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カテゴリ:旅と出会い( 22 )

 名取市閖上・・・宮城県仙台市の南部、名取川が太平洋に流れ込む河口にひろがる古くからの港町です。

一流のお寿司屋さんでも珍重される赤貝の産地としても全国に有名な町。

そして、あの日以降、この町は悲しみの地としても知られることとなってしまったのでした・・・。

2011311日、巨大な波の壁は平和だったこの港町を襲いました。

最大波高は、9.09mにおよび、964名のかけがえのない命が一瞬のうちに奪い去られて行きました。

そして、その大惨禍の直後、前回ブログに紹介した大沼えりこさんは、この地に立っていたのでした。

とても この世のものとは思えない地獄絵図の中に・・・。

あれから5年をこえる時間が流れたというのに、彼女の瞳に焼きついたあの日の映像は、それを思いおこす度に彼女の胸をしめつけ、言葉にならない思いは彼女を苦しめているのです。

私たちは、映画「君の笑顔の会いたくて」製作の主要な舞台を名取市に設定したいと思いました。

そして、シナリオ完成に向け、原作者、大沼さんも交えて幾度かの話し合いを持ちました。

その中で課題となったのは、東日本大震災の大惨禍に踏み込んでこの作品を語るか・・・とのポイントでした。

 この映画の基本テーマは「更生保護の心」を語ろうとするもので、あの日の出来事にあまり深く踏み込むことで、このテーマが弱くなることへの危惧も感じながら私たちの論議は幾度にもおよんだのでした。

しかしながら、あれから5年を経てもいまだに人々の胸に残る深い心の傷、そして閖上の町に立った時の、いまだ復興には程遠い現実を見た時、決してこの現実から目をそむけてはならない・・・・・そんな結論になったのでした。

命を奪った閖上の海と、今もう一度命を誓おうとする閖上の海・・・

 このドラマは閖上の海を一つのキイに語られることになりそうです。

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JSN総会の後、閖上に行って来ました


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最大波高を示す慰霊碑の前で


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 久し振りに晴れ上がった空のもと、車で青森に向かっています。

 昨日、北の地は今年一番の冷え込みとのこと、車窓からは初冠雪が報じられた岩手山が、秋の空を背景にすっきりとしたその姿を見せています。

 岩手山・・・この山は、私にとって特別な感慨を思い起こさせる山なのです。

 私の故郷、盛岡市のどこからでも望むことの出来る、岩手をまさに象徴する美しい姿の山で、古くから多くの文学や詩歌にもその姿をうたわれていました。

 啄木や賢治もその作品の中にうたったこの山の姿は、それに触れた岩手県人に、故郷の包み込む様なやさしさと、遠く縄文の彼方につながる自然の巨きさを語ってくれるのかも知れません。

 私もこの山に吸い寄せられる様にして、若い頃幾度にもわたって登ってきました。

 初めて登った頂上から望んだ、すっきりと晴れ上がった風景の清々しさ・・・。

 友と登って、下山した温泉に伸ばした足の解放感・・・。

 そして、人生に行き詰って一人登った私を受け止めた、晩秋の岩手山のやさしさ・・。

 この山は、その都度都度に私を育て、見守って来てくれたのでした。

 あの頃から数えるなら、ずい分の時間が流れてゆきました。

 そして、年を重ねた私は、それでもまだあの頃の思いをカバンに詰めて、時代と向かいあいながら苦闘しています。

 故郷のおおきな、そしてやさしき数々のものに支えられながら・・・。

 青森までは、赤く色づいたナナカマドの道をたどってまだしばらくのドライブです。


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 秋空に映える岩手山


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 私たちが人を評価しようとするとき、いくつかの指標を持ち出し、それに照らしてその評価を下しています。

