出される朝のシーンから始まります。
 そして、その後に展開される戸越保育所の生活には、戦争の影は全くなく、保母が父母と連携をとりながら、子どもたちと向かい合う姿が生き生きと描かれて行くのです。
 この作品の製作年は1942年・・・。
 この前年が日米開戦でしたから、日本中が戦争に狂奔していたあの時代に、よくぞここまでの製作を貫き通せたものだと・・・。
 製作者たちの平和への願いと、子どもたちへの深い愛情がにじみ出る作品でした。
 子どもたちの健やかな、そして平和な未来を願う戸越保育所の子育て理念が、1942年一本の優れた記録映画となり、そしてそれから77年を経て、今又、一本の劇映画として結晶した・・・。
 この保育所の創設者の思いも深く胸に刻みながら、「オルガン」の全国への旅を続ける私であります。
      記録映画「或る保姆の記録」_a0335202_10252247.jpg
或る保姆の記録


# by cinema-tohoku | 2019-08-27 10:27 | 映画 | Comments(0)
 振り返れば、蓮田市の製作上映運動は、そのスタートから2年を数えていました。
 戦火から逃れて来た、53人の幼い命を守った、誇り高い蓮田の歴史を語ろうとする運動は、劇場上映に引き続く第2次上映の全国トップを切って行われ、その上映は見事な大輪の花を咲かせたのでした。
 初めにこの運動のお声をあげたのは、心やさしき市民の方々でした。
 〝子どもの命と平和〟を語るこの作品を完成させ、蓮田の地から全国に発信しようとした市民の方々は、〝支える会〟をつくり、この映画の製作支援活動を展開して下さいました。
 そんな願いは、急速に数多くの市民の方々のご賛同となり、市をも巻き込んだ運動として育って行きました。
 こんなご支援に支えられて完成した作品を、次の課題として多くの市民の胸に届けようと、〝支える会〟と市が中心になって、映画「あの日のオルガン」蓮田市上映実行委員会が結成されたのは、本年2月のことでした。
 子どもたちの健やかな成長に赤信号が灯った現代社会に、子どもの命の輝きを語ろうとした実行委員会の皆様は、その観客目標を何と人口(5万人)の20%、10,000名に設定して、その歩みを始めたのでした。
 こんな市民の情熱に応えて下さったのが、蓮田市と蓮田市教育委員会でした。
 〝子どもの命と平和〟を語り、そしてあの戦火から幼い命を守った故郷の歴史を、蓮田の未来を担う子どもたちの胸に伝えようと、市内全小中学生の観賞を決定して下さったのでした。
 この決定に心を強くした実行委員会の皆様は、市民に向けて前売り券の販売活動を展開して行ったのでした。
 そして迎えた4日間にわたった蓮田市上映会は、入場者数4200名の熱い心の輪となってつながったのでした。
 さかのぼる2月に行われた映画館上映では、1300人の蓮田市民の方々が既に鑑賞していましたので、小中学生4500名を加えるなら、その総数は目標としてかかげた何と10,000名!
 閉塞感でいっぱいになってしまった現代社会に灯った〝子どもの命と平和〟を願う灯は、蓮田の地に誇り高くかかげられたのでした。
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蓮田市上映


# by cinema-tohoku | 2019-08-06 17:19 | 映画 | Comments(0)
 伊集院静さん原作の、15年ぶりとなる一本の映画が完成しました。
 「駅までの道をおしえて」、愛犬を失った8歳の少女と、若い頃に最愛の息子を失った老人・・・、その死を受け入れることが出来ない二人が、ひたすたに命の輝きを求めようとする物語です。
 10月から劇場で公開されるこの作品の劇場上映後の配給について、製作者からのご相談が持ち込まれ、足を運んだ現像所での初号試写会でした。
 会場が暗転して、スクリーンに映画が映し出されるや・・・冒頭から驚きでした。
 この作品と向かい合った監督は、揺れ動く少女の心情を、アップのそして長回しのカメラワークで追って行くのです。
 そして、この作品で8歳ながら堂々たる主役をつとめた新津ちせちゃんは、この監督の思いに見事な演技で応えたのでした。
 ドラマが進行するにつれ、少女の悲しみは私の胸にもしみ込む様に伝わり、思わず胸が熱くなるのを禁じ得ませんでした。
 〝子役〟に感じさせられるいわゆる〝あざとさ〟は全くなく、一貫してピュアな姿勢でこの役に向かい合うちせちゃんに、まさに脱帽でありました。
 見終わった私の胸には〝命のきらめき〟そして〝死をおそれずに受け入れる〟・・・そんな思いがスクリーンから手渡されたのでした。
 人の命が、まるで鴻毛よりも軽くもて遊ばれ、目をおおう様な出来事が日々報じられる現代社会に、この作品は、きらめくばかりの〝命の輝き〟を伝える作品として、際立って今日的な意義もはらみながら生まれたのだと思えるのです。
 ちなみに、新津ちせちゃんは、アニメ監督新海誠さんの愛娘・・・この才能はやはり親ゆずりのものなのかも・・・。
       映画「駅までの道をおしえて」_a0335202_15360566.jpg
伊集院 静「駅までの道をおしえて」


# by cinema-tohoku | 2019-07-17 15:37 | 映画 | Comments(0)
 心安らぐ北の街盛岡・・・私を生み育てた故郷です。
 仙台まで、新幹線に乗るなら45分、泊ることはほとんどなかったのでしたが、昨日の夜の予定が急に変更になって、そのまま盛岡の宿泊を決め、思いたって市内で書店を営む中学校の同級生に連絡をして、これも中学の同級生がやっている居酒屋で久し振りの旧交を温めました。
 昭和23年に盛岡に生まれた私でしたが、父親の転勤でその後、函館、東京と転校を重ねて、盛岡に戻って来たのは中学2年の時でした。
 すっかり東京の少年の風情となっていた私にとって、久し振りの故郷は驚きの連続でした。
 街の真ん中を馬車が堂々と通り、道路には馬糞が・・・入学した下小路中学のクラスに身をおいて、クラスメイトの会話に耳を傾けて・・・困った!言葉が分からないのです。
 そして、クラスで目立った女子生徒の口からは、自らのことを“俺は・・・〟。
 何とも大変なところに来てしまったと思いながらも、いつの間にか盛岡の少年に変身していたのでした。
 それから高校の卒業まで、私を見守った盛岡の街は、壁にぶちあたったその都度に、私の心を支えた癒しの街でした。
 幸い空襲の被害をこうむることのなかった古い街並み、街の中心を流れる清流、石川啄木が振りあおいだ城跡、遠くに望む秀峰岩手山・・・。
 通りすぎた風景としてのそれだけではなく、私の人格形成にもこの街は大きな影響を与えた様にも思えるのです。
 中学の同級生が営む居酒屋は、300年をこえる歴史の盛岡八幡宮への参道からはいった横道にあります。
 聞けばもはや40年続けて来たという店のカウンターに、55年前の中学生が3人・・・。
 満開に咲いた昔話に夜は更けて行ったのでした。
 明けた今日は、10月から盛岡ルミエールで公開が決った「あの日のオルガン」上映成功への支援団体回りです。
 久し振りの故郷と友に心癒され・・・さあ出発しますか・・・。
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街を流れる中津川