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カテゴリ:映画( 87 )

 時間の流れの余りの早さには驚かされるばかり・・・又、師走の節が巡って来ました。
 改めて手帳を開いて今年を振り返って見れば、それはまさに「あの日のオルガン」一色に彩られた一年でした。
 この作品は、はじめの頃はなかなかに動きが重く、その展開をいささか心配していましたが、やっと動きが見えて来た様に思えて来ました。
 決して派手ではないが、それでも上質なこの作品が全国に届くのには、これ位の時間が必要だったのかも知れません。
 昨日からは、「オルガン」を携えて長野県を訪れていました。
 昨夜は松本市での初の試写会、何人かの方々にご覧いただいて、松本市上映実現にご賛同いただけるなら、上映に向けた動きをおこそうとの〝先ずもっての試写会〟でした。
 この動きのきっかけも、まさに手渡し・・・。
 前橋でご覧になった方が大感激・・・松本でチェルノブイリ支援活動をされている友人の方にお電話・・・その方とのご相談で実現した試写会でした。
 この試写会には、多彩な年齢層の方25人程が参加して下さり、スクリーンで展開されるドラマを涙をぬぐいながらご覧いただきました。
 そして、幸いにも皆様方のご賛同を得て、松本上映はその成功に向けて動き出すことになりました。
 また、昨夜は遠く上田市からご参加の方が・・・。
 何と、疎開保育園の保母さんだった福地トシ先生が立ち上げた井の頭保育園に息子さんを通わせていて、福地先生とお会いしていたと・・・。
 上映後、上田市での上映実現を熱く語って下さいました。
 明けて今日は、塩尻市での〝先ずもっての試写会〟。
 これ以外にも、松川町・大町市での上映実現に向けた準備が始められるなど、やっとオルガンの音は、信州に響き始めたことも実感させられています。
 私達は、今の時代に生きる自主的な上映運動を「スローシネマ上映運動」と名付けて、これまでもいくつかの作品の全国上映を展開して来ました。
 その中でも、「オルガン」は際立ってスローシネマなのかも知れません。
 あきらめずに・・・ていねいに・・・。
 「オルガン」の上映の輪は、来年にも引き継がれて行きます。
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朝の松本城



by cinema-tohoku | 2019-12-06 14:03 | 映画 | Comments(0)
 多くの方々の手に支えられて昨年7月完成し、その上映の輪を全国に拡げている映画「あの日のオルガン」・・・、戦火から子どもたちの命を守るため、全国初の保育園の地方への疎開を行い、子どもたちの命を守り抜いた保母たちの奮闘の史実にもとづく映画です。
 この疎開保育園は、約一年におよぶ保母たちの苦闘のドラマでしたが、その疎開生活を全身全霊の努力で支えた保母は11名・・・その全てが20歳前後の若い娘たちでした。
 疎開保育園で子どもたちの命を守り抜いた保母たちは戦後、平和なそして民主主義の時代に、新たな保育の未来をつくるべくそれぞれの地域に飛び出し、戦後日本の保育運動のトップランナーとなってゆきました。
 青空保育園からスタートして、東京北区に豊川保育園を立ち上げた畑谷光代先生…。
 東京都三鷹市に井の頭保育園をつくり、その卒園式には必ず、東京大空襲で孤児になった疎開保育園の「健ちゃん」のお話を卒園児に語り続けていた福地トシ先生・・・。
 労働者クラブ生協の保育園を経て、神谷保育園をつくった福光えみ子先生…。
 そのお一人お一人の、変らぬ子どもと向かい合う情熱が、戦後の日本の保育のページを刻んできたのでした。
 そして戦争が終わってから74年・・・、そんな保母さんたちも一人、そしてまた一人と他界されて行きました。
 そして・・・、最後に残ったお一人が、先日静かに旅立たれました。
 伊井澄子先生・・・疎開保育園の保母の中では一番若い、当時は19歳の娘でした。
 東京で開催された、ある団体の上映会にご参加の方からご連絡がありました。
 伊井先生が最後に勤務された東京白金幼稚園の先生で、伊井先生のお世話をされているHさんからのご連絡でした。
 伊井先生がこの映画の完成を喜ばれて、是非観てみたい・・・DVDをしばらく貸して欲しい・・・とのご要請でした。
 よろこんでDVDをお送りして、伊井先生のご観賞のご報告をお待ち致しておりました。
 しかしながら・・・叶いませんでした・・・お体の具合が日々よろしくなく、映画をご覧いただけないままに息を引き取られた、とのお知らせがございました。
 最後まで〝保育はね・・・〟と、保育をお心にかけながらの旅立ちだったとのことでした。
 それでも、映画は完成し、あの時の保母たちが心を込めて語った〝子どもの命と平和〟への願いは全国に大きな輪と
なって拡がっています。
 合掌・・・。
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映画「あの日のオルガン」