 知性や情熱であったり、指導力や資力さえもがその評価の指標に使われています。

 改めて振り返ってみて、まこと不思議な人としての力を持った方と一本の映画の仕事を共にしていることに気づかされたのでした。

 フロンティアワークスのO氏・・・今私たちが全国展開に取り組んでいる「ちえりとチェリー」のプロデューサーがその人です。

 Oさんと初めてお会いしたのは2年前に遡ります。

 「ちえりとチェリー」の全国配給のご要請を携えて彼は、フロンティアワークスの社長と一緒に私の前に現れました。

 その時の素直な印象は“ちょっとオタクっぽい、そしていささか頼りなさそうなお方・・・”失礼ながらこんな第一印象を持ったことを覚えています。

 しかしながらそんな印象は、ご一緒の仕事が始まるや一変、これはなかなかの方でいらっしゃること気づかされたのでした。

 ふっくらとした頬に優しそうな笑みをうかべ、細い目を更に細くして彼は私の前に立ちます。

語られる言葉はあくまでもおだやかで、決して一方的に自説を主張せず、相手の話を注意深く聞いているのです。

 そして、Oさんと向かい合っているうちに妙に心がおだやかになり、いつの間にか彼の考えに寄り添ってしまっている自分に気づかされるのです。

 今までお会いしたこのことない、まことに不思議な人としてのお力を持った・・・Oさんの本当の姿はこんな方だったのです。

 そして私がOさんについてのこんな評価をする時の指標として、これも気づかされたのが「誠実さ」と「ねばり」だったのでした。

一見地味な、それでも人としての確かな力となり得るこの二つの特性を今後、自らにも課してみたいと思っています。


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Oさんはチェブラーシカに似ている…かも


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全てが奪われた大槌町


 「ちえりとチェリー」の被災地での上映準備もいよいよ佳境に入り、先日は岩手県釜石市、大槌町、山田町を巡って参りました。

 震災以降この地を訪れるのはこれが初めてのこと、いささかの緊張を胸にしながらの三陸沿岸への旅でした。

 このあたりは以前は、何度も何度も車で通った道...しかしながら車窓から流れる懐かしい風景は釜石の町に入るや一変...そして釜石から峠を超えて隣町大槌町を一望に出来る高台に立ち、そこから大槌のかつての市街地に入ったときはまさに息をのむ思いでした。

 海に向かってひらけた、かつての大槌町は既にその姿を消し、全く何もなくなってしまった平坦な大地の上を、かさ上げ工事のダンプカーが土ぼこりを巻き上げながら走るだけ...。

 町には人の姿もなく、あの人のにぎわいに溢れていた大槌町はその姿を一変させていました。

 町の中心部に唯一残る旧役場庁舎の前に立ち、改めて5年前の大惨禍の凄まじさにただただ両の手を合わせるばかりでした。

 あの日から間もなく5年...5年経ってもこの姿とは...。

 こんな変わり果てた町の姿に日々接する町民の思いに心を寄せた時、もはや我慢も限界を超え、町での再起をあきらめ、他の地に移り住む選択をした町民の思いが胸に迫って来る思いでした。

 こんな膨大な、そして長期にわたるかさ上げ工事ではなく、住民の日常生活に寄り添った別の町再建の道があったのではないのか...。

 そんな思いにもさせられたのでした。

 そして訪れた町役場、お忙しいお時間を割いてご面会下してさった平野町長さんは、満面の笑顔で私たちを迎えて下さいました。 

 実は、平野町長さんとは、平野さんが町職員であった頃からのお付き合い。

 映画の上映を通した町の活性化と子供たちの健やかな未来にご賛同いただき、これまでもいくつかの映画の上映に取り組んで下さった、平野さんはそんな好漢でした。

 震災以降の町の未来に、止むにやまれぬ思いで町長選に立候補し幸いご当選、一番大切な時の町政の舵取り役となったのでした。

 思わず話はあの日あの時のことに...あの時は大槌町の幹部職員が集って会議中、この中に平野さんもおいででした。

 迫り来る津波が目には見えていたのだが、いくら思い返してもあの時の音を思い起こせない...全く音の無い世界に立ち止まっていたのだと...。

 当時の町長さんを始め、貴重な幹部職員の何人かの命は奪われて行きましたが、幸い平野さんは自らの命を拾うことになったのでした。

 あの当時のことを振り返るなら今は、仲間も、そして復興に向けて一生懸命に努力する職員もいる...幸せなことですよ...、と語る平野町長さんの言葉に思わず胸が熱くなったのでした。

そして、私たちの語る「ちえりとチェリー」大槌町上映についてもその実現を約して下さいました。

 5年を経てなお、まだこの現状にある被災地への思いと、そこへの支援の手を更に重ねなければならない...そんな思いを強くした岩手県沿岸の一日でした。


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旧大槌庁舎



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初冬の出雲市駅


 以前のブログでも書きました。

 島根県出雲市で「じんじん」上映を望むお声が上がり、それではまずは何人かで映画を観て、その上で皆のご意見が是非上映をしたい、とのことになるのなら...そんな願いを込めて「先ずもっての試写会」を開いたのは本年729日のことでした。

