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 昨年秋に発足した協同組合ジャパン・スローシネマ・ネットワークは全国配給の志を共にする13の会社で構成されています。

 その一社に四国4県を担当する、シネマ四国があります。

社長はT氏、まるで相撲取りを思わせる様な風貌ですが、とても誠実な、そして朴訥な人柄を備えた人でした。

 そんな彼が急な大病を患って緊急入院となり人生の大ピンチに陥ってしまったのです。

 病とは全く無縁と思われる様な健康体であった彼が...。

 この事態は彼にとっても、そしてJSNを束ねる立場の私にとってもショックなことでした。

 実は、前回のブログでご紹介した「きみはいい子」の高知県での全県規模の上映運動の準備を内々に進め、まさにこの時はスタート直前の時でもあったのでした。


「きみはいい子」の原作者中脇初枝さんは徳島に生まれ、2歳の時から高知県四万十市で育ちました。

前回のブログでもご紹介した、心やさしき地域の人々と素晴らしい自然、そして地域社会を見事に彩る歴史と文化の中に包まれ、中脇さんはその感性を大きく育ててゆきました。

そして高校3年生の時に発表した小説「魚のように」で、第2回坊ちゃん文学大賞を受賞し、17歳で作家としての道を踏み出すことになったのでした。

そんな高知県が生んだ中脇さんが、現代社会の中で傷つき苦悩する人々と向かい合いながら、その先に一すじの希望を語ろうとしたこの原作、そしてそれをもとに映画化された作品に触れた時、T氏は心やさしき高知の心を県内全域に語るべく全県上映を決意したのでした。

それなのに...。

一報の電話をもらい、電話から語られる彼の苦悩の言葉を耳にして電話を切った時、私の心には一つの決意が芽生えていました。

彼の思いを受け止めて、彼に変わってこの作品の高知県全県上映を実現しようと...。

そしてそんな思いを携えて高知県を訪れていました。

突如の病を患っているT氏の夢を叶えるべく...。

私の土佐もうではこれから始まります。


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朝日に映える高知城


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高知駅前には、幕末三志士の像が



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 親による虐待や子殺し、いじめに起因する子どもたちの自殺、独居老人の孤独死、声高に自己責任を叫びながら語られる一方的中傷...、いつの間に私たちの国はこんな姿になってしまったのでしょうか。

 こんな閉塞感でいっぱいになってしまった様な現代社会に、まるで宝物の様な一本の映画が生まれました。
 「きみはいい子」原作者中脇初枝さんの世界を、呉監督が見事な演出力で映像化した作品です。
 この物語は、架空のある町に生活する何人かの人々の心の揺れ動きを織り成しながら語られてゆきます。
 地域社会の中に孤立し、心ならずも娘に手をあげてしまう母親...子どもたちの背負っている家庭の影に気づき、その子ともう一度しっかりと向かい合おうと決意する新任の教師...障害を持った子どもをかかえ、押しつぶされそうになりながらも必死に生きようとする母親...そして、たった一人で生活しながら地域をやさしく見つめる老人...。
 地域社会の崩壊が語られ、今や地域社会の基礎単位であるべき家族さえ揺らぎ始め、そこに起因する悲しい事件が毎日の様に報じられる様になってしまった現代社会に、この作品は、それでもまだ大丈夫...丁寧に人と人との心をつないでゆけば、きっと一すじの光が差し込む時がやって来ることを、やさしい言葉で私たちに語ってくれたのでした。
 高知県四万十市ご出身の原作者中脇初枝さんは、こんな言葉も語って下さいました。

“わたしは四万十川のほとりで近所の人たちから「べっぴんさん」と呼ばれながら大人になりました。
わたしがべっぴんだったからではありません。
あの時代、あの川べりの町に暮らしていた女の子たちは、みんなそう呼ばれ、近所の人たちに見守られていました。
その時はそれが当たり前のことだと思っていましたが、今になって、なんて幸せな子ども時代だったのだろうと気づきました。”

 なんと心やさしい地域社会に子どもたちが抱かれ、確信を持ってその未来に向けて育っていた時代だったのでしょうか。
今一度立ち止まって、地域社会と子どもたちの未来を語るきっかけになれば...。
「きみはいい子」は私たちの手によってもお伝えしてゆくことになりました。


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by cinema-tohoku | 2015-09-17 16:24 | 映画 | Comments(0)


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沖永良部島の朝


鹿児島から南西へ500km、人口13,000人程の沖永良部島は鹿児島空港から1時間程の飛行での到着でした。

 仙台を発った時、街はすっかり秋の装いでしたのに、南の島はいまだにねばりつく様な夏の暑さに包まれていました。

 遠路をたどってここまでやって来たのは、公文のご担当者からのお電話からでした。

 「僕がジョンと呼ばれるまで」は、まさに公文との二人三脚で、その上映の輪は着々と全国に拡がっていました。

 そんな公文のお一人、九州地区ご担当のK氏が言葉をはずませながらお電話をかけていらっしゃいました。

 “今、和泊町での試写会が終わったところ...とても素晴らしい反響でぜひ上映をしたいとのことになった...ついては、一度この町を訪ねて上映の具体化を計って欲しい...”と。

 和泊町はどこ?との私の問いに、K氏からのご返答は「沖永良部島」と...。

 正直申せば、その距離の長大さに一瞬ひるむ思いはありながら、他ならぬK氏からのお願い、否はないと即ご了解のご返事をして、この度の島訪問となったのでした。

 一面にさとうきび畑が拡がる、隆起サンゴ礁特有の平らな島、しかし私の目にはいつも見慣れた、ケバケバしいそして無機質な大型量販店はその影もなく、自然の中に人が折り合いながらおだやかに生きている...まるで流れる時間さえゆっくりとその時を刻んでいる...初めて訪れた南の島は、そんな姿で私に接してくれました。

 この夜開かれた上映実行委員会には、上映の成功を願う熱心な20人の町民がお集まりになり、上映はスタートを切ることになったのでした。

 会議終了後、ここまでの準備を丁寧に進めて下さった、町社協のMさんのお誘いに甘えて町の居酒屋へ...。

 夜でさえ、まるで真昼の如き光の洪水に包まれた都会での生活に慣れてしまった私に、まさに漆黒の闇をたたえた島の夜の風情は、しばらく忘れていた私の少年時代をも思い起こさせてくれました。

 「経済発展」が声高に叫ばれ、本来あるべき人の生の営みと全く異質なものにその姿を変えてしまった大都会...。

 人が眠りに就いているべき深夜にさえ、こうこうたる光を暗闇に放っている自販機やコンビニは本来は不必要なものでは...そんな思いも胸に刻みながら初めて口にした黒糖焼酎のさとうきびの甘さをかみしめた沖永良部の一夜でありました。

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実行委員会では熱心な議論が

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日本一のガジュマルの木




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