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「エクレール・お菓子放浪記」の原作者 西村滋先生がお亡くなりになられてから、

早いもので4か月の時間が流れていました。

 西村先生は、ご家族との最後のお別れにあたって二つのご指示をなされていたそうです。

 一つは、ご遺体は献体として、医学の発展に寄与すること、そしてお葬式は行わないこと、でありました。

 しかしながら、先生とのお別れを望むお声は回りに大きく、関係者の方々は、後日「お別れの会」を行うことを決め、ご丁寧な準備が続けられてきました。そして昨日、静岡市で「西村滋さんをしのぶ会―ありがとうお月さん」と名付けられたお別れの会が開催されたのでした。

 静岡市内の会場に入った一室には、おやさしい笑みを浮かべた西村先生のお写真が飾られていました。

 そのお写真と向かい合った私の胸には先生との数々の思い出が・・・そして思わず涙が・・・。

 更に、会場に入るや、なつかしいお顔の数々・・・。

 西村先生が大切に育んでいらっしゃった“やさしさ”が会場をいっぱいに包んだ頃

“しのぶ会”は開会を告げました。

 冒頭の川勝知事の奥様のごあいさつ、静岡市長のごあいさつ、そして元NHK名アナウンサー山川さんのごあいさつ、お仕着せではない、心のこもった言葉でご挨拶はつづられ、改めて西村先生が91年の生涯をかけて語ろうとしたものが胸にしみこむ思いでもございました。

 そして夕刻、ご参加の方々と別れを惜しみながら会場を後にし、帰路についたのでした。

 西村先生が私たちに残した平和への願いをしっかりと胸に刻みながら・・・。
  

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 27日夜、京都の出張から戻り、翌日の準備のため事務所に寄りました。

 点灯した事務所の蛍光灯に浮かび上がる机の上に一枚のハガキ...。

 私に宛てた宛名の文字は、何と忘れもしない西村先生の直筆の文字!

 裏にはこんなご挨拶が...。



  生きる よろこびを

  食べさせていただきました

  みなさんの友情を おいしく頂きました

  ありがとう さようなら



 そして先生がお亡くなりになられた2016521日の日付が記されていました。

 自らの最後を知って、ここまでの気配りをされていた西村先生...。

 何と見事な、そして心やさしい旅立ちでありましたことか...。

 それにしても、大変なお体をおしてこのハガキをお書きになられた西村先生のお心を思い、涙があふれるのを抑えることは出来ませんでした。

 日本人の「劣化」が語られ、日々の信じがたい報道に晒されていた私に、まるで天国から送られてきた様なこのハガキは、最後の瞬間まで誠実に、そして必死に自らの道を歩み通した一人の男の見事な生き様を私に語ってくれたのでした。

 西村先生...短い間でしたが、差し伸べていただきました数々のやさしさ、本当にありがとうございました...。

 私はもうしばらくこの世で奮闘して見ようと思っています。

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西村先生の役を演じた吉井一肇くん



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2016年4月15・16日 河北新報

 414日夜、熊本県中央部を突然の震度7の揺れが襲いました。

 それ以降、地震は沈静化するどころか更に広域に拡大して、被害は甚大なものとなろうとしています。

 家屋が倒壊して、避難所での生活を余儀なくされた多くの方々の映像に、5年前の東北の姿を重ね、居てもたってもいられない思いにされているのは私だけではないと思うのです。

 自然の災害によって突然に訪れた受け入れがたい現状・・・それでも怒りの持って行き場もなく、今日一日の命をつなぐことだけに必死な被災地の方々に心からのご無事を祈る思いです。

 熊本市には、私たちの協同組合ジャパン・スローシネマ・ネットワークの加盟社のひとつ熊本映画センターがありました。

 震災直後のメールで当面のご無事は確認していましたが、その後の連続する揺れで果たして・・・。

 私たちシネマとうほくも5年前に経験しました。

 これまで私たちが展開して来た「東北での上映運動」は、あの日以降たちまちのうちに消えてなくなり、これと共に体力のない私たちの会社も経営的に「困難な状況に追いやられたことを・・・。

