人気ブログランキング | 話題のタグを見る
 5月3日は75回目の憲法記念日、思い立って「むのたけじ」の本を手にとりました。
 むのたけじは、1915年秋田県に生まれました。
東京外大卒業後、朝日新聞に入社して、従軍記者として戦争報道にあたりまし
たが、戦後、戦争への責任を痛感して退社。ふるさとの横手市に帰り、新聞「たいまつ」を創刊、農村、農民運動のあしあとや地方文化等の記事を書き続け、一貫して平和を訴え続けたジャーナリストでした。
 久しぶりに触れたむのたけじの言葉は、やさしく、それでも時代への鋭い批評となって私の胸に伝わって来たのでした。
 今、私たちの日本社会は、ある方向に向けて大きくその舵を切り始めたように思えるのです。
 一貫して続けられて来た<新自由主義>の政治は、社会の中に格差と貧困の拡大をもたらしました。
 <自己責任論>が語られ、社会に人が孤立すること故の自殺者の急増に胸が痛みます。
 「国境なき記者団」が発表した「報道の自由度ランキング」で日本は、180ヶ国中71位。
 日本が自由にモノを言うことが難しくなっていることが語られています。
 そして、先日行われた統一地方選挙の投票率は、いずれも過去最低の数字を示しました。
 朝日新聞が調査した日本の政治をどれほど信頼しているかの問いに、「信じていない」は55%にのぼり、政治に対する不信感はその頂点に向って登りつめ様としているのです。
 時代の閉塞感が刻々と深まり、行き場のない政治への不信感がテロにさえつながり始めた現代社会…。
 現内閣は「防衛力」の抜本的な強化を語り、本年度予算からその金額を上積みし、今後5年間でその額を倍増させる道を歩き始め、世界の中に明らかにこれまでとは異なった姿として、日本の未来を主張し始めています。
 そんな中で迎えた「憲法記念日」に開いた本にむのたけじの言葉が目にとまりました。
 “水と空気と平和がなければ、人間は生きていけない。水と空気は、われわれの生まれない先からあった。平和―それは、われわれが絶えずつくっていかねばならない。”
       憲法記念日_a0335202_09512221.jpg
春の野を彩るショウジョウバカマ


# by cinema-tohoku | 2023-05-03 00:00 | その他 | Comments(0)
 12年目の3.11の日を出張先の東京で迎えました。
 冷たい北風が吹いていたあの時とは打って変わって、春らんまんを思わせるやわらかな陽ざしが降り注いでいます。
 被災地では、いまだに3万人の人々が避難生活を強いられているのですが、12年の時の流れは人々の記憶からあの大惨禍を消し去ってしまうには十分なものであることを街を行き交う人たちの笑顔に感じながら、今日の午前の目的地逗子へ・・・。
 カバンの中に携えた作品は「荒野に希望の灯をともす」、アフガニスタンで献身的な支援活動を続けて来た中村哲さんの足跡を描いた記録映画です。
 この作品の配給が決まってから3ヶ月が経ちましたが、寄せられる反響の大きさに驚かされていました。
 毎日、まさに毎日なのですが、全国から上映をのぞむお声が数件、時には十数件寄せられて来ているのです。
 映画の仕事に携わってから50数年、こんな反響の作品に巡り合ったのは初めてのこと。
 中村哲さんがその生涯をかけて刻んで来た足跡が、時代の閉塞感さえ感じられている現代社会に、人の幸せへの道を照らす灯となって輝いている証しなのだと思っていました。
 逗子の喫茶店で上映の打合せを終えて逗子駅へ・・・そこで目に入ったのは、駅前で東日本大震災からの復興を願う献花を呼び掛ける市民団体のテントでした。
 12年経っても、皆忘れてしまった訳ではなかった・・・。
 そんな思いに胸を熱くして、午後の目的地町田へ。
 ここでは「荒野に希望の灯をともす」の上映に立ち上がった、上映の経験も組織もない一人の29歳の女性の願いに賛同が拡がり、第一回目の上映実行委員会が開かれていました。
 会議が始まり、時計が14時46分の“あの時”を刻んだ時、会議にご参加の方々は、誰言うともなくこうべを垂れた黙とうであの時をしのんで下さったのでした。
 そしてこの日の夜に行われた練馬での「あの日のオルガン」の実行委員会発足に向けた試写会で忙しく走り回った記念の一日を終えたのでした。
 3年のコロナ禍ですっかりナマッテしまった老体に鞭打ちながら、それでも思いがけずに触れた”人の情„に心を熱くした一日でした。
 啓蟄も過ぎた今、長かったトンネルから私も這い出さなければ・・・。
        12年目の3.11_a0335202_16544107.jpg
逗子駅前には、献花を訴えるテントが


