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          蓮田市…妙楽寺…

 コロナ禍で、心までもが塞がってしまいそうな時、一陣の風のような爽やかな話題が届けられました。
 
 1944年11月25日…戦火から子どもたちの命を守ろうと決意した、戸越保育所の保母たちは、埼玉県平野村(現蓮田市)の妙楽寺に、全国初の疎開保育園を開設して、全ての子どもたちの命を守り抜きました。
 この史実は、これまでほとんど知られてはいませんでしたが、「あの日のオルガン」が完成し、この全国上映を通して、多くの方々の知るところとなりました。
 この貴重な保育実践は、勿論のこと11名の保母たちの献身的な努力によるものでしたが、それを支えた平野村民の心優しきご援助がなければ、とうてい実現できたものではありませんでした。
 この疎開保育園の地、蓮田市高虫にある、妙楽寺の一角に、市民の願いが叶い「あの日のオルガン」上映を記念した、記念碑とご案内の看板が建立された、とのお知らせでした。
 
 2年前、蓮田市民の方々は、この疎開保育園の史実の映画化を、大きな喜びで受け止めて下さいました。
 そして、映画支援の「市民の会」を結成、製作支援の運動に取り組んで下さいました。
 〝戦火から子どもたちの命を守った町、蓮田を全国に語る映画″こんな訴えは、短い時間のうちに、市民共有の願いとなって、この映画製作を大きく支えて下さいました。
 そしてその後、この運動は行政をも巻き込むこととなり、映画完成後の蓮田市上映会は、官民一体の上映会となって、10,000人参加の〝大成功上映会″として、その幕を閉じたのでした。
 上映終了後、益金の使途が語られ、これを使って妙楽寺境内への、記念碑と案内看板の設置となったのでした。
 本来なれば、盛大な除幕式を…こんな願いもあった様でしたが、このコロナ禍、時期を待ってお披露目の機会を作りたい…こんなお声も添えられていました。
 74年前、あの悲惨な戦火から子どもたちの命を守り抜いた、若き保母たちと、平野村民(蓮田市民)たちの願いは、「子どもの命と平和」を誓うモニュメントとして、疎開保育の地に誇り高く、その史実を語ることになったのでした。
 機会があれば、足を運んでみて下さい。
 平和を願う、オルガンの音と子どもたちの歌声が、風に乗って耳に届くかも知れません。
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疎開保育園を語る、記念碑と案内板

by cinema-tohoku | 2020-05-26 16:06 | JSNの動き | Comments(0)