<   2015年 03月 ( 10 )   > この月の画像一覧

「ちえりとチェリー」や「チェブラーシカ」は人形アニメーションの手法によるアニメーション映画です。

ここで人形アニメーションについて…。


a0335202_13442804.jpg
人形アニメーションの手法で作られた「ちえりとチェリー」の場面写真


全ての映画は一秒間に24のコマがスクリーンに映し出されています。

実写作品は、動いている対象物を撮影カメラでシャッターを落としながら一秒間を24のコマに分けて撮影し、これを映写機でスクリーンに映します。

2Dアニメ(以前はセルアニメともいいました)は、描き上げた動画を一コマずつ撮影し、スクリーンに一秒に24コマ映し出し動きを伝えます。

そして人形アニメの制作は、先ず人形づくりからこの作業は始まるのです。

これは、実に精巧な人形で、関節には金属製の骨格が入っていて、その全てが手で動かせるようになっています。

そして、その人形を手作業で少しずつ、まさに少しずつ動かしながらカメラでコマ撮りしていくのです。

そして完成した作品は、2Dアニメにはない人の手のぬくもりが伝わる不思議な世界を語ってくれるのです。

あまりに手間と時間が(しかるにお金も)かかる長編人形アニメの製作は、サンリオが製作し、1979年に公開された「クルミ割り人形」以来ではなかったと記憶しています。

「ちえりとチェリー」は、日本では久しぶりに制作された長編人形アニメーション映画だったのです。

被災地を支えようとする、たくさんの心優しい手に包まれながら…。


[PR]
by cinema-tohoku | 2015-03-25 13:48 | 映画 | Comments(0)

子供たちの未来は地域社会、そしてひいては国の未来そのものです。

地域の未来を語ろうとした時、そこにはごく当たり前の様に子どもたちの健やかな成長がその前提として語られます。

しかしながら今我が国では、こんな子どもたちの健やかな未来に黄信号が灯っているのです。

これまでにも子どもたちの未来を危惧せざるをえない事件は多々生まれて来ていましたが、川崎市で起きた少年殺害事件ほど、社会に大きなショックを与え、子供たちの未来に危機感を抱かせた事件はなかったのではないかと思われるのです。

この様な事件が起きると、これまで展開されてきた世の論議は、事の本質とは相容れない「犯人探し」であり、ほころびをつくろう様な「対症療法」だったのではなかったでしょうか。

しかしながら、18歳の少年が年少者である13歳の少年の生命を不当に奪ったことに目をやるなら、又、この手の議論でこの事件をいつの間にか人の記憶から遠ざけてしまって良いのか不安な思いにもさせられるのです。

力を持った者が自らより弱者である者を不当に虐げる

この事件の本質の一つはこんなことにあるのではないかと思うのです。

そして振り返ってみて、この事件が現代の社会そのものをまるで鏡の様に写し出したものであることに気付かされた時、私たちは腹を据えてもう一度この事件としっかりと向き合わなければならないのではないかと思われるのです…。

今や社会不安を生みかねないところにまで拡がった貧困の拡大、非正規雇用の固定化、そして自己責任を声高に叫び、人をひたすら傷つける連鎖の拡大…。

私たちの社会はいつの間にか、弱きものをひたすら傷つけ、社会の片隅に追いやろうとする、そんな社会になってしまったのかも知れないし、この度の事件は、そんな社会の反映として生起したものなのかもしれないとさえ思えるのです。

傷つけあう社会から、支え合う社会へ・・・。

今私たちは真剣にこのことを語り合ってゆかなければならないと思えるのです。

そう考えた時私たちの手にこんな社会を解き、新たな未来に導く「小さな鍵」があったことに気付かされるのです。

映画「じんじん」…ひたすら人と人とが信じ合い愛し合い、そこから地域社会と家族の再生を語ろうとするこの作品は、今更に大きな光を放っているのかも知れません。

a0335202_11312721.jpg


[PR]

アニメーション制作会社フロンティアワークスの方々が一本の作品と被災地支援の熱い思いを持って私を訪ねてきたのは、あの大惨禍から間もなく4年を迎えようとしていた20149月のことでした。

a0335202_14033209.jpg

その作品は「ちえりとチェリー」

揺れ動く少女の心と、そこからの自立を見事な技術で描いた人形アニメーション映画でした。

この作品の制作に向けた動きが始まったのは今から5年前、子どもたちの健やかな心の成長が危惧される現代に子どもたちの未来を願ってこの作品は企画されたのでした。

そして、その製作準備に入っていた時に起きたのがあの大惨禍でした。

被災地から伝えられる悲惨な映像に監督始め製作スタッフ一同は大きなショックを受け、これから製作するこの作品が東日本大震災と無縁であってはいけない…そんな思いで作品は再び構成されていったのでした。そして生まれたこの作品を、東日本大震災の復興に役立てて欲しい…、そんな思いを彼らは私に熱く熱く語ったのでした。