 これから熊本映画センターがたどるであろう道にもさぞかし多くの困難が立ちふさがることも心配せざるを得ないのです。

 こんな南の地から伝えられる「不幸」に、全国からこれを支えようとする声も大きく響き始めています。

 願わくは、こんなお声が揺れがおさまり、報道が落ち着いた後も継続して語られることを・・・。

 時間の経過がいかに残酷なものであるかを痛感している東北の私たちですから・・・。

 ともかく、一日も早い沈静化を・・・そして、被災地の方々が一日も早く、かつての日常を取り戻せることを・・・。


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 以前のブログでも触れました。

 昨年春、私たちシネマとうほくが思いを込めて製作した長編アニメーション「アテルイ」で、アテルイの盟友モレ役を見事に演じていただいた平野さんからお申し出がございました。


 ご自身が講師をされている大阪芸術大学声優科コースの卒業製作作品として、このアニメのシナリオをもとに朗読劇を製作したいと・・・。

 そして一年におよぶ製作が終了、先日その発表会がございました。

 平野さんからお招きを受けて参加のご返事を差し上げておりましたが、急に仕事の調整がつかなくなり、参加できないでおりましたところ、平野さんから全編のDVDが送られて来ました。

 拝見させていただき、正直感動致しました。

 何せ、演じているのは皆、大学を巣立とうとする20代前半の若者たち。

 役柄の設定上、いささかの無理を感じるところもございましたが、観ているうちにいつの間にかドラマの中に引き込まれ、ラストシーンに差し掛かるころには思わず涙・・・。

 私の胸にさわやかな感動を語って朗読劇はエンドを迎えたのでした。

 遡ること約1200年前、故郷の誇りと平和を願ってヤマトの大軍に立ち向かったアテルイと勇者たちの熱い思いは、若者たちの手で現代に見事に蘇ったのでした。

 時代の閉塞感が語られ、力の強いそして富めるものが、社会的な弱者を押しのけるかの如き現代社会・・・。

 そんな時代の中に今生きている若者たちは、この一連の製作と公演を通して何を学んだのでしょうか・・・。

 さわやかな感動と共に、彼ら彼女らのこれからの行く手の幸せを祈った一日でした。

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アテルイの盟友モレ



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 2016311日・・・生涯忘れることの出来ないあの日から5年の時間が流れ、そして又、この日が巡ってきました。

 この節目の日を私は、「ちえりとチェリー」の上映拡大に走り回る宮城県七ヶ宿町役場の前で迎えました。1446分・・・サイレンが鳴り、悲しい大惨禍で亡くなられた方々への黙祷が呼びかけられています。

 5年前のあの日私は東京に・・・絶望と向き会いながら一晩中まんじりともしないでテレビから流れる信じられない映像を見続けていました。

 明けて、翌日の風の強かった晴天の朝はしっかりと記憶しているのですが、その後10日経ってやっと仙台へ戻るまでの記憶のほとんどが飛んでしまっていることに気づかされたのです。

 「エクレール・お菓子放浪記」の東北公開を目前にしながら、それが全てついえてしまった私の精神状態は、いささか異常なものであったのかも知れないと思いおこしています。

 背中の筋肉はまるで鉄板の様に張り切り、そして精神的に不安定な私はよく泣いてもいたのでした。

 あれから5年…よくも頑張ってこれたものだと振り返りながら、そんな私たちを支えてくださった方々のやさしい手の感触を今でもありありと思いおこしております。

 そんな私の体験は、あの日被災した多くの方々と共通するものだったとも思えるのでしす。

 そして5年・・・被災地は山積する課題をいまだに数多く抱えながら、それでも確実に人の記憶からは遠い過去のものとなって行こうとしています。

 報道各社は、まるで一大イベントを報ずるかの如く、被災地から5年の報道を競う様にして流していますが、明日からはまるで何事も無かったかのような紙面と電波に戻るのだと思います。

