カテゴリ:映画( 62 )

 310日・・・73年前の東京大空襲の日、311日・・・7年前の東日本大震災の日・・・。
 平和と命に関って決して忘れてはならないこの両日に、「あの日のオルガン」の製作上映運動の成功に向けた第一歩が、撮影地京都の地に確実に刻まれました。

 市民プロデューサー…製作費の不足する分を、ご賛同の方々の一口100万円のご出資で補おうとするだけでなく、この製作上映運動を、この方々と手を携えた運動として全国に向けて展開したい…。

 そんな願いを込めて、この募集運動は始められました、そしてその目標は64口…。

 310日に開催が決まった、市民プロデューサーが一同に会する「市民プロデューサー会議」までに、この目標を達成するべく、募集の運動は全国に展開されて行きました。

 そして、こんな私たちの願いに、多くの方々が熱い思いで応えて下さいました。

   子どもの命と平和を語るこの映画に賛同して、真っ先に手を重ねてくれた保育運動の組織の方々…。

   子どもの命と向かい合う保育の原点にご賛同いただき、この運動にお加わりいただいた民間保育所の役員の方々…。

   
一人では無理でも、多くの方々との共同の運動として、出資金募集運動を地域に展開し、見事にこれを達成して下さった鹿沼や蓮田の方々…。

   更には、この映画にご賛同いただき、この出資に応えて下さった、人、人、人…。

 まさに多彩な方々が、この運動にご参加いただき、310日までに重ねられた口数は見事に目標の64口となって、この会議は開催されたのでした。

 当日は、北海道から九州まで・・・全国からご参加の62名の方々が、会場となった京都華頂大学の大講義室をいっぱいに埋め、全国上映運動への第一歩は京都の地で刻まれたのでした。

 そして、その夜に開かれた「交流会」では、ご参加のほとんどの方々からのご発言があり、笑いあり、そして感動の涙も交えながら、京都の夜は更けて行きました。


 明けて翌日は、撮影中の松竹京都撮影所の見学に、90名程の方々がご参加、撮影所内につくられた、疎開先となった妙楽寺の荒れ寺セットの見事な美術の技に感動・・・  二日間におよんだ運動第一歩の全ての予定は終了となったのでした。
 子どもの命と平和・・・今の日本社会にかけがえのないものとなっているこの願いを、一本の映画の製作上映運動を通して語ろうとする思いは、その成功に向けて見事な第一歩を前に向けて踏み出したのです。

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会場を一杯にした会議

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撮影所見学


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by cinema-tohoku | 2018-04-02 14:26 | 映画 | Comments(0)

 私の胸の中で36年にわたって あたため続けて来た一本の映画がいよいよクランクインの朝を迎えました。

 「あの日のオルガン」・・・、あの戦火の時代に子どもたちの命を守った若き保母たちを描くこの作品は、心配された天候も晴れ上がった31日午前9時、松竹京都撮影所につくられた、疎開先の設定の妙楽寺に響く平松監督の高らかな〝ヨーイ、ハイ!〟のかけ声で船出をすることとなったのでした。

撮影初日のシーンは、疎開先に決まった荒れ寺の掃除に若い保母たちが訪れる設定のシーン。

松竹撮影所の中につくられたのは、それにしても見事なまでの荒れ寺・・・。

寺の本堂はまるで廃墟、そこここに、くもの巣が張り、須弥檀はまるでガラクタ置き場と化し・・・こんなところで子どもたちが数ヶ月に及ぶ生活を送ることなど、到底想像すら出来ない、見事な美術スタッフの技でありました。

そして、それとはまさに対極に位置する様な、若い保母役の女性たちのまぶしい程の若さが際立つ初日の撮影でした。


 それにしても、ここにたどり着くまでの、長い長い時間・・・。

 そして、この日を迎えるまでに差し出された、全国多くの方々の熱いご支援の数々・・・。

 これまでの作品のクランクインの時とは異なる思いが胸をよぎり、思わず目頭を熱くした私でありました。

 それでも この日は、やっとたどり着いたスタートライン。

 これから一ヶ月余にわたる撮影、そして編集から完成、更には来年2月から始まる全国公開・・・。

 この先にも数々の障害が待ち受けることを予想しながら、ともかくもスタートラインに着いたことを祝うべく、JSN加盟社のK氏とささやかな祝の盃を合わせたのでした。

 「子どもの命と平和」を願うお声が、この映画の回りに大きく大きく育っていくことを願って・・・。

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子どもの命を守った「若き保母たち」・・・


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by cinema-tohoku | 2018-03-22 14:28 | 映画 | Comments(0)

