カテゴリ:映画( 58 )

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この変わった題名の長編ドキュメンタリー作品は、より良き高齢者社会を願って製作されました。

製作を手がけた仙台放送は、東北大学の川島隆太先生と以前から報道を通して接点がございました。

そして、川島先生が開発した「脳トレ」を通して認知症を改善・予防しようとするプログラムを、アメリカオハイオ州の老人介護施設にカメラを持ち込み、「学習療法」を通して認知症を改善に導く記録としてまとめたのがこの作品でした。

完成後、全国30程の劇場で公開され、この種の作品としては異例なヒットとなりましたが、更に多くの市町村での上映を願って、JSNに全国配給のご依頼が持ち込まれて参りました。

作品を拝見して、配給をお引き受けはしたものの、当初は「学習療法」についての知識がなかったこともあり、上映は「学習療法」導入施設や医療機関内部での小規模上映をイメージしていました。

こんなイメージを一変させたのは、くもん学習療法センター方々との出会いからでした。

公文は、以前から川島先生と共同して「学習療法」をたちあげ、全国の介護施設や自治体に向けてその啓発にあたっていました。

仙台放送に連れられお会いしたくもん学習療法センターのI氏は、JSNの配給に向けた私たちの考えをお伝えするや、こんなことを私に語って下さいました。


“鳥居さん、あなたたちのやって来たことはまさに地域コミュニティの再生そのものではないか…。私たち公文も学習療法にあたって同じ考えで取り組んできた…。“


と熱く私に語ったのでした。そして


“これまで認知症は高齢化社会にとって避けて通ることの出来ないものと考えられていた。一旦認知症と診断されたなら、それは家族の破壊であり、地域社会の破壊であり、介護施設の職員の心の破壊でもある。

しかしながら、学習療法はこんな高齢化社会の未来に光を差し込ませることになった。

高齢化社会を、認知症を諦めなくて良いのだ…。これはまさに「地域コミュニティの再生」でもある…。

こんな思いで取り組んできた。“


こんなことをI氏は熱く語ってくれたのでした。

公文の方々との出会いは、私たちのこの作品に向かう姿勢を一変させることになりました。

より良き地域社会を語る地域運動として、幅広く賛同の声を結集して全国に上映の輪を拡げてみたい…。

そんな願いは

地域運動型上映の第一歩となった大分県日田市での900名を集めた素晴らしい上映から夢をひらきました。

高齢者が人として尊重され、その最後の時まで生き生きとその生を謳いあげられる地域づくりのために…。

私たちの願いは今全国に大きく拡がろうとしています。


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by cinema-tohoku | 2015-04-09 15:33 | 映画 | Comments(0)


4月…新しき年度が始まり、ここ東京の桜は満開を迎えていました。

ここ数日で急に、JSNとしての全国配給が決まった「ソ満国境-15歳の夏」の準備で東京に来ていました。


今から70年前、日本は悲しい歴史の一コマを刻んでいました。

当時の日本は中国大陸に侵略、中国東北部に傀儡国家としての「満州国」を立ち上げ、国をあげての移民政策を展開していました。

満州に行けば広大な土地が手に入る…、こんな政府の宣伝であおられた多くの日本人が新天地を求めて海を渡ったのでした。

そして、その一環として「満蒙開拓青少年義勇軍」もありました。

当時の10代の少年達をソ満国境に配置し、関東軍の穴を埋めようとした施策でした。

戦後、「世界最悪の児童虐待」とも語られた青少年義勇軍は194589日、ソ連軍の国境を破った進攻で悲惨な逃避行を強いられることとなったのでした。

その一つ、新京一中130名の少年たちの悲しい歴史を後世に語るべく原作が出版され、その映画化が数年前から準備されていましたが、この度監督の執念でこの願いが実り、急遽公開に向けて準備が始められたのでした。

敗戦から70年…振り仰ぐ見事な桜に、この作品の上映の成功と、そして二度とこんな悲しい歴史が子どもたちの未来に訪れることのないことを誓った春の一日でした。

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「ソ満国境-15歳の夏」原作本



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by cinema-tohoku | 2015-04-06 10:56 | 映画 | Comments(0)

