カテゴリ:映画( 58 )

 これまで「おおきくなぁれ」(仮題)としてご紹介して参りました、疎開保育園の史実をもとに、製作準備中の作品の概要がほぼ決り、本年7月完成をめざしてスタートを切っていました。

 その一つは題名です。

 一本の映画にとってその題名は、作品のイメージを多くの方にお伝えする上でとても大切なものです。

 この題名を昨年中には決めようと議論を重ねて参りましたが、「あの日のオルガン」― 疎開保育園物語 と決りました。

 この映画には、保母と子どもたちが歌う「わらべ歌」がふんだんに盛り込まれることになります。

 保母さんが奏でるオルガンの音に合わせて歌ったこれらのわらべ歌が、あの困難だった子どもたちの生活の大きな励みにもなっていたのだと思います。

 そして、その歌声は平和の訪れを求める子どもたちの願いでもあったと思えるのです。

 この映画が全国津々浦々で上映され、その感動が、大きな平和の未来を謳い上げてくれれば・・・と願っています。

 クランクインも決りました。

 諸般の準備を進めながら、クランクインは31日に決りました。

 メインの撮影地は、数々の日本映画の名作を生み出してきた京都。

 松竹京都撮影所を中心に、40日程の撮影となる予定です。

 こんな風にして大車輪で製作準備が進められています。

 私の当面する課題は、市民プロデューサーを募って、これらの製作を資金面で支えること・・・。

 新年早々、私が映画の世界に入って以来の長い友人、八戸市のA氏から有難い出資お申込書が届けられました。

 一歩一歩、子どもの命と平和を願う声はその輪を大きく大きく全国に拡げ始めています。

a0335202_11363025.jpg


[PR]
by cinema-tohoku | 2018-01-22 16:41 | 映画 | Comments(0)
 お正月の松もまだ取れない19日、「平成29年度政策課題講演会」と称する映画「君の笑顔に会いたくて」試写会が宮城県庁で行われ、村井知事をはじめ、県の幹部職員160名がこの作品をご覧になりました。
 この作品にとって宮城県はまさに生誕の地、原作者の大沼さんは宮城県人、撮影地はオール宮城県、そして現在全国に先駆けて上映展開中の地でもあります。

 この作品の製作を企画した時、その運動上の全国への発信地を宮城に置こうと思ったのは当然のことでした。

 県民運動実現の思いを携えて原作者大沼さんとご一緒に村井知事とご面会、製作上映運動への全面的なご賛同をいただいてこの映画はスタートを切ったのでした。

 そして、映画は撮影から完成、更には宮城県上映へと歩みを進めていたのでした。

 こんな折、県のご担当課の方からご連絡がございました。

 村井知事が映画をご覧になりたい・・・とのご意向なので、諸般の相談をしたい・・・とのことでした。

 私達はこれまでにも、何本かの映画を同じく宮城発信の県民運動として製作してきましたが、公務にご多忙の知事から観たい〟との声が語られたことはこれまではございませんでした。

 今回改めてお声がけがありましたのは、大沼さんが8年にわたって県教育委員をおつとめになられ、知事が大沼さんのこととよく存じ上げておいでだったことだけではなく、今日の子どもたちを取り巻く状況に目をやった時、行政として何らかの手だてをせざるを得ない程、その状況が危機的になっていることが試写会実現の背景としてあった様でした。

 上映に先立っての村井知事のごあいさつは、この映画の上映を通して、宮城の子どもたちが未来に向けて育つためには何が必要なのか学んで欲しい・・・〟 この思いで実現した試写会でございました。

 県庁の講堂に映写機を持ち込んでの試写会は、それにしても何とも「異様な」雰囲気の試写会でした。

 何せ、160名の観客のほとんどがダークスーツを着た50歳前後の男性たちだったのでしたから・・・。

 それでも、ドラマが展開するや、目頭をそっとぬぐうお姿が見られ、上映終了後は満場の拍手で県庁の幹部職員の方々はこの映画を受け止めて下さいました。
 こんなていねいな一歩一歩が、この作品を全国に送り出す力となる・・・そんなことを実感して帰路についた新年の一幕でした。

a0335202_12065662.jpg

ダークスーツ一色の会場


[PR]
by cinema-tohoku | 2018-01-16 12:10 | 映画 | Comments(0)

海老名香葉子さん・・・故・林家三平さんの妻であり、三平さん亡きあとは林家一門を支え、数々の落語家を育てたお方、〝おかみさん〟と親しまれ、日本の母親のイメージを代表するお一人でもあります。

