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        倉敷市

 「あの日のオルガン」の監督脚本を担当して、見事なお仕事でこれに応えて下さったのは平松恵美子さんでした。
 平松さんは、倉敷市でお生まれになりました。
 若い頃から映画に心を寄せるようになり、〝年間300本も映画を観るすごい高校生が居る〟と県内でもいささか話題になる方だった様です。
 岡山大学に進学され、卒業後東京の会社に就職しましたが、映画への思いはやはり断ち難く退職、松竹山田洋次監督のシナリオ塾に通い始めました。
 持ち前の分析力たっぷりの頭脳と、冷静な知性故か、みるみるうちにシナリオづくりにその才能を発揮して、山田監督のお目にとまり、いつの間にか山田監督と「共同脚本」をになうまでになりました。
 そして、ご高齢を迎えた山田監督にとっては、今や欠くことの出来ないパートナーとしてご活躍されていました。
 「あの日のオルガン」の製作を思い立った時、私たちがこの監督・脚本として白羽の矢を立てたのが平松さんでした。
 お渡しした原作に、幸い彼女は熱く共感して下さり、平松さんの手による脚本づくりからこの制作はスタートしたのでした。
 そして作品は無事完成を迎え、引き続き公開劇場の編成に着手、その劇場の一つに設定されたのが彼女の故郷倉敷の、ムービックス倉敷でした。
 この映画の完成と、倉敷での公開決定が倉敷に届くや、平松さんにゆかりの方々や、市民の方々はこの報を喜びをもって受け止めて下さいました。
 そして、このお声は急速に〝平松恵美子応援団〟に結集して行ったのでした。
 迎えた1月17日は、平松監督をおむかえしての、応援団の発足を兼ねた県下最初の試写会、私もこの地を訪れました。
 これまでも幾度か倉敷を訪れていましたが、倉敷の看板とも云うべき、古い蔵の建ち並ぶ「美観地区」を訪れたのはこれが初めてのこと。見事に古い街並が残された街の風情にいささか感激の思いでした。
 そして、試写会場となった、これも古い建造物倉敷公民館には、会場のそこかしこで、平松さんとの再会を喜ぶお声が響いていました。
 上映終了後、舞台に立った平松監督は、会場から注がれる市民のやさしき、そして応援のまなざしにしばし絶句・・・会場は、映画への感動もあいまって、不思議なやさしさに包まれたのでした。
 応援団の主だった方々と開かれた夜の懇親会は、試写会場の雰囲気をそのままに持ち込んだものとなり、尽きぬ話は平松監督の倉敷を舞台にした次回作にまでおよび、夜は更けて行ったのでした。
 こんな人のやさしさに支えられながら、この作品は2月22日、全国への旅をはじめます。
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倉敷・・・蔵の街並み

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クランクインの日、平松監督と



by cinema-tohoku | 2019-02-01 16:03 | 映画 | Comments(0)