カテゴリ:映画( 53 )

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 以前のブログでもご紹介していました、福井県越前市を舞台に製作されていた「つむぐもの」が無事完成を迎え、昨日は東京での試写会がありました。

 この試写会は、前田プロデューサーが以前からお付き合いのあった参議院議員石田昌宏様始め、関係の方々にご覧いただくため開かれたものでした。

 ご自身も保健師、看護師の資格をお持ちの石田議員は「看護の力で日本を取り戻す!」をスローガンに、これまでも保健医療、福祉のより良き政策実現にご努力されて来られた方。

 前田プロデューサーの語る本作に向けた夢に共感し、ご多忙のお時間を割いてこの日の試写会においでいただいた、とのことでした。

 又、石田議員のお誘いで、福井県選出の参議院議員滝波宏文様の他2名の国会議員の先生方もご参加され試写会は開映となりました。

 越前和紙の里を舞台に展開される、ひたすらに人と人とが心を通わせようとするドラマに、観客は観入り、時には笑い、そして時には涙を流し、107分のドラマがエンドを迎える時には、満場の拍手で観客の皆様方はこの作品の出発を祝って下さいました。

 上映会場からお出になる方々は皆、感動で頬を赤く染め、中には上映終了後のロビーでもいまだ感激が止まずに、肩を震わせて号泣する男性の姿も...。

 心を込めて、ていねいにつむぎあげられたこの作品は、静かな、それでも深い何かを観客の胸に刻み付けた様でした。

 319日東京有楽町のスバル座を皮切りに、長い公開の旅に立つこの作品の背を、その素晴らしい未来に向けて押し出してやりたい...そんな決意を胸にした昨日の試写会でした。

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試写会の前に、石田議員、滝波議員、のご挨拶が



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by cinema-tohoku | 2016-02-03 13:28 | 映画 | Comments(0)

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越前市の街並み


 福井県の古都郡越前市を舞台に、一本の映画が製作の最終盤を迎えています。

 「つむぐもの」、要介護となった一人の頑固な和紙職人と、その介護にあたる韓国籍の娘との葛藤をのりこえた和解を感動的に描く作品です。

 この作品で主役をつとめたのが、大ベテラン石倉三郎さん、何と映画の主役はこの作品が初めてとのことでした。

 既に撮影は終了し、最後の編集段階となり、公開についての検討が幾度かにわたって重ねられてきました。

 この作品でプロデューサーをつとめたM氏は、若いながらも熱き情熱をその胸にたたえた方...、人と人との心を通わせようとするこの作品の公開にあたって、その上映を都市部の劇場のみに止めず、映画館がその姿を消した小さな市にも町にも届けたい...こんな願いを携えて私に連絡をとって来て下さいました。

 シナリオを読んで、その確かな視点に感銘し、非劇場分野での配給をお引き受けして、地元関係者との顔合わせのため初めて越前市を訪れました。

 数々の歴史に彩られた古都は、寺社と蔵が連なる街並み...。

 そして、この作品の直接の舞台となった越前和紙の里、旧今立町では1300年の歴史を誇る紙の神社が、黄色く染まった銀杏の巨木の中に見事なその姿を描き私たちを迎えてくれました。

 そしてその夜、懇親を兼ねた場でお会いした越前和紙工業協同組合のI理事長さんは、いかにもおやさしそうな瞳を細めて、映画公開に向けた数々の夢も語って下さいました。

 改めて見つめるなら「介護の心」は、数々の障害を乗り越えて、人と人との心を通わせようとする努力なのかも知れません。

 年齢も、そして国境さえも超えて心を通わせようとするこの映画の二人の願いは、まさに「介護の心」そのものを語ろうとするものなのかも知れません。

 こんな心やさしき人の願いを、これにご賛同の数多くの方々の心をつむぎながら全国に大きく育て上げてゆきたい...こんな思いを強くした北陸越前の旅でした。

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今立町 紙の神社



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by cinema-tohoku | 2015-12-10 16:57 | 映画 | Comments(0)

 秋も深まった111日、幕張メッセの国際会議場は、全国から集まった、より良い高齢化社会を願う1,000名の方々の熱い熱気に包まれていました。

 東北大学の川島隆太先生が開発した「脳トレ」を通して、認知症の予防や改善にあてようとした「学習療法」は、これを全国に拡げ、このことを通して「地域社会の再生」を計ろうとした「公文」の方々の手で、その輪は大きく拡がっていました。

