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 中村哲さんの足跡を描いた「荒野に希望の灯をともす」を製作したのは日本電波ニュース社でした。
 電波ニュースは早々に中村哲さんの支援活動に着目して、21年間にわたって映像での記録を続けて完成させた、これは執念の作品でした。
 この電波ニュースから創立65周年の記念の会のお招きがあり参加してきました。
 電波ニュースの創業者栁澤恭雄さんは、終戦の時NHKの社員でした。
 戦中、大本営から流されるフェイク情報をそのままラジオを通して国民に伝え、結果として国民を悲惨な状況に追いやったことに大きな反省を感じ、NHKを退社して正しい報道を伝えるべく、1960年に立ち上げたのが日本電波ニュース社でした。
 電波ニュースがその歴史の中で一番活躍をしていたのは、ベトナム戦争が戦われていた頃でした。
 あの時ベトナムは北と南に分断されて、北ベトナムには西側の報道機関は入ることが出来ませんでした。
 しかしながら電波ニュースの栁澤社長は不思議なご縁もあって、北ベトナムの指導者ホーチミンさんと交流があり、西側の報道機関としては唯一、ハノイに支局を開設することとなりました。
 北から撮られた報道映像は西側ではこれが唯一のもの、世界中の報道機関が電波ニュースの映像を買いに来たそうです
 この時、会社は大きな活況の時を迎えましたが、ベトナム戦争の実相を伝える上で大きな役割も果たすことになったのでした。
 その後、数々の困難はあったのだと思いますが迎えた65周年の会には、電波ニュースのOB始め多くの方々が集り楽しい交流の会になりました。
 あのベトナム戦争の時、カメラを抱えて戦場を駆け巡った当時の若き社員たち…今は髪もすっかり白くなり年も重ねましたが、頬を赤く染めながら生き生きとあの時のことを語る姿には時の流れを忘れさせる思いでもありました。
 こんな電波ニュースが社運を賭けて製作した「荒野に希望の灯をともす」も、人の幸せを願う多くの方々の手でその上映は3年経つのに変らずその輪を拡げ、その一翼にシネマとうほくも参加している喜びを胸に会場を後にしたのでした。この上映をもっと拡げる決意も胸にして…。
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ハノイ国家主席官邸での記念撮影、ホーチミンさんと語る栁澤社長

# by cinema-tohoku | 2025-05-13 10:48 | 映画 | Comments(0)
 桜の花は散り始め、ここ信濃路は春のバトンが渡った様にりんごの白い花が満開を迎えようとしていました。
 昨日は、「ぼくが生きてる、ふたつの世界」長野市での試写会、そして今日は県南の塩尻市での試写会でした。
 遠くには、まだ雪をかぶった北アルプスの連峰が・・・それでも里にはまぶしい春の陽が降り注ぎ、一斉に咲きだした花々は、その一ひら一ひらで春らんまんのよろこびを唄っていました。
 聴覚障害者関係団体の方々に、長野県で「荒野に希望の灯をともす」を大成功に導いてくれた各地の「荒野」実行委員会の方々交えた県内初の試写会は、参加者の方々の胸に障害の有無を越えて、間違いなく大きな感動を語ることになってのでした。
 世界に目をやるなら、戦火に追われた子どもたちの悲しい声が耳に届いています。
 そしてここに登場したアメリカ第47代大統領トランプは、まるで“ならず者”のような言動で世界を混乱と不安に追い込み、この恫喝にまるで尻尾を振る様にして渡米した日本の経済再生担当大臣が、トランプからもらった<MAGA帽子>をかぶり、得意げに両手の親指を突き立てるポーズをとるに至っては・・・。
 力のある者、金のある者だけが大手を振って闊歩して、社会的に弱い立場の人達が踏みつけられ、社会の隅に追いやられ、社会的格差が更に大きくなろうとしている現代社会に生まれたこの映画は、地域の中に人と人との心をつなぎ、共に支え合う社会実現を願ってとても大きな意義をはらんだ作品になっていることを実感させられたのでした。
 出張が連日におよび、脳と体はクタクタになっているのですが・・・もうしばらくは頑張らなければ…!
 そんな思いを胸に誓った春の信濃路でした。
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りんごの花は満開です