 「あの日のオルガン」市民プロデューサーの輪が日増しに大きく拡がっていました。

全国の多彩な方々が熱い思いで私たちの手に、その手を重ねて下さいました。

そのほとんどの方々とお会いして参りましたが、改めてこの作品が今日語るべき意義の大きさも実感していました。

それにしても映画です。
 完成した作品が、この方々の思いにお応え出来るものにならなければ・・・そんな思いにさせられていた時、このブログでもご紹介した市民プロデューサー第一号、青森県十和田市のTさんからお送りしたシナリオへのご感想が寄せられました。


「あの日のオルガン」決定稿読ませていただきました。久し振りにシナリオというものを読んだので、最初はト書きでイメージをふくらませるのに難儀しましたが、終盤東京大空襲あたりから引き込まれ、ついというか、不覚にもというか、涙があふれ出て止まりませんでした。映像になれば、オルガンの物哀しいノスタルジックな音色が、戦争で最も悲惨な犠牲となる幼児(子どもたち)の笑顔に重なり、感動を生み出すでしょう。子どもたちの笑顔が可愛いければ可愛いほど悲惨な戦争を浮き彫りにするでしょう。

個人的には「みんな我が子」のようなエネルギッシュなラストが欲しいと思いましたがそれでも、滂沱の涙の自分に驚いています。

今の映画界では大ヒットという訳にはいかないテーマではありますが、「母べい」「小さなおうち」など山田洋次作品を書いてきた平松監督の、日本の良心を見た想いでした。

 こんな映画として完成の日を迎えたいものです。



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by cinema-tohoku | 2018-03-12 09:52 | 映画 | Comments(0)
 「あの日のオルガン」に描かれる戸越保育所が、保育所の地方への疎開を決定してその準備に入った時、目の前に横たわる大きなハードルが、疎開地の問題でした。

 何せ、下は3才からの50名をこえるこどもたちの生活の場、そして子どもたちの命をつなぐ食料供給の課題も解決を迫られる大きな問題でした。

 この窮状に応えて、生活の場を提供して下さり、食料支援体制までつくって、東京の子どもたちの命を受け止めたのが埼玉県平野村(現蓮田市)の方々でした。

 この心やさしき平野村民に支えられて、疎開保育園は一人の子どもの命も失うことなく、平和な時代に子どもたちを送り出すことが出来たのでした。

 そして、あの日から73年・・・子どもたちの命を守った平野村民のやさしき心は、一本の映画となって世に出ようとしているのです。

 「あの日のオルガン」を支える市民プロデューサーの輪が、一歩ずつそして確実に全国に大きく拡がって来ていました。

 その輪が拡がる中で、だんだんと私の胸の中に大きな位置を占めるようになってきた思いがございました。

 この史実にとって欠くことの出来ない地、蓮田市民の方々にも市民プロデューサーの輪にお加わりいただき、共に全国上映への道を歩むことが出来ないか・・・、この地のご参加を除いては、この全国に拡がる製作運動は画竜点睛を欠くことに、なるのではないか・・・、そんな思いが日増しに大きくなっていたのでした。

 幸い、こんな私の願いは蓮田市民のもとに届き、先日先ずもってこの映画の企画を聞いてみようと、心ある蓮田市民15名がお集まりになり、この場への参加を求められました。

 私の語るこの歴史と、平野村民の心をもとに製作しようとするこの映画の願いに、蓮田市民の方々は感動と共に熱くご賛同いただき、更に多くの市民にお呼びかけをして、製作の一翼にご参加していただくことをその場でお約束して下さいました。

 あの日から73年を経た今、心やさしき蓮田市民のこころは、間もなく一本の映画として完成し、今の時代に子どもの命と平和を語るべく31日クランクインを迎えます。

 子どもの命を戦火から守った、蓮田の誇りも語りながら・・・

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蓮田市の心やさしき方々





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by cinema-tohoku | 2018-03-05 15:06 | 映画 | Comments(0)

