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カテゴリ:旅と出会い( 32 )

 車で2日間の岩手への出張でした。
 昨日は、午後から三陸沿岸を通って、最後の予定地久慈市から仙台への帰途へ。
 間もなく4月・・・もはや雪の心配はないだろうと、車を走らせた夜の東北自動車道は、途中から何と吹雪・・・あまりの吹き降りに前方は見えなくなり、道路の白線も雪にかくれ、ほうほうのていで仙台に戻って来ました。
 そして、その翌日に訪れた東京は桜の満開・・・街は桃色一色に彩られていました。
 まるで魔法のトンネルをくぐった様な季節の移り変わりに、改めて南北に連なる日本列島を実感させられました。
 色彩の乏しい冬から巡った桜の春・・・何とも華やかなこの風情は、行き交う人々も心を浮き立たせているように思えるのです。
 そんな東京の姿に目を向けながら、胸によぎるのは通り過ぎて来た岩手県三陸沿岸の街の姿・・・。
 大惨禍から8年、街は新たな姿に変り始めているのですが、そこここにまるで櫛の歯が抜けた様な空地が目立つ「新しい街」なのです。
 ここに再び人の生活の営みがよみがえり、街のにぎわいを取り戻すことが出来るのか・・・。
 そして、皆が笑顔を交し合う真の春の季節を迎えることが出来るのか・・・。
 東京の咲き誇る桜を見つめながら、そんな思いにさせられた春の一日でした。
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満開の桜
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 「あの日のオルガン」の全国展開が活発な動きとなり、その対応での出張が連続する毎日を過ごしていました。
 昨夜、久し振りに仙台に戻って、今日は仙台での朝を迎えました。
 自宅で朝食を摂り、バスで事務所へ・・・。
 幸いの晴天に恵まれて心おだやかな朝でした。
 バスに乗りながら、不思議な既視感を覚えました。
 そして思いあたったのでした。
 間もなく8年が巡って来る2011年のことだったことを・・・。
 完成直後に東北を襲ったあの大惨禍で東北での上映を断たれた「エクレール~お菓子放浪記」・・・、私たちはあの時一大決心をしました。
 この作品の全国上映を通して、全国に被災地支援への願いを語ろうとの・・・。
 そして、そこから始まった全国への旅は、12泊、13泊と日を連ねていったのでした。
 ヘトヘトになってやっと帰ったあの日の仙台の朝も、今日と同じくおだやかなほほえみで私を迎えてくれていたのでした。
 やはりバスの乗って事務所に向う私を、不思議な安堵感が包んでもいました。
 そうでした、あの日と同じ感慨だったのでした。
 やはり、ここは私のマイホームタウン。
 生活があり、迎えてくれる家族が、そして会社の同僚や友人がいて・・・。
 人は、帰るところがあるから旅にも出ることが出来るのだと思うのです。
 そんな一時の感慨を胸に、久し振りの事務所の扉を開きました。
 今日一日で、たまった仕事をこなさなければ。
 又、明日からは旅に出るのですから・・・。
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東京、日比谷公園は梅が咲いていました



