カテゴリ:映画( 68 )

 一本の映画が完成すると、一般的にはいくつかの試写会を経て公開に至るものです。
 この試写会は、通常は「マスコミ試写会」と呼ばれ、芸能マスコミ、報道関係者や映画評論家等に向けて都内の試写室を使って数回から10数回行います。
 これとは別に、監督や俳優の舞台挨拶を交えた「完成披露試写会」を開く作品もあります。
 6月に完成した「あの日のオルガン」の試写会は、これら通常のものとは異なった仕組みで今展開中です。
 先ず最初に一般の方々にご覧いただいたのは8月5日の大阪市、保育関係団体の夏の研究集会での試写会でした。
 この試写会には、会場を満席に埋めた700名の方々(そのほとんどは保育士さんだったと思います)に、この作品を全国で初めてご覧いただくこととなりました。
 場内が暗転して上映がはじまるや、会場からは笑いが…笑いが…、ドラマ中盤に差しかかるや、一転して場内にはすすり泣きの声が…そして、上映終了後、観客の方々は満場の拍手でこの作品を受け止めて下さいました。
 その後試写会は、感動のお声を綴りながら、8月26日、9月1日の保育関係者の集会での試写会に引きつがれて行きました。
 又、通常行われる「マスコミ試写」に先立って、松竹試写室を使った「特別内覧試写会」は、昨日までに2回行われました。
この試写会は、映画製作を支えた「市民プロデューサー」の方々や、ご後援団体の方々、又これからの上映を支えて下さる方々をお招きしてのものでした。
 上映終了後は、目を真っ赤にしながら、交々に感動のお声を語るご参加者の言葉に、早々と映画上映の大成功も予感させる試写会となりました。
 そして、ここまでの試写会ご参加者は、何と1,500名にのぼったのでした。
 更に、「あの日のオルガン」試写会は、10月からの9回予定の「マスコミ試写会」、そして、その後に予定される出演者勢ぞろいの「完成披露試写会」に引きつがれ、明年2月の公開を目指して行くことになります。
 観ていただくことで、この作品は拡がっていく・・・こんな私達の確信は、異例な試写会の運びとなり、そしてそこから語られた感動のお声は、一歩一歩確実にこの作品を育て始めて来ているのかも知れません。
 “子どもの命と平和〟を願うお声を、ご覧いただいた方々の胸に刻みながら・・・。
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「あの日のオルガン」



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by cinema-tohoku | 2018-09-12 10:43 | 映画 | Comments(0)
「あの日のオルガン」市民プロデューサーのお一人で、東京恵比寿で精神科医師として、心を病んだ方々と向かい合っていらっしゃるYさんのフェイスブックに映画原作本のご感想がアップされました。
ご本人のご許可をいただいて掲載させていただきます。
皆様も是非お読みになって下さい。

夏休みの極私的課題図書、『あの日のオルガン~疎開保育園物語』(久保つぎこ著、朝日新聞出版)。映画化に際し36年ぶりの復刊であります。ちびちび読んで終戦記念日にようやく読み終わりました。

敗戦の前の年、1944年4月に幼稚園閉鎖令が施行され、同年8月からは小学3年生から6年生までの集団疎開が始まるのだが、保育園はといえば、「戦時託児所」と名前を変え、その数を増やした。就学前の幼児の「疎開保育所」が地方に開設されたのは、終戦のわずか2ヶ月前、東京大空襲の後のことだった。

そんな時節にあって、44年11月に幼児疎開を単独で決行した民間の保育所があった。戸越保育所(現・品川区)と愛育隣保館(現・墨田区)である。このふたつの園から幼児53名と職員11名(うち保母8名)が、旧国鉄桶川駅から6km離れた高虫の荒れ寺に疎開したのである。

幼くして親元を離れた幼児は3歳から5歳、親に代わって子どもたちの保育にあたる保母は19歳から27歳。日々の激務と負わされた責任の重さからか、終戦までの約9ヶ月間、保母たちは全員が無月経であったという。