 昨日、台東区根岸にあるご自宅をお訪ねし、久しぶりのご面会のお時間をいただいたのは、現在製作準備中の「おおきくなぁれ」(仮題)にお力をお借りしたいと思ったからでした。

 1945310日・・・あの日海老名さんは、疎開先の沼津から赤く染まる東京の空を見つめていました。

 一夜にして10万人の命を奪った東京大空襲の業火は、海老名さんのご家族にもその手をかけ、彼女は戦後を孤児として生きることを強いられたのでした。

 幸い、故三平さんと出会い家庭を持ち、幸せな生活を送っていましたが、東京大空襲の犠牲者への祈りと、平和への願いがその胸から消えることはありませんでした。

 私が海老名さんとお会いしたのは、彼女の著作「あしたげんきになーれ」がアニメ映画化され、その全国配給を担当したことからでした。

 ご高齢のお体をおして、全国キャンペーンにお付き合いいただき、彼女は行く先々で、心を込めた平和への願いを語って下さいました。

 その後、海老名さんは私費を投じて、上野公園の一角に東京大空襲の犠牲者の慰霊碑を建立され、毎年39日にその前で慰霊祭を開かれてからは、私も毎年参加させていただいておりました。

 久し振りにお会いした海老名さんは、両頬に愛らしいエクボをたたえて、満面の笑顔で私を迎えて下さいました。

 84才におなりになりながらも、平和への熱い願いを持ち続けて来られた海老名さんは、私の語る「おおきくなぁれ」(仮題)の思いに全面的なご支援を約束して下さいました。

 一歩ずつ、まさに一歩ずつ歩みを進めながら、一本の映画は、こんなやさしい方々のお手に支えられてその魂を吹き込まれて行くことを実感し、胸を暖かい思いでいっぱいにしながら東京下町を後にしたのでした。

a0335202_11015502.jpg

おかみさんとご一緒に


[PR]
by cinema-tohoku | 2017-10-31 11:06 | 映画 | Comments(0)

 「君の笑顔に会いたくて」上映の輪が着々と全国へ拡がっていました。

 この拡大の最大の要因は、この映画を通して子どもたちの輝く未来を語ることにご賛同いただいた方々が、心やさしきご支援の手を重ねて下さったことでした。

 そのお一人に宮城県選出衆議院議員 西村明宏さんがいらっしゃいました。

 西村さんは、その選挙地盤が、宮城県名取市を中心としたエリア、以前から原作者の大沼さんとはご交流を重ねていたこともあり、この作品に全面的なご支援をお寄せいただいていました。

 その西村さんのご尽力で、上川法務大臣への表敬訪問が実現したのでした。

 西村さんのご案内で訪れた原作者大沼さんと私を、上川大臣は皇居を望む眺望抜群の大臣室で、満面の笑顔で迎えて下さいました。

 私は、以前 上川大臣とご面識がありました。

 「じんじん」全国上映の折、当時の新藤総務大臣が作品をご覧になり大感激・・・。

 結果、総務省としてこの作品に異例なご支援をいただき、全国上映成功の大きな力となりましたが、上川大臣(静岡県選出)は当時総務副大臣をおつとめでした。

 静岡市での「じんじん」上映の折、実行委員会のメンバーに上川大臣のご友人がおいでで、この方に総務省のご支援の件をお話したところ、すぐに上川総務副大臣(当時)に、ご連絡をとって下さり、ご多忙なお時間を割いて静岡上映の折「じんじん」をご覧いただき、その後短時間でしたがお話をさせていただいたことがございました。

 大臣とのごあいさつの折に、その件をお話しましたところ、幸い覚えておいでで、大変喜んで下さいました。

そして、改めてお話申し上げました「君の笑顔に会いたくて」が語るものに、ご賛同いただき、法務省としての更なるご支援をお約束して下さいました。

こんなにも沢山の方々のお手に支えられながら成長している「君の笑顔に会いたくて」・・・この映画はとても幸せな作品なのかも知れません。

そして、その要因は、この作品が語るものが今、かけがえなく大切なものであることに多くの方々が気付かれたからなのかも知れません。

この輪を、もっともっと大きく育てて行きたいものです。

a0335202_15501447.jpg

西村議員、上川大臣、大沼さんとご一緒に


[PR]
by cinema-tohoku | 2017-10-03 16:55 | 映画 | Comments(0)