 訪れた九州は、もはや春の風情でした。
 梅の紅色と、菜の花の黄色に彩られた宮崎県を巡って、今日の朝は熊本で迎えました。
 「あの日のオルガン」がたどるべき道がやっと見えて来た思いです。
 各県毎にていねいに作品に込めた私たちの思いを語って、その輪を全国につなぐ旅は、佳境に入って来た様です。
 「エクレール~お菓子放浪記」の折、熊本には何度か訪れていました。
 熊本市に泊って、朝時間のある時には、朝の空気を胸に、熊本城を訪れることも楽しみにしていました。
 加藤清正ゆかりの、国の重要文化財にも指定された、まさに天下の名城です。
 訪れる度に、天を衝くが如き天守閣の姿に、ほれぼれする思いで見入っていたものでした。
 そして、あれから7年・・・。
 久し振りに訪れた熊本城は見るも無残な姿に変っていました。
 2016年に発生した熊本地震は、熊本県と大分県に甚大な被害を与え、この被害は熊本城にも及んでいたのでした。
 美しい曲線を描いていた石垣はそこかしこで崩れ、天守閣は巨大な修理のクレーンに囲まれて、城はかつてのりりしい姿を取り戻す必死の努力を重ねていました。
 それでも街には活気が戻り、その未来に向けて確実な歩みを踏み出していることに、人の限りない生命力も感じながらの、熊本の朝の散歩でした。
 人の生活の営みを取り戻し始めた熊本県に向けて、人の命の尊さを語る「あの日のオルガン」をしっかりとお届けしたい・・・。
 今日も、精一杯の努力を我が胸に誓っての出発です。
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 紅葉が盛りを迎えた北海道にやって来ました。
 空路札幌にはいり乗り換えて小樽へ・・・。
 これまで幾度か訪れていたのですが気が付きませんでした。
 小樽に向かう途中の駅には、「星置(ほしおき)」「ほしみ」・・・満天の星空の輝きを思わせる素敵な駅名があったことに気付かされました。
 そんな発見に心を和ませながら、訪れた小樽地区保護司会の皆様は、やさしい笑顔で私を迎えて下さいました。
 そして明年、発足70年を迎える小樽地区保護司会の記念上映会として、「君の笑顔に会いたくて」の上映を決意して下さいました。
 ご相談はトントンと進み、仕事が早めに終わったので、小樽の山手の一角にある「小林多喜二文学碑」を訪れてみようと思いました。
 この碑は、1964年多喜二の同窓生が発起人となって募られた資金で、小樽を一望する山の一角に建立されたものでした。
 小林多喜二・・・秋田県で生まれ小樽に移り住み、その中で社会の諸問題と向かい合い、人の幸せに寄り添いながら、その短い生涯を駆け抜けるようにして熱く生きた文学者です。
 日本映画の名匠今井正監督の手で製作され、1974年公開となった映画「小林多喜二」は、私が以前勤務していた会社の配給によるものでした。
 小林多喜二の名前は、それまでにも知ってはいましたが、この作品の配給に誠実にあたるため全集を買い求め、それを読みながらこの仕事に向かっていったことを記憶しています。
 そして多喜二の、人に寄せた心のやさしさと、時代の矛盾を解くため、身を投じてそれにあたった情熱に、私の胸を熱くしたことも思い出したのでした。
 もはや晩秋を迎え、雪虫も飛び交い始めた小樽の山を、落葉を踏みしめながら一人歩き、過ぎ去った若かりし頃の自らとしばし向かい合ったのでした。
 そしてたどり着いた高台に建つこの碑は、大地に根を張った確かな存在感を語っていました。
 夕刻が忍び寄り始めた碑の前に立ち、思わず両の手を合わせた私でした。
 人の幸せに寄り添いながら、もうしばらくは私も努力を重ねる決意も込めて…。
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小林多喜二文学碑
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夕やみの迫る小樽運河


 ここしばらく、「あの日のオルガン」全国上映のしくみづくりで東京出張が続いていました。
 幸い多くのご支援を得ることが出来、作品は完成し、二転三転しながらも全国公開の大筋がほぼ見えて来たので、「全国上映運動」づくりに久しぶりに関西を訪れました。
 昨日は、神戸、大阪で保育団体との話し合い、その後京都に移動して、今日の朝は久しぶりに京都で迎えました。
 いささか疲労気味の我が心身のリフレッシュも願って朝の散歩へ・・・1時間半程かけて京の町を巡りました。
 夏のあの殺人的な酷暑もどこへやら・・・空一面を彩る鱗雲は、京都の町への秋の訪れを告げていました。
 宿を出た足はいつの間にか東に向かい、歩きながら、ほどなく私の胸にはその目的が形になっていました。
久しぶりに清水寺を訪れようとする思いが。
 そして、清水寺の境内の一角に立つ「記念碑」を訪れる目的が・・・。