童話作家であり新劇の女優であり3人の子を持つ母親であった久保つぎこは、丁寧な取材と調査を重ね、3年の歳月をかけてこの本を書き上げた。登場する人物、とくに若い保育士たちが活き活きと描かれているのは、著者の経歴と経験によるところが大きい。インタビューの言葉ひとつひとつにリアリティがある。

内容が内容だけに反戦・非戦の想いがこめられているのは言うまでもないが、読み進むうちに、子どもを育てること、子どもが育つこと、人が生きることの根本を問われている気がしてくる。

疎開保育園の子どもたちは、終戦の日まで全員が無事であった。しかし、その中には45年の3月と5月の空襲で、親きょうだいをすべて失った子どももいた。そして、疎開せず東京の親元で暮らしていた幼児たちの、いったい何人が戦火に焼かれたことか。

1982年に出版された本書の原題は「君たちは忘れない」だったそうである。忘れないだろう、忘れてほしくない。私たちも決して忘れない。世界に平和を。Love & Peace.
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「あの日のオルガン」

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by cinema-tohoku | 2018-08-24 10:27 | 映画 | Comments(0)
 「あの日のオルガン」の原作本が、7月20日朝日新聞出版から再刊されました。
 このご本も、たくさんのドラマを紡ぎながらここまでたどり着いたのです。
 時は36年前、この史実の映画化の企画が持ち上がった時にさかのぼります。
 「疎開保育園」の歴史は、それまで色々な学習会等で断片的な報告はありましたが、まとまった記録がございませんでした。
 歴史の事実であるならば、しっかりとその史実をたどって一冊の本としてまとめ上げてから、映画化の企画を進めた方が良いだろう…とのことになり、そのご本の仕事を託されたのが、原作者となった久保つぎこさんでした。
 久保さんは、このご本が、ご本人がお書きになる2冊目のご本だったこともあり、託された仕事の大きさにいささかのたじろぎはありながらも、真正面からこのお仕事に向かって下さいました。
 そして、それから旺盛な取材活動を始められたのでした。
 当時はまだ、疎開保育園の保母さんたちが皆お元気で、久保さんはこの方々にも可愛がられながら、取材の毎日はその日を数えて行ったのでした。
 そして、無事出版の日を迎えたのは、それから何と3年後のことでした。
 この日は、まさに久保さんの執念が実った日でもありました。
 しかし…残念ながら、当時この映画化企画が実現することはありませんでした。
 それから、長い長い時間が経っていました。
 私が再度映画化の企画を思い立って、久保さんのご自宅をお訪ねしたのは2014年3月の事でした。
 久保さんは、そのお年を感じさせない、情熱いっぱいの風情で私の前に立って下さり、映画化の再企画を満面の笑顔で喜んで下さいました。
 そして、それからも数々の山と谷を経験しながら、それでもこの企画の完成を願う多くの方々に支えられて、この作品は先月無事に誕生の日を迎えたのでした。
 初号試写が終わった後、久保さんが私に見せて下さった笑顔にホッと胸をなでおろしたものでした。
 そして、久保さんの絶版となっていた原作は、幸い朝日新聞出版の方々のお目にとまり、7月20日新たな装いで再度、出版となったのでした。
 子どもたちの健やかな、そして平和な未来を願う、久保さんの熱い願いが結晶して…。
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原作「あの日のオルガン」


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by cinema-tohoku | 2018-07-20 17:20 | 映画 | Comments(0)