 これまで「おおきくなぁれ」(仮題)としてご紹介して参りました、疎開保育園の史実をもとに、製作準備中の作品の概要がほぼ決り、本年7月完成をめざしてスタートを切っていました。

 その一つは題名です。

 一本の映画にとってその題名は、作品のイメージを多くの方にお伝えする上でとても大切なものです。

 この題名を昨年中には決めようと議論を重ねて参りましたが、「あの日のオルガン」― 疎開保育園物語 と決りました。

 この映画には、保母と子どもたちが歌う「わらべ歌」がふんだんに盛り込まれることになります。

 保母さんが奏でるオルガンの音に合わせて歌ったこれらのわらべ歌が、あの困難だった子どもたちの生活の大きな励みにもなっていたのだと思います。

 そして、その歌声は平和の訪れを求める子どもたちの願いでもあったと思えるのです。

 この映画が全国津々浦々で上映され、その感動が、大きな平和の未来を謳い上げてくれれば・・・と願っています。

 クランクインも決りました。

 諸般の準備を進めながら、クランクインは31日に決りました。

 メインの撮影地は、数々の日本映画の名作を生み出してきた京都。

 松竹京都撮影所を中心に、40日程の撮影となる予定です。

 こんな風にして大車輪で製作準備が進められています。

 私の当面する課題は、市民プロデューサーを募って、これらの製作を資金面で支えること・・・。

 新年早々、私が映画の世界に入って以来の長い友人、八戸市のA氏から有難い出資お申込書が届けられました。

 一歩一歩、子どもの命と平和を願う声はその輪を大きく大きく全国に拡げ始めています。

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by cinema-tohoku | 2018-01-22 16:41 | 映画 | Comments(0)
 お正月の松もまだ取れない19日、「平成29年度政策課題講演会」と称する映画「君の笑顔に会いたくて」試写会が宮城県庁で行われ、村井知事をはじめ、県の幹部職員160名がこの作品をご覧になりました。
 この作品にとって宮城県はまさに生誕の地、原作者の大沼さんは宮城県人、撮影地はオール宮城県、そして現在全国に先駆けて上映展開中の地でもあります。

 この作品の製作を企画した時、その運動上の全国への発信地を宮城に置こうと思ったのは当然のことでした。

 県民運動実現の思いを携えて原作者大沼さんとご一緒に村井知事とご面会、製作上映運動への全面的なご賛同をいただいてこの映画はスタートを切ったのでした。

 そして、映画は撮影から完成、更には宮城県上映へと歩みを進めていたのでした。

 こんな折、県のご担当課の方からご連絡がございました。

 村井知事が映画をご覧になりたい・・・とのご意向なので、諸般の相談をしたい・・・とのことでした。

 私達はこれまでにも、何本かの映画を同じく宮城発信の県民運動として製作してきましたが、公務にご多忙の知事から観たい〟との声が語られたことはこれまではございませんでした。

 今回改めてお声がけがありましたのは、大沼さんが8年にわたって県教育委員をおつとめになられ、知事が大沼さんのこととよく存じ上げておいでだったことだけではなく、今日の子どもたちを取り巻く状況に目をやった時、行政として何らかの手だてをせざるを得ない程、その状況が危機的になっていることが試写会実現の背景としてあった様でした。

 上映に先立っての村井知事のごあいさつは、この映画の上映を通して、宮城の子どもたちが未来に向けて育つためには何が必要なのか学んで欲しい・・・〟 この思いで実現した試写会でございました。

 県庁の講堂に映写機を持ち込んでの試写会は、それにしても何とも「異様な」雰囲気の試写会でした。

 何せ、160名の観客のほとんどがダークスーツを着た50歳前後の男性たちだったのでしたから・・・。

 それでも、ドラマが展開するや、目頭をそっとぬぐうお姿が見られ、上映終了後は満場の拍手で県庁の幹部職員の方々はこの映画を受け止めて下さいました。
 こんなていねいな一歩一歩が、この作品を全国に送り出す力となる・・・そんなことを実感して帰路についた新年の一幕でした。

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ダークスーツ一色の会場


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by cinema-tohoku | 2018-01-16 12:10 | 映画 | Comments(0)

