大船渡市

「虹色ほたる」…とても素敵なアニメ映画を観たことを、以前ブログで紹介しました。
作り手の熱い熱い思いが結晶したこの作品を、改めて多くの方々の胸にお届けする道がないものか考えて来ましたが、まずはこの映画の原作者川口さんとお会いすることから始めてみようと思ったのでした。
出版社を通してご了解をいただき、先日お会いしてきました。
川口さんがお住まいの岩手県大船渡市は、三陸沿岸にひらいた港町、リアス式海岸が深く陸に切れ込んだ天然の良港に恵まれ、かつては遠洋漁業の基地としても栄えた歴史を持つおだやかな町でした。
私がまだ子どもだった頃、大船渡には叔父一家が生活していて、夏休み家族で泊まりに行った時の記憶がありありと残っています。
子どもの目に映った当時のこの町のにぎわい、叔父が連れて行ってくれた映画館で観た吉永小百合主演の「赤い蕾と白い花」、そして町の寿司屋さんでご馳走になったお寿司のまるでほっぺたが落ちてしまう程のおいしさ…。
大船渡は数々の思い出を私の胸に刻んだ町でもありました。
しかしながら、そんな大船渡はその姿を一変させていました。
かつてそこにあった町並みはその姿を消して、新たな町づくりを担うダンプカーが縦横に走り回る…あの大船渡はそんな悲しい姿に変わり果てていました。
暗澹たる思いでお訪ねしたご自宅で川口さんは、それでもさわやかなお顔に満面の笑みを浮かべて私を迎えて下さいました。
ごあいさつの後、話題は当たり前の様にあの日のことに…。
川口さんご一家は、長年にわたって時計、宝石、メガネを扱う商店を営んでいらっしゃいました。
あの日まで、その店は大船渡駅前にあったと…。
そして、3月11日…押し寄せた波の壁は、そのお店を完全に破壊して、更にそこにあった数多くの商品も奪って行きました。
幸い、川口さんのご家族は九死に一生を得て、その後高台のこの地に何とかお店を再開した…こんなお話を川口さんは淡々と私に語って下さいました。
川口さんの処女作となった「虹色ほたる」は、<夏休み>に寄せた少年時代の川口さんの憧憬にも似た思いがモチーフになった作品でした。
あの年の夏休み、主人公が訪れたのは、もはや「ダムの底に沈んだはずの村」…。
そして、この物語は、そこにあった筈の、地域コミュニティや輝く程の自然、人々のつつましやかな、それでも心豊かな生活のさまざまを語ってゆきました。
そして出版…更にはアニメ映画化…まるで夢物語の様に順調に進んできたプロジェクトでしたが、映画完成の翌年、川口さんがお住まいの町と人々の営みは、ドラマに語られる村と同様に、水のそこに消えてしまったのでした。
何とも不思議な運命に彩られることになったこのアニメーション映画…。
それだからこそ…あの日から5年を経た今…もう一度、この作品に命を吹き込んで、川口さんの思いのつまった大船渡の町から全国へお届けしてみたい…。
そんな思いを胸に大きく膨らませたこの度の旅でした。
この町にもう一度、人の営みを蘇らせる力となるために…。

私は東北に近い関東地方に住んでいるはずなのに、
東北の現状を意識しておらず、今回の記事内容に
少し驚きました。
少し不謹慎かもしれませんが、震災から5年目となる今年は
2016年(「にじゅう いろ」年→「虹色」年)という節目でも
あると思います。
これからファンになる方も含め、私たちファンは対象作品の
舞台となった場所や、展示会などが開かれる場所であれば、
国内のどこにでも駆けつけると思いますので(現地に
お金が落ちる効果もあると思います)、
重ね重ね申しわけないのですが、ファンの1人として、
私からも再上映などの作品の御紹介をお願い致します。