 625日、東京五反田のイマジカ第1試写室で、映画「あの日のオルガン」初号試写会が開かれ、私の胸に36年にわたってあたため続けて来た企画は、無事この世に生を授かりました。
 初号試写は本来、スタッフの最終チェックの試写ですが、この日はこの映画の製作に欠くことの出来なかった「市民プロデューサー」はじめ関りの深い方々もお招きして、にぎやかな誕生の日となりました。
 振り返って見れば、ここまでの道の長かったこと・・・。
 36年前、私が以前勤務していた共同映画で、この企画は生まれました。
 久保さんにお願いして3年かけて原作本も出版され、いよいよ、と思われましたが、残念なことに諸般の事情で実現には至りませんでした。
 私は当時、子どもたちを保育所に通わせていた父親でありました。
 子どもの命と向かい合ったこの製作企画には、大きな感動を覚え、製作断念の決定をとても残念な思いで受け止めました。
 それ以降、この企画は私の胸の中にその位置を占めることになりました。
 〝いつの日にか…〟そんな願いとなって。
 そんな長い夢を実現へと駆り立てたのは、今の社会の現状でした。
 子どもたちの健やかな成長に赤信号が灯り、子どもの命がこんなにも軽くあしらわれた時代は戦後なかったのではないかと思っていました。
 そんな現代社会に、あの戦火の時代に、それでも子どもの命を守り抜いた若き保母たちの史実は、大きな感動と共にかけがえのないものを語ると思ったのでした。
 こんな思いが、企画の実現へと私の背を押したのでした。
 そして、この日の誕生を支えて下さったのが、「市民プロデューサー」の方々でした。
 今、この企画が語るべきものにご賛同いただき、
100万円のご出資で映画製作を支えて下さった心優しき方々は、この日までに70人を数えるに至りました。
 試写室のシートに座って、スクリーンと向かい合った時、市民プロデューサーのお願いに全国を回った折に、お会いした方々のお顔が頭をよぎり、思わず胸が熱くなるのを覚えたのでした。
 そしてスクリーンに映し出された映画…。
 ドラマが進むにつれ、流れる涙はスクリーンを曇らせ、エンドが打たれた時、深い安堵の思いで、私の胸はいっぱいになっていました。
 〝子どもたちの命と平和〟かけがえのないものを、今生まれたこの作品は見事に語った様です。


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by cinema-tohoku | 2018-07-09 16:17 | 映画 | Comments(0)
 映画「あの日のオルガン」に描かれる、日本で初めて保育所を疎開させて53名の子どもたちの命を守ったのは、戸越保育所でした。
 東京品川区にあったこの保育所は、まさにドラマティックな成り立ちで生まれた保育所でした。
 ここには若い二人の男女が登場します。
 一人は東大経済学部の学生だった大村英之助さん、そしてもうお一人は都バスの車掌だった鈴子さんです。
 このお二人は当時の社会運動に目覚め、その中で巡り会い、そして結婚をしました。
 二人がこれから歩む道を探っていた時、子どもが授かり、この育児を通して、いつの間にか二人は、子どもたちの命を育む保育所をつくって見たい…そんな夢を描く様になりました。
 しかしながら貧しかった二人にはとても手の届かない夢かと思われましたが、英之助さんのお父様のご援助で、この夢は急速に実現に向かって行ったのでした。
 英之助さんのお父様は、当時の満鉄総裁をおつとめになられていました。
 我が息子は社会運動に目覚めた、いわゆる〝グレた息子〟でしたが、鈴子さんの夢には賛同して応援の手を差しのべてくれたのでした。
 そして、1939年、若い二人の夢を語る戸越保育所は開園したのでした。
 こんな足跡をたどって生まれた戸越保育所は、とても自由な風が吹く保育所でした。
 保育所の主任保母となった畑谷光代さんがこんなことを語っています〝とにかく自由な保育所だった…。新任の保母がベテラン保母の前でも臆することなく意見が言える…。保育をすることが楽しくて楽しくて…。〟
 しかしほどなく、この自由な保育所に暗い影が差して来ることになります。
 戦争が困難になるにつれ、この保育所に向けた当局の目は日増しに厳しいものとなって行きました。
 若い二人は深刻な議論を交わしました。〝このままでは保育所の存続が危ぶまれる…。〟
 そして二人は保育所を残すため、この保育所の経営を他の団体に譲り渡すことを決意したのでした。
 若い二人からこの保育所の経営を引き受けたのは、恩賜財団母子愛育会でした。
 この財団は、現天皇陛下のご誕生を記念して昭和8年創立された財団でした。
 当時の国民生活は極めて困難な状況に追い込まれて、子どもと母親の保健はほとんど顧みられない状況にありました。
 こんな時代に、母子の健全なる成長を願って活動してきた財団でした。
 そして迎えた1944年、財団と戸越保育所の保母たちは、疎開保育を決意したのでした。
 戦火から子どもたちの命を守る決意を込めて…。