海老名香葉子さん・・・故・林家三平さんの妻であり、三平さん亡きあとは林家一門を支え、数々の落語家を育てたお方、〝おかみさん〟と親しまれ、日本の母親のイメージを代表するお一人でもあります。

 昨日、台東区根岸にあるご自宅をお訪ねし、久しぶりのご面会のお時間をいただいたのは、現在製作準備中の「おおきくなぁれ」(仮題)にお力をお借りしたいと思ったからでした。

 1945310日・・・あの日海老名さんは、疎開先の沼津から赤く染まる東京の空を見つめていました。

 一夜にして10万人の命を奪った東京大空襲の業火は、海老名さんのご家族にもその手をかけ、彼女は戦後を孤児として生きることを強いられたのでした。

 幸い、故三平さんと出会い家庭を持ち、幸せな生活を送っていましたが、東京大空襲の犠牲者への祈りと、平和への願いがその胸から消えることはありませんでした。

 私が海老名さんとお会いしたのは、彼女の著作「あしたげんきになーれ」がアニメ映画化され、その全国配給を担当したことからでした。

 ご高齢のお体をおして、全国キャンペーンにお付き合いいただき、彼女は行く先々で、心を込めた平和への願いを語って下さいました。

 その後、海老名さんは私費を投じて、上野公園の一角に東京大空襲の犠牲者の慰霊碑を建立され、毎年39日にその前で慰霊祭を開かれてからは、私も毎年参加させていただいておりました。

 久し振りにお会いした海老名さんは、両頬に愛らしいエクボをたたえて、満面の笑顔で私を迎えて下さいました。

 84才におなりになりながらも、平和への熱い願いを持ち続けて来られた海老名さんは、私の語る「おおきくなぁれ」(仮題)の思いに全面的なご支援を約束して下さいました。

 一歩ずつ、まさに一歩ずつ歩みを進めながら、一本の映画は、こんなやさしい方々のお手に支えられてその魂を吹き込まれて行くことを実感し、胸を暖かい思いでいっぱいにしながら東京下町を後にしたのでした。

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おかみさんとご一緒に


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by cinema-tohoku | 2017-10-31 11:06 | 映画 | Comments(0)

 「君の笑顔に会いたくて」上映の輪が着々と全国へ拡がっていました。

 この拡大の最大の要因は、この映画を通して子どもたちの輝く未来を語ることにご賛同いただいた方々が、心やさしきご支援の手を重ねて下さったことでした。

 そのお一人に宮城県選出衆議院議員 西村明宏さんがいらっしゃいました。

 西村さんは、その選挙地盤が、宮城県名取市を中心としたエリア、以前から原作者の大沼さんとはご交流を重ねていたこともあり、この作品に全面的なご支援をお寄せいただいていました。

 その西村さんのご尽力で、上川法務大臣への表敬訪問が実現したのでした。

 西村さんのご案内で訪れた原作者大沼さんと私を、上川大臣は皇居を望む眺望抜群の大臣室で、満面の笑顔で迎えて下さいました。

 私は、以前 上川大臣とご面識がありました。

 「じんじん」全国上映の折、当時の新藤総務大臣が作品をご覧になり大感激・・・。

 結果、総務省としてこの作品に異例なご支援をいただき、全国上映成功の大きな力となりましたが、上川大臣(静岡県選出)は当時総務副大臣をおつとめでした。

 静岡市での「じんじん」上映の折、実行委員会のメンバーに上川大臣のご友人がおいでで、この方に総務省のご支援の件をお話したところ、すぐに上川総務副大臣(当時)に、ご連絡をとって下さり、ご多忙なお時間を割いて静岡上映の折「じんじん」をご覧いただき、その後短時間でしたがお話をさせていただいたことがございました。

 大臣とのごあいさつの折に、その件をお話しましたところ、幸い覚えておいでで、大変喜んで下さいました。

そして、改めてお話申し上げました「君の笑顔に会いたくて」が語るものに、ご賛同いただき、法務省としての更なるご支援をお約束して下さいました。

こんなにも沢山の方々のお手に支えられながら成長している「君の笑顔に会いたくて」・・・この映画はとても幸せな作品なのかも知れません。

そして、その要因は、この作品が語るものが今、かけがえなく大切なものであることに多くの方々が気付かれたからなのかも知れません。

この輪を、もっともっと大きく育てて行きたいものです。

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西村議員、上川大臣、大沼さんとご一緒に


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by cinema-tohoku | 2017-10-03 16:55 | 映画 | Comments(0)

