スローシネマ② 「シネコンの登場」
そんな暗い低迷の時代を大きく変えるきっかけとなったのが「シネコン」の登場でした。
1993年、神奈川県海老名市に第一号がオープンした「シネコン」は、たちまちのうちに全国に大きく拡がってゆきました。減少を続けていた映画人口が一転して増加に転じました。そして、スクリーン数もその数を増やして行きました。
こう語りますと日本映画はまるで万々歳のようですが、残念なことに光があれば影もあったのでした。
「シネコン」は効率性と収益が第一義的に求められる装置なのかも知れません。その立地にあたっては人口集中の大都市圏が選ばれてゆきました。又、シネコンの進出によってそれまであった地方の既存の映画館は、その競争に勝てずに閉館を余儀なくされてゆきました。その結果、映画館は大都市圏のみに偏在するものとなってしまったのでした。今や、日本の約9割の市町村は映画館がゼロ地帯と化し、映画の世界では都市と地方との格差は決定的なものとなってその分日本映画界の大きなひずみとして横たわることとなったのでした。
又、シネコンの登場によって作品の質にも大きな変化が生まれてゆきました。効率と収益を求めるシネコンにとっては、都市から地方へと順次公開を拡げてゆくかつての映画の公開のしくみはとうてい採用されないものとなったのでした。
「全国一斉公開」…この新たなしくみによって、巨大な宣伝費を投下したひと握りの作品が多くのスクリーンを独占することとなり、数億、数十億の宣伝費を準備できない作品はたちまちのうちに打ち捨てられてしまう道をたどることになってしまったのでした。
本来映画は利生むべき「商品」であると同時に「文化」としての側面も持ち合わせたものなのだと思います。人の心を育み、地域社会を元気にさせる…、そんな映画の持っている「文化」としての側面に目をやった時、それは多様なものであるべきだし、丁寧に時間もかけながら観客と一緒になって育てるものでもあると思うのですが、「シネコン」の登場は、その後の日本映画界にこんなひずみも生むことになってしまった様でした。