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by cinema-tohoku | 2018-07-02 15:25 | 映画 | Comments(0)
 間もなく完成を迎える「あの日のオルガン」を、全国に拡がる<子どもの命と平和>を語る上映運動にするべく、各都道府県毎の運動づくりを願っての旅が始まっていました。
 昨日は福岡で県組織立ち上げのための相談会が、そして今日は熊本での話し合いに参加して、その夜は長崎へ・・・。
 長崎県では、この上映運動スタートの第一歩として、<「あの日のオルガン」を応援する長崎のつどい>を準備して私を迎えて下さいました。
 私も、この作品の市民プロデュ―サーの拡大を願って、これまでにずい分各地を巡って多くの方々とお会いして参りましたが、この映画に描かれる「疎開保育」の史実については、ほとんど知られていなかったことを実感していました。
 長崎では、全県に拡がる上映運動を展開するにあたって、先ずはこの貴重な史実を知っていただくことから、その第一歩を踏み出そうと計画された、この夜の会でした。
 準備されたこの会は、ご多忙のお時間を調整してご参加いただいた、何と40名に上る方々を会場にお迎えして開会となりました。
 会の第一部は、疎開前の戸越保育所の保育の姿を描いた記録映画「ある保母の記録」の上映… 戦争の遂行に狂奔していたあの時代に展開された、子どもたちと向かい合った保育の姿に、そしてそこからにじみ出る製作者の平和への願いは参加者の胸を打ったのでした。
 そして、第二部はご指名されて、私のこの作品に寄せる思いと、疎開保育の歴史にしばしお耳を傾けていただきました。
あの困難だった戦火の時代に、子どもたちと向かい合って、その命を守った若き保母たちの姿は、ご参加者の胸を打ち、長崎の夜は更けて行ったのでした。
 それにしても昨今の社会状況・・・たった五年しか生きることの出来なかった幼い女の子の命…、世間では公然と〝嘘〟や人への野蛮なののしりの言葉が語られ、拝金主義がまかり通る社会…。
 小説家の高村薫氏が〝まるで文明社会の終焉のような・・・〟と語るこの時代に、この作品は「子どもの命と平和」を願って生まれようとしています。
 その重大な役割を実感させもした長崎の夜でした。


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「あの日のオルガン」を応援する長崎の集い

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長崎港の朝


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by cinema-tohoku | 2018-06-28 11:01 | 映画 | Comments(0)
 310日・・・73年前の東京大空襲の日、311日・・・7年前の東日本大震災の日・・・。
 平和と命に関って決して忘れてはならないこの両日に、「あの日のオルガン」の製作上映運動の成功に向けた第一歩が、撮影地京都の地に確実に刻まれました。

 市民プロデューサー…製作費の不足する分を、ご賛同の方々の一口100万円のご出資で補おうとするだけでなく、この製作上映運動を、この方々と手を携えた運動として全国に向けて展開したい…。

