2016年 3月11日
2016年3月11日・・・生涯忘れることの出来ないあの日から5年の時間が流れ、そして又、この日が巡ってきました。
この節目の日を私は、「ちえりとチェリー」の上映拡大に走り回る宮城県七ヶ宿町役場の前で迎えました。14時46分・・・サイレンが鳴り、悲しい大惨禍で亡くなられた方々への黙祷が呼びかけられています。
5年前のあの日私は東京に・・・絶望と向き会いながら一晩中まんじりともしないでテレビから流れる信じられない映像を見続けていました。
明けて、翌日の風の強かった晴天の朝はしっかりと記憶しているのですが、その後10日経ってやっと仙台へ戻るまでの記憶のほとんどが飛んでしまっていることに気づかされたのです。
「エクレール・お菓子放浪記」の東北公開を目前にしながら、それが全てついえてしまった私の精神状態は、いささか異常なものであったのかも知れないと思いおこしています。
背中の筋肉はまるで鉄板の様に張り切り、そして精神的に不安定な私はよく泣いてもいたのでした。
あれから5年…よくも頑張ってこれたものだと振り返りながら、そんな私たちを支えてくださった方々のやさしい手の感触を今でもありありと思いおこしております。
そんな私の体験は、あの日被災した多くの方々と共通するものだったとも思えるのでしす。
そして5年・・・被災地は山積する課題をいまだに数多く抱えながら、それでも確実に人の記憶からは遠い過去のものとなって行こうとしています。
報道各社は、まるで一大イベントを報ずるかの如く、被災地から5年の報道を競う様にして流していますが、明日からはまるで何事も無かったかのような紙面と電波に戻るのだと思います。
そして又、日一日と人の記憶からは遠いものとなってしまうのかも知れません。
でも・・・やはりそれはダメなのだと思うのです。
こんなにも沢山の人々の苦しみや悲しみを、たった5年でまるで何もなかった様に忘れ去ってしまったら・・・その先に私は、どうしても健やかな国の未来を描くことが出来ないのです。
もう一度振り返ってほしいのです・・・この東北が向かい会っている沢山の悲しみを。
そして、私たちは大きく声をあげて、この悲しみを発信し続けなければならないのだと思います。
人と人とが心を通わせ、支えあう国の未来をつくりあげるために・・・。