 このシンポジウムは、「学習療法」が開始から10年を数え、ここからの更なる発展を願って、そのスタートとして開催されたものでした。

 「学習療法」をテーマに製作した長編記録映画「僕がジョンと呼ばれるまで」の全国配給に取り組んでいる私も、川島先生のご講演があるとお聞きして参加して来ました。

 このシンポジウムの冒頭ご講演に立たれた川島先生は、50分の限られたお時間でしたが聴く者の心に響く語り口調で、高齢化社会のあり得べき素晴らしき未来について語って下さいました。

 そのキーワードは「スマートエイジング」…。

 年を重ねることは成長であり、加齢は発展である。

 脳を意識的に使い、脳の前頭葉を活性化させることが出来れば、その先には素晴らしい高齢化社会を実現出来る…。

 そんな、あり得べき未来を、先生は分かりやすく私たちに語って下さいました。

 そして、それに引き続き上映された「僕がジョンと呼ばれるまで」は、前段の川島先生のお話を受けてのものだったこともあり、観客の胸に高齢化社会に向けた確信も語ってくれた様でした。

 このシンポジウムにご参加された方々の輝く表情を拝見して、こんな一歩一歩の運動の積み重ねが、きっといつかは素晴らしい未来を拓く…。

 そんな思いを胸にしまって、次の出張先京都へ向かったのでした。

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熱心に意見が交わされた全体会
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映画に出演のジョンもシンポジウムに駆けつけてくれました



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by cinema-tohoku | 2015-11-19 17:32 | 映画 | Comments(0)

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 震災からの復興と子どもたちの健やかな未来を願って、岩手県に引き続いて昨日(1029日)宮城県上映運動のスタートが切られました。

 この日はこの作品の宮城県上映にご賛同された方々が河北新報ホールにお集まりになり、県内初となる試写会、「ちえりとチェリー」が繰り広げる少女の想像の世界を堪能しました。

 昨日の試写会でも感じたのですが、この作品は不思議な作品と思えるのです。

いわば“山あり谷あり”の物語りではありませんし、どちらかというと感情の高ぶりをあえて抑えながら淡々と語られる作品なのです。

 それなのに、観ているうちに不思議に作品の中に引き込まれ、いつの間にか主人公の「ちえり」に感情移入している自分に気づかされるのです。

 人形アニメーションが持つ、不思議なやさしさのせいなのかも知れませんが、何より、この作品完成に込めたつくり手たちの熱い熱い思いがいつの間にか伝わっているからなのかも知れません。

 昨日もご覧になった方々は、涙をぬぐい、上映終了後は交々に熱い感動が語られる試写会になりました。

 映画の感動が余韻として残っていたのか、その後開かれた呼びかけ人会議では活発なご意見が交わされ、宮城でも上映の運動はスタートを切ることになったのでした。

 こんな熱い思いを持ったつくり手たちの結晶を、東北被災地の多くの親と子どもの胸にお届けしたいものです。

 そして、被災地から全国に大きく育てて送り出したいものです。

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仙台での呼びかけ人会議の様子



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by cinema-tohoku | 2015-11-05 11:30 | 映画 | Comments(0)

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 以前のブログでもご紹介しておりました、人形アニメーション「ちえりとチェリー」が、被災地の復興と子どもたちの健やかな心の成長を願ってその上映の準備をスタートさせました。

 本年3月、宮城県石巻市で全国初めてとなる被災地からの発信上映を開催、それ以降全国上映実現への努力を重ねて参りましたが、石巻上映以降、この作品の上映の意義を更に大きく語ることになった悲しい事件が起きていました。

 岩手県矢巾町では、中学2年の少年が不当な“いじめ”によって、たった13年にしかならないあまりに短かった命を自ら絶ちました。

 そしてもう一件は、この事件を追うようにして明らかになった仙台での、これも“いじめ”に起因する中学生の自殺でした。

 私たちが地域社会と国の未来を見つめた時、そこには当然のように未来へのバトンを受け継ぐべき子どもたちの成長が前提となっています。

 そんな子どもたちの未来が閉ざされた時、それは国の未来そのものの危機であるのではないでしょうか。

 今の時代に生きる私たち大人は、こんな子どもたちの心からの叫びを受け止めて、真剣にこの問題と向き合わなければならないところに来ているのではないかと思えるのです。

 “子どもたちの心に命の輝きを取り戻すために・・・”