 幸い、ご覧の皆様方からは、とても熱い感動が語られ、全員一致で上映を決意、ここに集った20人の願いを更に多くの市民と共有するため「大きな試写会」実施に向けて一歩一歩準備を重ね、昨日は(129日)その試写会の当日でした。

 是非来て欲しい...とのご要請を受けて又遠出雲路をたどって参りました。

 幸い、12月にしては穏やかな陽気に恵まれた出雲、上映会場となった郊外の会場には多くの市民の方々が足を運んで下さいました。

 そして開かれた試写会は150人にのぼる方々のご参加で大成功をおさめ、上映運動は明年2月の本上映成功に向けてスタートを切ったのでした。

 それにしてもこの上映、まさに私たちの掲げた「スローシネマ」の典型。

 最初に上映のお声をあげた方は大きな組織の裏付けもない「じんじん」に感動したまさに一市民。

 そして、彼女のお呼びかけで集まった方々も、格段の運動のご経験もない、これもまさに一市民。

 そんな方々が一歩一歩、まさに道を探るようにして積み重ねて来た、ここまでの道筋でした。

 試写会上映中、車座になって実行委員の皆様と話し合いをしました。

 ここまでの丁寧な論議と道筋にやっと自信の片鱗をのぞかせながら、交々に確かな手応えを語る皆様の言葉に、2月の本上映の大成功を確信した私でありました。

 あせらず、ゆっくりと、そして丁寧に...納得のいく階段を一歩一歩登った先に実現する素晴らしい上映会...。

 「スローシネマ」はいよいよその力を全国に大きく拡げ始めたのかも知れません。

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沢山の市民が集まった試写会


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遠くに望む大山




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 南アルプス市、山梨県の西端に位置し、市の名前にある通り、日本第二の高峰、南アルプスの北岳をその市域にもつ、美しい景観の市です。

 そんな南アルプス市から「じんじん」上映実現のご希望が届き、そのご相談で初めてこの町を訪れました。

 ご連絡をして下さった方は、市内で保育所の所長をお勤めのFさん、となり町での上映で「じんじん」をご覧になり大感激…是非南アルプス市での上映を…そんな思いを携えてご連絡をとって来て下さいました。

 保育園を経営する法人の理事長をお勤めのご主人様とご一緒に甲府駅までお迎えいただき、初のご対面…。

 無認可保育所から始めて30数年、子どもたちの健やかな未来を願ってご活動を続けて来られた歩みが、そのお姿にしっかりと染み付いている様な、とてもお優しい風情の素敵なお二人でありました。

 まずは、車で保育所へ…。

 着いた保育所では、今まさに子どもたちの和太鼓の練習が始まらんとするところでした。

 ご案内されて入ったホールには、たくさんの大太鼓と小太鼓の列…。

 よくもこれだけの数の太鼓を揃えられたものと感心しているうちに、いよいよ練習の始まり。

 口を一文字に結んで、しっかりと前を向いて、必死に太鼓をたたく子どもたちの姿に思わずジーン…。

 こんな素晴らしい子どもたちのまなざしの未来に、平和な、そして夢いっぱいの社会を手渡してやりたいと願わずには居れませんでした。

 お聞きすれば、これまでも数々の「文化活動」を地域で展開されて来られたお二人、私たちの掲げた「スローシネマの方針」にも全面的にご賛同いただき、南アルプスのふもとでの上映は実現に向けてスタートを切ることとなりました。

 思い起こせばこれまでも、全国にこんな心やさしき活動を続けている方々との出会いがあったのでした。

まだまだ日本は捨てたものではない…そんな思いにさせられた南アルプス市でした。

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 なつかしい方が仙台を訪ねてくれました。

 「しんちゃん」、三重県菰野町を起点に全国に向けて絵本の読み聞かせの活動をやって来られた方です。

 しんちゃんとの出会いは2011年震災直後の頃にさかのぼります。

 あの時私は、完成した「エクレール・お菓子放浪記」を携えた全国への旅をはじめたばかりの頃でした

 この動きのご報告に石巻を訪れた時、製作時から大きなご支援をいただいていた石巻グランドホテルの社長のG氏がぜひ引き合わせたい人が居る...まだ石巻周辺に居るはずだから...とお電話をして下さりその直後にお会い出来たのがしんちゃんでした。

