協同組合ジャパン・スローシネマ・ネットワーク(略称JSN)は10年前、映画運動を通した人の世の幸せを願って生れました。
加盟する10社が心を合わせて、これまでたくさんの作品を全国の方々の胸にお届けして来ました。
認知症をテーマにした記録映画「僕がジョンと呼ばれるまで」、中国大陸への侵略を現代の子どもたちの視点から描いた「15歳の夏」、見事な技法で製作されたパペットアニメ「ちえりとチェリー」。
そして、私たちの手による製作作品としては、更生保護のこころを描いた「君の笑顔に会いたくて」、戦時中の疎開保育を描いた「あの日のオルガン」・・・未来への希望と子どもたちの健やかな未来を映画の感動と共に多くの方々にお伝えして来ました。
そんなJSNも10年の区切りを迎えて、新たな体制で新たな未来に向けたスタートを切ることになりました。
JSNの発足から10年にわたって、私は理事長としてその先頭に立って来ました。
しかしながら10年は一つの区切り、併せて私の年齢が刻々と増していることもあってこの際、新たな体制での更なる時代への歩みを期待して、理事長を退任、新体制にこれからの発展をゆだねることにしたのでした。
先日開かれたJSN第11回総会に諮り、JSNは新たなスタートを切ることになりました。
振り返って見るなら、多くの方々の温かい心に支えられながら走り続けて来た10年でした。
JSN前史の「エクレール~お菓子放浪記」の製作完成、そして東日本大震災…地域社会と家族の再生を熱く語った「じんじん」の全国配給・・・必死になって全国を駆け巡って、作品を多くの方々の胸にお届けして来ました。
私にとっては40年来となる企画<疎開保育園>の映画製作決意・・・不足する製作費を補うための市民プロデューサーのお願いの全国行脚…そして完成、上映開始・・・そこに立ちはだかったコロナ禍での上映の中断・・・振り返れば、多くの感動とそれを上回るような数々の困難に彩られたここまでの歩みでした。
それでも、これで私の歩みが途絶えることはありません。
新たな体制のJSNの中で私は<会長>として、その発展に更なる努力を重ねる決意です。
その新体制の会長としての第一歩の出張に出ていました。
昨日、愛知県知多半島の半田市を訪れました。
半田市の<九条の会>の方から、来年迎える敗戦から80年の区切りの年の記念上映会として「荒野に希望の灯をともす」を上映したい・・こんな願いが届けられ、半田市まで足を運びました。
会議には10名のこの地区の<九条の会>の方々にお集まりいただき、来年8月3日1000名を目標とした上映が決定したのでした。
会議の後の時間を利用して半田の街を歩いてみました。
運河も整備され、歴史の歩みも感じさせる落ち着いた街の一角に、かつてはビール製造工場だった赤煉瓦の立派な建物がありました。
半田市は1945年7月24日、米軍機による空襲を受けました。
その折受けた、米軍機の機銃掃射の後が赤煉瓦の建物の壁面にありありと残っていたのです。
平和への願いを込めた上映会を決めた直後だったこともあり、この弾痕は私の胸に上映成功への更なる決意となって伝わったのでした。
これから、名古屋、三重、岐阜への仕事です。
私の旅はまだまだその先への続いて行きそうです。
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by cinema-tohoku
| 2024-11-18 17:40
| JSNの動き
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