カテゴリ:映画( 56 )

 ていねいに、そして、時間もかけながら準備が進められていた映画「君の笑顔に会いたくて」宮城県製作上映運動の第一歩が324日全国に向けて踏み出されました。 

 この日は、映画「君の笑顔に会いたくて」製作と上映を支える宮城県民の会の発会総会、そして引き続く製作発表会、更には記念パーティが行われ、東京からご参加いただいた監督、出演者の洞口さん、筧さんを始めとしたこの映画にご賛同の県内の関係者80名が見守る中で、子どもたちの輝く未来を語る県民運動はそのスタートを切ることとなりました。

 振り返ってみれば、宮城県から「地域社会と家族の再生」や「子どもたちの健やかな未来」を願って県民が手を携えた映画製作運動は、今回で4回目を数えることとなったのです。

 その1回目は2004年製作された、長編アニメーション映画「ハードル」の県民運動でした。

“いじめ”をのりこえて未来に向けて育とうとする子どもたちを描いたこの作品の、製作にあたって、宮城県古川市(現大崎市)の市民の方々はその製作の舞台として名乗りをあげて下さいました。

 そして、製作支援県民運動として、<映画「ハードル」をつくる古川・大崎・みやぎの会>をたちあげて下さり、数多くの市民、県民の手を携えた製作運動に支えられ、この作品は古川市から全国に向けて旅立ったのでした。

 2回目の県民運動は2011年完成の「エクレール・お菓子放浪記」製作支援運動でした。

“支えあう人の心のやさしさ”を合言葉に、主要な舞台となった石巻市からあがった製作を願うお声は、たちまちのうちに全県に拡がり、県知事を先頭にした製作支援運動はまさに物心両面でこの映画を支え、20112月作品は完成を迎えました。

 そして全国発信の第一歩として、東京で完成披露試写会を開催したのは翌月310日のことでした。

 試写会は見事に成功をおさめ、いよいよ全国発信と思った何とその翌日、あの大惨禍が撮影地と東北での上映を全て破壊して行ったのでした。

 それでもそれ以降、この作品は被災地支援の象徴とも語られ、全国827ヶ所、45万人の観客の胸に届くことになったのでした。

 そして、3回目は2013年製作の「じんじん」でございました。

 北海道剣渕町と並ぶロケ地に、主演の大地さんの願いで松島が選ばれたのは、その

世界にも誇る美しい景観と、被災地支援に寄せる思いからでした。

 この報を松島町民は大きな喜びで受け止めて下さり、村井知事を先頭にした県民運動で製作を支えて、この作品は完成後全国550ヶ所、26万人のやさしい心をつなぐこととなりました。

 これ程連続して、映画を通した全国発信の県民運動が展開されて来たのは、宮城県以外にはなかったのだと思います。

 まさに、「心やさしき地域社会」と「子どもたちの未来」を願う宮城県民の全国に誇るべき、これは足跡でもありました。

 そして、この度の「君の笑顔に会いたくて」は数えて4回目の県民運動となったのです。

 県内にそして、全国に子どもたちの笑顔が輝く未来を夢見て・・・。

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右から、洞口さん、原作大沼さん、筧さん


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by cinema-tohoku | 2017-03-30 09:44 | 映画 | Comments(0)

 映画「君の笑顔に会いたくて」製作準備に追われていました。

 映画の製作は、その完成にたどり着くまでに、いくつもの段階がありますが、その一つに、ロケーションハンティングの作業があります。

 シナリオが完成しますと、各シーン毎に、撮影場所を決めなければなりません。

 監督の描く情景のイメージを受けて、それぞれのシーンに撮影場所を当てはめていく作業がロケーションハンティング、通称ロケハンと呼ばれる作業です。

 幸い「君の笑顔に会いたくて」では、メインの撮影地となる宮城県名取市、岩沼市の市民の方々がロケハンに乗り出して下さり、いくつかの候補地を挙げて検討に入っていました。

 その中で問題となったのが、この映画のラストシーンで、とても大切なシーンの設定の件でした。

 心ならずも犯罪を犯した少年が刑期を終え、新たな出発を主人公に誓うラストシーンは、この二人を祝福する様に満開の桜の下で‥…となっているのです。

 クランクインが4月半ばに決まりましたが、この頃にはおそらく名取、岩沼周辺の桜は散っている可能性が大、気まぐれな桜の開花に対応できる別途の撮影地が必要となったのでした。

 ここに登場したのが宮城県川崎町でした。

 川崎町は、宮城県の西部、蔵王山麓に拡がる地で、平野部よりは遅い桜となることが予想される地でした。

 又、この川崎町は原作者大沼さんのご出身地でもあり、更に川崎町の町長さんは県内でも屈指の映画好き・・・・これまでもシネマとうほくの作品も町内での上映にお取り上げていただいて来た熱い心をお持ちの方でした。