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北アルプス常念岳


# by cinema-tohoku | 2025-04-28 16:19 | 映画 | Comments(0)
 中村哲さんの足跡を描いた「荒野に希望の灯をともす」は、変らずにその上映の輪を全国に拡げていました。
 そしてここに、新たな配給の準備に入っていた「ぼくが生きてる、ふたつの世界」の動きが本格的に稼働し始めて、コロナで途絶えていた私の旅も再開した様です。
 昨日は朝仙台を発って、遠路はるばる静岡県湖西市へ。
 静岡県聴覚障害者協会から、上映についてのお話を聞きたいのでよろしく・・・とのご依頼を受けての訪問でした。
 湖西市はその名の通り、浜名湖の西岸にひろがる町、もう少し行けば愛知県。
 仙台を発った朝は少し肌寒い思いでしたが、降り立った鷲津駅は初夏の日差しが降り注ぐ暖かさでした。
 そんな初夏の日差しを受けながら打合せの会場へ・・・ご指定の会議室には次から次へと湖西市聴覚障害者協会の会員さんが集まり、その数は何と20名・・・。
 ここにお集まりの方々は、そのほとんどが聴覚障害者、手話通訳の方も交えての私の話を、皆さんはとても熱心に聞いて下さいました。
 当初は120名入る会場での上映を考えていた様でしたが、この映画を聴覚障害者のみに止めず、広く市民にご賛同の輪を拡げて、障害への差別も偏見もない地域社会をめざす運動として進めよう・・・こんな方向になり、その段取りを打ち合わせて2時間に及んだ打合せを終了しました。
 でも、疲れるのです。
 この作品に関ってから、耳の聞こえない方々とお会いする機会が増えました。
 間に手話通訳の方をはさんでの会話はまさに隔靴掻痒の思い。
 手話通訳の方の通訳のテンポにも合わせなければならず、ご面会後は疲労が・・・。
 でも、あきらめるわけには行きません。こんな障害をもった方々も、あたり前の様な社会で生活することの出来る地域づくりのために・・・。
 精一杯の思いでの打ち合わせを終えて、ホッと胸をなでおろしながら会場を後にしたのでした。
 そして、翌日は釧路でした。
 国際ソロプチミスト釧路アミティの皆さんが、「荒野に希望の灯をともす」の上映を実現して下さって、この上映に谷津監督もお招きしていましたので足を運んだのでした。
 もはや上映会は始まっていて、2回目の上映のスタートしたところ・・・先ずはと会場をのぞいたら場内は満席!
 1回目とのトータルでほぼ1000人の入場者とのこと、良かった!
 久し振りの谷津監督との再会もそこそこに主催の皆様ともお別れして、札幌に向かう電車に飛び乗ったのでした。
 疲れた体にムチ打って・・それでも仕事の出来る嬉しさを胸に・・・。
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釧路駅

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釧路から札幌までは4時間。上映成功の一人祝杯をあげました。


# by cinema-tohoku | 2025-04-16 13:31 | 映画 | Comments(0)
 突然の訃報でした。
 長年にわたって日本の芸能界の一線で活躍をされていた石田あゆみさんがお亡くなりになったとの報道は私を驚かせました。
 私たちが、西村滋さんのご本を原作に、映画「エクレール、お菓子放浪記」の製作を思いたったのは20年ほど前のことだったと思います。
 <新自由主義>が日本の政治の旗として掲げられ、社会的格差が拡大して社会的弱者が取りこぼされている現状に、“支え合う人の心のやさしさ”を語ろうとしたこの映画の製作には、幸い東北のテレビ局、新聞社等が賛同の手を重ねて下さり企画は製作開始に向けて歩み出したのでした。
 近藤監督とキャスティングの話し合いを始めた時、本作でとても大切な役どころとなる<フサノバアサン>役に石田あゆみさんを・・との願いが監督から語られたのでした。
 近藤監督が参加したある会合で石田さんとご一緒した時、彼女から“私も年をとったので、バアサン役をやりたい・・・”との話があったとのこと、サプライズも含めて是非いしだあゆみさんを・・・との希望でした。
 しかしながら、石田さんは超一流の役者さん・・当然ながら出演料も常識的には大きなものとなるし、私たちが考えていた全国公開は必ずしも映画館のみによらない<上映運動>・・
 数々の困難が予想されましたが、当たって砕けろ・・! 監督共々石田さん所属のイザワオフィスに石田さん担当のベテランマネージャーをお訪ねしました。
 幸い、作品の概要はとてもよく聞いて下さり、話も進む中で彼女からいかほどのギャランティを予定していましたか?の問い、いよいよと思い素直に私たちが用意できる金額を申したところ、その金額に彼はしばし唖然・・・。
 ともかく石田とも相談します・・とお別れした時、これはご無理かな、との思いが胸に拡がったのでした。
 しかしながら、ほどなくして彼女からのお電話、石田に話したところ、私共が進めて来た<上映運動>に興味を持って下さり、“石田が出たいと申しているので、その条件でお引き受けします”とのご返事でした。
 その後諸準備が整い、クランクインを迎えたのは2010年10月、秋のやわらかな光が降り注ぐ宮城県石巻市の北上川河畔でのことでした。
 広い河川敷をはさんで対岸に、コンクリート造りの立派な建物が。
 ご参加していた石巻市役所の方にお訪ねしたところ、あそこは<大川小学校>です、とのこと。
 翌年3月この一帯を襲った津波で児童、教師76名の命を奪うことになった大川小学校の対岸でのクランクイン・・・始まりからこの映画は不思議な運命に彩られていたのかも知れません。
 撮影は順調に進みました。
 作品の設定上、多くのエキストラが必要な作品、石巻市民にご参加いただいた撮影現場では、エキストラの方々と役者さんとの交流も・・こんなことにも石田さんは嫌な顔せず応えて下さったのでした。
 そして、完成、翌2011年3月10日の東京での完成披露試写会にもいしださんは舞台あいさつに足を運んで下さいました。
 満席の会場からの上映終了後の共感の拍手は、見事な全国への船出の合図にも聞こえていたのでしたが・・・何とその翌日、東日本の沿岸一帯を襲った波の壁は、この作品に込めた私たちの夢をも破壊したかと思えたのでした。
 いくつかの企業と多くの宮城県民のご支援で完成したこの作品、完成さえすれば東北での上映で製作にかかった資金の半分は回収を・・・との計画を立てていましたが、その東北の上映全てが実現出来なくなり、私は茫然として被災地石巻に立ち尽くしていました。
 そんな折、全国からあたたかな支援のお声が寄せられました。
 この映画のテーマは“支え合う人の心のやさしさ”、ロケ地は石巻、そして完成披露試写会はあの前日…。
 不思議な運命に彩られたこの作品は、被災地支援の映画として全国に伝えるべき作品になった・・・。
 こんなお声に励まされて、4月の東京でのチャリティ試写会を始めとして全国への被災地支援を伝える上映会が始まったのでした。
 石田さんはこの動きにも熱い思いでご参加して下さいました。
 東京、名古屋での試写会で被災地支援を語る彼女の脳裏には、あの撮影現場のたくさんの石巻市民の笑顔があったのでした。
 時には涙ぐみながら語る彼女の思いはこの作品を全国に押し出す大きな力になったのでした。
 そしてこの上映は2年をかけて全国47都道府県850ヶ所45万人観客の大きな心の輪となってつながったのでした。
 先日の震災から数えて14年の3月11日は、あの時と打って変わって温かな春の日差しが差し込む日となりました。
 あの時から14年・・・そしてほどなくして石田あゆみさんが旅立たれたことに、不思議な縁さえ感じさせられたのでした。
 今はただ合掌・・・。
 安らかにお休み下さい・・・。
石田あゆみさん_a0335202_11422888.jpg
🄫2011『エクレール・お菓子放浪記』製作委員会


