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カテゴリ:映画( 92 )

 「あの日のオルガン」の上映終了地から、ご覧になった方々の感想文集が相次いで送られて来ました。
 一つは、宮城県石巻市から。
 石巻市では、映画をご覧になった、元高校の先生を中心に昨年3月から上映成功に向けたていねいな準備が進められていました。
 その運動の根幹は、従来あった組織を束ねる型の上映実行委員会ではなく、この作品のテーマ一本に絞って、この上映にご賛同いただける幅広い、個人の結集を目指したことでした。
 この運動は、時間をかけながら市内に拡がり、迎えた上映は1300名の市民にご参加いただき、これまでの全国上映中、何と観客数9位の素晴らしい結果となりました。
 そしてこの上映は、9年を過ぎてもいまだに数々の困難をかかえている被災地の、心の自立にも寄与するものとなったのでした。
 その感想文集の中には・・・〝「あの日のオルガン」を観て3日が経ちました。この3日間、感動が忘れられず、居ても立ってもいられなかったのでお手紙を書くことにしました…〟こんな前置での長文のご感想が・・・そして最後には…〝まだまだ言いたいことはありますが、この映画に触れて戦争の恐ろしさを知りました。私一人だけでも何か活動出来ればいいなと思いました〟(25才女性)
 そしてもう一か所は、疎開先の蓮田市から。
 蓮田市では市長さんを先頭に実行委員会がつくられ、人口の20% 1万人市民にご覧いただきく、まさに全国トップの上映となったのでしたが、そのうち4500人は市内の全小中生でした。
 その子どもたちの感想文集でした。
 目を通して胸が熱くなりました。
 2時間に及ぶこの作品は、小学生低学年の子どもたちの心にも平和への願いを確実に刻んだのでした。

 〝けんちゃんがかわでいしをなげているところでないちゃいました。わけは、かわいそうだなとおもったからです。
 ぼくは、このえいがをみてかなしいなとおもいました。
 それは、せんそうでひとりになっちゃうかもしれないからです。
 せんそうはきらいです。〟(小1男)
 
 〝1944年はすごいせんそうがあっておどろきました。このお話が本当にあったのがこわかったです。1944年にいた人たちは、すごいくろうをしているので、少しかわいそうだなと思って3、4回ないてしまいました。
 お母さんたちにも見せてあげて、せんそうの話をしってもらいたいです。〟(小2女)

 この映画は、戦争を知らない若い世代にも、そして今を生きる幼いこどもたちの胸にもかけがえのないものを確実に語った様です。
 コロナで動けない日々を送っていた私に、この感想は1日も早い仕事再開への願いも熱く語ってくれました。
        「オルガン」感想文集_a0335202_11581965.jpg




by cinema-tohoku | 2020-03-26 12:02 | 映画 | Comments(0)
 「コロナ」で空いてしまった時間を利用して、一本の映画を観ました。
 「プリズン・サークル」、島根県にある官民協働の刑務所「島根あさひ社会復帰促進センター」を描いたドキュメント作品です。
 この映画は、「あの日のオルガン」の製作の折、市民プロデューサーとしてご支援いただいた、東京恵比寿駅前で精神科医をされているYさんからのご紹介でした。
 私たちJSNでは、「あの日のオルガン」の一作前に、「君の笑顔に会いたくて」の製作と全国上映を手がけました。
 この作品は、宮城県名取市在住の女性保護司をモデルに、保護司に支えられながら犯罪から立ち直る青年の姿を描いた作品でした。
 実は、保護司を主人公にした映画は日本映画初のこと、そして事は国の法務に関ることでしたので、企画段階で先ずは法務省保護局の担当課長さんをお訪ねし、法務省のご協力をお願いすることから一歩を踏み出しました。
 いくつかの問題もございましたが、幸い法務省はご支援のお立場に立って下さり、そのお力もあって、全国上映は大きな成果となって今も続いていました。
 その時の経験からも、いわゆる〝お固い〟法務省が民間の知恵と力を導入して、こんな刑務所をつくり、更にはその中で、受刑者同士の対話を通して、受刑者の心の自立と更生への道を探っている事に驚かされました。
 「君の笑顔に会いたくて」全国上映の折にも語られたスローガン〝再犯防止〟・・・この実現にあたっても、この実践が大きな力となっていることも知らされました。
 この映画のラストで、刑期を終えて刑務所を出た一人の青年が、力強く広島駅へ更生の一歩を踏み出して行く姿は、昨今の暗い世相に暗澹たる思いでおりました私に、一筋の希望の光ともなって胸に伝わって来ました。
 ご観賞をおすすめ致します。
       映画「プリズン・サークル」_a0335202_17275305.jpg
プリズン・サークル


