8年・・・
私にとって決して忘れることの出来ない8年目のこの日を、今年は「あの日のオルガン」を携えた金沢の街で迎えました。
あの日、東日本一帯に押し寄せた波の壁は、そこにあったあたりまえの生活を、そして沢山の夢さえも奪って行きました。
そして、あの直後から寄せられた全国からのご支援のやさしい手の数々は被災地を支えました。
〝支え合い〟〝絆〟・・・数々の美しい言葉が語られていました。
そして、あの日から8年が・・・・・。
あの時、国をあげて支え合った記憶は遠いかなたのものになってしまったのでしょうか。
人々の口から、これらの言葉が語られることはなくなり、これと交代をする様に「復興五輪」の言葉が踊っています。
聖火リレーが福島から始められる…リレーのトーチが展示される…。
まるで、この8年で被災地は立ち上がり、オリンピックが新たな未来を拓く「復興」を実現するが如き報道が語られています。
しかしながら、北の地の実態は・・・。
かつての生活の場からの避難生活を送る人は、福島県を中心に未だに5万人を越え、復興住宅での孤独死は急増・・・そして、あの甚大な被害を受けた陸前高田は、いまだに「かさ上げ」工事のダンプカーが行き交う茶色の街・・・。
現実は、いまだに「復興」にはほど遠いものですし、人々は、今も精いっぱいの思いで日をつないでいるのです。
一過性のスポーツイベントの開催が、まるで手品の様に被災地に希望の光を放つ筈がないのです。
今必要なのは、被災地の現実をありのままに伝えて、変わらぬ支え合いの心を国中に拡げることだと思いますし、その先頭に国が立つべきだとも思うのです。
今年の3.11は、私の胸に少しばかりの悲しい思いを語りました。