お正月の松もまだ取れない19日、「平成29年度政策課題講演会」と称する映画「君の笑顔に会いたくて」試写会が宮城県庁で行われ、村井知事をはじめ、県の幹部職員160名がこの作品をご覧になりました。
 この作品にとって宮城県はまさに生誕の地、原作者の大沼さんは宮城県人、撮影地はオール宮城県、そして現在全国に先駆けて上映展開中の地でもあります。

 この作品の製作を企画した時、その運動上の全国への発信地を宮城に置こうと思ったのは当然のことでした。

 県民運動実現の思いを携えて原作者大沼さんとご一緒に村井知事とご面会、製作上映運動への全面的なご賛同をいただいてこの映画はスタートを切ったのでした。

 そして、映画は撮影から完成、更には宮城県上映へと歩みを進めていたのでした。

 こんな折、県のご担当課の方からご連絡がございました。

 村井知事が映画をご覧になりたい・・・とのご意向なので、諸般の相談をしたい・・・とのことでした。

 私達はこれまでにも、何本かの映画を同じく宮城発信の県民運動として製作してきましたが、公務にご多忙の知事から観たい〟との声が語られたことはこれまではございませんでした。

 今回改めてお声がけがありましたのは、大沼さんが8年にわたって県教育委員をおつとめになられ、知事が大沼さんのこととよく存じ上げておいでだったことだけではなく、今日の子どもたちを取り巻く状況に目をやった時、行政として何らかの手だてをせざるを得ない程、その状況が危機的になっていることが試写会実現の背景としてあった様でした。

 上映に先立っての村井知事のごあいさつは、この映画の上映を通して、宮城の子どもたちが未来に向けて育つためには何が必要なのか学んで欲しい・・・〟 この思いで実現した試写会でございました。

 県庁の講堂に映写機を持ち込んでの試写会は、それにしても何とも「異様な」雰囲気の試写会でした。

 何せ、160名の観客のほとんどがダークスーツを着た50歳前後の男性たちだったのでしたから・・・。

 それでも、ドラマが展開するや、目頭をそっとぬぐうお姿が見られ、上映終了後は満場の拍手で県庁の幹部職員の方々はこの映画を受け止めて下さいました。
 こんなていねいな一歩一歩が、この作品を全国に送り出す力となる・・・そんなことを実感して帰路についた新年の一幕でした。

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ダークスーツ一色の会場


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# by cinema-tohoku | 2018-01-16 12:10 | 映画 | Comments(0)

 これまで「おおきくなぁれ」(仮題)としてご紹介して参りました、疎開保育園の史実をもとに、製作準備中の作品の概要がほぼ決り、本年7月完成をめざしてスタートを切っていました。


 その一つは題名です。
 一本の映画にとってその題名は、作品のイメージを多くの方にお伝えする上でとても大切なものです。
 この題名を昨年中には決めようと議論を重ねて参りましたが、「あの日のオルガン」― 疎開保育園物語 と決りました。
 この映画には、保母と子どもたちが歌う「わらべ歌」がふんだんに盛り込まれることになります。
 保母さんが奏でるオルガンの音に合わせて歌ったこれらのわらべ歌が、あの困難だった子どもたちの生活の大きな励みにもなっていたのだと思います。
 そして、その歌声は平和の訪れを求める子どもたちの願いでもあったと思えるのです。
 この映画が全国津々浦々で上映され、その感動が、大きな平和の未来を謳い上げてくれれば・・・と願っています。

 メインキャストも決りました。
 一本の映画にとって、キャストもとても大切な要因です。
 この映画で主たる役は、子どもたちを守った若き保母たち・・・。
 このキャスティングにあたっては、知名度のみによらずに広く募集にあたろうとオーディションで事にのぞみました。
 結果は2000名を超える方々からのお申込みがあり、大変な作業となりましたが、素晴らしいキャスティングが実現しました。
 未熟ながらも精いっぱい子どもたちと向かい合う若き保母役には、若手の有望株大原櫻子さん、そして、主任保母としてこの疎開保育所を支えた役は、もはやベテランの戸田恵梨香さん、子どもたちを迎えた村の世話役には橋爪功さん、子どもの父親役に林家正蔵さん等々・・・。
 きっと素晴らしい感動の映画をつくり出して下さることと思います。