by cinema-tohoku | 2020-03-19 17:30 | 映画 | Comments(0)
 参りました!
 「コロナウィルス」が国中にまん延して、そのあおりを受けて映画の上映会の中止や延期が相次いでいます。
 私たちが心を込めて製作、そして全国上映運動に向けた努力を重ねていた作品は「あの日のオルガン」でした。
 この作品、完成後の作品のご評価はとても素晴らしいものでした。
 しかしながら、全国上映スタートの頃、その作品評が上映の拡大や、観客数に、必ずしもつながらずに苦慮していました。
 それでもあきらめずに一歩ずつの歩みを重ね、やっとその上映に光が差し込んで来たか、に見えました。
 宮城県石巻では、1300名の感動の上映会…東京北区でも、会場に入りきれない程の1100名の上映会…山梨県南アルプス市、長崎県南島原市・佐世保市、いずれもが1000名の上映・・・。
 この経験に学んで更に全国に…そう意気込んでいた矢先の出来事でした。
 イベント自粛の影響で、日増しにその状況は悪化、結果としては進行中の上映は全滅となってしまいました。
 私たちの「スローシネマ上映運動」は、長い時間をかけた、ていねいな運動の積み重ねの上に上映が実現します。
 その上映が一瞬のうちに消えてなくなる・・・まさに身を切られる様な無念な思いにさせられています。
 今から9年前、私たちは東日本大震災に遭遇しました。
 あの時、石巻を舞台に完成したばかりの映画「エクレール~お菓子放浪記」をかかえて私たちは、手もあてられない程の被災地の惨状を前に立ち尽くしていました。
 それでもそこから立ち上がり、ここまで歩んで来られたのは、あの被害が東日本一帯に限られていたこともありました。
 それに引き換えるならこの度は全国・・・。
 果たして、この先にどんな道が拡がっているのか…不安な思いの毎日です。
 それでも…この大流行がいつの日にかは終息することを願って・・・今はただ耐えてみようと思っています。
 9年前、あの日から耐え忍びながらここまで歩んで来たのですから。
「コロナ」_a0335202_15242971.jpg
映画「あの日のオルガン」より


by cinema-tohoku | 2020-03-03 15:25 | 映画 | Comments(0)
 「あの日のオルガン」上映運動実現の願いを携えて、三日月滋賀県知事とご面会したのは、昨年の5月のことでした。
 幸い上映運動へのご賛同をいただき、それ以降丁寧に時間をかけながら準備をして来た、滋賀県での「オルガン」上映運動は、琵琶湖畔のまち東近江市からスタートを切ることになりました。
 昨日は、市のお呼びかけに応えて、約30人の市内各団体の代表の方々がお集まりになっての「あの日のオルガン」東近江市上映実行委員会発会総会が開かれ、市からご提案の2000名市民参加の上映運動を全員一致で決定、滋賀県全県上映運動はいよいよそのスタートを切ることになりました。
 そして明けて翌日は、南国宮古島へ・・・東京でこの映画をご覧になった、たった一人の女性の〝宮古島での上映を実現したい!〟・・・こんな願いが一歩一歩、市内にご賛同の輪を拡げて、この日は上映成功に向けた試写会でした。
 東近江では、冷たい風にコートの襟を立てていたのに、南の島はもはや初夏の装い、あざやかな色彩の花々が咲き、野の緑はその色を深めていました。
 ホテルに荷を解き、コートを置いての試写会場までの30分の道のりは、うっすらと汗ばむには充分な陽気でした。
 それにしても、「オルガン」の上映は、まことに多様な形で展開しています。
 行政が呼びかけてご賛同の団体でつくられる実行委員会…この映画を観て欲しい、その一点で個人が手を結んだ実行委員会…大学保育科の先生が呼びかけて、地域につくられた上映運動…国際ソロプチミストが主催した上映…。
 この作品が、こんなにも多様な方々の共感を得ているのは、子どもたちの健やかな未来が、それ程危機的な状況におかれていることの証左なのかも知れませんし、又この作品が、観る者の胸に子どもたちの命の輝きを語らずにはいられない…そんな反映なのかも知れません。
 全国に向けた上映が始まって一年…、「オルガン」はまもなくその上映を300ヶ所に拡げて、子どもの命と平和への願いを響かせています。
 ゆっくりと、時間をかけながら、人と人との心をつなぎながら…。
       多様な上映_a0335202_17403425.jpg
沖縄の春を彩るハイビスカス