 朝、暗いうちに起き出して、夜明け前に車で青森県に出発・・・。
 高速にのって迎えた朝は、抜ける様な快晴、いささか冷え込んだ朝だと思ったら、ラジオからは、盛岡の朝の気温は9.3度、今年初の一ケタ台の気温との報せ・・・。
 車窓から望むナナカマドの実はすっかり赤く色づき、季節は一気に秋の装いです。
 以前のブログにも触れましたが、私の長年の企画でした「おおきくなあれ」(仮題)・・・あの戦火の時代に子どもたちの命を守ろうと決意した、若き保母たちの疎開保育園の史実をもとにした映画づくりが動き出していました。
 この企画の実現にあたって、私たちJSNでは、幾度かの会議を開き論議を重ねて来ました。
 そして、その中で大きな論議となったのが製作資金の調達の道についてでした。
 JSN各社とも、残念ながら経済的には厳しい現状・・・各社からの出資では100%の製作費をまかなうことは困難でした。
 それでも、この作品が語る今日的な意義をていねいにお伝えするなら、映画製作にきっと多くの方々がご賛同の手を重ねて下さることを期待して、不足する5000万円の製作費を、一口100万円のご出資による50人のご参加がまかなう方針を立てたのでした。
50人の市民プロデューサーと共に、子どもたちの命と平和を語る歩みをおこして行こうとの願いでした。
そして、この日はこの願いを携えた青森県への旅でした。
訪れた長年の友人、十和田市で小さな印刷屋を営むT氏は、私の願いを受け止めて下さり、何と100万円の現金を準備して私を迎えて下さいました。
この企画の市民プロデューサーのこれが第一号・・・。
 100万円に込めたT氏の平和への願いと、作品への期待をしっかりとカバンに詰めて、次のご依頼先、八戸のA氏とお会いして強行の日帰り出張を終えたのでした。
 この道の先に、平和願う旗が高く掲げられることを信じて・・・。
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津軽平野に裾野を広げる岩木山
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鏡の様な十和田湖



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by cinema-tohoku | 2017-10-02 17:29 | 映画 | Comments(0)

 企画スタートから3年・・・心を込めて努力を重ねて来た映画「君の笑顔に会いたくて」がやっと完成の日を迎え、この映画の発信地となった宮城県仙台市、名取市、そしてそれに引き続いて東京で、相次いで完成披露試写会が開かれ、トータル1,300人にのぼる方々に向けての全国発のご披露となりました。
 振り返って見れば、シネマとうほくとして製作にあたった作品は、数えてこれが4本目の作品。
 幸いなことに、いずれの作品も無事完成の日を迎え、引き続く全国上映も成功をおさめ、製作とご支援いただいた方々への義理も果たせた思いでございましたが、思い起こせばそこまでの道は、そのいずれもが茨の道でありました。
 何もない地平に設計の図を描いて、監督、脚本家とご一緒に作品をつくりあげる道・・・そして、完成した作品を多くの方々にお届けするためにつくりあげる、全国上映の歩むべき道筋とその仕組みづくり…これも又、苦労の創造の産物でありました。
 そして、これまでのいずれの作品もが、当初予定もしていなかった不測の事態に見舞われ、その対応に翻弄されることもございました。
 とても私の力では創り上げられないのでは・・・こんな不安と日々向かい合った映画製作のそれぞれの足跡でもありました。
 そんな道を、まさに一歩一歩拓きながら迎えることとなった完成披露の試写会の場は、それなればこそ有難く、又自らの歩みに一つの区切りをつける場でもございました。
 迎えた「君の笑顔に会いたくて」試写会場‥‥上映終了後、会場から出てきた方々が頬を染めながら語って下さった感動のお言葉に、これまでの苦労がまさに報われた思いにさせられたのでした。
 しかしながら道は まだほんの半ば・・・これから始まる全国上映に向けたもう一段の努力を胸に誓いながら、配給の仲間たちと交したその夜の盃でありました。
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東京も満員でした

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更女 千葉会長のご挨拶



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by cinema-tohoku | 2017-09-12 17:28 | 映画 | Comments(0)