 そして又、日一日と人の記憶からは遠いものとなってしまうのかも知れません。

 でも・・・やはりそれはダメなのだと思うのです。

 こんなにも沢山の人々の苦しみや悲しみを、たった5年でまるで何もなかった様に忘れ去ってしまったら・・・その先に私は、どうしても健やかな国の未来を描くことが出来ないのです。

 もう一度振り返ってほしいのです・・・この東北が向かい会っている沢山の悲しみを。

 そして、私たちは大きく声をあげて、この悲しみを発信し続けなければならないのだと思います。

 人と人とが心を通わせ、支えあう国の未来をつくりあげるために・・・。

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山陽新聞より

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毎日新聞より


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雪の泉ヶ岳


 私がまだ青年でありました頃、仲間たちと、そして時には一人で山を歩いて来ました。

 大きな大きな山々と向かい合って、必死の思いで歩を進め、たどり着いた頂上での憩いの時…。

 時にはやさしい、そして時には厳しい表情をみせる山は、その時々に私の心を支え、叱咤も与えてくれました。

 そんな山にも年を重ねるに従って足が遠のいていました。

 そして、年と共に筋力も落ちて来ていることにいささかの危機感も覚えた時、無理のない山に再度身を置く様になっていました。

 低山や里山を23時間かけて巡る山歩きは、仕事でクタクタになった私の心を大きく開放し、体だけではない心のリフレッシュにも大きな役割を果たして来ていました。

 そんな山歩きで一番通った山が泉ヶ岳、仙台市北部に位置し、標高1000m余の美しい山です。

 春、夏、秋…とそれぞれに異なる表情を見せる山を、時には山腹の周遊、そして時には頂上まで…、特に目標も決めずに数々のコースを歩いて来ました。

 そして冬…。

 今年、思い立って冬の泉ヶ岳にも行ってみようと思ったのは、いまだ衰えない好奇心のせいだったのかも知れません。

 そこで問題となったのは足元の装備。

 かつて使っていた山靴は、その後の私の足の変型で使用出来ず。

 無雪期用に新たに購入した山用の靴は、靴高が低くスパッツを付けられませんでした。

 えい!それならと、迷うことなく物置から引っ張り出して来た長靴をはいて雪の山に向かいました。

 やわらかな靴底の長靴は、雪面にステップを刻みにくく、ともすれば滑る足元に気を配りながらも、久しぶりの白一色の山のふところに抱かれて楽しい一時を過ごして来ました。

 それでも、時折会う人たちの装備は皆いかにも立派なもの…

60過ぎの年寄りが長靴をはいてヨレヨレのジャンパーを羽織って歩く姿は、まるで都会のホームレスが冬の山に迷い込んだ様な…。

それでも負けずに冬山遊びをして来た私でありました。

 いつかお金が溜まったらしっかりとした山靴を買いたい…、などと思いながら…。


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 早いもので今日から12(※1日に書いた文章です)、この時期になると同年代の方とお会いするといつの間にかこの話題に...。

“年々、時の流れが早くなったことを実感する...、いつの間にか又年末が巡って来た...”と。

 振り返ると子どもの頃、時間の流れはもっとゆるやかに流れていた様に思えるのです。

 夏休みを迎えこれから始まる未知の時間に胸を躍らせ、そして長い夏休みが終わった時、一回り成長したかの如き自分を実感したものでした。

 それなのに...。

 「好奇心をもって未知の世界と向かい合い、新たな経験が多いほど、時間の経過は長く感じる。」

 そんな説もあるそうです。

 そうだとしたらいつの間にか私は惰性で時間を空費していたのかも...。

 ともあれ一年の総決算の月、残された僅かな日々を精一杯に送って、来年はまさに数々の「未知との遭遇」を経験したいものです。


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 623日「沖縄県慰霊の日」、あの凄惨を極めた沖縄戦の体験を語り継ぐため、沖縄県が制定した平和への祈りの日を、私は出張先の広島で迎えました。

