福島県浪江町
前のブログ「棄民」にも触れました。
「ソ満国境 15歳の夏」のドラマは、原発事故で故郷浪江を追われた中学生の視点から描かれています。
私は、この作品の全国配給にあたって、一日でも早いうちに浪江町長さん、そしてそれを受け入れた二本松市長さんにお会いして、映画の完成もご報告申し上げながら、叶うことなら両首長さんのご賛同も得ながら全国上映をスタートさせたいと願っていました。
幸い、こんな私の願いを受け止めた松島監督の計らいで、撮影の折お世話になった浪江町議のSさんにお引合せいたただき、Sさんのご案内で二本松に居を置く、浪江町役場二本松事務所に馬場町長さんをお訪ねしたのは、夏の盛りの厳しい太陽が照りつける日のことでした。
突然の原発事故で故郷を追われ、全国に散り散りになった町民の心を必死の思いでつなごうとする拠点浪江町役場は、二本松市中心部から遠く離れた工業団地の一角に、確実にその存在を主張しながら建っていました。
ご多忙のご公務の間をぬってご面会いただいた馬場町長さんは、おやさしい微笑みをたたえながら、それでも厳しい思いを込めて“今、私たち浪江町にとって一番大切なのは「絆」なんです…”こんな言葉を語って下さいました。
あの日以来、18000名の町民は、全国46都道府県に散り散りになり、必ずしも先の見えない生活を必死の思いでつなぎながら生きている…、こんな町の現状を切々と語る町長さんのお話に、改めて福島県沿岸の町が置かれた現状の困難さと、4年経ってもまだまだ何も解決していない厳しい現実を知らされた思いでした。
片や、来るべき東京オリンピックに向けて信じがたい程の莫大な建設費で新国立競技場を建設するとの報道に、何ともやりきれない思いにもさせられたのでした。
この映画の全国上映を通して、全国に散る浪江町民に遠く離れた故郷をもう一度思いおこして欲しいと思いますし、又あの大惨禍から4年半…いまだに大きな困難を抱えながら生きている浪江町民の思いも全国に語らなければ…と思ったのでした。
決して忘れてはいけないのだと…。
こんな私の願いを馬場町長さんは受け止めて下さり、8月25日浪江町、二本松市合同での試写会開催となり、ここで両首長さんにもご覧いただけることになりました。
一歩一歩、ねばり強くあきらめずに…被災地からのメッセージを語り続けてゆきたいものです。