by cinema-tohoku | 2020-02-06 17:46 | 映画 | Comments(0)
 明治初期、すさまじいばかりの女性への差別を乗り越えて、日本初の女医となった荻野吟子の生涯を描いた作品が完成しました。
 この作品の製作と監督を手掛けたのは、現代ぷろだくしょんの山田火砂子さん…、ご本人ご自身も戦後、数々の性差別を乗り越えて来た、何と御年88歳を数えるお方でした。
 私にとって山田監督は大先輩、勿論のこと以前から存じ上げていましたが、お仕事でご一緒したのは彼女の前作「母」の東北地区配給を担当したことが、初めてのお付き合いとなりました。
 幸い「母」は、民主主義の発展を願う多くの市民の方々と手をつないだ上映運動となり、その東北地区上映は、全国でも特筆される素晴らしい結果となりました。
 そして、「母」に引き続いて山田監督が製作された「一粒の麦」についても配給のご要請が届けられ、東京中野ゼロで行われた完成披露上映会で、私はこの作品と初めて向かい合うこととなったのでした。
 荻野吟子については、そのお名前を知る程の知識しかなかった私にとって、スクリーンに展開される、日本での根深いまでの女性差別の実態、そしてそれを乗り越えて、自らの信念でその道を拓いた荻野吟子の生き方は、主役を務めた若村麻由美の好演もあって、私の胸に深い感動となって伝わり、上映が終了した時には、この作品の配給を決意していました。
 男女共同参画の実現が語られながら、日本での女性の社会的地位は、いまだに低いままに置かれていましたが、その中でも医学界では、はなはだしい実態…。
 日本での女性医師の割合は、OECD加盟国中何と最下位の20%、…まだ記憶に新しい医科大学への入学試験での女性差別の現実…。
 この作品は、こんな時代にありながら、日本初の女性医師を目指した荻野吟子の生き様が、観る者に強烈な印象を与える作品となりました。
 先日、現代ぷろだくしょんを訪れ、山田監督とお会いして参りました。
 山田さんは、大ヒットのうちに上映をスタートさせた本作の動きを、満面の笑顔で語りながら、次の作品は、本格的に性差別と向かい合った作品をつくりあげる…と、熱く次回作の構想まで語って下さいました。
 女性は強い!
      映画「一粒の麦-荻野吟子の生涯」_a0335202_16160106.jpg
©現代ぷろだくしょん   映画「一粒の麦-荻野吟子の生涯」

by cinema-tohoku | 2020-01-24 16:18 | 映画 | Comments(0)
 時間の流れの余りの早さには驚かされるばかり・・・又、師走の節が巡って来ました。
 改めて手帳を開いて今年を振り返って見れば、それはまさに「あの日のオルガン」一色に彩られた一年でした。
 この作品は、はじめの頃はなかなかに動きが重く、その展開をいささか心配していましたが、やっと動きが見えて来た様に思えて来ました。
 決して派手ではないが、それでも上質なこの作品が全国に届くのには、これ位の時間が必要だったのかも知れません。
 昨日からは、「オルガン」を携えて長野県を訪れていました。
 昨夜は松本市での初の試写会、何人かの方々にご覧いただいて、松本市上映実現にご賛同いただけるなら、上映に向けた動きをおこそうとの〝先ずもっての試写会〟でした。
 この動きのきっかけも、まさに手渡し・・・。
 前橋でご覧になった方が大感激・・・松本でチェルノブイリ支援活動をされている友人の方にお電話・・・その方とのご相談で実現した試写会でした。
 この試写会には、多彩な年齢層の方25人程が参加して下さり、スクリーンで展開されるドラマを涙をぬぐいながらご覧いただきました。
 そして、幸いにも皆様方のご賛同を得て、松本上映はその成功に向けて動き出すことになりました。
 また、昨夜は遠く上田市からご参加の方が・・・。
 何と、疎開保育園の保母さんだった福地トシ先生が立ち上げた井の頭保育園に息子さんを通わせていて、福地先生とお会いしていたと・・・。
 上映後、上田市での上映実現を熱く語って下さいました。
 明けて今日は、塩尻市での〝先ずもっての試写会〟。
 これ以外にも、松川町・大町市での上映実現に向けた準備が始められるなど、やっとオルガンの音は、信州に響き始めたことも実感させられています。
 私達は、今の時代に生きる自主的な上映運動を「スローシネマ上映運動」と名付けて、これまでもいくつかの作品の全国上映を展開して来ました。
 その中でも、「オルガン」は際立ってスローシネマなのかも知れません。
 あきらめずに・・・ていねいに・・・。
 「オルガン」の上映の輪は、来年にも引き継がれて行きます。
        スローシネマ_a0335202_14023439.jpg
朝の松本城



