北海道紋別市・・・冬は流氷に覆われるオホーツク海に面した北の港町は、今桜の開花の時を迎えていました。

 3月に沖縄を訪れた時、那覇市は早咲きの桜で彩られていました。

 あれから2ヶ月をかけて、桜は日本列島を縦断した様です。

 「君の笑顔に会いたくて」はやっとその上映の動きを全国に展開し始めていました。

 そして、有難いことに北海道ではその動きに拍車がかかった様で、各地から上映のお声があがり、先週に引き続いての北海道出張となりました。

 ここ紋別は、ずい分以前に息子との思い出を刻んだ町でありました。

 数えれば今から24年前・・・我が息子が中学2年の年の夏休みに、思い立って北海道への自転車旅行を計画。

 フェリーで渡った苫小牧から稚内までの、7日間700kmにおよんだ旅の終盤に一泊したのがここ紋別でした。

 あの日、夕食に立ち寄った居酒屋のおやじさんは津軽出身の方・・・、東北仙台からの親子自転車旅行に大感激して下さり、やおら奥から三味線を出して津軽の歌の数々を披露・・・冷蔵庫からは、とっておきの〝トドの肉〟を出して私達に振る舞って下さったことを記憶しています。

 残念ながらこの店を見つけることは出来ませんでしたが、遠い思い出を振り返りながら、港町の小さな居酒屋のカウンターに身を委ねたのでした。

 あの日、中2の息子も今や1児の父親になり、私は年を重ね老人の域に足を踏み入れましたが、目の前に拡がる仕事は、私の旅の日々を更に前に向けている様です。

 明日は遠軽から士別、そして名寄・・・、桜の桃色と、淡い黄緑色の新緑が混じり合った鮮やかな北の大地を、「君の笑顔に会いたくて」を携えて、駆けて見ようと思うのです。


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紋別の高台から望む朝のオホーツク海

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 310日・・・73年前の東京大空襲の日、311日・・・7年前の東日本大震災の日・・・。
 平和と命に関って決して忘れてはならないこの両日に、「あの日のオルガン」の製作上映運動の成功に向けた第一歩が、撮影地京都の地に確実に刻まれました。

 市民プロデューサー…製作費の不足する分を、ご賛同の方々の一口100万円のご出資で補おうとするだけでなく、この製作上映運動を、この方々と手を携えた運動として全国に向けて展開したい…。

 そんな願いを込めて、この募集運動は始められました、そしてその目標は64口…。

 310日に開催が決まった、市民プロデューサーが一同に会する「市民プロデューサー会議」までに、この目標を達成するべく、募集の運動は全国に展開されて行きました。

 そして、こんな私たちの願いに、多くの方々が熱い思いで応えて下さいました。

   子どもの命と平和を語るこの映画に賛同して、真っ先に手を重ねてくれた保育運動の組織の方々…。

   子どもの命と向かい合う保育の原点にご賛同いただき、この運動にお加わりいただいた民間保育所の役員の方々…。

   
一人では無理でも、多くの方々との共同の運動として、出資金募集運動を地域に展開し、見事にこれを達成して下さった鹿沼や蓮田の方々…。

   更には、この映画にご賛同いただき、この出資に応えて下さった、人、人、人…。

 まさに多彩な方々が、この運動にご参加いただき、310日までに重ねられた口数は見事に目標の64口となって、この会議は開催されたのでした。

 当日は、北海道から九州まで・・・全国からご参加の62名の方々が、会場となった京都華頂大学の大講義室をいっぱいに埋め、全国上映運動への第一歩は京都の地で刻まれたのでした。

 そして、その夜に開かれた「交流会」では、ご参加のほとんどの方々からのご発言があり、笑いあり、そして感動の涙も交えながら、京都の夜は更けて行きました。


 明けて翌日は、撮影中の松竹京都撮影所の見学に、90名程の方々がご参加、撮影所内につくられた、疎開先となった妙楽寺の荒れ寺セットの見事な美術の技に感動・・・  二日間におよんだ運動第一歩の全ての予定は終了となったのでした。
 子どもの命と平和・・・今の日本社会にかけがえのないものとなっているこの願いを、一本の映画の製作上映運動を通して語ろうとする思いは、その成功に向けて見事な第一歩を前に向けて踏み出したのです。

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会場を一杯にした会議

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撮影所見学


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# by cinema-tohoku | 2018-04-02 14:26 | 映画 | Comments(0)

 私の胸の中で36年にわたって あたため続けて来た一本の映画がいよいよクランクインの朝を迎えました。

 「あの日のオルガン」・・・、あの戦火の時代に子どもたちの命を守った若き保母たちを描くこの作品は、心配された天候も晴れ上がった31日午前9時、松竹京都撮影所につくられた、疎開先の設定の妙楽寺に響く平松監督の高らかな〝ヨーイ、ハイ!〟のかけ声で船出をすることとなったのでした。

撮影初日のシーンは、疎開先に決まった荒れ寺の掃除に若い保母たちが訪れる設定のシーン。

松竹撮影所の中につくられたのは、それにしても見事なまでの荒れ寺・・・。

寺の本堂はまるで廃墟、そこここに、くもの巣が張り、須弥檀はまるでガラクタ置き場と化し・・・こんなところで子どもたちが数ヶ月に及ぶ生活を送ることなど、到底想像すら出来ない、見事な美術スタッフの技でありました。