 朝、暗いうちに起き出して、夜明け前に車で青森県に出発・・・。
 高速にのって迎えた朝は、抜ける様な快晴、いささか冷え込んだ朝だと思ったら、ラジオからは、盛岡の朝の気温は9.3度、今年初の一ケタ台の気温との報せ・・・。
 車窓から望むナナカマドの実はすっかり赤く色づき、季節は一気に秋の装いです。
 以前のブログにも触れましたが、私の長年の企画でした「おおきくなあれ」(仮題)・・・あの戦火の時代に子どもたちの命を守ろうと決意した、若き保母たちの疎開保育園の史実をもとにした映画づくりが動き出していました。
 この企画の実現にあたって、私たちJSNでは、幾度かの会議を開き論議を重ねて来ました。
 そして、その中で大きな論議となったのが製作資金の調達の道についてでした。
 JSN各社とも、残念ながら経済的には厳しい現状・・・各社からの出資では100%の製作費をまかなうことは困難でした。
 それでも、この作品が語る今日的な意義をていねいにお伝えするなら、映画製作にきっと多くの方々がご賛同の手を重ねて下さることを期待して、不足する5000万円の製作費を、一口100万円のご出資による50人のご参加がまかなう方針を立てたのでした。
50人の市民プロデューサーと共に、子どもたちの命と平和を語る歩みをおこして行こうとの願いでした。
そして、この日はこの願いを携えた青森県への旅でした。
訪れた長年の友人、十和田市で小さな印刷屋を営むT氏は、私の願いを受け止めて下さり、何と100万円の現金を準備して私を迎えて下さいました。
この企画の市民プロデューサーのこれが第一号・・・。
 100万円に込めたT氏の平和への願いと、作品への期待をしっかりとカバンに詰めて、次のご依頼先、八戸のA氏とお会いして強行の日帰り出張を終えたのでした。
 この道の先に、平和願う旗が高く掲げられることを信じて・・・。
a0335202_17215000.jpg
津軽平野に裾野を広げる岩木山
a0335202_17250078.jpg
鏡の様な十和田湖



[PR]
by cinema-tohoku | 2017-10-02 17:29 | 映画 | Comments(0)

 企画スタートから3年・・・心を込めて努力を重ねて来た映画「君の笑顔に会いたくて」がやっと完成の日を迎え、この映画の発信地となった宮城県仙台市、名取市、そしてそれに引き続いて東京で、相次いで完成披露試写会が開かれ、トータル1,300人にのぼる方々に向けての全国発のご披露となりました。
 振り返って見れば、シネマとうほくとして製作にあたった作品は、数えてこれが4本目の作品。
 幸いなことに、いずれの作品も無事完成の日を迎え、引き続く全国上映も成功をおさめ、製作とご支援いただいた方々への義理も果たせた思いでございましたが、思い起こせばそこまでの道は、そのいずれもが茨の道でありました。
 何もない地平に設計の図を描いて、監督、脚本家とご一緒に作品をつくりあげる道・・・そして、完成した作品を多くの方々にお届けするためにつくりあげる、全国上映の歩むべき道筋とその仕組みづくり…これも又、苦労の創造の産物でありました。
 そして、これまでのいずれの作品もが、当初予定もしていなかった不測の事態に見舞われ、その対応に翻弄されることもございました。
 とても私の力では創り上げられないのでは・・・こんな不安と日々向かい合った映画製作のそれぞれの足跡でもありました。
 そんな道を、まさに一歩一歩拓きながら迎えることとなった完成披露の試写会の場は、それなればこそ有難く、又自らの歩みに一つの区切りをつける場でもございました。
 迎えた「君の笑顔に会いたくて」試写会場‥‥上映終了後、会場から出てきた方々が頬を染めながら語って下さった感動のお言葉に、これまでの苦労がまさに報われた思いにさせられたのでした。
 しかしながら道は まだほんの半ば・・・これから始まる全国上映に向けたもう一段の努力を胸に誓いながら、配給の仲間たちと交したその夜の盃でありました。
a0335202_17264503.jpg
東京も満員でした

a0335202_17245542.jpg

更女 千葉会長のご挨拶



[PR]
by cinema-tohoku | 2017-09-12 17:28 | 映画 | Comments(0)

 東北の冷害を語る「やませ」が吹き、何と36日にのぼった連続降雨に、ともすれば暗い思いが語られていた東北に、待ち望んだ夏の訪れを告げるような、素晴らしい「母」の上映会が被災地石巻で行われました。

 石巻での上映活動が始まったのは、まだ冬の寒さの残る3月のことでした。

 この作品の上映を通して、平和と民主主義のこころを市民に語ろうとした人の輪は一歩一歩市内に拡がり、迎えた本上映会は、連日の降雨も朝方にはきれいに晴れあがり、数多くの市民が会場に足を運んで下さいました。