拝見した作品は、素晴らしい完成度で見事なメッセージを語っていました。

生命の輝きを見つめながら、その未来に向けて歩みだす子どもの心の自立を…。

JSNとしての配給をお引き受けし、「ちえりとチェリー」公開の夢は幾度かの議論の中から浮かび上がってきました。

大きなテーマは「被災地の心の自立」「変わらず被災地を支える全国の心」、あの日から4年を数える本年3月、被災地から全国に向けたこのテーマの発信上映会を行い、その呼びかけに応えていただき、明年3月までに全国500ヶ所の上映をつなごうとする大きな大きな夢は描かれていきました。

そして迎えた発信上映会は、間もなくあの日から4年を迎えようとする石巻市で38日に行われたのでした。

極めて短い準備期間にも関わらず、当日は350名の親と子どもたちが会場を訪れてくれました。

この上映準備にあたった石巻の子どもたちからの全国上映成功に向けたメッセージが舞台から語られ、そして始まった全国初の「ちえりとチェリー」の上映はまさに感動的な上映会となりました。

「チェリー」が自らの生命と引き換えにして、新たな生命を守ろうとするシーンでは多くの観客が涙をぬぐい、更に会場には号泣する子どもたちの声が響き、上映会場は大きな感動に包まれたのでした。

被災地にとって「真の心の自立」が求められる今、この作品は石巻の子どもたちの心にこんな願いを見事に語ってくれたのかも知れません。

「ちえりとチェリー」の全国上映成功への願いは被災地石巻から発信されました。

どうぞこの手に皆様方の手をつないでいただき、全国に拡がる大きな心の輪に作り上げていってほしいのです

a0335202_13552237.jpg
「ちえりとチェリー」石巻上映会チラシ


a0335202_13550597.jpg
a0335202_15460671.jpg
上映会場に展示された「ちえりとチェリー」の人形に興味しんしん。



[PR]
by cinema-tohoku | 2015-03-20 14:10 | 映画 | Comments(0)


長野県上映の素晴らしいトップを飾ってくれたのは、北アルプスの山々に抱かれた人口28000人余りの大町市でした。

全ての始まりのきかっけは、牛越市長さんとお会いしたことからでした。

牛越市長さんはとても熱いお心を持った方でした。

今や映画館が姿を消してしまった大町市に、「じんじん」を通して人と人との心を通わせたい…。そんな願いは、試写会を経て賛同の市民の手による「上映実行委員会」の結成へと導いたのでした。

映画に感動した、それぞれの会派を超えた実にユニークな市議会議員の方々、皆に押されて実行委員長を引き受け、見事にその重責を果たした責任感いっぱいの女性、そして大町市の上映のきっかけをつくった心熱き地元書店の社長…。

多彩なメンバーによる論議は、上映の成功に向けてその回を重ねていったのでした。

そして、そんな中から出てきたのは、「じんじん」にご出演の若村麻由美さんを巡る話題でした。

若村さんは、小学生の時、大町市(旧八坂村)が行っていた「山村留学」に参加し、二年間大町市で過ごした経験をお持ちだ…、ついてはなんとかこの大町上映会においでいただき、そんなお話をしていただけないか…。

そんな「夢」も語られながら、実行委員会の願いは一歩一歩、市民の願いとして拡がって行ったのでした。

迎えた上映会当日、熱い大町市民の願いに応えて、舞台挨拶に駆けつけてくれた若村さんをお招きした上映会は会場を満席に埋めた市民の感動で包まれました。

そして、大町市民が心を込めて投じた長野県内各地への上映拡大の願いは、今波紋となって県内に大きく大きく拡がり始めたのでした。


a0335202_10454677.jpg
大町市上映会&トークショーのチラシ



a0335202_10454534.jpg
会場の様子。満席です!