そして、それとはまさに対極に位置する様な、若い保母役の女性たちのまぶしい程の若さが際立つ初日の撮影でした。


 それにしても、ここにたどり着くまでの、長い長い時間・・・。

 そして、この日を迎えるまでに差し出された、全国多くの方々の熱いご支援の数々・・・。

 これまでの作品のクランクインの時とは異なる思いが胸をよぎり、思わず目頭を熱くした私でありました。

 それでも この日は、やっとたどり着いたスタートライン。

 これから一ヶ月余にわたる撮影、そして編集から完成、更には来年2月から始まる全国公開・・・。

 この先にも数々の障害が待ち受けることを予想しながら、ともかくもスタートラインに着いたことを祝うべく、JSN加盟社のK氏とささやかな祝の盃を合わせたのでした。

 「子どもの命と平和」を願うお声が、この映画の回りに大きく大きく育っていくことを願って・・・。

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子どもの命を守った「若き保母たち」・・・


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# by cinema-tohoku | 2018-03-22 14:28 | 映画 | Comments(0)

 「あの日のオルガン」市民プロデューサーの輪が日増しに大きく拡がっていました。

全国の多彩な方々が熱い思いで私たちの手に、その手を重ねて下さいました。

そのほとんどの方々とお会いして参りましたが、改めてこの作品が今日語るべき意義の大きさも実感していました。

それにしても映画です。
 完成した作品が、この方々の思いにお応え出来るものにならなければ・・・そんな思いにさせられていた時、このブログでもご紹介した市民プロデューサー第一号、青森県十和田市のTさんからお送りしたシナリオへのご感想が寄せられました。


「あの日のオルガン」決定稿読ませていただきました。久し振りにシナリオというものを読んだので、最初はト書きでイメージをふくらませるのに難儀しましたが、終盤東京大空襲あたりから引き込まれ、ついというか、不覚にもというか、涙があふれ出て止まりませんでした。映像になれば、オルガンの物哀しいノスタルジックな音色が、戦争で最も悲惨な犠牲となる幼児(子どもたち)の笑顔に重なり、感動を生み出すでしょう。子どもたちの笑顔が可愛いければ可愛いほど悲惨な戦争を浮き彫りにするでしょう。

個人的には「みんな我が子」のようなエネルギッシュなラストが欲しいと思いましたがそれでも、滂沱の涙の自分に驚いています。

今の映画界では大ヒットという訳にはいかないテーマではありますが、「母べい」「小さなおうち」など山田洋次作品を書いてきた平松監督の、日本の良心を見た想いでした。

 こんな映画として完成の日を迎えたいものです。



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# by cinema-tohoku | 2018-03-12 09:52 | 映画 | Comments(0)
 「あの日のオルガン」に描かれる戸越保育所が、保育所の地方への疎開を決定してその準備に入った時、目の前に横たわる大きなハードルが、疎開地の問題でした。

 何せ、下は3才からの50名をこえるこどもたちの生活の場、そして子どもたちの命をつなぐ食料供給の課題も解決を迫られる大きな問題でした。

 この窮状に応えて、生活の場を提供して下さり、食料支援体制までつくって、東京の子どもたちの命を受け止めたのが埼玉県平野村(現蓮田市)の方々でした。

 この心やさしき平野村民に支えられて、疎開保育園は一人の子どもの命も失うことなく、平和な時代に子どもたちを送り出すことが出来たのでした。

 そして、あの日から73年・・・子どもたちの命を守った平野村民のやさしき心は、一本の映画となって世に出ようとしているのです。

 「あの日のオルガン」を支える市民プロデューサーの輪が、一歩ずつそして確実に全国に大きく拡がって来ていました。

 その輪が拡がる中で、だんだんと私の胸の中に大きな位置を占めるようになってきた思いがございました。

 この史実にとって欠くことの出来ない地、蓮田市民の方々にも市民プロデューサーの輪にお加わりいただき、共に全国上映への道を歩むことが出来ないか・・・、この地のご参加を除いては、この全国に拡がる製作運動は画竜点睛を欠くことに、なるのではないか・・・、そんな思いが日増しに大きくなっていたのでした。

 幸い、こんな私の願いは蓮田市民のもとに届き、先日先ずもってこの映画の企画を聞いてみようと、心ある蓮田市民15名がお集まりになり、この場への参加を求められました。

 私の語るこの歴史と、平野村民の心をもとに製作しようとするこの映画の願いに、蓮田市民の方々は感動と共に熱くご賛同いただき、更に多くの市民にお呼びかけをして、製作の一翼にご参加していただくことをその場でお約束して下さいました。

 あの日から73年を経た今、心やさしき蓮田市民のこころは、間もなく一本の映画として完成し、今の時代に子どもの命と平和を語るべく31日クランクインを迎えます。

 子どもの命を戦火から守った、蓮田の誇りも語りながら・・・

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蓮田市の心やさしき方々





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# by cinema-tohoku | 2018-03-05 15:06 | 映画 | Comments(0)