 そして今、そんな願いを込めた「ちえりとチェリー」はこの世に生を授かり、全国に向けて上映を発信させようとしているのです。

 全国公開に向けた第一歩は、岩手、宮城、福島の被災3県からおこしてゆくことになりました。

 被災地の復興と子どもたちの心の成長を願った私たちの上映企画は被災3県に輪となって拡がり、上映成功に向けた「上映運動」はスタートをきったのでした。

 あの日から5年を迎える明年春、こんな願いは全国に向けて誇り高く発進することになります。


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by cinema-tohoku | 2015-10-26 09:56 | 映画 | Comments(0)

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 親による虐待や子殺し、いじめに起因する子どもたちの自殺、独居老人の孤独死、声高に自己責任を叫びながら語られる一方的中傷...、いつの間に私たちの国はこんな姿になってしまったのでしょうか。

 こんな閉塞感でいっぱいになってしまった様な現代社会に、まるで宝物の様な一本の映画が生まれました。
 「きみはいい子」原作者中脇初枝さんの世界を、呉監督が見事な演出力で映像化した作品です。
 この物語は、架空のある町に生活する何人かの人々の心の揺れ動きを織り成しながら語られてゆきます。
 地域社会の中に孤立し、心ならずも娘に手をあげてしまう母親...子どもたちの背負っている家庭の影に気づき、その子ともう一度しっかりと向かい合おうと決意する新任の教師...障害を持った子どもをかかえ、押しつぶされそうになりながらも必死に生きようとする母親...そして、たった一人で生活しながら地域をやさしく見つめる老人...。
 地域社会の崩壊が語られ、今や地域社会の基礎単位であるべき家族さえ揺らぎ始め、そこに起因する悲しい事件が毎日の様に報じられる様になってしまった現代社会に、この作品は、それでもまだ大丈夫...丁寧に人と人との心をつないでゆけば、きっと一すじの光が差し込む時がやって来ることを、やさしい言葉で私たちに語ってくれたのでした。
 高知県四万十市ご出身の原作者中脇初枝さんは、こんな言葉も語って下さいました。

“わたしは四万十川のほとりで近所の人たちから「べっぴんさん」と呼ばれながら大人になりました。
わたしがべっぴんだったからではありません。
あの時代、あの川べりの町に暮らしていた女の子たちは、みんなそう呼ばれ、近所の人たちに見守られていました。
その時はそれが当たり前のことだと思っていましたが、今になって、なんて幸せな子ども時代だったのだろうと気づきました。”

 なんと心やさしい地域社会に子どもたちが抱かれ、確信を持ってその未来に向けて育っていた時代だったのでしょうか。
今一度立ち止まって、地域社会と子どもたちの未来を語るきっかけになれば...。
「きみはいい子」は私たちの手によってもお伝えしてゆくことになりました。


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by cinema-tohoku | 2015-09-17 16:24 | 映画 | Comments(0)

 3回続きもののブログになりました。

 前号でお知らせしていました「「ソ満国境 15歳の夏」の二本松市・浪江町会合同での試写会が二本市駅前の会場で開かれたのは、あの焼けつく様な太陽もすっかりその姿を消し、一転して秋を思わせる冷たい霧雨が降りしきる日のことでした。

 この日は、ご多忙のスケジュールを割いてご参加いただいた両首長様をはじめ、50名程の関係住民の方々がお集まりになり、両首長様のごあいさつで試写会は開会となりました。

 又この試写には、撮影の時お世話になった御礼と、完成のご報告もかねて、この作品を手がけた松島監督も足を運んで下さり、引き続いてのごあいさつに立っていただきました。

 私は、松島監督とは既に何度もお会いしておりましたし、福井ではご一緒に盃を交わしたこともございました。

 仕事がら、これまでも何人もの監督と仕事をして参りましたが、松島監督はその中でも際立って誠実な、そして決して声を荒げない、丁寧なかつ冷静なお話をなさる方だと思っていました。

