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カテゴリ:映画( 82 )

 振り返れば、蓮田市の製作上映運動は、そのスタートから2年を数えていました。
 戦火から逃れて来た、53人の幼い命を守った、誇り高い蓮田の歴史を語ろうとする運動は、劇場上映に引き続く第2次上映の全国トップを切って行われ、その上映は見事な大輪の花を咲かせたのでした。
 初めにこの運動のお声をあげたのは、心やさしき市民の方々でした。
 〝子どもの命と平和〟を語るこの作品を完成させ、蓮田の地から全国に発信しようとした市民の方々は、〝支える会〟をつくり、この映画の製作支援活動を展開して下さいました。
 そんな願いは、急速に数多くの市民の方々のご賛同となり、市をも巻き込んだ運動として育って行きました。
 こんなご支援に支えられて完成した作品を、次の課題として多くの市民の胸に届けようと、〝支える会〟と市が中心になって、映画「あの日のオルガン」蓮田市上映実行委員会が結成されたのは、本年2月のことでした。
 子どもたちの健やかな成長に赤信号が灯った現代社会に、子どもの命の輝きを語ろうとした実行委員会の皆様は、その観客目標を何と人口(5万人)の20%、10,000名に設定して、その歩みを始めたのでした。
 こんな市民の情熱に応えて下さったのが、蓮田市と蓮田市教育委員会でした。
 〝子どもの命と平和〟を語り、そしてあの戦火から幼い命を守った故郷の歴史を、蓮田の未来を担う子どもたちの胸に伝えようと、市内全小中学生の観賞を決定して下さったのでした。
 この決定に心を強くした実行委員会の皆様は、市民に向けて前売り券の販売活動を展開して行ったのでした。
 そして迎えた4日間にわたった蓮田市上映会は、入場者数4200名の熱い心の輪となってつながったのでした。
 さかのぼる2月に行われた映画館上映では、1300人の蓮田市民の方々が既に鑑賞していましたので、小中学生4500名を加えるなら、その総数は目標としてかかげた何と10,000名!
 閉塞感でいっぱいになってしまった現代社会に灯った〝子どもの命と平和〟を願う灯は、蓮田の地に誇り高くかかげられたのでした。
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蓮田市上映


by cinema-tohoku | 2019-08-06 17:19 | 映画 | Comments(0)
 伊集院静さん原作の、15年ぶりとなる一本の映画が完成しました。
 「駅までの道をおしえて」、愛犬を失った8歳の少女と、若い頃に最愛の息子を失った老人・・・、その死を受け入れることが出来ない二人が、ひたすたに命の輝きを求めようとする物語です。
 10月から劇場で公開されるこの作品の劇場上映後の配給について、製作者からのご相談が持ち込まれ、足を運んだ現像所での初号試写会でした。
 会場が暗転して、スクリーンに映画が映し出されるや・・・冒頭から驚きでした。
 この作品と向かい合った監督は、揺れ動く少女の心情を、アップのそして長回しのカメラワークで追って行くのです。
 そして、この作品で8歳ながら堂々たる主役をつとめた新津ちせちゃんは、この監督の思いに見事な演技で応えたのでした。
 ドラマが進行するにつれ、少女の悲しみは私の胸にもしみ込む様に伝わり、思わず胸が熱くなるのを禁じ得ませんでした。
 〝子役〟に感じさせられるいわゆる〝あざとさ〟は全くなく、一貫してピュアな姿勢でこの役に向かい合うちせちゃんに、まさに脱帽でありました。
 見終わった私の胸には〝命のきらめき〟そして〝死をおそれずに受け入れる〟・・・そんな思いがスクリーンから手渡されたのでした。
 人の命が、まるで鴻毛よりも軽くもて遊ばれ、目をおおう様な出来事が日々報じられる現代社会に、この作品は、きらめくばかりの〝命の輝き〟を伝える作品として、際立って今日的な意義もはらみながら生まれたのだと思えるのです。
 ちなみに、新津ちせちゃんは、アニメ監督新海誠さんの愛娘・・・この才能はやはり親ゆずりのものなのかも・・・。
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伊集院 静「駅までの道をおしえて」


