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 久し振りに晴れ上がった空のもと、車で青森に向かっています。

 昨日、北の地は今年一番の冷え込みとのこと、車窓からは初冠雪が報じられた岩手山が、秋の空を背景にすっきりとしたその姿を見せています。

 岩手山・・・この山は、私にとって特別な感慨を思い起こさせる山なのです。

 私の故郷、盛岡市のどこからでも望むことの出来る、岩手をまさに象徴する美しい姿の山で、古くから多くの文学や詩歌にもその姿をうたわれていました。

 啄木や賢治もその作品の中にうたったこの山の姿は、それに触れた岩手県人に、故郷の包み込む様なやさしさと、遠く縄文の彼方につながる自然の巨きさを語ってくれるのかも知れません。

 私もこの山に吸い寄せられる様にして、若い頃幾度にもわたって登ってきました。

 初めて登った頂上から望んだ、すっきりと晴れ上がった風景の清々しさ・・・。

 友と登って、下山した温泉に伸ばした足の解放感・・・。

 そして、人生に行き詰って一人登った私を受け止めた、晩秋の岩手山のやさしさ・・。

 この山は、その都度都度に私を育て、見守って来てくれたのでした。

 あの頃から数えるなら、ずい分の時間が流れてゆきました。

 そして、年を重ねた私は、それでもまだあの頃の思いをカバンに詰めて、時代と向かいあいながら苦闘しています。

 故郷のおおきな、そしてやさしき数々のものに支えられながら・・・。

 青森までは、赤く色づいたナナカマドの道をたどってまだしばらくのドライブです。


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 秋空に映える岩手山


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「エクレール・お菓子放浪記」の原作者 西村滋先生がお亡くなりになられてから、

早いもので4か月の時間が流れていました。

 西村先生は、ご家族との最後のお別れにあたって二つのご指示をなされていたそうです。

 一つは、ご遺体は献体として、医学の発展に寄与すること、そしてお葬式は行わないこと、でありました。

 しかしながら、先生とのお別れを望むお声は回りに大きく、関係者の方々は、後日「お別れの会」を行うことを決め、ご丁寧な準備が続けられてきました。そして昨日、静岡市で「西村滋さんをしのぶ会―ありがとうお月さん」と名付けられたお別れの会が開催されたのでした。

 静岡市内の会場に入った一室には、おやさしい笑みを浮かべた西村先生のお写真が飾られていました。

 そのお写真と向かい合った私の胸には先生との数々の思い出が・・・そして思わず涙が・・・。

 更に、会場に入るや、なつかしいお顔の数々・・・。

 西村先生が大切に育んでいらっしゃった“やさしさ”が会場をいっぱいに包んだ頃

“しのぶ会”は開会を告げました。

 冒頭の川勝知事の奥様のごあいさつ、静岡市長のごあいさつ、そして元NHK名アナウンサー山川さんのごあいさつ、お仕着せではない、心のこもった言葉でご挨拶はつづられ、改めて西村先生が91年の生涯をかけて語ろうとしたものが胸にしみこむ思いでもございました。

 そして夕刻、ご参加の方々と別れを惜しみながら会場を後にし、帰路についたのでした。

 西村先生が私たちに残した平和への願いをしっかりと胸に刻みながら・・・。
  

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# by cinema-tohoku | 2016-09-30 18:05 | その他 | Comments(0)

 台風の接近が報じられる悪天候の中、東京新宿の安田生命ホールは、より良き高齢化社会を願う多くの方々で満席に埋まっていました。

 新宿に拠点を置く京王デパートの方から、映画「僕がジョンと呼ばれるまで」の上映についてのお問い合わせがあったのは、まだ新緑がまぶしい春のことでした。

 これにお応えしてお訪ねした私に、京王デパート友の会のご担当者の方はこんな思いを語ってくださいました。

  “京王デパート友の会会員さんの平均年齢は66歳となる・・・。

 そんな会員の方々の最大の不安の一つが認知症についてのこと・・・。

  「僕がジョンと呼ばれるまで」の話を耳にしたが、この作品が会員さんの不安に応

えてくれるものなら上映したい・・・。

一度作品を観せてほしい・・・。

 このご要請にお応えしてDVDをお貸しして数日後、是非上映をしたい・・・とのご連絡があり、この日はいよいよその上映の当日でした。

 あいにくの天候、お客様の出足も心配されましたが、幸い会場は上映前には満席となり、友の会会員の皆様は、時には笑い、そして時には涙を拭きながらこのドキュメンタリー映画を堪能してくださいました。

 それにしてもこの作品、まこと不思議な力をもった作品なのだと思います。

 これまで認知症は、決してその症状が回復することはない、と語られてきました。

 一旦家族がこの病にかかるなら、それは家庭の、そして地域社会の崩壊にもつながることだと思われてきました。

 その認知症が、「読み」「書き」「計算」の「脳トレ」でその症状を改善させることが出来る・・・。

 このことは、超高齢化社会を迎えた今日の社会に差し込んだ見事な一条の光でした。

 上映終了後、交々に感想を語りながら会場を後にした皆様方の笑顔を拝見して、もっと多くの方々にこの作品をお伝えしなければ・・・・・。

 そんな思いを胸に強く刻んだ雨の新宿の一日でした。

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# by cinema-tohoku | 2016-09-21 18:41 | 映画 | Comments(0)