「ちえりとチェリー」や「チェブラーシカ」は人形アニメーションの手法によるアニメーション映画です。

ここで人形アニメーションについて…。


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人形アニメーションの手法で作られた「ちえりとチェリー」の場面写真


全ての映画は一秒間に24のコマがスクリーンに映し出されています。

実写作品は、動いている対象物を撮影カメラでシャッターを落としながら一秒間を24のコマに分けて撮影し、これを映写機でスクリーンに映します。

2Dアニメ(以前はセルアニメともいいました)は、描き上げた動画を一コマずつ撮影し、スクリーンに一秒に24コマ映し出し動きを伝えます。

そして人形アニメの制作は、先ず人形づくりからこの作業は始まるのです。

これは、実に精巧な人形で、関節には金属製の骨格が入っていて、その全てが手で動かせるようになっています。

そして、その人形を手作業で少しずつ、まさに少しずつ動かしながらカメラでコマ撮りしていくのです。

そして完成した作品は、2Dアニメにはない人の手のぬくもりが伝わる不思議な世界を語ってくれるのです。

あまりに手間と時間が(しかるにお金も)かかる長編人形アニメの製作は、サンリオが製作し、1979年に公開された「クルミ割り人形」以来ではなかったと記憶しています。

「ちえりとチェリー」は、日本では久しぶりに制作された長編人形アニメーション映画だったのです。

被災地を支えようとする、たくさんの心優しい手に包まれながら…。


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by cinema-tohoku | 2015-03-25 13:48 | 映画 | Comments(0)

アニメーション制作会社フロンティアワークスの方々が一本の作品と被災地支援の熱い思いを持って私を訪ねてきたのは、あの大惨禍から間もなく4年を迎えようとしていた20149月のことでした。

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その作品は「ちえりとチェリー」

揺れ動く少女の心と、そこからの自立を見事な技術で描いた人形アニメーション映画でした。

この作品の制作に向けた動きが始まったのは今から5年前、子どもたちの健やかな心の成長が危惧される現代に子どもたちの未来を願ってこの作品は企画されたのでした。

そして、その製作準備に入っていた時に起きたのがあの大惨禍でした。

被災地から伝えられる悲惨な映像に監督始め製作スタッフ一同は大きなショックを受け、これから製作するこの作品が東日本大震災と無縁であってはいけない…そんな思いで作品は再び構成されていったのでした。そして生まれたこの作品を、東日本大震災の復興に役立てて欲しい…、そんな思いを彼らは私に熱く熱く語ったのでした。

拝見した作品は、素晴らしい完成度で見事なメッセージを語っていました。

生命の輝きを見つめながら、その未来に向けて歩みだす子どもの心の自立を…。

JSNとしての配給をお引き受けし、「ちえりとチェリー」公開の夢は幾度かの議論の中から浮かび上がってきました。

大きなテーマは「被災地の心の自立」「変わらず被災地を支える全国の心」、あの日から4年を数える本年3月、被災地から全国に向けたこのテーマの発信上映会を行い、その呼びかけに応えていただき、明年3月までに全国500ヶ所の上映をつなごうとする大きな大きな夢は描かれていきました。

そして迎えた発信上映会は、間もなくあの日から4年を迎えようとする石巻市で38日に行われたのでした。

極めて短い準備期間にも関わらず、当日は350名の親と子どもたちが会場を訪れてくれました。

この上映準備にあたった石巻の子どもたちからの全国上映成功に向けたメッセージが舞台から語られ、そして始まった全国初の「ちえりとチェリー」の上映はまさに感動的な上映会となりました。

「チェリー」が自らの生命と引き換えにして、新たな生命を守ろうとするシーンでは多くの観客が涙をぬぐい、更に会場には号泣する子どもたちの声が響き、上映会場は大きな感動に包まれたのでした。

被災地にとって「真の心の自立」が求められる今、この作品は石巻の子どもたちの心にこんな願いを見事に語ってくれたのかも知れません。

「ちえりとチェリー」の全国上映成功への願いは被災地石巻から発信されました。

どうぞこの手に皆様方の手をつないでいただき、全国に拡がる大きな心の輪に作り上げていってほしいのです

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「ちえりとチェリー」石巻上映会チラシ


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上映会場に展示された「ちえりとチェリー」の人形に興味しんしん。