 1998年、いくつかの夢を描きながらシネマとうほくを設立した時、私の胸には一本の映画製作の夢が明らかな形となっていました。
 私を生み育てた岩手の地に刻まれた、北の誇りをこの映画を通して語ろうとする夢が・・・。
 思いを込めて製作に取り組んだ作品は、長編アニメーション「アテルイ」でした。
 今から1200余年前、東北の地は遠く縄文から受け継いだ文化を引きつぐ平和な、そして豊かな地でした。
 その頃、近畿に拠点を持った強大な国家ヤマトは、その版図を全国に拡げていました。
 そして、最後までヤマトの意図になびかなかった北の地を我がものとするため、強大な軍勢を送って来たのでした。
 北の民を「エミシ」とさげすみながら・・・。
 その不当な侵略に抗して、故郷の生活と誇りを守るために立ち上がった勇者達がいました。
 そして、その先頭に立ったのが、若き勇者アテルイでした。
 地の利を生かしたエミシの騎馬軍団は、圧倒的なヤマトの軍勢を相手に見事な戦いを続けましたが、その戦いは長期におよび、北の民をヤマトによって根絶やしにされることから守るため、アテルイはヤマトの指揮官坂上田村麻呂に降伏を申し出、盟友のモレ共々500騎で京に連行され、802年河内国杜山(現枚方市)で惨殺されたのでした。
 そんな北の勇者たちを顕彰しよう・・・そんな声が岩手を中心にあがったのは、アテルイ没1200年の記念の年のことでした。
 この年に、私たちのアニメ「アテルイ」は完成し、西の地には坂上田村麻呂が願主となって建立された清水寺の一角に、北の地の英雄を顕彰する碑が森貫主様の揮毫で除幕されたのでした。
 それ以降、京都を訪れた時間をぬっては、碑に手を合わせて来ていました。
 久しぶりに訪れた清水寺には、変わらずに「アテルイ・モレの碑」が秋の空を背景に北の誇りを語っていました。
 36年来の思いがかなって完成した「あの日のオルガン」の成功と、アテルイたちが命をかけて守ろうとした平和への願いを込めて、思わず両の手を合わせた京都の朝でした。
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京都の空を彩る鰯雲
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阿弖流為 母禮の碑



 北海道紋別市・・・冬は流氷に覆われるオホーツク海に面した北の港町は、今桜の開花の時を迎えていました。

 3月に沖縄を訪れた時、那覇市は早咲きの桜で彩られていました。

 あれから2ヶ月をかけて、桜は日本列島を縦断した様です。

 「君の笑顔に会いたくて」はやっとその上映の動きを全国に展開し始めていました。

 そして、有難いことに北海道ではその動きに拍車がかかった様で、各地から上映のお声があがり、先週に引き続いての北海道出張となりました。

 ここ紋別は、ずい分以前に息子との思い出を刻んだ町でありました。

 数えれば今から24年前・・・我が息子が中学2年の年の夏休みに、思い立って北海道への自転車旅行を計画。

 フェリーで渡った苫小牧から稚内までの、7日間700kmにおよんだ旅の終盤に一泊したのがここ紋別でした。

 あの日、夕食に立ち寄った居酒屋のおやじさんは津軽出身の方・・・、東北仙台からの親子自転車旅行に大感激して下さり、やおら奥から三味線を出して津軽の歌の数々を披露・・・冷蔵庫からは、とっておきの〝トドの肉〟を出して私達に振る舞って下さったことを記憶しています。