 


# by cinema-tohoku | 2025-03-21 11:47 | 映画 | Comments(0)
 新しい年を迎えて皆様新たな決意を誓っておいでのことと存じます。
 本年は、あの悲惨だった戦争の終結から80年の大きな節目の年にあたります。
 平和は人類の永遠の課題と思いますが、あの大戦以来平和を願う声に反して、世界に戦火の絶える時はありませんでした。
 又、日本でも、不安を増す東アジア情勢を奇貨として、国の防衛費(軍事費)を大幅に拡大する動きが明らかになって来ています。
 こんな折、平和と民主主義を語る一本の熱い記録映画と巡り合いました。
 「オン・ザ・ロード~不屈の男 金大中」、韓国での民主主義を求める第二次大戦以降の国民の運動を貴重な記録映像で綴った映画でした。
 「あの日のオルガン」をご一緒に製作した李鳳宇さんから“韓国から持ち込まれたすごい映画がある。是非観て欲しい・・・。”こんなご要請を受けて拝見した作品でした。
 2時間を超える長尺の作品でしたが、一時も目が離すことが出来ない、まさに“すごい映画”でした。
 第二次大戦以降朝鮮半島は、東西両陣営の思惑に分断され、南にはアメリカの支援を受けた独裁政権が生まれ、民主主義を願う国民の動きを強圧的に弾圧して来ました。
 それでも国民はその圧力に抗して何度も立ち上がり民主主義を求め続けて来ました。
 そして、その真中に居たのが「政治家・金大中」でした。
 「オン・ザ・ロード」は韓国で国民が民主主義を血と涙で勝ち取ってきたこと、そして国民の立場に立つ政治家が、そんな国民の願いに応えて、何を語りどんな道をたどって来たのかを熱く語ってくれました。
 観ている私の胸が感動で熱くなるのを押さえることは出来ませんでした。
 振返って日本の政治の現状と政治家のあまりのレベルの低さ・・・。
近くて遠い隣人の韓国をもっと知らなければ・・。
 思い立って東アジア近代史に関る本を何冊か読み始めていました。
 そんな折、韓国で戒厳令が発令された、とのニュースが突然伝えられて
来ました。
 それでも、これまでの歴史の中に民主主義を勝ち取って来た韓国国民は、たちまち国会に集まり、国会と民主主義を守ったのでした。
世界で民主主義の危機が語られる今、「オン・ザ・ロード」は今伝える
べき一作になったのだと思います。
今年1年、皆様方の変らぬご支援をお願い申し上げます。
  新年明けましておめでとうございます_a0335202_10143425.jpg




# by cinema-tohoku | 2025-01-01 08:00 | ご挨拶 | Comments(0)