 70年前、沖縄は戦いの日々を重ねていました。

 あの大戦中、唯一の日本領土で戦われた地上戦となった沖縄戦は、住民を巻き込んだものとなりました。

 この戦闘での犠牲者は20万人を数えましたが、何とそのうちの半数は民間人であったところに沖縄戦の実相と悲しさがあったのでした。

 私がこの歴史に初めて触れることになったのは、1980年公開された「太陽の子-てだのふあ」の製作配給にあたったことがその契機でした。

 この作品は、灰谷健次郎さんの原作をもとに、鬼才浦山桐郎監督がメガホンをとった作品でした。

 神戸の下町に肩を寄せ合うようにして生きる人々…その人々のつながりの中から、かつての沖縄戦の言語につくせぬその実相が蘇って来る...。

 あの戦争から何十年が過ぎても、人々の心に深く刻みつけられ、いまだ消えることのない傷あと…あの沖縄戦の真実を描き、いつまでも続く平和を願って製作された作品でした。

 この映画製作にあたって企画された「沖縄ロケ見学ツアー」で、私は初めて沖縄の地を踏んだのでした。

 沖縄の方々から語られる沖縄戦の実相、そして訪れた旧陸軍病院跡のガマ(沖縄の自然洞窟)の暗闇から迫る、非業の死を遂げた人々の悲しい叫び…。

 そして初めて訪れた私たちを暖かく包んでくれた人々のやさしさ…。

 この沖縄訪問は鮮烈な体験として、その後の私の歩みにも大きな影響を与えたものでした。

そして引き続いて沖縄との巡り合いとなったのは、住民を巻き込んだ沖縄戦の真実を誠実に劇映画として語ろうとした作品「GAMA-月桃の花」の配給を通した、沖縄の人々との出会いからでありました。

 この映画の製作を資金的にも支え、音楽も担当した海勢頭豊さんは、まさに南国のおおらかさとやさしさをそのお姿からも語る方でした。

 海勢頭さんの磁力に引き寄せられる様にして、彼が経営する那覇市の飲み屋にまで訪れたものでした。

 そしてもうお一人は、この作品の主人公のモデルとなった安里要江さんでした。

 安里さんは、ご不自由な足をかばいながらも、幾度にもわたって東北の上映地に足を運んで下さり、あの悲惨な体験をやさしい笑みを浮かべながら東北の人々に語って下さったのでした。

 そんな沖縄の「悲しさ」と、それでもその底流に流れる「やさしさ」の沖縄…。

 そして今又、米軍基地の重さにつぶされそうになりながら、それでも必死の思いで本土に向けて平和への願いを語りかけようとする沖縄の声を、私は夕闇に浮かぶ原爆ドームを見つめながら受け止めました。

 作家の瀬戸内寂聴さんが、ご高齢のお体をおして国会前に立たれ、私たちに向かって訴えられました。

 「戦争にいい戦争は絶対にない。戦争はすべて人殺しです…。と。

 今、もう一度立ち止まって沖縄の悲しさを受け止め、そしてそこから私たち日本がこれから辿るべき道をしっかりと見つめ直す必要があるのではないかと思われるのです。


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623日広島にて


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「太陽の子 てだのふあ」
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「GANA 月桃の花」




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子供たちの未来は地域社会、そしてひいては国の未来そのものです。

地域の未来を語ろうとした時、そこにはごく当たり前の様に子どもたちの健やかな成長がその前提として語られます。

しかしながら今我が国では、こんな子どもたちの健やかな未来に黄信号が灯っているのです。

これまでにも子どもたちの未来を危惧せざるをえない事件は多々生まれて来ていましたが、川崎市で起きた少年殺害事件ほど、社会に大きなショックを与え、子供たちの未来に危機感を抱かせた事件はなかったのではないかと思われるのです。

この様な事件が起きると、これまで展開されてきた世の論議は、事の本質とは相容れない「犯人探し」であり、ほころびをつくろう様な「対症療法」だったのではなかったでしょうか。

しかしながら、18歳の少年が年少者である13歳の少年の生命を不当に奪ったことに目をやるなら、又、この手の議論でこの事件をいつの間にか人の記憶から遠ざけてしまって良いのか不安な思いにもさせられるのです。