 残念ながらこの店を見つけることは出来ませんでしたが、遠い思い出を振り返りながら、港町の小さな居酒屋のカウンターに身を委ねたのでした。

 あの日、中2の息子も今や1児の父親になり、私は年を重ね老人の域に足を踏み入れましたが、目の前に拡がる仕事は、私の旅の日々を更に前に向けている様です。

 明日は遠軽から士別、そして名寄・・・、桜の桃色と、淡い黄緑色の新緑が混じり合った鮮やかな北の大地を、「君の笑顔に会いたくて」を携えて、駆けて見ようと思うのです。


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紋別の高台から望む朝のオホーツク海

 寒さにふるえた北海道から一転、今日は久し振りに南国沖縄を訪れました。

 空港から降りたったこの地は・・・暖かい!・・・。

 街は、早咲きのヒガン桜の桃色に彩られ、南の地は春からもはや初夏の風情でした。

 小さな国日本ではありますが、南北に連なる弧は、見事に季節の変化を語っていることを身をもって実感させられました。

 「君の笑顔に会いたくて」で訪れた那覇保護観察所では、所長様をはじめ保護司の方々が私をお迎え下さり、この作品の趣旨に幸い皆様ご賛同いただき、県内の関係者に向けた先ずもっての試写会をお約束して下さいました。

 その後お会いした うるま市の方は、原作者大沼さんからご紹介いただいた方、大沼さんのもとをお訪ねし、彼女が展開している自立支援ホーム「ロージーハウス」から学びながら、4月にうるま市に子どもたちのホームの立ち上げの準備をされている方。

 子どもたちの輝く未来を語るこの映画に熱くご賛同いただき、ホーム立ち上げにつなげた上映をこれもお約束して下さいました。

 又、今私が抱えるもう一本の作品「あの日のオルガン」では、沖縄の保育士

の方々15人がお集まりいただき、この企画に寄せる私達の思いを胸を熱くして聞いて下さいました。

 あの戦火の時代に、日本の領土で唯一の地上戦を経験し、数多くの民間人の貴い犠牲を強いられ、そして戦後は、日本にある米軍基地の75%が集中する沖縄・・・。

 この悲しい歴史と現実を抱える沖縄に、それなればこそ「命」「と「平和」を願う心が熱く県民の心に息づいていることをしっかりと心に刻んで、一人那覇の居酒屋で泡盛を傾けたのでした。

 今は、南の地沖縄に吹く春の風が、まもなく北の地にも届けられることを願って・・・。

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沖縄の春を彩るヒガンザクラ

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那覇の街並み


 立春も過ぎて暦の上では春を迎えたと言うのに、日本列島には寒気団が居すわり、いつになく寒さの厳しい毎日が続いています。

 そんな折、更なる寒さを求めるように北海道を訪れていました。
 「君の笑顔に会いたくて」の全国上映の動きが始まっていましたが、この動きは北海道にも拡がり、すでに道内何ヶ所かでの上映準備がスタートし、この対応での北海道訪問でした。

 昨日は札幌から帯広、そして今日は釧路・・・とにかく寒い!
 美川憲一の「釧路の夜」に歌われる幣舞橋のかかる釧路川は、川面がすっかり凍結し、一面に氷の蓮の葉が拡がり、街の中はすっかり凍りついて道はさながらスケート場状態・・・。
 北の街は氷の街となっていました。
 それでも、開かれた試写会とその後の上映実行委員会には多くの方々が足を運んで下さり、映画の感動に頬を染めながら、ご参加者全員の思いで釧路での上映運動は、その成功に向けてスタートを切ることになったのでした。
 スローシネマ方式・・・つくずく手間のかかる上映運動だと思いますが、直接お訪ねし、作品に寄せる思いを語り、上映成功に向けた共感の輪をつなぐことが、上映成功への唯一の道であることを改めて実感して、札幌に向かう夜汽車に寒さにふるえる我が身をゆだねたのでした。
 明日は、訪れる石狩市での上映を必ずや拓こうと心に熱く願いながら・・・。