 しんちゃんはお仲間の方々と震災直後から絵本を携えて遠路被災地にはいり、被災地の子どもたちに向けて、絵本の読み聞かせをして子どもたちを励ます活動を幾度にもわたって続けていた方でした。

 少林寺拳法の達人でもある彼...、極めてガッチリとしたお体ながら、その目はまるで仏様の様なやさしさをたたえ、笑顔がいつまでも印象に残る...初めてお会いしたしんちゃんはそんな方でした。

 私の語る「エクレール・お菓子放浪記」上映の願いに彼は即座に賛同してくださり、菰野町での上映実現を約束して下さいました。

 そんな彼のご案内で菰野町を訪れ、町長さんとご面会、上映は心やさしき菰野町の方々の手にゆだねられ1500人を超える大成功の上映となって実を結んだのでした。

 そしてしんちゃんとの親交はその後も続き、引き続いての「じんじん」上映にもつながってゆきました。

 そんな彼からのお電話がありました。

 来週、仙台市内の小学校に招かれて、絵本の読み聞かせに行くことになった...もし可能なら会いたいと...。

 勿論了解のご返事をして、山梨県のスケジュールを早めに切りあげて帰仙、久し振りの再会となったのでした。

 変わらぬやさしい瞳にこぼれる様な笑顔をたたえた彼は、熱く熱くこれから始める活動の夢を語ってくれました。

 来年、菰野町を舞台に菰野町の昔話をベースにした「創作絵本コンクール」を開催することになったと...。

 子どもたちの未来にこんなにも熱い夢を描いている男が居る!

こんな夢が語られるうちは、まだまだ日本も大丈夫...。

 そんな思いが胸いっぱいに拡がり、思わず盃を重ねた仙台の一夜でした。

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真ん中がしんちゃん



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 昨年秋に発足した協同組合ジャパン・スローシネマ・ネットワークは全国配給の志を共にする13の会社で構成されています。

 その一社に四国4県を担当する、シネマ四国があります。

社長はT氏、まるで相撲取りを思わせる様な風貌ですが、とても誠実な、そして朴訥な人柄を備えた人でした。

 そんな彼が急な大病を患って緊急入院となり人生の大ピンチに陥ってしまったのです。

 病とは全く無縁と思われる様な健康体であった彼が...。

 この事態は彼にとっても、そしてJSNを束ねる立場の私にとってもショックなことでした。

 実は、前回のブログでご紹介した「きみはいい子」の高知県での全県規模の上映運動の準備を内々に進め、まさにこの時はスタート直前の時でもあったのでした。


「きみはいい子」の原作者中脇初枝さんは徳島に生まれ、2歳の時から高知県四万十市で育ちました。

前回のブログでもご紹介した、心やさしき地域の人々と素晴らしい自然、そして地域社会を見事に彩る歴史と文化の中に包まれ、中脇さんはその感性を大きく育ててゆきました。

そして高校3年生の時に発表した小説「魚のように」で、第2回坊ちゃん文学大賞を受賞し、17歳で作家としての道を踏み出すことになったのでした。

そんな高知県が生んだ中脇さんが、現代社会の中で傷つき苦悩する人々と向かい合いながら、その先に一すじの希望を語ろうとしたこの原作、そしてそれをもとに映画化された作品に触れた時、T氏は心やさしき高知の心を県内全域に語るべく全県上映を決意したのでした。

それなのに...。

一報の電話をもらい、電話から語られる彼の苦悩の言葉を耳にして電話を切った時、私の心には一つの決意が芽生えていました。

彼の思いを受け止めて、彼に変わってこの作品の高知県全県上映を実現しようと...。

そしてそんな思いを携えて高知県を訪れていました。

突如の病を患っているT氏の夢を叶えるべく...。

私の土佐もうではこれから始まります。


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朝日に映える高知城


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高知駅前には、幕末三志士の像が



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沖永良部島の朝


鹿児島から南西へ500km、人口13,000人程の沖永良部島は鹿児島空港から1時間程の飛行での到着でした。

 仙台を発った時、街はすっかり秋の装いでしたのに、南の島はいまだにねばりつく様な夏の暑さに包まれていました。

 遠路をたどってここまでやって来たのは、公文のご担当者からのお電話からでした。

 「僕がジョンと呼ばれるまで」は、まさに公文との二人三脚で、その上映の輪は着々と全国に拡がっていました。

 そんな公文のお一人、九州地区ご担当のK氏が言葉をはずませながらお電話をかけていらっしゃいました。

 “今、和泊町での試写会が終わったところ...とても素晴らしい反響でぜひ上映をしたいとのことになった...ついては、一度この町を訪ねて上映の具体化を計って欲しい...”と。