 何とその松島監督が、ごあいさつの途中で思いがこみ上げ、胸が熱くなり、言葉につまってしまったのでした。

 企画から数えるなら5年におよぶ長い長い製作の旅...その間には数々の絶望もありながら、あの日の大惨禍が結果的には完成のはずみとなったのでした。

 「戦争」そして「大惨禍」をも乗り越えて「人の世の幸せ」を語ろうとした長い旅の末に完成した作品を持って被災地を訪れ、必死の思いで日々の生命をつないでいる浪江町民の方々を前にした時、監督の胸には数々の思いが去来したことでしょう。

 上映終了後、感動に頬を染めながら交々に熱い感動を語る被災地の住民の方々のお声に、やっと笑みのこぼれた松島監督でした。

 あの大惨禍から間もなく5年...あきらめずに語り続けなければ...そんな思いをずっしりと胸の底に蓄えた...そんな私にとっても大切な一日でありました。

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試写会でごあいさつをされる松島監督

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試写会終了後




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by cinema-tohoku | 2015-08-28 16:43 | 映画 | Comments(0)

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福島県二本松市の仮設住宅


 「ソ満国境 15歳の夏」は、原発事故で故郷浪江町を追われ、福島県二本松市の仮設に生活をする現代の15歳の中学生からドラマが始まります。

 中学の放送部に所属する彼らのもとに、中国から招待が届きます。

 中国に来て、70年前に展開された日本の15歳の少年たちの事実を一本の作品に作りあげて欲しいとの…。

彼らは中国に渡り、その事実に初めて触れ、大きな衝撃も受けながらもその中で、新たに自らの未来に向けて生きる力を手にして二本松の仮設に帰って来ます。

 ドラマは、こんな展開で進んで行くのです。

 この映画製作の企画が始まり、松島さんのもとに監督の依頼が来た時から、松島監督の心の中に常にわだかまっていた映画製作上の課題がありました。

 敗戦から70年目を数え、全人口の中に戦後世代が圧倒的な比率を占めることとなった現代、ただひたすらに70年前の出来事のみを描いて果たして現代の方々の胸に響く作品となるのだろうか…。

 より今日的な視点をこの作品に盛り込むことは出来ないのか…。

 そんな思いが松島監督の胸に去来していたのでした。

 そんな折に発生したのが、2011311日の大惨禍でした。

 監督は、突き動かされる思いで被災地福島県を訪れ、いつか通ううちに浪江町を追われ二本松市の仮設住宅で暮らす方々と繋がり始めました。

 こんな折、まるで新たな創作イメージが天から降って来たかの如く監督の胸に届いたのでした。

あの時の「満蒙開拓」はまさに国策でありました。

「満州国」は新天地…こんな宣伝にあおられ数多くの日本人が海を渡りました。

 そして89日、圧倒的なソ連軍が国境を破った時、そこには本来国民を守るべき軍隊は既に後方に撤退し、ソ連軍の前にはまさに裸同然の民間人のみが残されていたのでした。

 あの時国は、国民を捨てたのでした。

 「原発推進政策」…これもまさに国策でありました。

 そして18000浪江町民は今故郷を追われ、全国46都道府県に散り散りになりながら、未来の見えない生活を強いられているのです。

「棄民」…まさにこの言葉でこの2つの物語は監督の胸の中で一つのイメージにつながることになったのでした。

 そして、二本松市の仮設にお住まいの浪江町民、又、二本松市の全面的なご支援もいただきながらこの作品は完成を迎えたのでした。

「国」とは本来国民を守るべきもの…、しかしながらこの70年の日本の歴史の中に繰り返された2つの悲劇を見つめた時、「国」とは?…この作品はこんな問いも観る者に語りかける作品ともなりました。

 日本の未来を巡って重大な議論が交わされている今日、一人でも多くの方々にこの作品をお届けしたいものです。

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除染作業のシーン



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by cinema-tohoku | 2015-08-05 11:19 | 映画 | Comments(0)