by cinema-tohoku | 2019-07-17 15:37 | 映画 | Comments(0)
 こんな名前の団体があることをご存知ですか。
 故、日野原重明先生が呼びかけられて発足した組織で、知的で生き生きとしたシニアをめざそう、との願いで全国に拡がった組織です。
 こんな素晴らしい理念を掲げて活動を続けて来た「新老人の会宮城」の方から、「あの日のオルガン」について会員の前で話して欲しい、とのご要請を受けました。
 仙台の映画館でご覧になった会員の方からのご希望だった、とのお話でした。
 人様の前でお話をすることは、私の本業ではありませんでしたので、いささかの躊躇はございましたが、熱いご依頼を受けては、もはやお断りをすることも出来ず、お引き受けしてのぞんだ当日でした。
 会場には、各方面でご経験を積んで来られたことを推測させる、30数名の方々においでいただき、一時間を超える私の話にお耳を傾けて下さいました。
 話の終了後、会場の方々からは、〝情熱たっぷりの話に感動した・・・。〟〝一本の映画をつくるのに、沢山の人の手が合わさっていることが良く分かった・・・。〟など、過分な評価のご発言もいただき、ホッと胸をなでおろした私でありました。
 会の始まる前にお聞きしましたら、新老人の会宮城会員の平均年齢は80歳とのこと。
 年を重ねても、知的な好奇心を旺盛にして、社会に向けてその持てる経験とおとろえない力量を発揮し続ける会員の方々の生き方に、私が学ばせていただいた一日でもありました。
 年も70年を数え、肉体的な衰えを実感しながら、仕事に向かい合う私にとって、諸先輩達のこんな生き方は、とても刺激的なものでもありました。
 42年来の思いが叶って、又多くの方々の暖かい手に支えられて、この世に生を授かった「あの日のオルガン」、全国に向けて上映運動の働きかけを続けていましたが、思いのほか苦戦中でありました。
 それでも、この作品はかけがえのない我が子・・・ていねいに、時間もかけながら、その個性も見極めながら育てて見よう・・・、この作品をご覧になった方々のご評価は圧倒的なものですから・・・。
 そんな思いも胸に刻みながら、帰路についた私でありました。
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by cinema-tohoku | 2019-07-01 10:02 | 映画 | Comments(0)
長年の友人が、華やかな新緑とさわやかな5月の風に送られながら、永遠の旅に発ちました。
まるで弟の様だったH君・・・まだ62年の命でした・・・。
巡り合いは、1973年にさかのぼります。
あの頃、私が勤務していた共同映画の仙台事務所には、何人かの高校生たちが出入りしていました。
そんな折、私たちが配給することになった映画「青春狂詩曲」がありました。
埼玉県の高校を舞台に、自らの輝く未来に向けて、友と手を携え成長しようとする高校生の姿を生き生きと描いた作品でした。
このシナリオを、当時出入りしていた高校生T君が手に取ったことが全ての始まりとなりました。
真剣な表情で読み終えたT君は、〝この映画を俺たちに上映させてくれ〟と語ったのでした。
この申し出を受け止め私たちは、T君と上映運動の仲間づくりに着手しました。
そして、事務所に現れたのがH君でした。
整った顔立ちと細身の体・・・やさしく、シャイな彼はたちまちのうちに中心メンバーとなりました。
それ以降、事務所に集まる高校生の数は、加速度的に拡大・・・夕方になると、私たちの事務所の空間は、学校を越えた高校生で埋まり、まさに立錐の余地のない状態となってしまいました。
そして当然ながら、そこには若者たちの恋や悩み、そしていくつかのぶつかり合いもありました。
そんな一つ一つの出来事に、笑みを絶やさずに、常に人に寄り添いながら運動を育てる中心に居たのがH君でした。
誠実な彼の姿は、高校生たちの深い信頼もかちとり、私たちの事務所に出入りする大人たちのグループの皆から可愛がられる存在ともなっていました。
高校卒業後、大学に進学し、就職した会社でも頭角をあらわし、会社の役員ともなり、会社を引っぱる、名実ともその先頭に立っていました。
そんなH君を、肺癌の病魔が襲いました。
見つかった頃には末期ガンとの宣告も受け・・・それでも彼は病との戦いを放棄することはありませんでした。
愛する家族にむくいるため、そして自らの命をもう一度きらめかせるために・・・。
その病との闘いは何と3年7か月におよんだのでした。
彼の旅発ちの2日前に見舞った私を、彼は精いっぱいのやさしい笑顔で迎えてくれました。
もはや、会話を交わすこともつらかったにもかかわらず・・・。
そして、別れる時、私の手を握り〝暖かいな〟と語ってくれた一言が最後の別れの言葉となりました。
ひたすらに人を愛し、信じ、一人の人間として誠実に生き抜いたH君の一生に心からの合掌・・・。
あなたが人生をかけて語り続けた〝人へのやさしさ〟はしっかりと受け継いでいきます。
さようなら・・・。
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by cinema-tohoku | 2019-05-21 09:47 | 映画 | Comments(1)
 桜のつぼみもまだ固い北海道から一転、まるで夏の風情の沖縄を訪れました。
 「君の笑顔に会いたくて」の全国上映に対して昨年12月、山下法務大臣からの感謝状を頂戴しました。
 その折、ご一緒した吉本興業の社長とのご縁で、吉本興業が毎年沖縄で開催している沖縄国際映画祭への作品の出品を求められての沖縄訪問でした。
 吉本興業は、〝お笑い〟のクリエーターとしてのお仕事を展開するかたわら、社会貢献の一環として、法務省が主唱する「社会を明るくする運動」にも、全面的なご協力をされて来ていました。
 そんな吉本興業とシネマとうほくが、法務大臣からの感謝状をいただくご縁をつないでの、この度の出品となったのでした。
 この映画祭には、お招きがあって、私の他に主演の洞口さん、そして法務省保護局長を始めとした関係の方々もご参加、那覇市の桜坂劇場での舞台あいさつにのぞみました。
 幸い、劇場は満席となり、スクリーンに展開する更生保護を語るドラマに、参加者の方々は涙をふきながら胸を熱くして下さいました。
 そして上映終了後は、那覇市メインストリートの国際通りを通行止めにして、赤い絨毯を敷き、何とレッドカーペットのウォークと相成ったのでした。
 心配された天候も回復し、南国のあざやかな光が降り注ぐ青空のもと、人生初体験のレッドカーペットの歩行は・・・多くの方々に見つめられながら・・・嬉し恥ずかし・・・・・とにかく無事に終了したのでした。
 そして、映画祭での私のスケジュールが終了するや、関係者の方々にお別れを告げて宮古島へ・・・。
 東京で「あの日のオルガン」をご覧になった一人の女性から、感激した・・・宮古島で上映をしたい・・・、とのお話が届けられ、それにお応えしての訪問でした。
 空港ターミナルの喫茶店で初めてお会いしたTさんは、熱い思いで上映実現への夢を語って下さいました。
 一歩ずつ、とてもスローな歩みを重ねながら、私たちが手がけた作品は、多くの方々の胸に伝わって行くことを実感した南の地への訪問でした。
 それでも・・・いささか・・・疲れました。
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宮古島のビーチ

