以前のブログに触れました。
私の胸の中に長年にわたってあたため続けていた企画が、その実現に向けた歩みをおこしていました。
「疎開保育園物語」(仮題)、あの戦火の時代に、子どもたちの命を必死の思いで守り通した保母たちと、その庇護の翼に守られ平和をとりもどした世界に飛びたって行った子どもたちの物語です。
そして、このドラマには、その核になる一人の少年が居ました。
健ちゃん・・・。
あの時やっと4歳を迎えていた健ちゃんは、1945年3月10日の東京下町を焼き尽くした業火で家族の全てを失い、一夜にして孤児となってしまったのでした。
原作者 久保さんのお計らいで、あれから72年を経た健ちゃんとお会い出来ました。
小さなお体に、それでも笑顔で目を細めたおやさしいお姿で健ちゃんは私たちの前に座って下さりました。
お会いするなり健ちゃんは私に今日の面会のためにご自身の思いを書きつけた一枚のペーパーを渡して下さいました。
そこには、精いっぱいの思いで映画をスタートさせようとする私たちへの感謝の思いが綴られていました。
健ちゃんは疎開保育所閉所のあと、新潟県のおじさんに引きとられて苦難の戦後の歩みを始めたことをとつとつとした、それでも心を込めた語り口で語ってくれました。
中学卒業後就職し、その後幸せな結婚もし、お嬢様2人に恵まれ、今は孫が2人もいることも・・・。
だんだんとものが言えない時代になってきたように思う...こんな危惧も語りながら健ちゃんは、自分は巡り合わせで神様に生かされてきたのだと…それなればこそ今、平和の尊さを語る責任がある…生き残ったものとして・・・こんな思いを決意を込めた表情で私たちに語って下さいました。
人に対しての〝善意〟だけを頼りに生きて来たことをうかがわせる健ちゃんに、72年前の自らの幼い姿とスクリーンで再会をさせたい・・・。
そんな思いを強く胸に刻んだご面会でした。
健ちゃんと原作者久保さん