3月10日・・・74年前の東京大空襲の日の翌日は、東日本大震災慰霊の日。 
 私にとって決して忘れることの出来ない8年目のこの日を、今年は「あの日のオルガン」を携えた金沢の街で迎えました。
 あの日、東日本一帯に押し寄せた波の壁は、そこにあったあたりまえの生活を、そして沢山の夢さえも奪って行きました。
 そして、あの直後から寄せられた全国からのご支援のやさしい手の数々は被災地を支えました。
 〝支え合い〟〝絆〟・・・数々の美しい言葉が語られていました。
 そして、あの日から8年が・・・・・。
 あの時、国をあげて支え合った記憶は遠いかなたのものになってしまったのでしょうか。
 人々の口から、これらの言葉が語られることはなくなり、これと交代をする様に「復興五輪」の言葉が踊っています。
 聖火リレーが福島から始められる…リレーのトーチが展示される…。
 まるで、この8年で被災地は立ち上がり、オリンピックが新たな未来を拓く「復興」を実現するが如き報道が語られています。
 しかしながら、北の地の実態は・・・。
 かつての生活の場からの避難生活を送る人は、福島県を中心に未だに5万人を越え、復興住宅での孤独死は急増・・・そして、あの甚大な被害を受けた陸前高田は、いまだに「かさ上げ」工事のダンプカーが行き交う茶色の街・・・。
 現実は、いまだに「復興」にはほど遠いものですし、人々は、今も精いっぱいの思いで日をつないでいるのです。
 一過性のスポーツイベントの開催が、まるで手品の様に被災地に希望の光を放つ筈がないのです。
今必要なのは、被災地の現実をありのままに伝えて、変わらぬ支え合いの心を国中に拡げることだと思いますし、その先頭に国が立つべきだとも思うのです。
今年の3.11は、私の胸に少しばかりの悲しい思いを語りました。
a0335202_17442573.jpg
8年・・・



# by cinema-tohoku | 2019-03-22 17:46 | その他 | Comments(0)
 1945年3月10日未明から、東京下町を襲った悪魔の使いの如き怪鳥たちは、一夜にして10万人にのぼる人々の命を、無残にも奪って行きました。
 そのお一人お一人に生活の営みがあり、家族もありました。そして何より非戦闘員でした。
 この悲惨極まる無差別爆撃の実相は、作家の早乙女勝元さんらのご努力で掘り起こされ、語り継がれて来ていました。
 そして、あの日から長い時間が流れて行きました・・・。
 この間、ご体験者の方々の数も年々減少し、戦争体験の風化も語られ、この悲惨な事実は人の口にのぼることも少なくなって来ていました。
 それでも、忘れずに語り継ぐご活動をねばり強く、そしておやさしい言葉で語って来られたのが海老名香葉子さんでした。
 東京大空襲で家族を失い、その戦後を孤児として生きて来た海老名さんの胸には、いつも空襲でお亡くなりになった方々への鎮魂の願いがありました。
 その願いを実現するべく、上野の山に私費を投じて鎮魂の慰霊碑を建立、毎年3月9日に慰霊祭を行っていらっしゃいました。
 85歳を迎えられた海老名さんは、今年の慰霊祭で〝二度と戦争がおきてはならない。まだまだこの活動を続けて行きたい。〟と決意を語って下さいました。
 そして、翌3月10日の新宿ピカデリーにも、東京大空襲に思いを寄せた、平和を誓う声が響きました。
 この記念の日に上映中の「あの日のオルガン」・・・、74年前の東京大空襲を振り返り、平和への願いを語るべく、上映終了後の舞台に、平松監督、私、そして当時疎開保育園の園児だった3人の方々が並びました。
 疎開保育園での生活の時、東京大空襲で全ての家族を奪われ孤児となった〝健ちゃん〟、そしてあの3月10日の業火の下で一夜を過ごし、翌日まるで地獄絵図の様な焼け野原をさ迷い、幸い保母さんと巡り会い、連れられて疎開保育園に参加した佐瀬さんご姉妹・・・。
 映画を観終わった観客は、お一人お一人の語る言葉に驚き、共感し、平和への願いを胸の中に深く刻んで下さいました。
 どんな理屈を語ろうと、戦争は人類最悪の罪悪であり、平和は、そのよって立つお立場を越えて守り続けなければならない人が生きる基本の概念・・・そんな思いもこの日のオルガンは語ってくれたのでした。
a0335202_16140071.jpg
3月10日新宿ピカデリー舞台あいさつ