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那覇でのレッドカーペット



by cinema-tohoku | 2019-04-23 14:47 | 映画 | Comments(0)
 節約の思いで、閑散期をねらって片道5200円のピーチでの久し振りの北の大地です。
 仙台は、桜の満開を迎えていましたが、訪れた北の地の桜の開花はまだ遠く、吹く風も冷たく感じられています。
 更生保護の心を語るべく製作した「君の笑顔に会いたくて」も、その上映をスタートしてから間もなく2年を迎えます。
 この間、各地保護司会の方々を中心とした上映の輪は全国に拡がり、その数は既に170ヶ所を数えるまでに育って参りました。
 そして迎えた本年度、更生保護が制度化されてから70年の周年の年・・・法務省ともご相談を重ねて、この周年に向けて更に上映の輪を拡げようと、チラシもリニューアル、そして上映の仕組みにも一考を加えて、全国へのお呼びかけを始めたところでした。
 今回の北海道への訪問は、「あの日のオルガン」の上映基盤づくりに加えて、「君の笑顔に会いたくて」の上映促進を願ってのことでした。
 北海道での「君の笑顔に会いたくて」の上映は、ここに至るまでに大きな拡がりを道内につくって下さっていました。
 ホール上映では、仙台に続いて全国第2位の観客数となった旭川市、市と保護司会が手をつないで見事な上映となった釧路市、そして社会を明るくする運動の一環として取り組んだ北見市・・・その上映は既に道内10ヶ所を数え、その一ヵ所一ヵ所に、心通う地域社会を願った主催者が織り成した数々のドラマがありました。
 空港から先ずもって訪れた室蘭保護司会の皆様方は、私の携えた願いに熱い共感の思いを重ねて下さいました。
 担当エリアが大きく拡がり、なかなかていねいな手当てが出来ないもどかしさを抱えながらのこの度の北の地へのご訪問・・・やっと天候も回復した青空のもと、今日は旭川まで足をのばして見るつもりです。
 人と人とが心を交わせ合い、子どもたちがその未来に向けて希望を語りながら成長することの出来る社会を願いながら・・・。
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「君の笑顔に会いたくて」更生保護制度70周年チラシ

