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 新しい年を迎えて皆様新たな決意を誓っておいでのことと存じます。
 本年は、あの悲惨だった戦争の終結から80年の大きな節目の年にあたります。
 平和は人類の永遠の課題と思いますが、あの大戦以来平和を願う声に反して、世界に戦火の絶える時はありませんでした。
 又、日本でも、不安を増す東アジア情勢を奇貨として、国の防衛費(軍事費)を大幅に拡大する動きが明らかになって来ています。
 こんな折、平和と民主主義を語る一本の熱い記録映画と巡り合いました。
 「オン・ザ・ロード~不屈の男 金大中」、韓国での民主主義を求める第二次大戦以降の国民の運動を貴重な記録映像で綴った映画でした。
 「あの日のオルガン」をご一緒に製作した李鳳宇さんから“韓国から持ち込まれたすごい映画がある。是非観て欲しい・・・。”こんなご要請を受けて拝見した作品でした。
 2時間を超える長尺の作品でしたが、一時も目が離すことが出来ない、まさに“すごい映画”でした。
 第二次大戦以降朝鮮半島は、東西両陣営の思惑に分断され、南にはアメリカの支援を受けた独裁政権が生まれ、民主主義を願う国民の動きを強圧的に弾圧して来ました。
 それでも国民はその圧力に抗して何度も立ち上がり民主主義を求め続けて来ました。
 そして、その真中に居たのが「政治家・金大中」でした。
 「オン・ザ・ロード」は韓国で国民が民主主義を血と涙で勝ち取ってきたこと、そして国民の立場に立つ政治家が、そんな国民の願いに応えて、何を語りどんな道をたどって来たのかを熱く語ってくれました。
 観ている私の胸が感動で熱くなるのを押さえることは出来ませんでした。
 振返って日本の政治の現状と政治家のあまりのレベルの低さ・・・。
近くて遠い隣人の韓国をもっと知らなければ・・。
 思い立って東アジア近代史に関る本を何冊か読み始めていました。
 そんな折、韓国で戒厳令が発令された、とのニュースが突然伝えられて
来ました。
 それでも、これまでの歴史の中に民主主義を勝ち取って来た韓国国民は、たちまち国会に集まり、国会と民主主義を守ったのでした。
世界で民主主義の危機が語られる今、「オン・ザ・ロード」は今伝える
べき一作になったのだと思います。
今年1年、皆様方の変らぬご支援をお願い申し上げます。
  新年明けましておめでとうございます_a0335202_10143425.jpg




# by cinema-tohoku | 2025-01-01 08:00 | ご挨拶 | Comments(0)
 時の流れが速い!たちまちのうちに一年の幕が閉じようとしています。
 年をとるほど時の流れを早く感じる理由は、脳の情報量が少ないから、と言われています。
 「周りの世界が見慣れたものとなってくると脳が取り込む情報量は少なくて済み、時間が早く過ぎ去ってゆく様に感じられる」らしいのです。
 情報が多くなれば、それを理解するのにより多くの時間が必要で、そのためたくさんの新しい発見をする若い世代は、時間の流れが遅く感じられる、のだそうです。
 この世に生を授かってから76年・・・振り返って見るなら、大学卒業後映画の世界に身を投じてから54年が経っていました。
 若い頃は何も分からない映画の世界に飛び込んで、必死に仕事を覚え様としていました。
 そして1998年、長らくお世話になった共同映画から独立して、シネマとうほくを立ち上げ、これも必死の思いで新しい時代の映画運動創造のため努力を重ねて来ました。
 そんな全国に向けた映画運動が横につながって、2014年協同組合ジャパン・スローシネマ・ネットワークを結成、映画の製作上映を通した人の世の幸せをめざして仕事に向き合って来ました。
 その間、2011年東日本大震災・・・あの大惨禍に上映の道を阻まれた「エクレール お菓子放浪記」を全国行脚で何とか立て直し、長年の夢だった疎開保育園の史実を描いた「あの日のオルガン」をやっと完成させて、いよいよ本格的な上映を、と思った時私の前に立ちふさがったコロナ禍・・・神は度重なる厳しい試練を私に課して来たのでした。
 そんないくつもの山を乗り越えて気付けば人生の最終盤に差しかかっていました。
 今年一年、変らぬ情熱で全国を駆け回って来ましたが、やはりいささか守りの姿勢に陥っていたのかも知れません。
 年の瀬を迎えて、今年一年の時の流れの速さと向かい合った時、新たな時代への挑戦の志に曇りがなかったか、少しの反省も胸に感じていました。
 日本社会の現状と世界に目をやるなら、閉塞感を通り越してもはや危機的な状況にも思える今、私たちに課せられている課題は更に大きなものとなっていることも実感しています。
 今年一年、全国多くの方々のやさしさに支えられながら歩んで参りましたが、来たる年はもう一度原点に立ち返って新たな未来への挑戦に取り組んでいかなければ・・・。
 そんな思いを胸に抱く師走でした。
 来年もよろしくお願い申し上げます。
   一年間お世話になりました_a0335202_16455526.jpg