# by cinema-tohoku | 2019-03-20 10:14 | 映画 | Comments(0)
 「あの日のオルガン」の全国展開が活発な動きとなり、その対応での出張が連続する毎日を過ごしていました。
 昨夜、久し振りに仙台に戻って、今日は仙台での朝を迎えました。
 自宅で朝食を摂り、バスで事務所へ・・・。
 幸いの晴天に恵まれて心おだやかな朝でした。
 バスに乗りながら、不思議な既視感を覚えました。
 そして思いあたったのでした。
 間もなく8年が巡って来る2011年のことだったことを・・・。
 完成直後に東北を襲ったあの大惨禍で東北での上映を断たれた「エクレール~お菓子放浪記」・・・、私たちはあの時一大決心をしました。
 この作品の全国上映を通して、全国に被災地支援への願いを語ろうとの・・・。
 そして、そこから始まった全国への旅は、12泊、13泊と日を連ねていったのでした。
 ヘトヘトになってやっと帰ったあの日の仙台の朝も、今日と同じくおだやかなほほえみで私を迎えてくれていたのでした。
 やはりバスの乗って事務所に向う私を、不思議な安堵感が包んでもいました。
 そうでした、あの日と同じ感慨だったのでした。
 やはり、ここは私のマイホームタウン。
 生活があり、迎えてくれる家族が、そして会社の同僚や友人がいて・・・。
 人は、帰るところがあるから旅にも出ることが出来るのだと思うのです。
 そんな一時の感慨を胸に、久し振りの事務所の扉を開きました。
 今日一日で、たまった仕事をこなさなければ。
 又、明日からは旅に出るのですから・・・。
a0335202_13381534.jpg
東京、日比谷公園は梅が咲いていました



 ていねいに時間をかけて、全国の多くの方々のやさしきお手にも支えられて完成した、映画「あの日のオルガン」の全国上映が、2月22日全国の53スクリーンでそのスタートを切りました。
 何回経験しても、初日の数字とお客様の反応は気がかりなものです。
 しかしながら、私はこの日を、この作品とは別の仕事で徳島で迎えました。
 そして、翌23日上京、この上映のメイン会場となった、新宿ピカデリーでの舞台あいさつの回に、製作委員会メンバー一同が集合となりました。
 新宿ピカデリーで最も大きな580席のシアター1を満席に埋めた舞台に、上映終了後登場いただいたのは、この作品のダブル主役をつとめていただいた戸田さん、大原さん、そして疎開保育園の園長役の田中さんと平松監督でした。
 それぞれの方々が、語る作品への思いや撮影中の裏話に、場内の観客の方々は映画の感動を更に新たなものにもしていただいた様でした。
 このスタートの日22日に、やはり初日を迎えた作品は何と35本もありました。
 幸い、ご覧いただいた方々の反響は素晴らしく、「ぴあ」の初日満足度調査では、僅かな差で一位はのがしましたが堂々の第二位を占め、我々製作委員会一同、今後への期待を抱かせるスタートとなりました。
 劇場上映はスタートを切りましたが、私たちの全国上映はこれだけで終わるものではありません。
 夏からは、映画館が姿を消した町にも村にも、ていねいに時間をかけてこの上映を拡げて行きたいと願っています。
 いよいよ長い旅のスタートです。
 皆様方のご支援を心よりお願い申し上げます。
a0335202_17363142.jpg
新宿ピカデリー
a0335202_17375621.jpg

# by cinema-tohoku | 2019-03-05 17:39 | 映画 | Comments(0)
 訪れた九州は、もはや春の風情でした。
 梅の紅色と、菜の花の黄色に彩られた宮崎県を巡って、今日の朝は熊本で迎えました。
 「あの日のオルガン」がたどるべき道がやっと見えて来た思いです。
 各県毎にていねいに作品に込めた私たちの思いを語って、その輪を全国につなぐ旅は、佳境に入って来た様です。
 「エクレール~お菓子放浪記」の折、熊本には何度か訪れていました。
 熊本市に泊って、朝時間のある時には、朝の空気を胸に、熊本城を訪れることも楽しみにしていました。
 加藤清正ゆかりの、国の重要文化財にも指定された、まさに天下の名城です。
 訪れる度に、天を衝くが如き天守閣の姿に、ほれぼれする思いで見入っていたものでした。
 そして、あれから7年・・・。
 久し振りに訪れた熊本城は見るも無残な姿に変っていました。
 2016年に発生した熊本地震は、熊本県と大分県に甚大な被害を与え、この被害は熊本城にも及んでいたのでした。
 美しい曲線を描いていた石垣はそこかしこで崩れ、天守閣は巨大な修理のクレーンに囲まれて、城はかつてのりりしい姿を取り戻す必死の努力を重ねていました。
 それでも街には活気が戻り、その未来に向けて確実な歩みを踏み出していることに、人の限りない生命力も感じながらの、熊本の朝の散歩でした。
 人の生活の営みを取り戻し始めた熊本県に向けて、人の命の尊さを語る「あの日のオルガン」をしっかりとお届けしたい・・・。
 今日も、精一杯の努力を我が胸に誓っての出発です。
a0335202_13512750.jpg

a0335202_13520605.jpg