 クランクインも決りました。
 諸般の準備を進めながら、クランクインは31日に決りました。
 メインの撮影地は、数々の日本映画の名作を生み出してきた京都。
 松竹京都撮影所を中心に、40日程の撮影となる予定です。

 こんな風にして大車輪で製作準備が進められています。
 私の当面する課題は、市民プロデューサーを募って、これらの製作を資金面で支えること・・・。
 新年早々、私が映画の世界に入って以来の長い友人、八戸市のA氏から有難い出資お申込書が届けられました。
 一歩一歩、子どもの命と平和を願う声はその輪を大きく大きく全国に拡げ始めています。
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# by cinema-tohoku | 2018-01-11 11:45 | 映画 | Comments(0)

 新年明けましておめでとうございます。

 新しい年を迎えるのも数えれば何と69回目のこと、特に珍しくもないのですが、無事に新年を迎えられたことに心からの感謝をしたい思いです。

 今年の正月も、遠く離れている息子家族も帰省し、仙台の娘一家も交えてにぎやかな正月になりました。

 振り返れば、私たち夫婦に授かった孫は昨年で4人を数え、日に日に成長する新たな命に目を細めながら、この子らの未来にいつまでも続く平和を祈らずには居られませんでした。

 そんな恒例の正月の風景に、今年はいささかの感動の出会いが一つ・・・。

 私の妻には3人の姉がいます。

 いずれも心優しき方々で、とても仲の良い姉妹でもあります。

 そして更に、それぞれの夫達も仲が良い・・・誠に有難く、そして幸せな親族であります。

 中でも、次女の夫のSさんは、一歳違いの兄の如きお方・・・妻を抜きにして二人で酒を酌み交わすこともあるなど、とても有難いお付き合いをさせていただいていました。

 ここずい分、私の仕事やSさんの風邪ひき等でスケジュールが合わずにごぶさたをしていたことに気付き、新年のごあいさつに、とご自宅をお訪ねして参りました。

 Sさんは、一見するといかついそのお顔には似合わずに、心やさしく、そして義理に堅いお方であります。

 仙台市秋保町でのワイン製造に挑戦し、その夢をかなえながら昨年他界した、Sさんの友人をしのんで彼が残したワインを痛飲。

 久し振りの再会についつい盃も進み、妻からせかせられ辞去しようとした時、Sさんが私の仕事と家族への応援だ・・・と、何と大枚の金一封を手渡して下さいました。

明夫ちゃんの仕事はとても大切な仕事だから・・・そう言って笑顔で見つめるSさんの姿は、胸からこみ上げる涙でたちまちのうちに見えなくなってしまったのでした。

 「自己責任」が語られ、自らの利のためなら他者を蹴落とすことが、あたかも社会の公正なルールと語られる現代社会・・・・・それでも こんな社会の中にも、人と人が信頼し合い、そして支え合う心が確実にあることに胸を熱くして、心地良い酔いに身を任せて家路についた私たち夫婦でありました。

 今年も更なる努力を重ねて見ようとの決意も自らに語りながら・・・。

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# by cinema-tohoku | 2018-01-09 14:13 | ご挨拶 | Comments(0)