# by cinema-tohoku | 2024-12-24 17:11 | ご挨拶 | Comments(0)
 協同組合ジャパン・スローシネマ・ネットワーク(略称JSN)は10年前、映画運動を通した人の世の幸せを願って生れました。
 加盟する10社が心を合わせて、これまでたくさんの作品を全国の方々の胸にお届けして来ました。
 認知症をテーマにした記録映画「僕がジョンと呼ばれるまで」、中国大陸への侵略を現代の子どもたちの視点から描いた「15歳の夏」、見事な技法で製作されたパペットアニメ「ちえりとチェリー」。
 そして、私たちの手による製作作品としては、更生保護のこころを描いた「君の笑顔に会いたくて」、戦時中の疎開保育を描いた「あの日のオルガン」・・・未来への希望と子どもたちの健やかな未来を映画の感動と共に多くの方々にお伝えして来ました。
 そんなJSNも10年の区切りを迎えて、新たな体制で新たな未来に向けたスタートを切ることになりました。
 JSNの発足から10年にわたって、私は理事長としてその先頭に立って来ました。
 しかしながら10年は一つの区切り、併せて私の年齢が刻々と増していることもあってこの際、新たな体制での更なる時代への歩みを期待して、理事長を退任、新体制にこれからの発展をゆだねることにしたのでした。
 先日開かれたJSN第11回総会に諮り、JSNは新たなスタートを切ることになりました。
 振り返って見るなら、多くの方々の温かい心に支えられながら走り続けて来た10年でした。
 JSN前史の「エクレール~お菓子放浪記」の製作完成、そして東日本大震災…地域社会と家族の再生を熱く語った「じんじん」の全国配給・・・必死になって全国を駆け巡って、作品を多くの方々の胸にお届けして来ました。
 私にとっては40年来となる企画<疎開保育園>の映画製作決意・・・不足する製作費を補うための市民プロデューサーのお願いの全国行脚…そして完成、上映開始・・・そこに立ちはだかったコロナ禍での上映の中断・・・振り返れば、多くの感動とそれを上回るような数々の困難に彩られたここまでの歩みでした。
 それでも、これで私の歩みが途絶えることはありません。
 新たな体制のJSNの中で私は<会長>として、その発展に更なる努力を重ねる決意です。
 その新体制の会長としての第一歩の出張に出ていました。
 昨日、愛知県知多半島の半田市を訪れました。
 半田市の<九条の会>の方から、来年迎える敗戦から80年の区切りの年の記念上映会として「荒野に希望の灯をともす」を上映したい・・こんな願いが届けられ、半田市まで足を運びました。
 会議には10名のこの地区の<九条の会>の方々にお集まりいただき、来年8月3日1000名を目標とした上映が決定したのでした。
 会議の後の時間を利用して半田の街を歩いてみました。
 運河も整備され、歴史の歩みも感じさせる落ち着いた街の一角に、かつてはビール製造工場だった赤煉瓦の立派な建物がありました。
 半田市は1945年7月24日、米軍機による空襲を受けました。
 その折受けた、米軍機の機銃掃射の後が赤煉瓦の建物の壁面にありありと残っていたのです。
 平和への願いを込めた上映会を決めた直後だったこともあり、この弾痕は私の胸に上映成功への更なる決意となって伝わったのでした。
 これから、名古屋、三重、岐阜への仕事です。
 私の旅はまだまだその先への続いて行きそうです。
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元のビール工場