by cinema-tohoku | 2019-11-29 18:09 | 映画 | Comments(0)
 阿寒湖から始まった北海道の旅、明けて翌日は、国際ソロプチミスト釧路アミティが主催した「あの日のオルガン」の釧路での試写会でした。
 以前、札幌の試写会でご覧になった、市議会議員の会員さんが大感激、今年創立25年を迎える会の記念行事での上映を・・・そんな願いで開かれた試写会でした。
 試写会には、会場をいっぱいに埋めた、市内各団体の90名の方がご参加、流れる涙をぬぐいながら上映の成功を誓い合う試写会となりました。
 本番の上映は12月8日、78年前の日米開戦の記念の日に、平和を願う北海道第一号の旗が釧路に立つことになりました。
 そして翌日は名寄市・・・。
 ことの始まりは、名寄市立大学保育科の先生が学生さんを連れて札幌の映画館でこの映画をご覧になったことからでした。
 幸い、お二人とも映画に大感激、私にご連絡をとって下さり、以前お二人とお会いして、上映の仕組みと進め方をお伝えしていました。
 数日経って学生のY君からお電話が・・・学生が中心になって名寄市上映を実現したい、相談にのってくれ・・・とのことでした。
 それでは、先ずもって何人かお仲間に集まってもらい、映画をご覧いただくことから準備を始めよう・・・こんな経過でのこの度の試写会でした。
 試写会には、5人の学生さんと一人の先生にご参加いただき、上映終了後は、感動で頬を染めた若き学生さんたちから、私たちの手で名寄市民に向けた上映会を実現したい・・・そんな熱い思いが語られ、全員一致でその歩みはスタートをすることになったのでした。
 現代の若者たちを巡っては、必ずしも積極的ではない話題も数多く語られている現代・・・それでも語られた若き学生たちの決意は私の胸を熱くさせました。
 〝子どもの命と平和〟を願うもう一つの旗は、道北の若者たちの手で高らかに掲げられようとしています。
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若者たちが学ぶ名寄市立大学



by cinema-tohoku | 2019-10-08 17:27 | 映画 | Comments(1)
 「あの日のオルガン」には、2つの「ご当地」があります。
 一つは、戦火から逃れた子どもたちを受け止めた埼玉県平野村(現蓮田市)、そしてもう一つは、戸越保育所があった東京都品川区です。
 いずれの地でも、この映画製作企画を喜びをもって受け止めていただき、支援の運動は始まっていました。
 一歩先に上映の実現となったのは蓮田市、市民の運動に市も賛同し、以前のブログでご紹介した素晴らしい上映会となりました。
 そしてこれに続いて品川区でも、区民に向けた上映の動きが始まりました。
 幾度かにわたるていねいなご議論を経て、品川区上映に向けた実行委員会と試写会が開催されたのは8月20日、全国でも有名な元気な商店街「戸越銀座商店街」の一角にある、古い歴史のお寺の集会室でのことでした。
 当日は、あいにくの天候にもかかわらず、会場立錐の余地もない程多くの区民の方々がお集まりになり開会となりました。
 そして、この日の運動のスタートにおいでいただいたご来賓の方々は、まさにオールスター、とても賑やかなスタートとなりました。
 蓮田からは、「市民の会」を代表して2名の方、東京福祉大学の先生でライフワークとして「疎開保育」を研究されてきた西脇先生、立川からは、長年公立保育所に勤務されてきた大ベテランの先生が、そして、疎開保育園の園児で、3月10日の東京大空襲で孤児になった「健ちゃん」・・・。
 試写会が始まる前に、皆様方から語られるこの作品の今日的な意義に、ご参加者の方々は、上映成功への思いを一つにされた様でした。
 蓮田市に、そして品川区に・・・「オルガン」の2つの「ご当地」にあがった旗は、〝子どもの命と平和〟を願いながら、更に全国へとその輪を大きく拡げているのです。
        「オルガン」品川区上映_a0335202_16564853.jpg
品川区実行委員会