 和泊町はどこ?との私の問いに、K氏からのご返答は「沖永良部島」と...。

 正直申せば、その距離の長大さに一瞬ひるむ思いはありながら、他ならぬK氏からのお願い、否はないと即ご了解のご返事をして、この度の島訪問となったのでした。

 一面にさとうきび畑が拡がる、隆起サンゴ礁特有の平らな島、しかし私の目にはいつも見慣れた、ケバケバしいそして無機質な大型量販店はその影もなく、自然の中に人が折り合いながらおだやかに生きている...まるで流れる時間さえゆっくりとその時を刻んでいる...初めて訪れた南の島は、そんな姿で私に接してくれました。

 この夜開かれた上映実行委員会には、上映の成功を願う熱心な20人の町民がお集まりになり、上映はスタートを切ることになったのでした。

 会議終了後、ここまでの準備を丁寧に進めて下さった、町社協のMさんのお誘いに甘えて町の居酒屋へ...。

 夜でさえ、まるで真昼の如き光の洪水に包まれた都会での生活に慣れてしまった私に、まさに漆黒の闇をたたえた島の夜の風情は、しばらく忘れていた私の少年時代をも思い起こさせてくれました。

 「経済発展」が声高に叫ばれ、本来あるべき人の生の営みと全く異質なものにその姿を変えてしまった大都会...。

 人が眠りに就いているべき深夜にさえ、こうこうたる光を暗闇に放っている自販機やコンビニは本来は不必要なものでは...そんな思いも胸に刻みながら初めて口にした黒糖焼酎のさとうきびの甘さをかみしめた沖永良部の一夜でありました。

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実行委員会では熱心な議論が

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日本一のガジュマルの木




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前のブログ「棄民」にも触れました。

 「ソ満国境 15歳の夏」のドラマは、原発事故で故郷浪江を追われた中学生の視点から描かれています。

 私は、この作品の全国配給にあたって、一日でも早いうちに浪江町長さん、そしてそれを受け入れた二本松市長さんにお会いして、映画の完成もご報告申し上げながら、叶うことなら両首長さんのご賛同も得ながら全国上映をスタートさせたいと願っていました。

 幸い、こんな私の願いを受け止めた松島監督の計らいで、撮影の折お世話になった浪江町議のSさんにお引合せいたただき、Sさんのご案内で二本松に居を置く、浪江町役場二本松事務所に馬場町長さんをお訪ねしたのは、夏の盛りの厳しい太陽が照りつける日のことでした。

 突然の原発事故で故郷を追われ、全国に散り散りになった町民の心を必死の思いでつなごうとする拠点浪江町役場は、二本松市中心部から遠く離れた工業団地の一角に、確実にその存在を主張しながら建っていました。

 ご多忙のご公務の間をぬってご面会いただいた馬場町長さんは、おやさしい微笑みをたたえながら、それでも厳しい思いを込めて“今、私たち浪江町にとって一番大切なのは「絆」なんです…”こんな言葉を語って下さいました。

 あの日以来、18000名の町民は、全国46都道府県に散り散りになり、必ずしも先の見えない生活を必死の思いでつなぎながら生きている…、こんな町の現状を切々と語る町長さんのお話に、改めて福島県沿岸の町が置かれた現状の困難さと、4年経ってもまだまだ何も解決していない厳しい現実を知らされた思いでした。

 片や、来るべき東京オリンピックに向けて信じがたい程の莫大な建設費で新国立競技場を建設するとの報道に、何ともやりきれない思いにもさせられたのでした。

 この映画の全国上映を通して、全国に散る浪江町民に遠く離れた故郷をもう一度思いおこして欲しいと思いますし、又あの大惨禍から4年半…いまだに大きな困難を抱えながら生きている浪江町民の思いも全国に語らなければ…と思ったのでした。

 決して忘れてはいけないのだと…。

 こんな私の願いを馬場町長さんは受け止めて下さり、825日浪江町、二本松市合同での試写会開催となり、ここで両首長さんにもご覧いただけることになりました。

 一歩一歩、ねばり強くあきらめずに…被災地からのメッセージを語り続けてゆきたいものです。

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二本松市郊外に建つ浪江町役場

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広報「なみえ」より



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