by cinema-tohoku | 2019-12-06 14:03 | 映画 | Comments(0)
 多くの方々の手に支えられて昨年7月完成し、その上映の輪を全国に拡げている映画「あの日のオルガン」・・・、戦火から子どもたちの命を守るため、全国初の保育園の地方への疎開を行い、子どもたちの命を守り抜いた保母たちの奮闘の史実にもとづく映画です。
 この疎開保育園は、約一年におよぶ保母たちの苦闘のドラマでしたが、その疎開生活を全身全霊の努力で支えた保母は11名・・・その全てが20歳前後の若い娘たちでした。
 疎開保育園で子どもたちの命を守り抜いた保母たちは戦後、平和なそして民主主義の時代に、新たな保育の未来をつくるべくそれぞれの地域に飛び出し、戦後日本の保育運動のトップランナーとなってゆきました。
 青空保育園からスタートして、東京北区に豊川保育園を立ち上げた畑谷光代先生…。
 東京都三鷹市に井の頭保育園をつくり、その卒園式には必ず、東京大空襲で孤児になった疎開保育園の「健ちゃん」のお話を卒園児に語り続けていた福地トシ先生・・・。
 労働者クラブ生協の保育園を経て、神谷保育園をつくった福光えみ子先生…。
 そのお一人お一人の、変らぬ子どもと向かい合う情熱が、戦後の日本の保育のページを刻んできたのでした。
 そして戦争が終わってから74年・・・、そんな保母さんたちも一人、そしてまた一人と他界されて行きました。
 そして・・・、最後に残ったお一人が、先日静かに旅立たれました。
 伊井澄子先生・・・疎開保育園の保母の中では一番若い、当時は19歳の娘でした。
 東京で開催された、ある団体の上映会にご参加の方からご連絡がありました。
 伊井先生が最後に勤務された東京白金幼稚園の先生で、伊井先生のお世話をされているHさんからのご連絡でした。
 伊井先生がこの映画の完成を喜ばれて、是非観てみたい・・・DVDをしばらく貸して欲しい・・・とのご要請でした。
 よろこんでDVDをお送りして、伊井先生のご観賞のご報告をお待ち致しておりました。
 しかしながら・・・叶いませんでした・・・お体の具合が日々よろしくなく、映画をご覧いただけないままに息を引き取られた、とのお知らせがございました。
 最後まで〝保育はね・・・〟と、保育をお心にかけながらの旅立ちだったとのことでした。
 それでも、映画は完成し、あの時の保母たちが心を込めて語った〝子どもの命と平和〟への願いは全国に大きな輪と
なって拡がっています。
 合掌・・・。
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映画「あの日のオルガン」


by cinema-tohoku | 2019-11-29 18:09 | 映画 | Comments(0)
 阿寒湖から始まった北海道の旅、明けて翌日は、国際ソロプチミスト釧路アミティが主催した「あの日のオルガン」の釧路での試写会でした。
 以前、札幌の試写会でご覧になった、市議会議員の会員さんが大感激、今年創立25年を迎える会の記念行事での上映を・・・そんな願いで開かれた試写会でした。
 試写会には、会場をいっぱいに埋めた、市内各団体の90名の方がご参加、流れる涙をぬぐいながら上映の成功を誓い合う試写会となりました。
 本番の上映は12月8日、78年前の日米開戦の記念の日に、平和を願う北海道第一号の旗が釧路に立つことになりました。
 そして翌日は名寄市・・・。
 ことの始まりは、名寄市立大学保育科の先生が学生さんを連れて札幌の映画館でこの映画をご覧になったことからでした。
 幸い、お二人とも映画に大感激、私にご連絡をとって下さり、以前お二人とお会いして、上映の仕組みと進め方をお伝えしていました。
 数日経って学生のY君からお電話が・・・学生が中心になって名寄市上映を実現したい、相談にのってくれ・・・とのことでした。
 それでは、先ずもって何人かお仲間に集まってもらい、映画をご覧いただくことから準備を始めよう・・・こんな経過でのこの度の試写会でした。
 試写会には、5人の学生さんと一人の先生にご参加いただき、上映終了後は、感動で頬を染めた若き学生さんたちから、私たちの手で名寄市民に向けた上映会を実現したい・・・そんな熱い思いが語られ、全員一致でその歩みはスタートをすることになったのでした。
 現代の若者たちを巡っては、必ずしも積極的ではない話題も数多く語られている現代・・・それでも語られた若き学生たちの決意は私の胸を熱くさせました。
 〝子どもの命と平和〟を願うもう一つの旗は、道北の若者たちの手で高らかに掲げられようとしています。
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若者たちが学ぶ名寄市立大学



