「玉音放送を命にかえても」
先日、久し振りに「荒野に希望の灯をともす」製作の日本電波ニュース社をお訪ねして、この映画のプロデューサーでもある上田未生社長さんとお会いしました。 配給を担当していた「荒野に希望の灯をともす」の上映が全国に大きく拡がり、全国の観客数が日本の記録映画としては異例な17万人を数えたことのご報告とお礼を兼ねてのご訪問でした。 上田さんは、私の訪問を喜んで下さり、積もる話に花が咲きました。 その折、上田さんから一冊のご本を頂戴しました。 以前のブログ(「日本電波ニュース」2025.5.13)でも触れましたが、電波ニュースの創設者で初代社長の柳澤さんは、あの戦争終結の時NHKの報道担当として、日本の歴史にとても大きな役割を果たした方でした。 1941年12月、日本は勝つ見込みのない対米戦争に突入しました。 案の定、戦局は日増しに不利となって、もはや戦争の継続は望むべくもなく、1945年連合国側から突きつけられた降伏要求の最終宣言「ポツダム宣言」の受諾を日本が決意したのは、1945年8月14日でした。 そしてこの敗戦を国民に伝えるため天皇自らが直接国民への放送にあたることとなり、当時のNHKが天皇のメッセージをレコードに吹き込み、これを翌8月15日全国に放送する手筈を整えたのでした。 しかしながら、徹底抗戦を唱える一部の将校たちは、この放送を阻止せんと銃を携えてNHKに乗り込んで来たのでした。 この時、その反乱将校と対峙して、無事に天皇の<玉音放送>を放送する大きな役割を果たしたのが柳澤さんでした。 あの時の彼の努力がなければ日本の運命と歴史は大きく異なるものになっていたのかも知れないのでした。 昭和の歴史の大きな一ページとなったこの時の柳沢さんの証言を後世に残すべく、幾度かにわたって生前のご自宅をお訪ねして取材のビデオを回して来たのが、上田さんでした。 そして、そんな柳沢さんの歩みとあの日のことを綴って岩波書店から一冊の本となって出版されたのがこのご本でした。 柳沢さんの歩みと、NHKへの入局、開戦、そしてあの“日本のいちばん長い日”・・・。 目を離すことが出来ずにたちまちのうちに読み終わったのでした。 昭和のあの激動期を、一人の報道人として精一杯の良心を胸に生きた柳沢さんの歩みが熱く胸に伝わって来ました。 戦争中、大本営から発表された虚偽の報道をそのまま国民に伝え、あの大惨禍を招いた責任を感じ、柳沢さんは戦後NHKを退社し、正しい報道を伝えるため立ち上げたのが<日本電波ニュース社>でした。 ご本の中の一節が胸に残りました。 生前柳沢さんがよく語っていた言葉、“戦争による最初の犠牲者は真実である・・・” 今の日本に伝えなければならない、これは大切な一人の人間の歩みです。
by cinema-tohoku
| 2026-02-20 16:18
| 映画
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