# by cinema-tohoku | 2023-03-14 16:59 | 映画 | Comments(0)
 新年明けましておめでとうございます。
 困難な時代ではありますが、新しい年を迎えられ、皆様未来に向けた夢を描いておいでのことと思います。
 私たちはこの3年間のコロナ禍で、年の始まりにあたって展望も語ることの出来ない厳しい時代を過ごして参りました。
 しかしながら、やっと未来に向けた光を感じるお正月を迎えました。
 昨年のブログでも触れましたが、「荒野に希望の灯をともす」の配給について、製作の日本電波ニュース社とのご相談が進み、本年から劇場上映を除いた分野での配給を、私たちが中心になって組織した協同組合ジャパン・スローシネマ・ネットワークで担当することになりました。
 早速、この作品を私たちの周りの方々にお伝えしてみました。
 素晴らしい反響が返って来ました。
 中村哲さんがその生涯をかけて語った人と人とが支えあう心、そして平和を願う思いは、それぞれの拠って立つお立場をこえて、広汎な方々の願いとなって脈々と息づいていたのだと思います。
 是非上映を!・・・そんなお声は、かつてなかった程の勢いで全国にその輪を拡げ始めたのでした。
 自己責任論が語られ、社会の弱い立場の人々を踏みつけにすることが、あたかも社会の公正なルールとして語られる現代社会に暗澹たる思いでいましたが、中村哲さんに寄せる人々の願いは、熱く私の胸に伝わって来たのでした。
 まさに“荒野”の様になってしまった現代社会に”希望の希望の灯をともす〟ために・・・。
 新年早々、大きな課題と向かい合った思いでした。
 そして今年のもう一つの大きな課題は、やはり「あの日のオルガン」です。
 ロシアによる不当なウクライナ侵略からまもなく一年を数えることになります。
 この間、この悲惨な戦争は、ウクライナ・ロシア両国から20万人にも上る膨大な犠牲者を生むことになりました。
 この世界情勢に乗じて日本の軍事費を一気に拡大させ、日本を軍事大国化させようとする意見も堂々と語られ始めています。
 昨年惜しまれながら他界した瀬戸内寂聴さんは、生前戦争について語っていました。
 “戦争にいい戦争などない。戦争は全て殺し殺されることだ。”と。
 人が生きる最前提としての平和への心を多くの方々の胸にお届けするため・・・。
 「あの日のオルガン」の上映再開は、私たちにとってこれも今年の大きな課題となっています。
 やっと仕事が出来る喜びも感じながら・・・。
 新年にあたっての夢を、やっと描き始めたお正月でした。

