カテゴリ:映画( 53 )

そんな暗い低迷の時代を大きく変えるきっかけとなったのが「シネコン」の登場でした。

1993年、神奈川県海老名市に第一号がオープンした「シネコン」は、たちまちのうちに全国に大きく拡がってゆきました。減少を続けていた映画人口が一転して増加に転じました。そして、スクリーン数もその数を増やして行きました。

こう語りますと日本映画はまるで万々歳のようですが、残念なことに光があれば影もあったのでした。

「シネコン」は効率性と収益が第一義的に求められる装置なのかも知れません。その立地にあたっては人口集中の大都市圏が選ばれてゆきました。又、シネコンの進出によってそれまであった地方の既存の映画館は、その競争に勝てずに閉館を余儀なくされてゆきました。その結果、映画館は大都市圏のみに偏在するものとなってしまったのでした。今や、日本の約9割の市町村は映画館がゼロ地帯と化し、映画の世界では都市と地方との格差は決定的なものとなってその分日本映画界の大きなひずみとして横たわることとなったのでした。

又、シネコンの登場によって作品の質にも大きな変化が生まれてゆきました。効率と収益を求めるシネコンにとっては、都市から地方へと順次公開を拡げてゆくかつての映画の公開のしくみはとうてい採用されないものとなったのでした。

「全国一斉公開」…この新たなしくみによって、巨大な宣伝費を投下したひと握りの作品が多くのスクリーンを独占することとなり、数億、数十億の宣伝費を準備できない作品はたちまちのうちに打ち捨てられてしまう道をたどることになってしまったのでした。

本来映画は利生むべき「商品」であると同時に「文化」としての側面も持ち合わせたものなのだと思います。人の心を育み、地域社会を元気にさせる…、そんな映画の持っている「文化」としての側面に目をやった時、それは多様なものであるべきだし、丁寧に時間もかけながら観客と一緒になって育てるものでもあると思うのですが、「シネコン」の登場は、その後の日本映画界にこんなひずみも生むことになってしまった様でした。


・・・「スローシネマ③へ続く」

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by cinema-tohoku | 2015-02-27 09:58 | 映画 | Comments(0)

私たちが「じんじん」の製作を決意した時、私たちの前に解決しなければならない大きな課題がありました。

まもなく完成するこの作品を、どんな方法で多くの方々にお伝えするのか…、公開の仕組みを巡る課題でした。

戦後、日本映画は大きな変転の道をたどって来ました。1945年、日本は敗戦を迎えました。平和な、そして新たな民主主義の時代を迎えた国民はこぞって娯楽を求め始めました。そして、当時の国民の心を一番掴んだのは映画でした。映画は「大衆娯楽の王」とも語られ、映画館にはたくさんの観客が詰めかけました。そして小さな町にも村にもさえも映画館は次から次へと開館していったのでした。

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写真はイメージ 「エクレール・お菓子放浪記」にも登場した、石巻市の岡田劇場


私は当時小学生でしたが、たくさんの映画を観て自らの心を育ててゆきました。又、あの時代を振り返ってみると、不思議なことに、観た映画の記憶と共に誰と一緒に観たのかも思い出されるのです。あの当時の映画は産業としての隆盛を誇っていただけではなく、「地域コミュニティ」を語る上でも欠く事の出来ない要因ともなっていたのだと思われるのです。

しかしながらこんな映画の幸せな時代もいつまでも続くことはありませんでした。

その後登場したテレビの普及と娯楽の多様化の波は、映画界を長く暗い低迷の時代へと突き落としたのでした。年間を通した映画人口は全盛期の一割に減じ、映画館の閉館も相次ぎました。


・・・「スローシネマ②へ続く」


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by cinema-tohoku | 2015-02-24 10:44 | 映画 | Comments(0)

私たちがこの3年間にわたって育てて来た心やさしき作品があります。

長編劇映画「じんじん」、数ある日本映画のなかでこんなにも幸せな映画はなかったのかも知れません。

そんな「じんじん」についていくつかのエピソードを語ってみたいと思います。

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この作品は今から7年前、俳優の大地康雄さんが北海道剣淵町を訪れたことから全てが始まりました。

大地康雄さん、お名前は知らずともほとんどの方々がそのお顔は知っているのでは…今の時代では得がたい個性的な素晴らしい役者さんですが、大地さんは一人の人間としてとても熱い心を持った方でした。

以前から大地さんは現代社会のありように大きな危惧の念をお持ちでした。地域社会の崩壊が語られ、いまや地域社会の基礎単位であるべき家族さえゆらぎ始め、それに起因する悲しい事件が毎日のように報じられるようになってしまった現代社会…。これでは日本がダメになってしまう…そんな危機感を大地さんは感じていたのでした。

そんな大地さんが訪れることになったのが北海道剣淵町でした。

剣淵町…、おそらくほとんどの方々がご存知ない町だとは思いますが、旭川市の北50km程に位置し、人口は3500名…とても、とても小さな農業の町です。

今から27年前、竹下内閣の時に「ふるさと創生一億円事業」が発表された折、剣淵町の若者たちは一つの提案を持って町長さんに面会を申し込みました。

“天から降ってわいたようなこのお金で、ハコモノをつくったり温泉を掘ったりではなく、わが町では「絵本のこころ」をテーマに、人と人の心が通い合う、そんな町をつくってみよう…“

こんな提案をしたのでした。

これを巡っては町内にいくつかの異論もありましたが、最終的に町長さんはその提案を受け入れて「絵本の里づくり事業」をスタートさせたのでした。そしてそれから27年、剣淵町の町民は「絵本のこころ」を大切に育み、見事に生活の中に定着させた素晴らしい町をつくりあげていたのでした。

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10年程前に完成した絵本に特化した図書館「絵本の館」を中心に展開される町民と絵本との触れ合い、そして町民の手による絵本の読み聞かせ...。この姿に触れた大地さんは体が震えるほどの感動を覚えた...とおっしゃいました。

絵本を通して通い合う人と人との心、絵本に聞き入る子供たちの目の輝き...。今の日本に欠けていて、そして一番なければならない「人のこころ」がここにある...。

そう思った大地さんはこの剣淵町をテーマに映画を作り上げ全国にお届けしたい...、そんな決意を胸の中に刻んだのでした。

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そして完成した作品は、人の手から手に、そして口から口へと語りつがれ、その上映の輪を拡げ、「地域社会と家族の再生」を願う声は全国500箇所20万観客を数えるまでにこの作品を育てあげたのでした。




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by cinema-tohoku | 2015-02-06 13:41 | 映画 | Comments(0)