清水寺

 ここしばらく、「あの日のオルガン」全国上映のしくみづくりで東京出張が続いていました。
 幸い多くのご支援を得ることが出来、作品は完成し、二転三転しながらも全国公開の大筋がほぼ見えて来たので、「全国上映運動」づくりに久しぶりに関西を訪れました。
 昨日は、神戸、大阪で保育団体との話し合い、その後京都に移動して、今日の朝は久しぶりに京都で迎えました。
 いささか疲労気味の我が心身のリフレッシュも願って朝の散歩へ・・・1時間半程かけて京の町を巡りました。
 夏のあの殺人的な酷暑もどこへやら・・・空一面を彩る鱗雲は、京都の町への秋の訪れを告げていました。
 宿を出た足はいつの間にか東に向かい、歩きながら、ほどなく私の胸にはその目的が形になっていました。
久しぶりに清水寺を訪れようとする思いが。
 そして、清水寺の境内の一角に立つ「記念碑」を訪れる目的が・・・。

 1998年、いくつかの夢を描きながらシネマとうほくを設立した時、私の胸には一本の映画製作の夢が明らかな形となっていました。
 私を生み育てた岩手の地に刻まれた、北の誇りをこの映画を通して語ろうとする夢が・・・。
 思いを込めて製作に取り組んだ作品は、長編アニメーション「アテルイ」でした。
 今から1200余年前、東北の地は遠く縄文から受け継いだ文化を引きつぐ平和な、そして豊かな地でした。
 その頃、近畿に拠点を持った強大な国家ヤマトは、その版図を全国に拡げていました。
 そして、最後までヤマトの意図になびかなかった北の地を我がものとするため、強大な軍勢を送って来たのでした。
 北の民を「エミシ」とさげすみながら・・・。
 その不当な侵略に抗して、故郷の生活と誇りを守るために立ち上がった勇者達がいました。
 そして、その先頭に立ったのが、若き勇者アテルイでした。
 地の利を生かしたエミシの騎馬軍団は、圧倒的なヤマトの軍勢を相手に見事な戦いを続けましたが、その戦いは長期におよび、北の民をヤマトによって根絶やしにされることから守るため、アテルイはヤマトの指揮官坂上田村麻呂に降伏を申し出、盟友のモレ共々500騎で京に連行され、802年河内国杜山(現枚方市)で惨殺されたのでした。
 そんな北の勇者たちを顕彰しよう・・・そんな声が岩手を中心にあがったのは、アテルイ没1200年の記念の年のことでした。
 この年に、私たちのアニメ「アテルイ」は完成し、西の地には坂上田村麻呂が願主となって建立された清水寺の一角に、北の地の英雄を顕彰する碑が森貫主様の揮毫で除幕されたのでした。
 それ以降、京都を訪れた時間をぬっては、碑に手を合わせて来ていました。
 久しぶりに訪れた清水寺には、変わらずに「アテルイ・モレの碑」が秋の空を背景に北の誇りを語っていました。
 36年来の思いがかなって完成した「あの日のオルガン」の成功と、アテルイたちが命をかけて守ろうとした平和への願いを込めて、思わず両の手を合わせた京都の朝でした。
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京都の空を彩る鰯雲
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阿弖流為 母禮の碑



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by cinema-tohoku | 2018-09-26 11:13 | 旅と出会い | Comments(0)