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 「母」…こんな題名の作品が今月クランクイン、12月の完成をめざして制作をスタートさせることとなりました。

 製作を手掛るのは現代ぷろだくしょん、日本の独立プロ製作会社としては大いなる「老舗」、その設立は1951年にさかのぼります。

 現代ぷろは、主に「社会派」と呼ばれる作品を数多く手がけ、1956年に公開された八海事件をテーマにとった「真昼の暗黒」は当時のキネ旬ベスト1にも輝くこととなりました。

 私が現代ぷろを知ったのは大学時代でした。

 思いを同じくする仲間たちと地域で映画サークルを立ち上げ、映画を通して社会と向かい合うべく活動を続けていた折、巡り合ったのがこの「真昼の暗黒」でした。

 日本の司法当局が、そして警察権力が、不当にも無実の者に罪をかぶせようとする「冤罪」の実相に慄然とさせられながらも、底流に横たわる「真実」をテンポよく、しかも分かりやすく面白く一本のドラマに仕立てた今井正監督の力量にも感銘したことを記憶しています。

 そして、その次に現代ぷろと巡り合ったのは、私が映画の道に進んでまだ間もない頃、現代ぷろが製作した「はだしのゲン」を通してのことでした。

 一見誇張した演出はマンガの様にも思われたものでしたが、この作品は当時の親と子の平和に向けた心をしっかりとつかみ、空前の大ヒット作品となり、その後何作かの連作ともなり、日本の独立プロ史に大きな一ページを飾ることとなったのでした。

 それ以降、現代ぷろは「平和」と「人権」をテーマに絶えることなく作品を世に送り出し続けて来ました。

 1998年、会社設立からその先頭に立って、プロデューサーとして、そして監督として現代ぷろをけん引して来た山田典吾氏が他界後は、その奥様火砂子氏がその後を引き継ぎ、これも見事な製作を続けていらっしゃったのでした。

 そんな山田火砂子さんから、シナリオを添えたごていねいなお手紙を頂戴致しました。

 長年の企画がやっと実って「母」の製作に着手するので力を貸して欲しい…そんなお言葉が綴られていました。

 この作品はキリスト教に根ざした数々のヒューマンな作品を世に送り出して来た三浦綾子さんが、小林多喜二の母をテーマに描いたロングセラーを原作にとったもので、今の時代に「人権」と「民主主義」を高らかに語ろうとするものでした。

 又、この映画で多喜二の母役を演じることになったのは、日本映画界の名優寺島しのぶさん、山田さんの思いに全面的に賛同して、東北での配給をお引き受けしたのでした。

 人の幸せを願って小説を書き続けた小林多喜二の魂は、その母の無償の愛に支えられて一本の映画に結晶し、明年全国に向けた旅を始めます。


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# by cinema-tohoku | 2016-09-09 17:54 | 映画 | Comments(0)

 一本の映画の製作企画を立ち上げ、それを完成に導き、そして更には全国公開を実現して多くの方々にご覧いただく...。

 この一連の流れの中には、とても長い時間と数多くの方々の手が必要ですし、更には乗り越えなければならないいくつもの困難な課題もあるのです。

 それなのに、そんな数々の困難を予想しながらも、今又一本、新たな映画の製作の準備を始めていました。

 以前のブログでご紹介しました「君の笑顔に会いたくて」(仮題)がそれです。

 何故に数々の困難が予想されているのに、又新たな映画製作に立ち上がろうとするのか...。

 振り返ってみるとその原点は、このテーマを...この事実を...この人を...何としても映像化して多くの方々の胸にお届けしたい...そんな映画製作の「きっかけ」となった思いが私の胸を揺り動かしたからなのかも知れません。

 そして今度の作品の「きっかけ」は、映画の原作者であり、モデルでもある宮城県名取市在住の保護司大沼えり子さんとお会いしたことからの始まりでありました。

 大沼さんは2001年保護司になりました。

 そして、この年の少年院の参観で、少年たちがその更生に向かおうとする姿に触れ、大きな感銘を受けたのでした。

 彼らのために何かしなければ...、そう思った大沼さんは、以前経験のあったDJ番組を製作し、施設の中の少年達に「こころからこころへのプレゼント」として届けることを決意したのでした。

 そんな彼女の思いは、幸い多くの方々の共感となり、それ以来毎月一時間の番組を、15年にもわたって東北・北海道の3少年院に送り届けて来ました。

 そのかたわら、彼女は保護司として、少年院を仮退院した子どもたちの社会での自立にも精一杯の援助の手を差し伸べて来ました。

 そして子どもたちは、彼女の温かい手に支えられながら、それぞれの未来に向けて新たな旅立ちを果たして行ったのでした。

 時代の閉塞感が語られ、たくさんの子どもたちがその道を失ってしまった様な現代社会に、大沼さんが、そしてたくさんの保護司さんたちが、そんな子どもたちを受け入れ、支えている姿に触れた時、いかなる困難があってもこの映画化を実現し、全国の方々の胸にお届けしたい...そんな思いにさせられたのでした。

 人が人として生きることの出来る...そして、一切の差別も偏見もない社会を作り上げるために...。

 こんな私たちの願いは、一本の映画となって来年初夏、その命を授かることになりそうです。

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# by cinema-tohoku | 2016-08-23 10:10 | 映画 | Comments(0)