        「オルガン」品川区上映_a0335202_16425639.jpg
戸越銀座商店街



by cinema-tohoku | 2019-09-02 17:35 | 映画 | Comments(0)
 「あの日のオルガン」の製作企画を始めていた頃、是非観たい、と願っていた記録映画がありました。
 「或る保姆の記録」、発足間もない戸越保育所での子どもたちの生活を描いた作品です。
 戸越保育所が幼い子どもたちの命を育んでいたのは、東京都品川区でした。
 この地区は、大井町駅を中心とした、小さな工場が林立する労働者の街でもありました。
 戸越保育所の創設者となった大村栄之助・鈴子さんご夫妻は、労働者に心寄せるお二人でもあって、労働者の子どもを育てる場を・・・、そんな夢が実現して発足した戸越保育所でした。
 「或る保姆の記録」は、大村栄之助さんがその後、芸術映画社を立ち上げ、自らプロデュースして、戸越保育所での子どもたちの生活を見事に描いた作品でした。
 幸いこの作品が、私が以前勤務していた共同映画の倉庫にあることが分かり、共同映画のご好意で作品を拝見しました。
 作品は、大井町駅からはき出され、それぞれの職場に向かう、当時の労働者の姿が、生き生きと映し出される朝のシーンから始まります。
 そして、その後に展開される戸越保育所の生活には、戦争の影は全くなく、保母が父母と連携をとりながら、子どもたちと向かい合う姿が生き生きと描かれて行くのです。
 この作品の製作年は1942年・・・。
 この前年が日米開戦でしたから、日本中が戦争に狂奔していたあの時代に、よくぞここまでの製作を貫き通せたものだと・・・。
 製作者たちの平和への願いと、子どもたちへの深い愛情がにじみ出る作品でした。
 子どもたちの健やかな、そして平和な未来を願う戸越保育所の子育て理念が、1942年一本の優れた記録映画となり、そしてそれから77年を経て、今又、一本の劇映画として結晶した・・・。
 この保育所の創設者の思いも深く胸に刻みながら、「オルガン」の全国への旅を続ける私であります。
      記録映画「或る保姆の記録」_a0335202_10252247.jpg
或る保姆の記録


by cinema-tohoku | 2019-08-27 10:27 | 映画 | Comments(0)
 振り返れば、蓮田市の製作上映運動は、そのスタートから2年を数えていました。
 戦火から逃れて来た、53人の幼い命を守った、誇り高い蓮田の歴史を語ろうとする運動は、劇場上映に引き続く第2次上映の全国トップを切って行われ、その上映は見事な大輪の花を咲かせたのでした。
 初めにこの運動のお声をあげたのは、心やさしき市民の方々でした。
 〝子どもの命と平和〟を語るこの作品を完成させ、蓮田の地から全国に発信しようとした市民の方々は、〝支える会〟をつくり、この映画の製作支援活動を展開して下さいました。
 そんな願いは、急速に数多くの市民の方々のご賛同となり、市をも巻き込んだ運動として育って行きました。
 こんなご支援に支えられて完成した作品を、次の課題として多くの市民の胸に届けようと、〝支える会〟と市が中心になって、映画「あの日のオルガン」蓮田市上映実行委員会が結成されたのは、本年2月のことでした。
 子どもたちの健やかな成長に赤信号が灯った現代社会に、子どもの命の輝きを語ろうとした実行委員会の皆様は、その観客目標を何と人口(5万人)の20%、10,000名に設定して、その歩みを始めたのでした。
 こんな市民の情熱に応えて下さったのが、蓮田市と蓮田市教育委員会でした。
 〝子どもの命と平和〟を語り、そしてあの戦火から幼い命を守った故郷の歴史を、蓮田の未来を担う子どもたちの胸に伝えようと、市内全小中学生の観賞を決定して下さったのでした。
 この決定に心を強くした実行委員会の皆様は、市民に向けて前売り券の販売活動を展開して行ったのでした。
 そして迎えた4日間にわたった蓮田市上映会は、入場者数4200名の熱い心の輪となってつながったのでした。
 さかのぼる2月に行われた映画館上映では、1300人の蓮田市民の方々が既に鑑賞していましたので、小中学生4500名を加えるなら、その総数は目標としてかかげた何と10,000名!
 閉塞感でいっぱいになってしまった現代社会に灯った〝子どもの命と平和〟を願う灯は、蓮田の地に誇り高くかかげられたのでした。
        「あの日」蓮田市上映大成功!!_a0335202_17161312.jpg
蓮田市上映