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凍結の釧路川


 年も押し詰まり、今年も残すところあと5日となってしまいました。

 浦和駅前の喫茶店で手帳をくくりながらこの一年を振り返っていますが、時の流れのあまりの早さに改めて驚かされています。

 こんな早さで時が過ぎて行ったなら…明年70歳を迎えることになる私にとって、この時の流れの早さは、いささか残酷なものとしても実感させられているのです。

 昨日は、長野市保護司会をお訪ねして参りました。

 長野市保護司会があるサポートセンターは、善光寺の裏手にありまして、久し振りに善光寺を訪ねることにもなりました。

 善光寺・・・日本で仏教が諸派に分かれる以前からの寺院で、宗派の別なく宿願が可能な霊場として位置づけられてきた天下の名刹です。

 江戸時代には「一生に一度は善光寺詣り」とも言われ、時代をこえて庶民の信仰を集めて来ました。

 長野市の中心部に位置し、本堂に続く長い参道には数々の店が軒を連ね、長野県の一大観光スポットとしても全国にその名を知られて来ました。

 以前、「じんじん」の全国配給を担当していた時はJSN発足の直前でした。

 ご賛同のいくつかの配給社と配給ネットワークをつくり全国配給に取組んだのでしたが、このネットから外れた空白県がいくつかありました。

 その一つが長野県でした。

 致し方なく、この空白県は私が担当し配給にあたることになりました。

 幸い、長野県ではこの作品を熱く受け止めていただき、上映の輪は県内に大きく拡がって行き、それと平行して私も幾度も長野県を訪れることになりました。

 そして、長野市に宿泊するときは、格段の予定がなければ、早朝に起きて善光寺へお参りをすることがいつの間にか習慣になっていました。

 早朝の、まだ人の姿もほとんど見られない時間帯に、参道を歩いて善光寺をお参りする時、不思議に心安らぐ思いにさせられたものでした。

久し振りに訪れた年末の善光寺は、境内には珍しく人の姿も少なく、昨日まで荒れていた天候も一転して晴天となり、とてもおだやかな姿で私に接して下さいました。

 両の手を合わせ、仏様に今年一年の無事を報告し、来年の一層の努力を誓ったのでした。

 明年は、あの大震災から数えて7年目を迎える年ともなります。

 来たる年が、皆様方にとっても、そして歯を食いしばってあの大惨禍からの再建の努力を重ねて来たシネマとうほくにとっても、幸多い年となることを願わずには居られません。

 本年の数々のご助力を心から感謝致します。

 来年もよろしくお願い申し上げます。


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年末の穏やかな善光寺
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参道には人の姿もまばら




 早いもので今日を過ぎると季節はもはや師走・・・残された僅かな時間に追いたてられる様にして全国を巡る旅を続けていました。

 先週は、広島、岡山、大阪、京都、金沢と西日本を回り、昨日は青森県三沢から盛岡を・・・そして今日は、信州を訪れていました。
 長野県佐久市の市議会議員の方から「君の笑顔に会いたくて」上映についてのご希望が届けられ、その方とお会いするべく、小諸から小海線に乗って佐久市を訪れたのでした。
 車窓から望む冬枯れの野に、取り残された柿の実が、あざやかな橙色を飾っています。
 小海線・・・信州小諸から甲州小淵沢までの79kmを結ぶ高原鉄道・・・路線の西には広い裾野を拡げた八ヶ岳が望まれ、おだやかな山里の風情が拡がる心なごむ鉄道です。
 小海線に乗ると、不思議になつかしい思いにさせられるのは、学生時代に八ヶ岳に幾度も登って来たからなのかも知れません。
 大学一年の夏、秋田県出身の友人と初めての登山を決意して訪れたのが八ヶ岳でした。
 それまでは、近辺の里山しか知らなかった私にとって、3000m近いこの山は、いささかの冒険でもありましたが、23日の山旅で最高峰赤岳の頂上に立ったときの達成感は、その後の私を、山登りにいざなう大きな契機になったのでした。
 東京から比較的近い距離にあるこの山には、その後も幾度か、季節も問わず訪れたのでした。
 あれからもはや50年近い時間が流れていました・・・。
 年を重ねた私は、それでも未だに、より高い高みをめざして登り続けているのかも知れません・・・人の世の幸せを願って・・・。
 久し振りの小海線の、かつてのそれとは違って装いを新たにした車両に身をゆだねて、しばらくの間心安らかに来し方を振り返ったのでした・・・。
 もうしばらくは登り続けて見ようと自らに誓って・・・。
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小海線のホーム