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北大のポプラ並木

by cinema-tohoku | 2019-04-17 16:47 | 映画 | Comments(0)
 こんな題名の映画が完成、4月からの全国上映への旅の準備中です。
 映画の舞台は四国の右下、徳島県美波町。
 アカウミガメが産卵に訪れる、太平洋に面した美しい町です。
 東京に本社を置く、IT企業サイファーテックは、東京での人材確保に行き詰まりを感じていました。
 人材確保を巡る競争は激烈なものでもありました。
 そんなサイファーテックが着目したのが、美波町だったのでした。
 美波町・・・まさに過疎地で、高齢者人口比率も年々高くなる・・・典型的な地方の町でしたが、ここには都会にはない、素晴らしい海が、山が、川がありました。
 仕事をしながら、その生活の中で無理なくサーフィンが、山歩きが出来る・・・。
 これをねらって打ち出した社員募集のスローガン「半IT,半X」は大きな反響を呼ぶことになりました。
 仕事をしながら、「X」には自分らしい生活を組み込んでもらおう、とのねらいでした。
まさに「働き方改革」とも云うべきこの企画は急速に話題となって拡がり、都会では叶えられなかった優秀な人材が集まったのでした。
そしてサイファーテックが美波町に出したサテライトオフィスで、社員たちは、まさに生き生きとしながら、日々の仕事と向かい合うことになったのでした。
この成功事例は人の口から口へと伝えられ、美波町内にはその後も、町内にサテライトオフィスを出店する企業が相次いだのでした。
いつの間にか、町の姿が変わり始めていました。
町内に若者の姿が目立ち始め、そして流入人口が流出人口を上回ったのでした。
町には、こんな人達をねらったカフェやしゃれたラーメン店が出店、大学のサテライトオフィスも生まれて行きました。
古い町がその歴史を生かしながら、それでも新しいものを見事に取り込んで、町が活性化し始めたのでした。
映画「波乗りオフィスへようこそ」は、こんな美波町の未来への挑戦をドラマにしたものです。
 都市と地方との格差が語られてから、ずい分長い時間が流れていました。
 格差を埋めるための数々の努力が続けられていました。
 この作品は、決してあきらめなくて良い、・・・どんな町にもきっと素晴らしい未来があることを感動とともに語ってくれることと思います。
 「都市と地方との均衡ある発展」・・・そんな夢もかかげながら、「波乗りオフィスへようこそ」は、私たちの配給の手でまもなくその旅に出ます。
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ウミガメが訪れる砂浜
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「波乗りオフィスへようこそ」


by cinema-tohoku | 2019-04-15 15:31 | 映画 | Comments(0)
 1945年3月10日未明から、東京下町を襲った悪魔の使いの如き怪鳥たちは、一夜にして10万人にのぼる人々の命を、無残にも奪って行きました。
 そのお一人お一人に生活の営みがあり、家族もありました。そして何より非戦闘員でした。
 この悲惨極まる無差別爆撃の実相は、作家の早乙女勝元さんらのご努力で掘り起こされ、語り継がれて来ていました。
 そして、あの日から長い時間が流れて行きました・・・。
 この間、ご体験者の方々の数も年々減少し、戦争体験の風化も語られ、この悲惨な事実は人の口にのぼることも少なくなって来ていました。
 それでも、忘れずに語り継ぐご活動をねばり強く、そしておやさしい言葉で語って来られたのが海老名香葉子さんでした。
 東京大空襲で家族を失い、その戦後を孤児として生きて来た海老名さんの胸には、いつも空襲でお亡くなりになった方々への鎮魂の願いがありました。
 その願いを実現するべく、上野の山に私費を投じて鎮魂の慰霊碑を建立、毎年3月9日に慰霊祭を行っていらっしゃいました。
 85歳を迎えられた海老名さんは、今年の慰霊祭で〝二度と戦争がおきてはならない。まだまだこの活動を続けて行きたい。〟と決意を語って下さいました。
 そして、翌3月10日の新宿ピカデリーにも、東京大空襲に思いを寄せた、平和を誓う声が響きました。
 この記念の日に上映中の「あの日のオルガン」・・・、74年前の東京大空襲を振り返り、平和への願いを語るべく、上映終了後の舞台に、平松監督、私、そして当時疎開保育園の園児だった3人の方々が並びました。
 疎開保育園での生活の時、東京大空襲で全ての家族を奪われ孤児となった〝健ちゃん〟、そしてあの3月10日の業火の下で一夜を過ごし、翌日まるで地獄絵図の様な焼け野原をさ迷い、幸い保母さんと巡り会い、連れられて疎開保育園に参加した佐瀬さんご姉妹・・・。
 映画を観終わった観客は、お一人お一人の語る言葉に驚き、共感し、平和への願いを胸の中に深く刻んで下さいました。
 どんな理屈を語ろうと、戦争は人類最悪の罪悪であり、平和は、そのよって立つお立場を越えて守り続けなければならない人が生きる基本の概念・・・そんな思いもこの日のオルガンは語ってくれたのでした。
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3月10日新宿ピカデリー舞台あいさつ

