又、又、又、蓮田市
題名には「妙楽寺疎開保育園物語」…蓮田市で展開された、市民の手による「あの日のオルガン」製作上映運動が一段落となり、3年にわたった運動の報告集として制作されたものでした。
蓮田市は今から76年前、日本国中が戦火に包まれていた時、数々の困難が予想されながらも、東京の戸越保育所の疎開を受け止め、幼い53人の子どもたちの命を守った町でした。
「あの日のオルガン」の製作が決定して、その製作資金の調達のための<市民プロデューサー>ご参加の働きかけに全国を駆け回っていた時、そのご依頼で蓮田市を訪れたのは、クランクインを間近に控えた2018年2月のことでした。
急なお声がけにもかかわらず、集まって下さった10数名の市民の方々は、私の語るこの映画のこころを、時には涙もぬぐいながら熱く熱く受け止めて下さいました。
これまで、疎開保育園の地蓮田市では、この史実は必ずしも多くの市民共有のものとはなっていませんでした。
“この史実を映画として作り上げ、全国上映を通して蓮田の誇りを語ろう!″
そんな願いは、短い時間の中に、市民の胸に拡がって行き、<映画「あの日のオルガン」を支える蓮田市民の会>となって、この映画製作を支えて下さいました。
そして映画完成後は、蓮田上映の実現へと市民の願いは拡がり、行政も巻き込んだ上映運動は、人口6万人の蓮田市で、何と1万人市民が鑑賞する、見事な結果となってその実を結んだのでした。
地方の活性化を願って、いわゆる〝ご当地映画“は数々製作されていますが、残念ながらそのほとんどの例は、持続的な地域運動とはならず、撮影の時だけの〝お祭り騒ぎ″は、映画の完成で終息を迎えるもので止まっていました。
しかしながら、蓮田市民が3年にわたって展開した製作上映運動は、製作支援から全国上映…そして、地域の歴史の掘り起し…この一連の運動を通して、映画の製作を市民の誇りとして、市の未来に定着させようとしたものでした。
そしてその願いは、3年をかけて見事な花を咲かせたのでした〝戦火から子どもの命を守った町、蓮田″として…。
コロナ禍で、全国上映の中断を余儀なくされている今…
この冊子に込められた願いは、全国上映の再開と更なる拡大へと、変わらぬ情熱で光を放っているのです。

