立 冬
台風、集中豪雨、地震・・・昨今の「異常気象」は、もはや異常とは言えない、日常のものになってしまった様です。
この先に、漠たる不安も感じさせる自然現象が続いています。
自然が異常になると、人の心も異常になってしまうのでしょうか。
事は10月31日のことでした。
甲府から東京に戻り、私が以前勤務していた会社の社長と久しぶりに旧交をあたためようと、待ち合わせをしたのが渋谷駅でした。
夕刻に渋谷に到着、そしてそのあまりのすさまじさにしばし立ちつくしたのでした。
そうです、この日はかの「ハロウィン」なるその日だったのでした。
この頃には、駅前のハチ公前広場は、立錐の余地のない人、人、人で埋まり、その一人一人に目をやるなら、そのすさまじい姿に絶句でありました。
そして刻一刻と、その人の波は大きくふくらんで行ったのでした。
本来は〝秋の収穫を祝い、悪霊を追い出す宗教行事〟とのことですが、この祭りの本来の意義は全て放り投げ集まる若者の姿は、ただひたすらに刹那的な快楽と、バカ騒ぎを求める悲しい姿としてしか、私の目には写りませんでした。
消費文明のみをあおるマスコミにおどらされて、「理性」や「知性」とは真逆な道をたどるあわれな姿にも感じさせられたのでした。
明けて今朝のニュースは、アメリカの中間選挙の結果を報じていました。
反知性とフェイクに塗り固められたトランプ政権にストップをかけたのは、立ち上がったアメリカの若者たちであったと・・・。
このあまりの落差にぼう然としながら、それでもあきらめてはならないのだと思うのです。
私の手の中にある文化としての映画を、今を生きる一人一人に、そして若者たちにも今だからこそ伝えなければ・・・。〝人の情〟や〝人の道〟を映画を通して学んできた私たち世代なのですから・・・。
そんな思いにさせられた渋谷の一夜でした。