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北海道の空


 梅雨空の仙台空港を発って、さわやかな初夏の風が吹き抜ける札幌に着きました。

 芦別市の学習療法導入施設から「僕がジョンと呼ばれるまで」の上映のご希望が伝えられ、これと併せて「ソ満国境 15歳の夏」の関係団体へのごあいさつを…、そんな思いで訪れた北海道でした。

 北海道は私にとって特別な感情を抱かせる地なのです。

 私の父はいわゆる「転勤族」、盛岡に生まれた私は、父の転勤で3才の時函館に移り住みました。

 そして、小学校3年生まで過ごした函館での5年間は、私の胸に忘れることの出来ない数々の素晴らしい思い出を刻みつけたのでした。

 あの当時、戦争に敗れた日本は「平和」と「民主主義」を両手に掲げながら戦後の復興への道を歩み出しました。

 当然ながら敗戦国日本は、いまだ生産力にもとぼしく、十分な食料にも事欠くまさに貧しい国でありました。

 しかしながら、あの日の日本は未来に向けた希望に満ち溢れていたと思えるのです。

 暗い戦火の時代に終止符を打って、新たに「平和」と「民主主義」を手にしたあの日の国民は、貧しくとも胸を張って国の未来を見つめていたのでした。

 そんな時代の風を子どもたちもしっかりと受け止め、“今日よりはきっと素晴らしい明日が…”子どもながらもこんな希望にその胸をふくらませていたのでした。

 そしてそこには見事なまでに人と人との心が通い合う「地域社会」がありました。

 “お醤油がきれてしまったからお隣に行って借りて来てくれ…”、“お芋のてんぷらが揚がったからおすそ分けに持って行ってくれ…”

 母親から語られたこんな言葉に代表される地域社会に安心してその身を委ね、私たちはその未来に向けて育っていたのでした。

 こんな地域社会に支えられた「子ども集団」もありました。

年齢を超えた子どもたちの心やさしきカタマリは、あの頃の子どもたちの心に、豊かな想像力を、そして自主と民主の理念を育んでもくれたのでした。

 自転車でよく遊びに行った五稜郭の草むらに寝転んで見上げた青空の果てしないほどの大きさ…。

 父に連れられて、洞爺丸台風で犠牲になった方々をお悔やみに行ったお寺に流れていた悲しいお線香の香りと「死」との向かい合い…。

 思い起こせば数々の思い出に彩られたあの5年間でした。

 そして、そんな時代に育まれて今ここに生きている自分を、久しぶりに訪れた札幌の空を仰ぎながら実感しています。

 社会が、そしてその時代に生きる子どもたちがその未来に夢や希望を語ることの出来る…そんな社会をつくりあげたいと心から願わずにはいられません。

さて、腰をあげて仕事に行って来ます。

「より良き高齢化社会」と「平和」への願いを北の地に語るために…。

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早朝の札幌中島公園

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中島公園には、生まれて間もないオシドリの子ども達が





by cinema-tohoku | 2015-07-07 16:12 | 旅と出会い | Comments(0)