 年も押し詰まり、今年も残すところあと5日となってしまいました。

 浦和駅前の喫茶店で手帳をくくりながらこの一年を振り返っていますが、時の流れのあまりの早さに改めて驚かされています。

 こんな早さで時が過ぎて行ったなら…明年70歳を迎えることになる私にとって、この時の流れの早さは、いささか残酷なものとしても実感させられているのです。

 昨日は、長野市保護司会をお訪ねして参りました。

 長野市保護司会があるサポートセンターは、善光寺の裏手にありまして、久し振りに善光寺を訪ねることにもなりました。

 善光寺・・・日本で仏教が諸派に分かれる以前からの寺院で、宗派の別なく宿願が可能な霊場として位置づけられてきた天下の名刹です。

 江戸時代には「一生に一度は善光寺詣り」とも言われ、時代をこえて庶民の信仰を集めて来ました。

 長野市の中心部に位置し、本堂に続く長い参道には数々の店が軒を連ね、長野県の一大観光スポットとしても全国にその名を知られて来ました。

 以前、「じんじん」の全国配給を担当していた時はJSN発足の直前でした。

 ご賛同のいくつかの配給社と配給ネットワークをつくり全国配給に取組んだのでしたが、このネットから外れた空白県がいくつかありました。

 その一つが長野県でした。

 致し方なく、この空白県は私が担当し配給にあたることになりました。

 幸い、長野県ではこの作品を熱く受け止めていただき、上映の輪は県内に大きく拡がって行き、それと平行して私も幾度も長野県を訪れることになりました。

 そして、長野市に宿泊するときは、格段の予定がなければ、早朝に起きて善光寺へお参りをすることがいつの間にか習慣になっていました。

 早朝の、まだ人の姿もほとんど見られない時間帯に、参道を歩いて善光寺をお参りする時、不思議に心安らぐ思いにさせられたものでした。

久し振りに訪れた年末の善光寺は、境内には珍しく人の姿も少なく、昨日まで荒れていた天候も一転して晴天となり、とてもおだやかな姿で私に接して下さいました。

 両の手を合わせ、仏様に今年一年の無事を報告し、来年の一層の努力を誓ったのでした。

 明年は、あの大震災から数えて7年目を迎える年ともなります。

 来たる年が、皆様方にとっても、そして歯を食いしばってあの大惨禍からの再建の努力を重ねて来たシネマとうほくにとっても、幸多い年となることを願わずには居られません。

 本年の数々のご助力を心から感謝致します。

 来年もよろしくお願い申し上げます。


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年末の穏やかな善光寺
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参道には人の姿もまばら




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 早いもので今日を過ぎると季節はもはや師走・・・残された僅かな時間に追いたてられる様にして全国を巡る旅を続けていました。

 先週は、広島、岡山、大阪、京都、金沢と西日本を回り、昨日は青森県三沢から盛岡を・・・そして今日は、信州を訪れていました。
 長野県佐久市の市議会議員の方から「君の笑顔に会いたくて」上映についてのご希望が届けられ、その方とお会いするべく、小諸から小海線に乗って佐久市を訪れたのでした。
 車窓から望む冬枯れの野に、取り残された柿の実が、あざやかな橙色を飾っています。
 小海線・・・信州小諸から甲州小淵沢までの79kmを結ぶ高原鉄道・・・路線の西には広い裾野を拡げた八ヶ岳が望まれ、おだやかな山里の風情が拡がる心なごむ鉄道です。
 小海線に乗ると、不思議になつかしい思いにさせられるのは、学生時代に八ヶ岳に幾度も登って来たからなのかも知れません。
 大学一年の夏、秋田県出身の友人と初めての登山を決意して訪れたのが八ヶ岳でした。
 それまでは、近辺の里山しか知らなかった私にとって、3000m近いこの山は、いささかの冒険でもありましたが、23日の山旅で最高峰赤岳の頂上に立ったときの達成感は、その後の私を、山登りにいざなう大きな契機になったのでした。
 東京から比較的近い距離にあるこの山には、その後も幾度か、季節も問わず訪れたのでした。
 あれからもはや50年近い時間が流れていました・・・。
 年を重ねた私は、それでも未だに、より高い高みをめざして登り続けているのかも知れません・・・人の世の幸せを願って・・・。
 久し振りの小海線の、かつてのそれとは違って装いを新たにした車両に身をゆだねて、しばらくの間心安らかに来し方を振り返ったのでした・・・。
 もうしばらくは登り続けて見ようと自らに誓って・・・。
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小海線のホーム


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