 石巻上映は、震災以降のいくつかのハンディを乗り越えての上映会でした。

 その一つは会場問題・・・。

 あの日おしよせた波の壁は市内中心部を破壊つくし、それ以降は、市中心部には上映が出来る会場がなくなり、どこで上映をするのか、実行委員会では幾度かにわたって議論を重ねました。

 そして、その結果、心を込めて話せば、きっと市民は理解してくれることを信じて、市中心部からは相当に離れた、合併前の隣町、旧河北町にある会場での開催を決めたのでした。

 そして、もう一点、準備段階での不安要因となったのが有料催事となるこの上映会への不安でした。

 2011311日、あの日の大惨禍以降全国からのご支援の手は多くの被災者を励ましました。

 そのご支援の一環に、映画上映やコンサート等文化催事を通したご支援も数多くございました。

 そして、その支援催事は勿論のこと無料でした。

 この心やさしきご支援は多くの被災者を励まし、前進への力となりましたが、一面、文化催事は全て無料で行われる・・・こんな思いもごく当然のこととして受け止める心を市内につくることにもなっていたのでした。

 あの日から既に6年の時間が流れながら、このことはその後の市内での有料催事の実現に影ともなっていたのでした。

こんな いくつかの困難も抱えながらの石巻上映1回目・・・何と会場は満席をこえて超満員、残念ながらご入場できず払い戻しもせざるを得ない状況となったのでした。

この見事な大成功上映会は、平和と民主主義のこころを石巻市民の心に刻んだだけでなく、震災からの復興、そして自立のこころをも熱く語ってくれた様でした。

a0335202_17032176.jpg
超満員の石巻「母」会場



[PR]
by cinema-tohoku | 2017-09-04 14:07 | 映画 | Comments(0)
 8月を迎えたというのに、ここ東北の梅雨明けはまだ…、それでも日々つのる暑さは確実に夏の訪れを告げています。

 暑中お見舞い申し上げます。

 皆様方におかれましては ご健勝にてご活躍のことと存じます。

 忘れもしないあの大惨禍から6年の時間が流れて行きました。

 あの日、完成したばかりの「エクレール~お菓子放浪記~」をかばんの中に抱えながら、すさまじい傷跡の石巻に茫然として立ちつくしていた私の姿を忘れることはできません。

 これから私たちがたどる道の先にどんな未来が待っているのか想像すら出来ずに、まさに絶望の淵に立ちつくしていた自らの姿を思いおこしてもいます。

 それでも、あの日以降全国からお寄せいただいた心やさしき人の情けは、ほとんど倒れかけていた私の心を支えて下さり、未来に向けてそっと背を押しても下さいました。

 そしてあの日から、私達シネマとうほくの復興に向けた旅は始まったのでした。

 数々の困難もありました・・・それでも暖かい方々のお手に支えられながら、まるで牛の歩みの様な私たちの歩みは、それでも一歩一歩新たな未来を育んでいたのかも知れません。

 気が付いたら、私たちの手には新たな作品が授かり、そしてその作品は、全国に向けたスタートラインに立っていました。 

 「君の笑顔に会いたくて」、宮城県名取市在住の女性保護司を主人公に、「地域社会と家族の再生」、そして「子どもたちの輝く未来」を語ろうとする作品です。

 極めて限られた予算と厳しい制作条件の中での製作でございました。

 今振り返るなら数々の反省も抱えておりますが、とにかくあの日以降、私共の手によるはじめての映画がこの世に生を授かった思いでございます。

そして、この作品の全国初の試写会が720日・21日両日仙台市と名取市で開催され、製作を支えて下さった県民約800人がご参加して下さいました。

いつもながら、はじめての作品のご披露となる試写会は緊張を強いられます。

手がけて来た作品に込めた思いが観客の胸に伝わったか・・・。

幸い ご覧いただいた方々の反響は上々・・・ 涙をぬぐいながら感動を語るご参加者の姿にホッと胸をなでおろしたのでした。

いよいよ、この作品の県内、そして全国への旅立ちです。

 6年前の大惨禍からの私たちの立ち直りへの願いも語りながら…‥。
a0335202_16475625.jpg

「君の笑顔に会いたくて」


[PR]
by cinema-tohoku | 2017-08-01 16:57 | 映画 | Comments(0)