 そんな願いを込めて、この募集運動は始められました、そしてその目標は64口…。

 310日に開催が決まった、市民プロデューサーが一同に会する「市民プロデューサー会議」までに、この目標を達成するべく、募集の運動は全国に展開されて行きました。

 そして、こんな私たちの願いに、多くの方々が熱い思いで応えて下さいました。

   子どもの命と平和を語るこの映画に賛同して、真っ先に手を重ねてくれた保育運動の組織の方々…。

   子どもの命と向かい合う保育の原点にご賛同いただき、この運動にお加わりいただいた民間保育所の役員の方々…。

   
一人では無理でも、多くの方々との共同の運動として、出資金募集運動を地域に展開し、見事にこれを達成して下さった鹿沼や蓮田の方々…。

   更には、この映画にご賛同いただき、この出資に応えて下さった、人、人、人…。

 まさに多彩な方々が、この運動にご参加いただき、310日までに重ねられた口数は見事に目標の64口となって、この会議は開催されたのでした。

 当日は、北海道から九州まで・・・全国からご参加の62名の方々が、会場となった京都華頂大学の大講義室をいっぱいに埋め、全国上映運動への第一歩は京都の地で刻まれたのでした。

 そして、その夜に開かれた「交流会」では、ご参加のほとんどの方々からのご発言があり、笑いあり、そして感動の涙も交えながら、京都の夜は更けて行きました。


 明けて翌日は、撮影中の松竹京都撮影所の見学に、90名程の方々がご参加、撮影所内につくられた、疎開先となった妙楽寺の荒れ寺セットの見事な美術の技に感動・・・  二日間におよんだ運動第一歩の全ての予定は終了となったのでした。
 子どもの命と平和・・・今の日本社会にかけがえのないものとなっているこの願いを、一本の映画の製作上映運動を通して語ろうとする思いは、その成功に向けて見事な第一歩を前に向けて踏み出したのです。

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会場を一杯にした会議

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撮影所見学


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by cinema-tohoku | 2018-04-02 14:26 | 映画 | Comments(0)

 私の胸の中で36年にわたって あたため続けて来た一本の映画がいよいよクランクインの朝を迎えました。

 「あの日のオルガン」・・・、あの戦火の時代に子どもたちの命を守った若き保母たちを描くこの作品は、心配された天候も晴れ上がった31日午前9時、松竹京都撮影所につくられた、疎開先の設定の妙楽寺に響く平松監督の高らかな〝ヨーイ、ハイ!〟のかけ声で船出をすることとなったのでした。

撮影初日のシーンは、疎開先に決まった荒れ寺の掃除に若い保母たちが訪れる設定のシーン。

松竹撮影所の中につくられたのは、それにしても見事なまでの荒れ寺・・・。

寺の本堂はまるで廃墟、そこここに、くもの巣が張り、須弥檀はまるでガラクタ置き場と化し・・・こんなところで子どもたちが数ヶ月に及ぶ生活を送ることなど、到底想像すら出来ない、見事な美術スタッフの技でありました。

そして、それとはまさに対極に位置する様な、若い保母役の女性たちのまぶしい程の若さが際立つ初日の撮影でした。


 それにしても、ここにたどり着くまでの、長い長い時間・・・。

 そして、この日を迎えるまでに差し出された、全国多くの方々の熱いご支援の数々・・・。

 これまでの作品のクランクインの時とは異なる思いが胸をよぎり、思わず目頭を熱くした私でありました。

 それでも この日は、やっとたどり着いたスタートライン。

 これから一ヶ月余にわたる撮影、そして編集から完成、更には来年2月から始まる全国公開・・・。

 この先にも数々の障害が待ち受けることを予想しながら、ともかくもスタートラインに着いたことを祝うべく、JSN加盟社のK氏とささやかな祝の盃を合わせたのでした。

 「子どもの命と平和」を願うお声が、この映画の回りに大きく大きく育っていくことを願って・・・。

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子どもの命を守った「若き保母たち」・・・


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by cinema-tohoku | 2018-03-22 14:28 | 映画 | Comments(0)