明けましておめでとうございます_a0335202_16541746.jpg
©日本電波ニュース社

明けましておめでとうございます_a0335202_16544109.jpg
©2018「あの日のオルガン」製作委員会

# by cinema-tohoku | 2023-01-06 16:04 | 映画 | Comments(0)
 年もおしつまって来ましたが、コロナ禍で困難を極めていた「あの日のオルガン」の上映に、やっと一筋の光が見えて来た様な上映会が2件相次ぎました。
 一つは東京葛飾区での上映会でした。
 以前のブログでも触れましたがコロナ禍以降、全国でこの映画の上映は途切れずに続いていたのでしたが、その全ての上映会は、行政や団体の予算を使って行われた無料の上映会でした。
 本格的な上映再開をはかる目安として、地域の中に上映実行委員会をつくって、前売券を売って行う<上映運動>としての上映が待ち望まれていました。
 この第一号上映会となったのが東京葛飾区上映会でした。
 地域の保育団体の方々を中心に上映実行委員会がつくられ、迎えた上映会には524人の区民の方々が足を運んで下さり、コロナ禍以降で初となった <上映運動>としての上映は見事な成功をおさめることとなりました。
 ご覧の方々からは交々に平和の尊さが語られ、実行委員の皆様のご苦労がむくわれた上映会となりました。
 もう一つの上映会は、この映画の全国への発信地となった蓮田市での上映会でした。
 蓮田では製作段階からこの企画へのご支援の輪が市民の中に拡がり、<製作を支える市民の会>を中心とした製作支援運動は賛同団体による上映実行委員会の発足となって、迎えた2019年7月蓮田市上映会は1万人の観客の感動の輪となったのでした。(蓮田市人口5万人)
 それ以降、この上映運動は市が引き継ぎ、平和事業としての上映会がなんと毎年行われ(一回はコロナ禍で中止)、今年の12月にも通算3回目となる上映会が計画され、私に上映後のお話のご依頼がありました。
 訪れた蓮田、私にとっては久しぶりの訪問でした。
 午前の時間を利用して、疎開保育園の場となった妙楽寺を訪れたのは、1万人を集めた上映会終了後、この益金を使って妙楽寺の入り口に疎開保育園の歴史を伝える案内板と、記念の碑が建立されたとのこと・・・これを拝見したいと思ったからでした。
 その2つの記念碑は、子どもたちのたくさんの笑いと涙を刻んだ地にいつまでも続く平和を願って冬の大地にしっかりと根を張っていました。
 社会に目をやるなら、日本の軍事費を大幅に拡大する方針が、国民の信を問うこともなく進められようとしている今、”子どもの命と平和„を語るこの映画の本格的な再開を予感させたこの2つの上映会は、新しい年を迎えようとする私に大きな励ましとなって伝わって来たのでした。
 軍事大国への道ではなく、子どもたちの笑いがはじけ、子どもたちがその未来に大きな夢を描ける国を願って・・・。
     「あの日のオルガン」2つの上映会_a0335202_11153584.jpg
妙楽寺に建てられた案内板と記念碑

     「あの日のオルガン」2つの上映会_a0335202_11152268.jpg
上映会場となった亀有駅前には「両さん」が

# by cinema-tohoku | 2022-12-22 13:28 | 映画 | Comments(0)
 12月4日は、アフガニスタンを中心に、献身的な医療活動を続けて来た中村哲さんが非業の死を遂げてから3年目の節目の日でした。
 アフガニスタン駐日大使館では、中村さんをしのぶ記念の会が開かれ、その様子が報道されていました。
 この中村哲さんの活動の足跡を追った記録映画「荒野に希望の灯をともす」が、全国の劇場でヒット上映が続けられていました。
 これを製作したのは日本電波ニュース社、あまり一般にはなじみのない会社ですが、私にとっては懐かしい会社でした。
 戦後の激動期をよく生き抜いて・・・そんな思いで久しぶりに目にした会社でした。
 日本電波ニュースは1960年に創立、東西冷戦の時代に東側諸国の海外ニュースを配信して一時代を築きました。
 殊に、ベトナム戦争を巡っての報道では他の追随を許さない報道を配信して当時大ヒットの映画となった長編記録映画「ベトナム」の製作会社でもありました。
 この電波ニュース社が24年間にわたって中村哲さんの活動を撮り続け、これが一本の記録映画となって公開されていたのでした。
 作品を拝見して、大きな感動を覚えました。
 中村哲さんのお名前と活動の概要は耳にしていましたが、90分におよぶこの作品は、中村さんの人に対する思想と、決して武器と武力では実現することの出来ない平和への願いを観客の胸に伝えてくれたのでした。
 現代の日本社会に目をやるならば、国の未来を語るべき政治家のあまりの質の低さに絶望的な思いにさせられていました。
 国会で平気でうそをつく・・・相変わらずの金を巡る疑惑・・・旧統一教会とのみにくい癒着の数々・・・世のため人のために行うべき仕事を、私利私欲のそれに置き換え、果ては長野県では県会議員が自らの妻殺害容疑で逮捕・・・あまりの低劣さに暗澹たる思いにさせられていた私の胸に、この映画は”こんなにも高潔な日本人が生きていた・・・„そんな思いとなって私に伝わって来たのでした。
 久しぶりに電波ニュースの方々とお会いして、映画館以外の配給についてのご相談を始めていました。
 今、もっと多くの方々の胸にこの人をお伝えしたい・・・。
 そんな願いを、お互いの一致点として見つめながら・・・。
   映画「荒野に希望の灯をともす」_a0335202_15530704.jpg

# by cinema-tohoku | 2022-12-06 15:54 | 映画 | Comments(0)