by cinema-tohoku | 2019-08-06 17:19 | 映画 | Comments(0)
 伊集院静さん原作の、15年ぶりとなる一本の映画が完成しました。
 「駅までの道をおしえて」、愛犬を失った8歳の少女と、若い頃に最愛の息子を失った老人・・・、その死を受け入れることが出来ない二人が、ひたすたに命の輝きを求めようとする物語です。
 10月から劇場で公開されるこの作品の劇場上映後の配給について、製作者からのご相談が持ち込まれ、足を運んだ現像所での初号試写会でした。
 会場が暗転して、スクリーンに映画が映し出されるや・・・冒頭から驚きでした。
 この作品と向かい合った監督は、揺れ動く少女の心情を、アップのそして長回しのカメラワークで追って行くのです。
 そして、この作品で8歳ながら堂々たる主役をつとめた新津ちせちゃんは、この監督の思いに見事な演技で応えたのでした。
 ドラマが進行するにつれ、少女の悲しみは私の胸にもしみ込む様に伝わり、思わず胸が熱くなるのを禁じ得ませんでした。
 〝子役〟に感じさせられるいわゆる〝あざとさ〟は全くなく、一貫してピュアな姿勢でこの役に向かい合うちせちゃんに、まさに脱帽でありました。
 見終わった私の胸には〝命のきらめき〟そして〝死をおそれずに受け入れる〟・・・そんな思いがスクリーンから手渡されたのでした。
 人の命が、まるで鴻毛よりも軽くもて遊ばれ、目をおおう様な出来事が日々報じられる現代社会に、この作品は、きらめくばかりの〝命の輝き〟を伝える作品として、際立って今日的な意義もはらみながら生まれたのだと思えるのです。
 ちなみに、新津ちせちゃんは、アニメ監督新海誠さんの愛娘・・・この才能はやはり親ゆずりのものなのかも・・・。
       映画「駅までの道をおしえて」_a0335202_15360566.jpg
伊集院 静「駅までの道をおしえて」


