棄民
「ソ満国境 15歳の夏」は、原発事故で故郷浪江町を追われ、福島県二本松市の仮設に生活をする現代の15歳の中学生からドラマが始まります。
中学の放送部に所属する彼らのもとに、中国から招待が届きます。
中国に来て、70年前に展開された日本の15歳の少年たちの事実を一本の作品に作りあげて欲しいとの…。
彼らは中国に渡り、その事実に初めて触れ、大きな衝撃も受けながらもその中で、新たに自らの未来に向けて生きる力を手にして二本松の仮設に帰って来ます。
ドラマは、こんな展開で進んで行くのです。
この映画製作の企画が始まり、松島さんのもとに監督の依頼が来た時から、松島監督の心の中に常にわだかまっていた映画製作上の課題がありました。
敗戦から70年目を数え、全人口の中に戦後世代が圧倒的な比率を占めることとなった現代、ただひたすらに70年前の出来事のみを描いて果たして現代の方々の胸に響く作品となるのだろうか…。
より今日的な視点をこの作品に盛り込むことは出来ないのか…。
そんな思いが松島監督の胸に去来していたのでした。
そんな折に発生したのが、2011年3月11日の大惨禍でした。
監督は、突き動かされる思いで被災地福島県を訪れ、いつか通ううちに浪江町を追われ二本松市の仮設住宅で暮らす方々と繋がり始めました。
こんな折、まるで新たな創作イメージが天から降って来たかの如く監督の胸に届いたのでした。
あの時の「満蒙開拓」はまさに国策でありました。
「満州国」は新天地…こんな宣伝にあおられ数多くの日本人が海を渡りました。
そして8月9日、圧倒的なソ連軍が国境を破った時、そこには本来国民を守るべき軍隊は既に後方に撤退し、ソ連軍の前にはまさに裸同然の民間人のみが残されていたのでした。
あの時国は、国民を捨てたのでした。
「原発推進政策」…これもまさに国策でありました。
そして18000浪江町民は今故郷を追われ、全国46都道府県に散り散りになりながら、未来の見えない生活を強いられているのです。
「棄民」…まさにこの言葉でこの2つの物語は監督の胸の中で一つのイメージにつながることになったのでした。
そして、二本松市の仮設にお住まいの浪江町民、又、二本松市の全面的なご支援もいただきながらこの作品は完成を迎えたのでした。
「国」とは本来国民を守るべきもの…、しかしながらこの70年の日本の歴史の中に繰り返された2つの悲劇を見つめた時、「国」とは?…この作品はこんな問いも観る者に語りかける作品ともなりました。
日本の未来を巡って重大な議論が交わされている今日、一人でも多くの方々にこの作品をお届けしたいものです。