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by cinema-tohoku | 2015-03-20 14:10 | 映画 | Comments(0)

間もなくこの世に生まれてくる「じんじん」公開に向けた私たちの論議はその回を重ねてゆきました。

通常の劇場のみでの公開によるならば、結果的には映画館のない地方を切り捨てることになってしまう…。そして、私たちが心を込めて贈ろうとするこの作品はシネコンにかけてそのことだけで多くの観客に観ていただくことにはならないタイプの作品だろう…。

幾度かの議論の上で私たちは新たな日本映画の未来も願ってこんなしくみでこの作品をお届けしようと決意したのでした。

この作品が語るべきテーマ「地域社会と家族の再生」を前面にたて、丁寧に時間もかけて足も運び、この作品の心を語ってゆくならきっと全国の多くの方々がご賛同の手をつないでいただけることを信じて、私たちはこの作品の公開をご賛同の住民の方々と手をつないだ映画館によらない地域運動として歩みだすことを決意し、あえて「スローシネマ」と名を冠し、201211月北海道剣淵町からそのスタートを切ったのでした。


あの日から3年を数えることとなりました。

私たちが願った「じんじん」公開の夢は確実に人の手から手へと受け継がれ、人から人へとへと語られ、大きな大きな上映の輪となって育っていったのでした…。






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by cinema-tohoku | 2015-03-06 11:05 | 映画 | Comments(0)

そんな暗い低迷の時代を大きく変えるきっかけとなったのが「シネコン」の登場でした。

1993年、神奈川県海老名市に第一号がオープンした「シネコン」は、たちまちのうちに全国に大きく拡がってゆきました。減少を続けていた映画人口が一転して増加に転じました。そして、スクリーン数もその数を増やして行きました。

こう語りますと日本映画はまるで万々歳のようですが、残念なことに光があれば影もあったのでした。

「シネコン」は効率性と収益が第一義的に求められる装置なのかも知れません。その立地にあたっては人口集中の大都市圏が選ばれてゆきました。又、シネコンの進出によってそれまであった地方の既存の映画館は、その競争に勝てずに閉館を余儀なくされてゆきました。その結果、映画館は大都市圏のみに偏在するものとなってしまったのでした。今や、日本の約9割の市町村は映画館がゼロ地帯と化し、映画の世界では都市と地方との格差は決定的なものとなってその分日本映画界の大きなひずみとして横たわることとなったのでした。

又、シネコンの登場によって作品の質にも大きな変化が生まれてゆきました。効率と収益を求めるシネコンにとっては、都市から地方へと順次公開を拡げてゆくかつての映画の公開のしくみはとうてい採用されないものとなったのでした。

「全国一斉公開」…この新たなしくみによって、巨大な宣伝費を投下したひと握りの作品が多くのスクリーンを独占することとなり、数億、数十億の宣伝費を準備できない作品はたちまちのうちに打ち捨てられてしまう道をたどることになってしまったのでした。

本来映画は利生むべき「商品」であると同時に「文化」としての側面も持ち合わせたものなのだと思います。人の心を育み、地域社会を元気にさせる…、そんな映画の持っている「文化」としての側面に目をやった時、それは多様なものであるべきだし、丁寧に時間もかけながら観客と一緒になって育てるものでもあると思うのですが、「シネコン」の登場は、その後の日本映画界にこんなひずみも生むことになってしまった様でした。


・・・「スローシネマ③へ続く」

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by cinema-tohoku | 2015-02-27 09:58 | 映画 | Comments(0)

私たちが「じんじん」の製作を決意した時、私たちの前に解決しなければならない大きな課題がありました。

まもなく完成するこの作品を、どんな方法で多くの方々にお伝えするのか…、公開の仕組みを巡る課題でした。

戦後、日本映画は大きな変転の道をたどって来ました。1945年、日本は敗戦を迎えました。平和な、そして新たな民主主義の時代を迎えた国民はこぞって娯楽を求め始めました。そして、当時の国民の心を一番掴んだのは映画でした。映画は「大衆娯楽の王」とも語られ、映画館にはたくさんの観客が詰めかけました。そして小さな町にも村にもさえも映画館は次から次へと開館していったのでした。

