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        H君・・・

長年の友人が、華やかな新緑とさわやかな5月の風に送られながら、永遠の旅に発ちました。
まるで弟の様だったH君・・・まだ62年の命でした・・・。
巡り合いは、1973年にさかのぼります。
あの頃、私が勤務していた共同映画の仙台事務所には、何人かの高校生たちが出入りしていました。
そんな折、私たちが配給することになった映画「青春狂詩曲」がありました。
埼玉県の高校を舞台に、自らの輝く未来に向けて、友と手を携え成長しようとする高校生の姿を生き生きと描いた作品でした。
このシナリオを、当時出入りしていた高校生T君が手に取ったことが全ての始まりとなりました。
真剣な表情で読み終えたT君は、〝この映画を俺たちに上映させてくれ〟と語ったのでした。
この申し出を受け止め私たちは、T君と上映運動の仲間づくりに着手しました。
そして、事務所に現れたのがH君でした。
整った顔立ちと細身の体・・・やさしく、シャイな彼はたちまちのうちに中心メンバーとなりました。
それ以降、事務所に集まる高校生の数は、加速度的に拡大・・・夕方になると、私たちの事務所の空間は、学校を越えた高校生で埋まり、まさに立錐の余地のない状態となってしまいました。
そして当然ながら、そこには若者たちの恋や悩み、そしていくつかのぶつかり合いもありました。
そんな一つ一つの出来事に、笑みを絶やさずに、常に人に寄り添いながら運動を育てる中心に居たのがH君でした。
誠実な彼の姿は、高校生たちの深い信頼もかちとり、私たちの事務所に出入りする大人たちのグループの皆から可愛がられる存在ともなっていました。
高校卒業後、大学に進学し、就職した会社でも頭角をあらわし、会社の役員ともなり、会社を引っぱる、名実ともその先頭に立っていました。
そんなH君を、肺癌の病魔が襲いました。
見つかった頃には末期ガンとの宣告も受け・・・それでも彼は病との戦いを放棄することはありませんでした。
愛する家族にむくいるため、そして自らの命をもう一度きらめかせるために・・・。
その病との闘いは何と3年7か月におよんだのでした。
彼の旅発ちの2日前に見舞った私を、彼は精いっぱいのやさしい笑顔で迎えてくれました。
もはや、会話を交わすこともつらかったにもかかわらず・・・。
そして、別れる時、私の手を握り〝暖かいな〟と語ってくれた一言が最後の別れの言葉となりました。
ひたすらに人を愛し、信じ、一人の人間として誠実に生き抜いたH君の一生に心からの合掌・・・。
あなたが人生をかけて語り続けた〝人へのやさしさ〟はしっかりと受け継いでいきます。
さようなら・・・。
        H君・・・_a0335202_09454411.jpg

by cinema-tohoku | 2019-05-21 09:47 | 映画 | Comments(1)
Commented at 2019-05-31 16:19 x
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