by cinema-tohoku | 2019-10-08 17:27 | 映画 | Comments(1)
 「あの日のオルガン」には、2つの「ご当地」があります。
 一つは、戦火から逃れた子どもたちを受け止めた埼玉県平野村(現蓮田市)、そしてもう一つは、戸越保育所があった東京都品川区です。
 いずれの地でも、この映画製作企画を喜びをもって受け止めていただき、支援の運動は始まっていました。
 一歩先に上映の実現となったのは蓮田市、市民の運動に市も賛同し、以前のブログでご紹介した素晴らしい上映会となりました。
 そしてこれに続いて品川区でも、区民に向けた上映の動きが始まりました。
 幾度かにわたるていねいなご議論を経て、品川区上映に向けた実行委員会と試写会が開催されたのは8月20日、全国でも有名な元気な商店街「戸越銀座商店街」の一角にある、古い歴史のお寺の集会室でのことでした。
 当日は、あいにくの天候にもかかわらず、会場立錐の余地もない程多くの区民の方々がお集まりになり開会となりました。
 そして、この日の運動のスタートにおいでいただいたご来賓の方々は、まさにオールスター、とても賑やかなスタートとなりました。
 蓮田からは、「市民の会」を代表して2名の方、東京福祉大学の先生でライフワークとして「疎開保育」を研究されてきた西脇先生、立川からは、長年公立保育所に勤務されてきた大ベテランの先生が、そして、疎開保育園の園児で、3月10日の東京大空襲で孤児になった「健ちゃん」・・・。
 試写会が始まる前に、皆様方から語られるこの作品の今日的な意義に、ご参加者の方々は、上映成功への思いを一つにされた様でした。
 蓮田市に、そして品川区に・・・「オルガン」の2つの「ご当地」にあがった旗は、〝子どもの命と平和〟を願いながら、更に全国へとその輪を大きく拡げているのです。
        「オルガン」品川区上映_a0335202_16564853.jpg
品川区実行委員会

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戸越銀座商店街



by cinema-tohoku | 2019-09-02 17:35 | 映画 | Comments(0)
 「あの日のオルガン」の製作企画を始めていた頃、是非観たい、と願っていた記録映画がありました。
 「或る保姆の記録」、発足間もない戸越保育所での子どもたちの生活を描いた作品です。
 戸越保育所が幼い子どもたちの命を育んでいたのは、東京都品川区でした。
 この地区は、大井町駅を中心とした、小さな工場が林立する労働者の街でもありました。
 戸越保育所の創設者となった大村栄之助・鈴子さんご夫妻は、労働者に心寄せるお二人でもあって、労働者の子どもを育てる場を・・・、そんな夢が実現して発足した戸越保育所でした。
 「或る保姆の記録」は、大村栄之助さんがその後、芸術映画社を立ち上げ、自らプロデュースして、戸越保育所での子どもたちの生活を見事に描いた作品でした。
 幸いこの作品が、私が以前勤務していた共同映画の倉庫にあることが分かり、共同映画のご好意で作品を拝見しました。
 作品は、大井町駅からはき出され、それぞれの職場に向かう、当時の労働者の姿が、生き生きと映し出される朝のシーンから始まります。
 そして、その後に展開される戸越保育所の生活には、戦争の影は全くなく、保母が父母と連携をとりながら、子どもたちと向かい合う姿が生き生きと描かれて行くのです。
 この作品の製作年は1942年・・・。
 この前年が日米開戦でしたから、日本中が戦争に狂奔していたあの時代に、よくぞここまでの製作を貫き通せたものだと・・・。
 製作者たちの平和への願いと、子どもたちへの深い愛情がにじみ出る作品でした。
 子どもたちの健やかな、そして平和な未来を願う戸越保育所の子育て理念が、1942年一本の優れた記録映画となり、そしてそれから77年を経て、今又、一本の劇映画として結晶した・・・。
 この保育所の創設者の思いも深く胸に刻みながら、「オルガン」の全国への旅を続ける私であります。
      記録映画「或る保姆の記録」_a0335202_10252247.jpg
或る保姆の記録


by cinema-tohoku | 2019-08-27 10:27 | 映画 | Comments(0)