[PR]

南木曽での楽しいエピソードを一つ。

南木曽上映会に行った時、町の方々が背にまとっていた不思議なものが目につきました。

「南木曽ねこ」…冬が厳しい木曽で作られた背中を温める袖なしのちゃんちゃんこがこの正体でした。

「秘密のケンミンShow」で紹介され、全国的にもブレークしている防寒具とのこと、ほほえましい思いで眺めていましたが、上映終了後、幸いなことに大地さん、そして私も頂戴し、仙台に持ち帰りました。

それ以来、すっかりとりこになり“南木曽ねこ人”になってしまいました。

後で聞いたら大地さんもこれを離せなくなったとのこと…。

心やさしき南木曽の町に包まれるような不思議な思いにさせられます。

このご気分を味わってみては?…。


a0335202_10421979.jpg
スタッフも着用してみました。軽くてあたたかいです。


a0335202_10420953.jpg
裏側。





[PR]

7月9日、南木曽を襲った土石流は無慈悲にも中学一年生の命を奪ってしまいました。

悲しみが町を覆い、上映は実現出来ないこととなってしまいました。


それから一ヶ月、先生から再度ご連絡がありました。

あれ以来悲しみに沈んでしまった町と向かい合い、今だからこそ上映を実現して家族の素晴らしさを町内に語りたい・・・もう一度上映に向けて立ち上がりたい、との生徒たちの熱い思いを先生は語って下さいました。

こんな子どもたちの声は町を勇気づけ、これに賛同した町民が「上映応援団」をつくり子どもたちの夢は実現に向けて再び動き出したのでした。

そして迎えた上映当日、生徒たちの熱い願いに感動した大地康雄さんも上映会に駆けつけて下さり、感動の輪は、850名の町民のご参加にまで拡がることとなったのでした。

自ら生まれ育った町の未来を願う子どもたちの声は、木曽谷に明るく強く響きわたっていました。


a0335202_10580299.jpg
上映会の様子


a0335202_10575852.jpg


a0335202_10580450.jpg
南木曽中学校のみなさんと大地さん






[PR]

a0335202_15365748.jpg


心通い合う地域社会と子供たちの健やかな未来を願って展開された「じんじん」の500ヶ所を数えた上映は、それぞれの町毎に素晴らしいドラマを織り成しながら拡がってゆきました。

そんな一つに南木曽町がありました。

長野県木曽谷の愛知県との県境に人口4500名程の南木曽町はあります。

そんな南木曽町の南木曽中学の3年生の担任の先生からお電話がかかってきたのは、春真っ盛りの昨年5月のことでした。

“南木曽町には公立の図書館がない…南木曽中学3年生の総合学習として南木曽町に図書館をつくる活動を行っていた…。その傍ら、この映画を観て感動をした…ついてはその活動の一環として生徒たちに上映を取り組ませてみたい…”とのお話でした。

電話口から伝わる先生の熱い思いに動かされ、木曽をお尋ねし先生とお会いしました。

とても素晴らしい企画だが、中学生の生徒たちの自らの思いが最も優先されると思うので、生徒たちにこの映画を観てもらい、彼ら彼女たちが自らの思いで上映を希望するなら…と、試写会の実現を申し出ました。

試写会当日、南木曽中学3年生23名の生徒たちは喰い入るようにしてスクリーンに観入り、ラストシーンにこぶしで涙を拭う生徒たちの姿は、私の胸を熱くさせたのでした。

後日、先生からお電話がはいりました。

映画について生徒と話し合いをした…正直こんなに熱く受け止めてもらえるとは思ってもいなかった、全員一致で上映を決めた…こんな結果を先生は熱く私に語って下さいました。

こんな生徒たちの願いに町民たちも賛同してくださり、いよいよ活動開始の直前、南木曽町を大惨禍が襲うこととなりました。



・・・「南木曽町②へ続く」


[PR]

今日311日は4年前の東日本大震災発生の日です。

昨日降った雪が日陰に残る寒い記念の日となりました。長かった様で、そしていつの間にか過ぎ去って行ったこの4年でもありました。

あの日は私は東京新宿に居りました。今の時代に“支え合う人の心のやさしさ”を語ろうと、映画「エクレール・お菓子放浪記」の製作を決意したのは2007年のことでした。

この作品の撮影地を石巻を中心とした宮城県に決めたことを、宮城県民は熱く迎え入れて下さり、知事を先頭とした県民運動でこの製作を支えて下さいました。そして20112月、この作品はこの世に生を授かり、東京で完成披露試写会を開催したのは2011310日のことでした。

幸い会場は、完成を待ち望んでいた観客で満席に埋まり、上映終了後の満場の拍手は、まさに宮城県民の夢の出発への合図とも思えたのでした。

そしてその翌日、4年前の311日のあの時間、私は試写会の御礼で東京新宿区に事務局を置く全国和菓子協会をお訪ねしていたのでした。突然のビルを大きく揺らす振動に驚いた私に、テレビをつけた和菓子協会専務理事さんから語られた言葉は“鳥居さん、東北が大変だ…”との言葉でした。

同行していた、シネマディストのK氏と一緒に外に出て、新宿駅を通った折に観たビジョンから映し出された映像は、巨大な津波が岩手の沿岸を襲い堤防を乗り越える映像でした。