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写真はイメージ 「エクレール・お菓子放浪記」にも登場した、石巻市の岡田劇場


私は当時小学生でしたが、たくさんの映画を観て自らの心を育ててゆきました。又、あの時代を振り返ってみると、不思議なことに、観た映画の記憶と共に誰と一緒に観たのかも思い出されるのです。あの当時の映画は産業としての隆盛を誇っていただけではなく、「地域コミュニティ」を語る上でも欠く事の出来ない要因ともなっていたのだと思われるのです。

しかしながらこんな映画の幸せな時代もいつまでも続くことはありませんでした。

その後登場したテレビの普及と娯楽の多様化の波は、映画界を長く暗い低迷の時代へと突き落としたのでした。年間を通した映画人口は全盛期の一割に減じ、映画館の閉館も相次ぎました。


・・・「スローシネマ②へ続く」


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by cinema-tohoku | 2015-02-24 10:44 | 映画 | Comments(0)

私たちがこの3年間にわたって育てて来た心やさしき作品があります。

長編劇映画「じんじん」、数ある日本映画のなかでこんなにも幸せな映画はなかったのかも知れません。

そんな「じんじん」についていくつかのエピソードを語ってみたいと思います。

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この作品は今から7年前、俳優の大地康雄さんが北海道剣淵町を訪れたことから全てが始まりました。

大地康雄さん、お名前は知らずともほとんどの方々がそのお顔は知っているのでは…今の時代では得がたい個性的な素晴らしい役者さんですが、大地さんは一人の人間としてとても熱い心を持った方でした。

以前から大地さんは現代社会のありように大きな危惧の念をお持ちでした。地域社会の崩壊が語られ、いまや地域社会の基礎単位であるべき家族さえゆらぎ始め、それに起因する悲しい事件が毎日のように報じられるようになってしまった現代社会…。これでは日本がダメになってしまう…そんな危機感を大地さんは感じていたのでした。

そんな大地さんが訪れることになったのが北海道剣淵町でした。

剣淵町…、おそらくほとんどの方々がご存知ない町だとは思いますが、旭川市の北50km程に位置し、人口は3500名…とても、とても小さな農業の町です。

今から27年前、竹下内閣の時に「ふるさと創生一億円事業」が発表された折、剣淵町の若者たちは一つの提案を持って町長さんに面会を申し込みました。

“天から降ってわいたようなこのお金で、ハコモノをつくったり温泉を掘ったりではなく、わが町では「絵本のこころ」をテーマに、人と人の心が通い合う、そんな町をつくってみよう…“

こんな提案をしたのでした。

これを巡っては町内にいくつかの異論もありましたが、最終的に町長さんはその提案を受け入れて「絵本の里づくり事業」をスタートさせたのでした。そしてそれから27年、剣淵町の町民は「絵本のこころ」を大切に育み、見事に生活の中に定着させた素晴らしい町をつくりあげていたのでした。

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10年程前に完成した絵本に特化した図書館「絵本の館」を中心に展開される町民と絵本との触れ合い、そして町民の手による絵本の読み聞かせ...。この姿に触れた大地さんは体が震えるほどの感動を覚えた...とおっしゃいました。

絵本を通して通い合う人と人との心、絵本に聞き入る子供たちの目の輝き...。今の日本に欠けていて、そして一番なければならない「人のこころ」がここにある...。

そう思った大地さんはこの剣淵町をテーマに映画を作り上げ全国にお届けしたい...、そんな決意を胸の中に刻んだのでした。

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そして完成した作品は、人の手から手に、そして口から口へと語りつがれ、その上映の輪を拡げ、「地域社会と家族の再生」を願う声は全国500箇所20万観客を数えるまでにこの作品を育てあげたのでした。




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by cinema-tohoku | 2015-02-06 13:41 | 映画 | Comments(0)