by cinema-tohoku | 2019-03-20 10:14 | 映画 | Comments(0)
 ていねいに時間をかけて、全国の多くの方々のやさしきお手にも支えられて完成した、映画「あの日のオルガン」の全国上映が、2月22日全国の53スクリーンでそのスタートを切りました。
 何回経験しても、初日の数字とお客様の反応は気がかりなものです。
 しかしながら、私はこの日を、この作品とは別の仕事で徳島で迎えました。
 そして、翌23日上京、この上映のメイン会場となった、新宿ピカデリーでの舞台あいさつの回に、製作委員会メンバー一同が集合となりました。
 新宿ピカデリーで最も大きな580席のシアター1を満席に埋めた舞台に、上映終了後登場いただいたのは、この作品のダブル主役をつとめていただいた戸田さん、大原さん、そして疎開保育園の園長役の田中さんと平松監督でした。
 それぞれの方々が、語る作品への思いや撮影中の裏話に、場内の観客の方々は映画の感動を更に新たなものにもしていただいた様でした。
 このスタートの日22日に、やはり初日を迎えた作品は何と35本もありました。
 幸い、ご覧いただいた方々の反響は素晴らしく、「ぴあ」の初日満足度調査では、僅かな差で一位はのがしましたが堂々の第二位を占め、我々製作委員会一同、今後への期待を抱かせるスタートとなりました。
 劇場上映はスタートを切りましたが、私たちの全国上映はこれだけで終わるものではありません。
 夏からは、映画館が姿を消した町にも村にも、ていねいに時間をかけてこの上映を拡げて行きたいと願っています。
 いよいよ長い旅のスタートです。
 皆様方のご支援を心よりお願い申し上げます。
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新宿ピカデリー
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by cinema-tohoku | 2019-03-05 17:39 | 映画 | Comments(0)
 1月が駆け抜ける様にして去って行った2月4日、時ならぬ暖かさに包まれた東京で「あの日のオルガン」初の一般へのご披露となった、「プレミア上映会」が開かれました。
 会場となった、東京有楽町の丸の内ピカデリーには、開始前から待ちわびた観客の波・・・、600席を満席に埋めた華やかな雰囲気で開会となりました。
 この映画企画が最初に語られてから42年、私たちが再度の映画化に立ち上がってからも5年の時間が流れていました。
 今の時代に〝子どもの命と平和〟を語ろうとした私たちの願いは、いよいよそのスタートラインに立つことになったのでした。
 初のお披露目の舞台には、この映画で若き保母役を見事に演じて下さった、戸田恵梨香さん、大原櫻子さんはじめ5人の女優と平松監督が、そして、この映画で、必死になってその未来に生きた子どもを演じてくれた〝子役〟達も登場、会場は人へのやさしさと、映画への期待に包まれたのでした。
 開映・・・、会場を満席に埋めた観客は、笑いと涙でこの作品に応えて下さいました。
 そして、上映終了後には思ってもいなかったサプライズが・・・。
 主演の戸田恵梨香さんが再度ご登場下さったのでした。
戸田さんが舞台に立つや、会場からは驚きと感動のお声が・・・。
戸田さんは、こんなお話で観客との交流をはじめられたのでした。
 〝戦争ものにはこれまでも出演してこなかったので、はじめは、この出演のお話を聞いた時、お断りしようと思った。それでも・・・。私は神戸で生まれて阪神淡路大震災と6歳の時巡り合った。あの時見た真っ赤に染まる空を思い返した時、この戦争の時代を描く作品で、私でも出来ることがあるのでは・・・。そんな思いで出演を引き受けました・・・。〟
その後交わされた会場との感想のやりとりでは、感極まって泣き出す方も出るなど、心暖まる交流の場となったのでした。
こんなやさしさに包まれながら、この作品は全国への旅に発ったのでした。
人の幸せを願って・・・。
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プレミア上映会



by cinema-tohoku | 2019-02-14 17:44 | 映画 | Comments(0)