by cinema-tohoku | 2019-07-17 15:37 | 映画 | Comments(0)
 こんな名前の団体があることをご存知ですか。
 故、日野原重明先生が呼びかけられて発足した組織で、知的で生き生きとしたシニアをめざそう、との願いで全国に拡がった組織です。
 こんな素晴らしい理念を掲げて活動を続けて来た「新老人の会宮城」の方から、「あの日のオルガン」について会員の前で話して欲しい、とのご要請を受けました。
 仙台の映画館でご覧になった会員の方からのご希望だった、とのお話でした。
 人様の前でお話をすることは、私の本業ではありませんでしたので、いささかの躊躇はございましたが、熱いご依頼を受けては、もはやお断りをすることも出来ず、お引き受けしてのぞんだ当日でした。
 会場には、各方面でご経験を積んで来られたことを推測させる、30数名の方々においでいただき、一時間を超える私の話にお耳を傾けて下さいました。
 話の終了後、会場の方々からは、〝情熱たっぷりの話に感動した・・・。〟〝一本の映画をつくるのに、沢山の人の手が合わさっていることが良く分かった・・・。〟など、過分な評価のご発言もいただき、ホッと胸をなでおろした私でありました。
 会の始まる前にお聞きしましたら、新老人の会宮城会員の平均年齢は80歳とのこと。
 年を重ねても、知的な好奇心を旺盛にして、社会に向けてその持てる経験とおとろえない力量を発揮し続ける会員の方々の生き方に、私が学ばせていただいた一日でもありました。
 年も70年を数え、肉体的な衰えを実感しながら、仕事に向かい合う私にとって、諸先輩達のこんな生き方は、とても刺激的なものでもありました。
 42年来の思いが叶って、又多くの方々の暖かい手に支えられて、この世に生を授かった「あの日のオルガン」、全国に向けて上映運動の働きかけを続けていましたが、思いのほか苦戦中でありました。
 それでも、この作品はかけがえのない我が子・・・ていねいに、時間もかけながら、その個性も見極めながら育てて見よう・・・、この作品をご覧になった方々のご評価は圧倒的なものですから・・・。
 そんな思いも胸に刻みながら、帰路についた私でありました。
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by cinema-tohoku | 2019-07-01 10:02 | 映画 | Comments(0)
長年の友人が、華やかな新緑とさわやかな5月の風に送られながら、永遠の旅に発ちました。
まるで弟の様だったH君・・・まだ62年の命でした・・・。
巡り合いは、1973年にさかのぼります。
あの頃、私が勤務していた共同映画の仙台事務所には、何人かの高校生たちが出入りしていました。
そんな折、私たちが配給することになった映画「青春狂詩曲」がありました。
埼玉県の高校を舞台に、自らの輝く未来に向けて、友と手を携え成長しようとする高校生の姿を生き生きと描いた作品でした。
このシナリオを、当時出入りしていた高校生T君が手に取ったことが全ての始まりとなりました。
真剣な表情で読み終えたT君は、〝この映画を俺たちに上映させてくれ〟と語ったのでした。
この申し出を受け止め私たちは、T君と上映運動の仲間づくりに着手しました。
そして、事務所に現れたのがH君でした。
整った顔立ちと細身の体・・・やさしく、シャイな彼はたちまちのうちに中心メンバーとなりました。
それ以降、事務所に集まる高校生の数は、加速度的に拡大・・・夕方になると、私たちの事務所の空間は、学校を越えた高校生で埋まり、まさに立錐の余地のない状態となってしまいました。
そして当然ながら、そこには若者たちの恋や悩み、そしていくつかのぶつかり合いもありました。
そんな一つ一つの出来事に、笑みを絶やさずに、常に人に寄り添いながら運動を育てる中心に居たのがH君でした。
誠実な彼の姿は、高校生たちの深い信頼もかちとり、私たちの事務所に出入りする大人たちのグループの皆から可愛がられる存在ともなっていました。
高校卒業後、大学に進学し、就職した会社でも頭角をあらわし、会社の役員ともなり、会社を引っぱる、名実ともその先頭に立っていました。
そんなH君を、肺癌の病魔が襲いました。
見つかった頃には末期ガンとの宣告も受け・・・それでも彼は病との戦いを放棄することはありませんでした。
愛する家族にむくいるため、そして自らの命をもう一度きらめかせるために・・・。
その病との闘いは何と3年7か月におよんだのでした。
彼の旅発ちの2日前に見舞った私を、彼は精いっぱいのやさしい笑顔で迎えてくれました。
もはや、会話を交わすこともつらかったにもかかわらず・・・。
そして、別れる時、私の手を握り〝暖かいな〟と語ってくれた一言が最後の別れの言葉となりました。
ひたすらに人を愛し、信じ、一人の人間として誠実に生き抜いたH君の一生に心からの合掌・・・。
あなたが人生をかけて語り続けた〝人へのやさしさ〟はしっかりと受け継いでいきます。
さようなら・・・。
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by cinema-tohoku | 2019-05-21 09:47 | 映画 | Comments(1)
 桜のつぼみもまだ固い北海道から一転、まるで夏の風情の沖縄を訪れました。
 「君の笑顔に会いたくて」の全国上映に対して昨年12月、山下法務大臣からの感謝状を頂戴しました。
 その折、ご一緒した吉本興業の社長とのご縁で、吉本興業が毎年沖縄で開催している沖縄国際映画祭への作品の出品を求められての沖縄訪問でした。
 吉本興業は、〝お笑い〟のクリエーターとしてのお仕事を展開するかたわら、社会貢献の一環として、法務省が主唱する「社会を明るくする運動」にも、全面的なご協力をされて来ていました。
 そんな吉本興業とシネマとうほくが、法務大臣からの感謝状をいただくご縁をつないでの、この度の出品となったのでした。
 この映画祭には、お招きがあって、私の他に主演の洞口さん、そして法務省保護局長を始めとした関係の方々もご参加、那覇市の桜坂劇場での舞台あいさつにのぞみました。
 幸い、劇場は満席となり、スクリーンに展開する更生保護を語るドラマに、参加者の方々は涙をふきながら胸を熱くして下さいました。
 そして上映終了後は、那覇市メインストリートの国際通りを通行止めにして、赤い絨毯を敷き、何とレッドカーペットのウォークと相成ったのでした。
 心配された天候も回復し、南国のあざやかな光が降り注ぐ青空のもと、人生初体験のレッドカーペットの歩行は・・・多くの方々に見つめられながら・・・嬉し恥ずかし・・・・・とにかく無事に終了したのでした。
 そして、映画祭での私のスケジュールが終了するや、関係者の方々にお別れを告げて宮古島へ・・・。
 東京で「あの日のオルガン」をご覧になった一人の女性から、感激した・・・宮古島で上映をしたい・・・、とのお話が届けられ、それにお応えしての訪問でした。
 空港ターミナルの喫茶店で初めてお会いしたTさんは、熱い思いで上映実現への夢を語って下さいました。
 一歩ずつ、とてもスローな歩みを重ねながら、私たちが手がけた作品は、多くの方々の胸に伝わって行くことを実感した南の地への訪問でした。
 それでも・・・いささか・・・疲れました。
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宮古島のビーチ

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那覇でのレッドカーペット



by cinema-tohoku | 2019-04-23 14:47 | 映画 | Comments(0)