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レンガに刻まれた弾痕


 こんな題名の作品が完成、全国上映に旅立とうとしています。
 ことのきっかけは、この作品のプロデューサー並木さんからのお電話でした。
 私の友人で、長年北海道に拠点を置いて、映画の活動を続けて来たF氏からシネマとうほくの鳥居に会って相談を・・との助言を受けたとのお電話でした。
 それでも、この時私たちは、中村哲さんの「荒野に希望の灯をともす」が大きく上映の輪を拡げて、その後の配給作品「ぼくが生きてる、ふたつの世界」も決っていて、とてもこの上に新たな作品をお引き受けできる状況ではありませんでした。しかしながらF氏の紹介・・電話口でお断りするのも失礼と思い、東京駅近辺の喫茶店でお会いしたことが事の始まりになったのでした。
 並木さんは監督と一緒に私の前に・・・。
 知性を感じさせるおだやかな話口で彼は、作品に寄せた熱き思いを私に語ってくれました。
 新渡戸稲造、盛岡出身の私と同郷の偉人、“我太平洋のかけ橋とならん”こんな言葉でも知られ、国連事務次長や著書「武士道」で多くの方々に知られている歴史上の巨人です。
 そんな新渡戸が、貧困や家庭の事情などのため学校で学ぶことの出来ない子どもたちのために1894年 札幌に夜間中学を開いたことは私も知りませんでした。
 「遠友夜学校」と名付けられたこの夜間中学は先進的な思想と子どもたちへのやさしいまなざしがあふれた学校でした。
 授業料はゼロ、男女共学、年齢の制限なし、そして子どもたちと向かい合う先生は当時の北海道大学の学生のボランティアによるものでした。
 この学校からたくさんの人達が学びの喜びを胸にして巣立って行きました。
 しかしながら、戦争の暗い影がこの夜間中学に忍び寄って来たのでした。
 軍からの軍事教練を強制させられた夜間中学は、とても生徒たちに戦争の訓練をさせる訳にはいかない・・・終戦前年の1944年に、長い歴史に幕を閉じたのでした。
 それでもこの新渡戸の子どもたちに向けたこころは途絶えることはなく息づいていたのでした。
 戦後ずい分の時間が経った1990年、遠友夜学校のこころを受け継いだ自主夜間中学「札幌遠友塾」がスタートを切ったのでした。
 戦争、貧困、差別、色々な事情で義務教育を受けることが出来なかった方々の修学の場として始まったこの学校は、今日に至るまで多くの卒業生を世に送り出しながら運営を続けられていたのでした。
 この「札幌遠友塾」を立ち上げたのは工藤慶一さんでした。昭和23年生まれの彼は私と同年齢、北海道大学に進学して彼は様々な社会の矛盾と向かい合うことになりました。
 学問を重ねて、これらの諸問題の原点を見つめる中で工藤さんが「学生運動」に身を投ずることになったのは彼の誠実さ故の当然の結論だったのかも知れません。
 警察に逮捕、しばらくして社会に復帰して、これからの道を模索していた彼は新渡戸稲造の教育に向けた熱い情熱に気付くことになったのでした。
 賛同の仲間を募り、その願いが結実したのが自主夜間中学「札幌遠友塾」でした。
 「遠友夜学校」のこころを引き継ぐ思いで名付けた学校でもありました。
 この「札幌遠友塾」の活動を知った並木さんと監督は早速工藤さんにご面会を申し出ました。
 そして工藤さんとの話の中で彼らは作品の向かうべき方向を定めたのでした。
 自らの生き方に誠実に向かい合っている並木さん、そして一時もぶれずに人の幸せの道を歩もうとする工藤さん・・・お断りする筈だった配給をお引き受けして私のカバンの重さは更に増したのでした。
 でも伝えなければ・・・
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# by cinema-tohoku | 2024-10-30 09:57 | 映画 | Comments(0)
 久しぶりに訪れた北の大地北海道は、すっかり秋の装いでした。山の木々は黄色に色づき、街を渡る風は涼しさを通り越して寒さを感じさせていました。
 それもその筈、暦は10月を迎えていたのでした。
 酷暑の夏、脇目も振らずに必死に各地を巡って、時の流れも忘れていたのかも知れません。
 それでもこの間「荒野に希望の灯をともす」は見事に上映の輪を拡げていて、全国の観客数は夢のような10万人を突破しました。
 以前、製作元の日本電波ニュース社のプロデューサーとお会いして、この作品の配給のご相談がほぼまとまった時彼女は、夢のような話だけど…と前置きして、全国の観客数がもしも10万人を超えたら、お祝いに回らないお寿司をご馳走したい・・・。
 そんな夢を語って下さいました。
 彼女はこの約束を忘れてはいませんでした。
 先日、お招きに甘えておいしいお寿司をご馳走になりました。
 これまで私たちは、たくさんの製作者から作品をお預りして配給業務にあたって来ました。
 それでも振り返って見るなら、上映大成功の感謝の食事会はこれが初めてだったのかも知れません。
 東京浜松町の小さな寿司屋で行われた2時間ほどの歓談の機会は、私の胸を熱くさせるのに充分なものでありました。
 まさに“気は心・・・”、ついつい私の口からは、次は20万人のお祝いを・・・こんな言葉さえこぼれたのでした。
 まるでマスコミジャックの様な自民党の総裁選挙が終り、選ばれた新総理大臣のメッキが早々にはがれかけ、国の未来に向けた漠たる不安感がまるで黒雲の様に広がる現代社会に、正義の旗を掲げて、命と平和を語る活動に生涯をかけた中村哲さんの足跡は更に大きな光を放っているのだと思います。
 今日は釧路での「荒野に希望の灯をともす」打ち合わせ会・・。
 北の地に命と平和の願いを響かせるために・・・雪虫の舞い始めた幣舞橋を渡って行って参ります…。
「荒野に希望の灯をともす」10万人を祝う会_a0335202_09555336.jpg
幣舞橋には佐藤忠良の彫刻が



# by cinema-tohoku | 2024-10-09 09:57 | 映画 | Comments(0)