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アテルイ

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「アテルイ」...懐かしい題名の朗読劇のシナリオが私のもとに届きました。

ことの始まりは17年前にさかのぼります。

 意を決して長年お世話になった共同映画から独立し、東北の地にシネマとうほくを立ち上げた時、私の胸には一本の映画製作の決意がありました。

 「アテルイ」...今から約1200年前、古代東北のエミシの勇者をテーマに長編アニメーションを製作し、未来に向けて生きようとする東北の子どもたちに正しい歴史の手渡しと、併せて故郷への誇りを語ろうとした決意でした。

 かつて東北は幾多の不当な「差別」にさらされてきました。

 暗く・貧しく・劣っている...東北の地はこんな言葉に彩られ、それ故の悲しい過去も数多く経験してきました。

 東北岩手に生を受けた私もこの例外ではありませんでした。

 しかしながら、共同映画に自らの生きる道を求め、その仕事を通して多くの方々とお会いする中で、まさに衝撃的な事実との出会いは私の胸を大きく動かしたのでした。

 今から約1200年前、東北の地は遠く縄文の歴史と文化を受け継ぎ、自然と心を通わせながら慎ましやかにその生を営んでいました。

 その頃、大陸から渡来してきた民たちは、近畿地方に「ヤマト」を打ち立て、その版図を全国に向けて拡げつつありました。

 そして、最後まで「ヤマト」の拡大になびかなかったのが、深い縄文の森に守られた東北の地だったのでした。

 「ヤマト」は東北の民を「エミシ」と蔑み、必ずやヤマトの王のもとにひれ伏させるのだ...と語りながら侵略の圧倒的な大軍を送って来ました。

 これに対し、かかんに立ち上がり、故郷の生活と誇りを守る戦いに立ち上がった勇者達がいました。

 そして、その闘いの先頭に立ったのが若き勇者アテルイであったのでした。

 789年、後に巣伏の戦いと呼ばれた最初の軍事的衝突では、押し寄せたヤマトの大軍を迎え撃ち、少数ながら、エミシ軍はこれを完膚なきまでに打ち破り都に追い返したのでした。

 しかしながら、圧倒的な物量で攻め寄せるヤマトとの戦いは長期にわたり、疲弊しきった東北の民の根絶やしを避けるため、アテルイは自ら投降し、京の都にひきたてられて行ったのでした。

 その後、統一日本の一部となった東北各地には、「鬼伝説」が語られるようになりました。

 悪い鬼が人々を苦しめていた、都から勇者がやってきてこの鬼を懲らしめて民を救った...。

 この中に語られる「鬼」こそ、その真の姿は東北の誇りをかけて勇敢に立ち上がった勇者たちであり、これを退治したとされるのが、ヤマト侵攻軍の先頭に立った坂上田村麿その人だったのでした。

 アテルイ死後の東北の歴史は白を黒に置き変えて語られ、その後の東北の悲しい歴史の原点はまさにここにあったことを知った私の胸は大きく揺さぶられたのでした。

 いつの日にか、「アテルイ」をテーマに映画をつくり、東北の誇り高い歴史をそのままの姿で東北の子どもたちに伝えたい...。

 そんな私の願いは、幸い岩手県知事(当時の増田寛也知事)はじめ多くの方々のご賛同となり、映画は2001年完成を迎えたのでした。

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 そしてその作品の中で、素晴らしいプロの技でアテルイの盟友モレ役をつとめていただいたのが、声優平野正人さん(岩手県八幡平市出身)であったのでした。

 久しぶりに平野さんからお電話があったのは、年も明けて間もない頃であったと記憶しています。

 現在、大阪芸術大学声優科で教鞭を取って声優を目指す若者と向かい合っている平野さんは、明春、大学を旅立つ卒業生の卒業製作として私たちのつくった「アテルイ」のシナリオをもとに朗読劇を製作したい...。こんな熱い思いを私に語って下さったのでした。

 このお申し出を喜んでお受けし、製作されたシナリオが私の元に届いたのでした。

 今から約1200年前、故郷を守るため立ち上がった東北の勇者たちが明年 3月大阪の地によみがえるのです。

 アテルイ斬殺の地、枚方市をそばにした大阪市の地に...。


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by cinema-tohoku | 2015-06-01 11:45 | 映画 | Comments(0)