これでいいの?
7月22日...この日は「ポケモンGO」の日本配信開始の日であり、又信じがたい日々のスタートの日でもありました。
各マスコミは一斉に日本配信の情報を報じ、これにあおられた若者たちは、スマホを持って一斉に街の中にあふれ出し、日本列島は一種異様な風景に彩られることになりました。
何故にここまで徹底して皆が同じ方向を向こうとするのか...、一つの操作チャンネルをひねっただけでかくも従順に同じ行動を取ろうとするのか...。
まるでハーメルンの笛吹きに導かれ、破滅への道をたどっている様に思えるのは、私の杞憂なのでしょうか。
そして7月26日相模原の知的障害者施設を舞台に発生した事件は、その悲惨さと異常さで、戦後例を見ない最悪のものとなりました。
日を経るに従って次々と明らかにされる犯人の実像とその語られた動機には、驚きを通り越して肌が粟立つ思いにさせられたのは私だけではないと思います。
彼は「ヒトラーの思想が降りて来た」と語り、明らかな「優生思想」を背景にこの残虐な事件を起こした、と語りました。
社会的弱者たる障害者の命を、明らかな意思を持って虫けらの如く奪った暴挙には、怒りを通り越して空恐ろしい思いにさせられたのでした。
社会全体が、いつの間にか息苦しくなってはいないでしょうか。
格差の拡大と非正規雇用の拡大、そして声高に自己責任を語るネット社会...、更には社会全体がまるで無批判に同じ方向を向き、これに組しない者を排除する思想...。
社会全体を覆う閉塞感が、いつの間にか息苦しさになり始めてはいないでしょうか・・・。
本来、人は皆それぞれ固有の人格と個性を持った存在だったのではないでしょうか。
金子みすずは自らの詩にこんな言葉を散りばめました...“みんなちがってみんないい”。
そして、「民主主義の思想」の原点は、その思想であれ、信条であれ、信仰であれ、それぞれに異なるものを認めるところから、その体系を作り上げて来たのではないかと思うのです。
果たしてこのまま進んで良いのか、今もう一度立ち止まってその足もとを見つめて見る必要がある様に思えるのです。
このままで良いのかと...。
リオデジャネイロオリンピックが始まり、又報道はこれ一色に染まってしまった今...。