力を持った者が自らより弱者である者を不当に虐げる

この事件の本質の一つはこんなことにあるのではないかと思うのです。

そして振り返ってみて、この事件が現代の社会そのものをまるで鏡の様に写し出したものであることに気付かされた時、私たちは腹を据えてもう一度この事件としっかりと向き合わなければならないのではないかと思われるのです…。

今や社会不安を生みかねないところにまで拡がった貧困の拡大、非正規雇用の固定化、そして自己責任を声高に叫び、人をひたすら傷つける連鎖の拡大…。

私たちの社会はいつの間にか、弱きものをひたすら傷つけ、社会の片隅に追いやろうとする、そんな社会になってしまったのかも知れないし、この度の事件は、そんな社会の反映として生起したものなのかもしれないとさえ思えるのです。

傷つけあう社会から、支え合う社会へ・・・。

今私たちは真剣にこのことを語り合ってゆかなければならないと思えるのです。

そう考えた時私たちの手にこんな社会を解き、新たな未来に導く「小さな鍵」があったことに気付かされるのです。

映画「じんじん」…ひたすら人と人とが信じ合い愛し合い、そこから地域社会と家族の再生を語ろうとするこの作品は、今更に大きな光を放っているのかも知れません。

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今日311日は4年前の東日本大震災発生の日です。

昨日降った雪が日陰に残る寒い記念の日となりました。長かった様で、そしていつの間にか過ぎ去って行ったこの4年でもありました。

あの日は私は東京新宿に居りました。今の時代に“支え合う人の心のやさしさ”を語ろうと、映画「エクレール・お菓子放浪記」の製作を決意したのは2007年のことでした。

この作品の撮影地を石巻を中心とした宮城県に決めたことを、宮城県民は熱く迎え入れて下さり、知事を先頭とした県民運動でこの製作を支えて下さいました。そして20112月、この作品はこの世に生を授かり、東京で完成披露試写会を開催したのは2011310日のことでした。

幸い会場は、完成を待ち望んでいた観客で満席に埋まり、上映終了後の満場の拍手は、まさに宮城県民の夢の出発への合図とも思えたのでした。

そしてその翌日、4年前の311日のあの時間、私は試写会の御礼で東京新宿区に事務局を置く全国和菓子協会をお訪ねしていたのでした。突然のビルを大きく揺らす振動に驚いた私に、テレビをつけた和菓子協会専務理事さんから語られた言葉は“鳥居さん、東北が大変だ…”との言葉でした。

同行していた、シネマディストのK氏と一緒に外に出て、新宿駅を通った折に観たビジョンから映し出された映像は、巨大な津波が岩手の沿岸を襲い堤防を乗り越える映像でした。

どこをどう歩いたのか…。

ともかく事務所に戻ろう…とのK氏の言葉で六本木の彼の事務所に辿り着き、一晩まんじりともせずにテレビから流される悲惨な映像に見入っていたのでした。

明けた翌日…、まるで昨日のことが嘘のように晴れ上がった東京の空を、これから始まることへの大きな不安と共に眺めていたことが思い出されます。

そしてあれから4年の時間が流れてゆきました。振り返ってみればこの4年間はあの大惨禍に負けずに歩もうと挑戦し続けて来た時間の積み重ねだったのかも知れません。


「エクレール・お菓子放浪記」は2年かけてその上映を全国に大きく拡げました。

そんな動きを受け継ぐ様に「じんじん」も全国に500ヶ所以上の上映を数えました。

新たな日本映画の未来を願って協同組合ジャパン・スローシネマ・ネットワークは立ち上がりました。


そして、そんな一つ一つの局面で私たちを支えて下さった数多くの方々のお顔が今、目に浮かびます。これから5年、10年、更なる歩みを重ねる私たちに求められていることは、あの日そしてそれ以降の復興に関って、私たちが授かった数多くの「人の情」を今度は、全国に向けて語り続けることなのかも知れません。

支え合う地域社会と心優しき国の未来をつくりあげるために…。



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石巻市 北上川河口の葦原


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石巻市 岡田劇場





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