 もう一つ、昔観た映画の思い出を…。

 以前「春…そして旅立ち」にも書きましたが、私は1971年大学卒業の時、大きな決断をして映画の道に自らを導いて参りました。

 そこにはまさに、青春なるが故の感動があり、悩みがあり、そして挫折もありました。

 そして、そんな時代を共有した友もいたのでした。

 私は、1967年東京の大学に入学しました。

 幸い、父親の会社の子弟寮が東京にあり、入学と同時に私はこの寮の寮生となったのでした。

 そしてそこには、同じ時代を生きる、同じ釜の飯を食った仲間たちもいたのでした。

ギターが得意で、一緒にいると不思議に人の心を安らかにさせたI、哲学科に籍を置き、常に時代に迷いながらも最後は天職たる教師に自らの道を拓いたF、そして一旦は大学を卒業しながらも映画への道を志して、東京の専門学校に入学したKさん…。

私たちは夜が明けるまで語り合い、登山をし、そしてそこにはいくつかの恋もありました。

 そんな私たちはいつの間にか、Kさんを中心に地域に向けた映画サークルをつくるに至っていたのでした。

 私たちは16mm映写機を担いで数々の映画の上映会を行い、映画を通して人と巡り合い、そしてこれまで知ることのなかった数々の世界も学んでゆきました。

 そんな活動の中で巡りあった映画の一つに「若者たち」(1967年俳優座製作)がありました。

 親と死に別れ、都会の片隅で肩を寄せ合って生きる5人の兄弟…。

 そこには時代と向かい合う若者たちの喜びが、葛藤が、そして挫折がありました。

 この作品の上映を私たちは、無謀にも松戸市民会館大ホール(1000席)を会場に取り組み、会場を満席に埋める大成功をおさめたのでした。

 そして、この日スクリーンを見つめる私の目には涙が次から次へとあふれたのでした。

 若者たちが押しつぶされそうになりながらも精一杯時代へと向かい合い、そこから自らの未来を切り拓こうとする姿に、私の胸は熱い感動でいっぱいになったのでした。

 ちょうど卒業の年を迎え、自らの社会での道を悩みながらも探っていた私にとって、この感動は自らの人生を決める大きな契機ともなったのでした。

 「君の行く道は果てしなく遠い、だのに何故歯をくいしばり…」

 人の一生に影響を与える…、そんな作品をお届けしてゆきたいものです。

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映画「若者たち」(1967年俳優座製作)



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by cinema-tohoku | 2015-07-21 15:07 | 映画 | Comments(0)


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 これまで私は一体何本の映画を観て来たのでしょうか。

 それを今計るすべはありませんが、ここに至るまで数々の映画を通して自らの心を育んできたことを実感しています。

 そんな数々の作品の中で一番私の心に残っている作品をあえてあげるなら、それは「二十四の瞳」なのです。

 小学生の時、先生が学年全員を引率して街の映画館で観せてくれた時の感動を今でもありありと思い出すことが出来ます。

 子どもたちのいたずらで足を怪我し、学校を休んでいた大石先生に会いたい一心で、遠い道のりを大石先生の家に泣きながら向かう子どもたちの姿に涙…、そしてラストシーン、戦争で失明した磯吉が小学生の頃の記念写真を指でたどる姿に又又涙…。

 とにかく数々の感動で胸が熱く満たされたことを、今でもありありと思い出します。

 しかしながら、改めてこの作品の概要を振り返ってびっくりさせられました。

 この作品の公開年はなんと1954年、おそらくこの年に私が観たのだとするなら私たちは当時小学一年生、又この作品はなんと156分におよぶ長尺の作品、そして何より、木下惠介監督渾身の思いを込めた「平和」へのメッセージが込められた作品なのでした。

 あの頃の先生たちはきっと、本当に素晴らしい作品は、たとえ学齢が低くとも子どもたちの胸に届くことを信じて、確信を持って私たちと向かい合っていましたし、又そんな先生たちの思いを受け止め、いつまでも続く平和への願いをしっかりと胸に刻み付けた私たちでもありました。

 何と大らかな、そして信頼に満ちあふれたあの時代の中に、心を成長させていた私たちでありました。

 このブログを書いている今日は、715日です。

 先ほど国会の委員会で安保関連法案の強行採決が行われた…との報に接して暗澹たる思いにさせられています。

 何と憲法違反の声さえ無視して、日本を再度戦争の出来る国に変えようとする現政権のありようには強い危惧の念を抱かざるを得ません。

戦後の民主主義の時代に育ち、数々の映画を通して「平和の尊さ」を心に刻んで来たのですから…。

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by cinema-tohoku | 2015-07-17 11:21 | 映画 | Comments(0)