 「あの日のオルガン」市民プロデューサーの輪が日増しに大きく拡がっていました。

全国の多彩な方々が熱い思いで私たちの手に、その手を重ねて下さいました。

そのほとんどの方々とお会いして参りましたが、改めてこの作品が今日語るべき意義の大きさも実感していました。

それにしても映画です。
 完成した作品が、この方々の思いにお応え出来るものにならなければ・・・そんな思いにさせられていた時、このブログでもご紹介した市民プロデューサー第一号、青森県十和田市のTさんからお送りしたシナリオへのご感想が寄せられました。


「あの日のオルガン」決定稿読ませていただきました。久し振りにシナリオというものを読んだので、最初はト書きでイメージをふくらませるのに難儀しましたが、終盤東京大空襲あたりから引き込まれ、ついというか、不覚にもというか、涙があふれ出て止まりませんでした。映像になれば、オルガンの物哀しいノスタルジックな音色が、戦争で最も悲惨な犠牲となる幼児(子どもたち)の笑顔に重なり、感動を生み出すでしょう。子どもたちの笑顔が可愛いければ可愛いほど悲惨な戦争を浮き彫りにするでしょう。

個人的には「みんな我が子」のようなエネルギッシュなラストが欲しいと思いましたがそれでも、滂沱の涙の自分に驚いています。

今の映画界では大ヒットという訳にはいかないテーマではありますが、「母べい」「小さなおうち」など山田洋次作品を書いてきた平松監督の、日本の良心を見た想いでした。

 こんな映画として完成の日を迎えたいものです。



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by cinema-tohoku | 2018-03-12 09:52 | 映画 | Comments(0)
 「あの日のオルガン」に描かれる戸越保育所が、保育所の地方への疎開を決定してその準備に入った時、目の前に横たわる大きなハードルが、疎開地の問題でした。

 何せ、下は3才からの50名をこえるこどもたちの生活の場、そして子どもたちの命をつなぐ食料供給の課題も解決を迫られる大きな問題でした。

 この窮状に応えて、生活の場を提供して下さり、食料支援体制までつくって、東京の子どもたちの命を受け止めたのが埼玉県平野村(現蓮田市)の方々でした。

 この心やさしき平野村民に支えられて、疎開保育園は一人の子どもの命も失うことなく、平和な時代に子どもたちを送り出すことが出来たのでした。

 そして、あの日から73年・・・子どもたちの命を守った平野村民のやさしき心は、一本の映画となって世に出ようとしているのです。

 「あの日のオルガン」を支える市民プロデューサーの輪が、一歩ずつそして確実に全国に大きく拡がって来ていました。

 その輪が拡がる中で、だんだんと私の胸の中に大きな位置を占めるようになってきた思いがございました。

 この史実にとって欠くことの出来ない地、蓮田市民の方々にも市民プロデューサーの輪にお加わりいただき、共に全国上映への道を歩むことが出来ないか・・・、この地のご参加を除いては、この全国に拡がる製作運動は画竜点睛を欠くことに、なるのではないか・・・、そんな思いが日増しに大きくなっていたのでした。

 幸い、こんな私の願いは蓮田市民のもとに届き、先日先ずもってこの映画の企画を聞いてみようと、心ある蓮田市民15名がお集まりになり、この場への参加を求められました。

 私の語るこの歴史と、平野村民の心をもとに製作しようとするこの映画の願いに、蓮田市民の方々は感動と共に熱くご賛同いただき、更に多くの市民にお呼びかけをして、製作の一翼にご参加していただくことをその場でお約束して下さいました。

 あの日から73年を経た今、心やさしき蓮田市民のこころは、間もなく一本の映画として完成し、今の時代に子どもの命と平和を語るべく31日クランクインを迎えます。

 子どもの命を戦火から守った、蓮田の誇りも語りながら・・・

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蓮田市の心やさしき方々





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by cinema-tohoku | 2018-03-05 15:06 | 映画 | Comments(0)