どこをどう歩いたのか…。

ともかく事務所に戻ろう…とのK氏の言葉で六本木の彼の事務所に辿り着き、一晩まんじりともせずにテレビから流される悲惨な映像に見入っていたのでした。

明けた翌日…、まるで昨日のことが嘘のように晴れ上がった東京の空を、これから始まることへの大きな不安と共に眺めていたことが思い出されます。

そしてあれから4年の時間が流れてゆきました。振り返ってみればこの4年間はあの大惨禍に負けずに歩もうと挑戦し続けて来た時間の積み重ねだったのかも知れません。


「エクレール・お菓子放浪記」は2年かけてその上映を全国に大きく拡げました。

そんな動きを受け継ぐ様に「じんじん」も全国に500ヶ所以上の上映を数えました。

新たな日本映画の未来を願って協同組合ジャパン・スローシネマ・ネットワークは立ち上がりました。


そして、そんな一つ一つの局面で私たちを支えて下さった数多くの方々のお顔が今、目に浮かびます。これから5年、10年、更なる歩みを重ねる私たちに求められていることは、あの日そしてそれ以降の復興に関って、私たちが授かった数多くの「人の情」を今度は、全国に向けて語り続けることなのかも知れません。

支え合う地域社会と心優しき国の未来をつくりあげるために…。



a0335202_16394438.jpg
石巻市 北上川河口の葦原


a0335202_16393851.jpg
石巻市 岡田劇場





[PR]

東京大空襲の大惨禍から70年目の3月が巡ってきました。

1945年、敗戦間近の3月9日未明から10日にかけて東京を襲った325機のB29は、たちまちのうちに東京を火の海に変え、一度にして10万人の民間人の命を奪ったのでした。それはまさに地獄絵図とも言える悲惨な光景となり、東京下町は一夜にして焦土と化したのでした。

そんな惨禍を二度と繰り返させない…。そして不幸にも生命を奪われた数多くの方々の慰霊を願って心ある民間の方々が「東京大空襲」を語りついできましたが、そのお一人に海老名香葉子さんがおいででした。

海老名さんは沼津の疎開地で赤く燃える東京の空をみつめ不安な一夜を過ごしました。
そして彼女にはあまりに過酷な現実が突きつけられたのでした。東京大空襲は不幸にも海老名さんの家族の絆を奪い、一夜にして彼女は戦災孤児となってしまったのでした。

その後、幸いにして彼女は人の情に支えられ、初代林家三平師匠とご結婚され一門を支える女将さんとしてご活躍をしてきました。それでも心の中には「東京大空襲」で生命を奪われた数多くの方々への慰霊の思が途絶えるとはありませんでした。

そして2005年意を決してまさに私費を投じて東京上野に東京大空襲の慰霊碑「哀しみの東京大空襲」「時忘れじの塔」を建立、毎年3月9日に慰霊の集いを行ってきたのでした。
a0335202_09535973.jpg

私は、東京大空襲をテーマに撮った海老名さん原作のアニメ「明日元気になーれ」の全国配給を担当したことがきっかけで海老名さんとお会いして、キャンペーンでご一緒に全国を回り、その中で彼女の平和への熱い願いに胸を熱くしていました。
それ以降私も毎年3月9日の慰霊の集いに参加して参りました。集いには毎年大勢の方々がご参加され、いつまでも続く平和を願って手を合わせていました。

そして本年3月9日、巡り来る70年目の集いは上野の山で開催されます。
a0335202_09540273.jpg

[PR]

間もなくこの世に生まれてくる「じんじん」公開に向けた私たちの論議はその回を重ねてゆきました。

通常の劇場のみでの公開によるならば、結果的には映画館のない地方を切り捨てることになってしまう…。そして、私たちが心を込めて贈ろうとするこの作品はシネコンにかけてそのことだけで多くの観客に観ていただくことにはならないタイプの作品だろう…。

幾度かの議論の上で私たちは新たな日本映画の未来も願ってこんなしくみでこの作品をお届けしようと決意したのでした。

この作品が語るべきテーマ「地域社会と家族の再生」を前面にたて、丁寧に時間もかけて足も運び、この作品の心を語ってゆくならきっと全国の多くの方々がご賛同の手をつないでいただけることを信じて、私たちはこの作品の公開をご賛同の住民の方々と手をつないだ映画館によらない地域運動として歩みだすことを決意し、あえて「スローシネマ」と名を冠し、201211月北海道剣淵町からそのスタートを切ったのでした。


あの日から3年を数えることとなりました。

私たちが願った「じんじん」公開の夢は確実に人の手から手へと受け継がれ、人から人へとへと語られ、大きな大きな上映の輪となって育っていったのでした…。






[PR]
by cinema-tohoku | 2015-03-06 11:05 | 映画 | Comments(0)