「蔵のある街」・・・蓮田市・・・
「蔵のある街」全国展開の第一歩が埼玉県蓮田市での試写会で印されました。 「蔵のある街」の監督平松恵美子さんの前作は、40数年に及んだ私の企画が実現した「あの日のオルガン」でした。 「あの日のオルガン」は今から80年前、日本国中に空襲が相次いでいた時の東京から始まるお話でした。 まもなく東京への空襲が必至の状勢の中、品川区にあった戸塚保育所の保母たちは大きな決断を下しました。 戦火から子どもたちの命を守るため、保育園を地方に疎開させる決断でした。 しかしながら、全国でも前例のなかった保育園の疎開・・・その実現にはたくさんの困難があったのでしたが、保母たちはそれを一つ一つ乗り越えて、1944年11月25日疎開先への列車は上野駅を出発しました。 参加したのは、下は3才からの53名の幼児たち、そしてそれを引き連れたのは、そのほとんどが20代の若い11名の保母たちでした。 そして、敗戦をはさんで丸1年におよんだ疎開保育園は、一人の子どもの命も失うことなくすべての子どもたちを平和な時代に送り出したのでした。 この疎開先となったのが、埼玉県平野村(現蓮田市)の妙楽寺というお寺でした。 食料事情も困難になっていたあの頃、平野村の方々は、保母たちの願いを受け止め、子どもの命を守る大きな役割を果たしたのでした。 この作品の製作準備が始まった時、不足する製作費のご支援のお願いを携えて蓮田市を訪れたのは2018年3月、梅の花のほころび始めた頃でした。 “子どもの命と平和” の願いを伝えるこの映画の製作に蓮田市民の方々は熱く熱くご賛同して下さり、市民への募金活動でこの製作を支えて下さいました。 そして完成したこの作品の蓮田市上映は、更にドラマチックな展開となったのでした。 蓮田市の市長さんを中心に構成された<上映実行委員会>の訴えは、まるで砂地に水がしみ込む様に市民の中に拡がって行きました。 そして迎えた上映は、人口5万人の蓮田市で何と1万人にのぼる市民にご参加いただく大成功上映会としてその幕を閉じたのでした。 それでも蓮田市民の方々は、これで運動の幕引きにはしませんでした。 これまで知られていなかった蓮田の歴史― “戦火から子どもたちの命を守った町” ―の掘りおこしと顕彰の活動へと発展させて行ったのでした。 「あの日のオルガン」の平松監督が心を込めて製作した「蔵のある街」のことが伝わるや、市民の方々は即刻に立ち上がって下さいました。 先ずは観たいし観せたい・・・そして賛同いただけるならそこから上映への動きを・・・そんな思いで開催された試写会は、岡山県を除くなら全国初・・・不思議なご縁がつながって開催された試写会には、蓮田市長さん始め、会場に入り切れないほどの80名の市民が足を運んで下さいました。 映画が始まると会場からは笑いの声が・・・そしてラストにさしかかる頃には感動の涙をぬぐう姿が・・・。 全国初の試写会は市民の感動となってその幕を閉じたのでした。 ニュースからはイランでの戦争の報道、そして国内からは子どもたちの悲しい自殺を伝える報道、閉塞感でいっぱいになってしまった現代社会に、この映画は、地域に人と人との心を通わせ、子どもたちを健やかにその未来に送り出す・・そんな願いが観る者の心に伝わった様で、上映終了後は熱い熱いお声が届けられたのでした。 今から80年前、戦火から子どもたちの命を守った町蓮田から、この映画は全国に向けた旅立ちの一歩を印したのでした。
「蔵」蓮田試写会
🄫2025つなぐ映画「蔵のある街」実行委員会
by cinema-tohoku
| 2026-03-03 10:25
| 映画
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