「君の笑顔に会いたくて」の仕事で函館に来ました。

 幸い、函館の更生保護女性会が熱い思いでこの作品を受け止めて下さり、明年秋の1000名目標の上映運動がスタートすることになりました。

 「君の笑顔に会いたくて」・・・ここまでの全国の上映準備は、極めて順調に進んでいました。

 この作品の持っている今日的な意義と、テーマの分かりやすさがその一つの要因だと思いますが、併せてここまでにていねいに、そして順序をたがえずに進めて来た配給の仕事の反映だろうとも思います。

 法務省、そして更生保護関係団体を中心に、上映支援の輪は全国に拡がり、上映を望むお声は相当の地から届けられるようになって来ました。

 これこそが、私たちJSNの掲げるスローシネマの仕組みなのかも知れません。

 作品が完成してから上映に向けて動き出すのではなく、企画段階で基本的な配給方針を定め、それに基づいて順序良く各方面に働きかけ、完成までには全国上映の大きな流れをつくり上げる・・・。

 「君の笑顔に会いたくて」が、これも新たな映画配給の道を語ることになれば・・・と願っています。

 仕事が早めに終わり、今日の泊りは函館・・・思いたって夕刻の函館散策に・・・。

 この町は、私が幼稚園から小学校3年生までを過ごした懐かしい町・・・。

 私のいささか長くなってしまった人生の中で、最も輝く時代をつくってくれた町であり、数々のなつかしい思い出を私の胸に刻んだ町でもありました。

 古い記憶をたどってたどり着いた、少年時代の街杉並町は、あっけない程の小さな街路でありました。

 子ども時代の記憶にあるこの街は、もっと大きなそれであったと思えるのに…。

 そもそも子どもは、果てしないほど大きな未来と夢をその胸の中にあたためながら育っているものなのだと思うのです。

 いまだに沢山の未知の世界をその胸にかかえた子どもたちにとって、取りまく回りの環境も、その目には大きく映るものなのかも知れません。

 年も重ね、そんな未来への夢の一つ一つが現実の生活の中に整理され、未知なるものも段々と少なくなってしまった私の目に映じたこの街路の小ささは、いささかの哀しさをも私に語ったのでした。

 それでも、間もなく生まれようとしている一本の映画が、着々とその輪を全国に拡げ様としていることに一人納得して、疲れた体を居酒屋のカウンターにゆだね、今日一日をおだやかに振り返ったのでした。

 明日からは又、連日の旅となることを一時忘れて・・・。

a0335202_12233695.jpg

夕暮れの大森浜からは、啄木が眠る立待岬が


[PR]
by cinema-tohoku | 2017-07-03 12:25 | 映画 | Comments(0)
 以前のブログに触れました。
 私の胸の中に長年にわたってあたため続けていた企画が、その実現に向けた歩みをおこしていました。
 「疎開保育園物語」(仮題)、あの戦火の時代に、子どもたちの命を必死の思いで守り通した保母たちと、その庇護の翼に守られ平和をとりもどした世界に飛びたって行った子どもたちの物語です。
 そして、このドラマには、その核になる一人の少年が居ました。
 健ちゃん・・・。
 あの時やっと4歳を迎えていた健ちゃんは、1945310日の東京下町を焼き尽くした業火で家族の全てを失い、一夜にして孤児となってしまったのでした。
 原作者 久保さんのお計らいで、あれから72年を経た健ちゃんとお会い出来ました。
 小さなお体に、それでも笑顔で目を細めたおやさしいお姿で健ちゃんは私たちの前に座って下さりました。
 お会いするなり健ちゃんは私に今日の面会のためにご自身の思いを書きつけた一枚のペーパーを渡して下さいました。
 そこには、精いっぱいの思いで映画をスタートさせようとする私たちへの感謝の思いが綴られていました。
 健ちゃんは疎開保育所閉所のあと、新潟県のおじさんに引きとられて苦難の戦後の歩みを始めたことをとつとつとした、それでも心を込めた語り口で語ってくれました。
 中学卒業後就職し、その後幸せな結婚もし、お嬢様2人に恵まれ、今は孫が2人もいることも・・・。
 だんだんとものが言えない時代になってきたように思う...こんな危惧も語りながら健ちゃんは、自分は巡り合わせで神様に生かされてきたのだと…それなればこそ今、平和の尊さを語る責任がある…生き残ったものとして・・・こんな思いを決意を込めた表情で私たちに語って下さいました。
 人に対しての〝善意〟だけを頼りに生きて来たことをうかがわせる健ちゃんに、72年前の自らの幼い姿とスクリーンで再会をさせたい・・・。
 そんな思いを強く胸に刻んだご面会でした。
a0335202_10094821.jpg
健ちゃんと原作者久保さん


[PR]
by cinema-tohoku | 2017-06-23 13:05 | 映画 | Comments(0)