 早速町長さんをお訪ねして、ご相談したところ、私の願いをご快諾いただき、先日のロケハンには、何と町長さん自らご案内役を買っていただいたのでした。

 半日をかけて町内の桜のスポットをご案内いただき、ロケハン終了後は、おいしおそばまでごちそうになり、ロケハンは無事終了したのでした。

 感動的なシーンとなるだろうこの映画のラストシーンには、川崎町の見事な桜がまさに花を添えてくれるものと思います。

 お楽しみに‥‥。

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川崎町長さんとお蕎麦屋さんで



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by cinema-tohoku | 2017-03-27 16:16 | 映画 | Comments(0)
 一本の映画を企画して、これを無事完成に導くまでには、不測の事態も含め何やかやあるものなのです。
 しかも、この度の「君の笑顔に会いたくて」は、極めて短時間の中に全てが集中してしまい、これに追われて、てんやわんやの毎日です。
 不測の事態とは、急な監督の交替でした。
 当初から監督に予定して、ここまでシナリオ作り等、ご一緒にやって来た初山監督が、お体の事情で急に降板せざるを得なくなったのでした。
 まさに予測もしていなかった事態ではありましたが、シナリオはここまでにほぼ完成となっていましたし、初山さんが後任に指名した植田さんは、当初からこの映画づくりに加わっていたこともあり、何とか乗り越えることが出来たのでしたが、この間空費してしまった時間のロスが今、大きく私たちの前にのしかかって来たのでした。
 まずもってキャスティングの件がありました。
 これは、キャスティングを担当するプロデューサーのまさに獅子奮迅の努力で、幸い手当てが出来ました。
 主役の保護司役には、監督の熱い要請で演技派女優の洞口依子さん、その夫役には筧利夫さん、そして更に石丸謙二郎さん、かとうかず子さん、雛形あきこさん、等々‥…。
 こんな短時間によくも・・・と思う多彩なキャスティングとなりました。
 次に、シナリオに基づくロケ地選定の「ロケハン」の課題がありました。
 これは、ロケ地となる宮城県名取市、岩沼市、川崎町の方々の献身的なご助力で短時間の中に急速に展開し始めました。
 又、出演者のオーディションを東京と仙台で行うこととなり、このお知らせと対応…。ロケ隊受け入れの宿等の手配。
 そして、324日に予定した「製作上映支援宮城県民の会」発会総会と、引き続き行われる「製作発表会」の準備等々・・・。
 こんな全てのことが、416日に予定されたクランクインまでに行わなければならないのです。
 以前、私たちが製作した「エクレール・お菓子放浪記」では数ヶ月かけて準備していたことを、1ヶ月程の中につめ込まなければならない、この度の製作準備は、私に緊張の毎日を強いているのです。
 それでも、私たちが企画した映画が、一歩一歩その形を整え、更にはこの映画づくりに多くの宮城県民の手が添えられ始めて来ていることに、喜びを感じざるを得ないのです。
 まさに目の回るような緊張の日は、4月下旬のクランクアップまでは続きそうです。

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by cinema-tohoku | 2017-03-10 17:27 | 映画 | Comments(0)

 長編アニメーション映画「ちえりとチェリー」宮城県上映運動が、数々のドラマと感動を紡ぎながら、この度無事に終了を迎え、この上映運動の推進役だった、映画「ちえりとチェリー」宮城県上映推進委員会の閉会総会が開かれ、長かった上映運動に終止符を打ちました。

 振り返って見れば、足かけ3年に及ぶ長い長い運動の足跡でした。

 子どもたちの心の成長と被災地支援の願いを携えて製作側から持ち込まれたこの作品は、見事な完成度と、掲げるテーマ“命の輝き”がきらめいていた素敵な作品でした。

 配給をお引き受けして、先ずは被災地での上映を・・・こんな製作側の願いを背に石巻に足を運んだのは2015年秋のことでした。

 そして、私たちの思いを受け止めて上映を実現して下さったのは、石巻子ども劇場のお母さんたちでした。

 短い準備期間でしたが、市民に向けた丁寧な呼びかけは実を結び、20162月震災から4年の記念上映会となった全国初の上映には、多くの親と子が足を運んで下さいました。

 そしてこの日、この作品は全国で初めて子どもたちと向かい合うこととなったのでしたが、この上映に見せた子どもたちの反響はまさに見事なものでした。

 54分の上映時間の間、会場は水を打った如き静けさに包まれ、多くの子どもたちが涙をぬぐいながらこの作品を受け止めてくれたのでした。

 この反響を受け、宮城県全県にわたる上映運動組織は立ち上げられ、そして5000名にのぼる観客と手を携えた子どもの未来を語る上映運動は、この日閉幕を迎えたのでした。

 昨年から今年にかけて、日本の興行界では一本のアニメが驚異的な大ヒットを続けています。

 「君の名は」、昨年夏公開以来、240億円を越える興収をあげた記録的な作品です。

 それにしてもすごい数字なのです・・・・・公開から半年を数えるというのに いまだ興収ベストテンを譲らず、一体どこまで数字を伸ばすのか・・・。

 それでも へその曲がった私は、いささかの違和感をもってこの大ヒットを受け止めています。

 日本人は、いつの間にこんなにも「ムレタガル」様になってしまったのかと・・・。

 街に行列があれば無批判にそこに並び、そして社会の動向に関っては大勢に組する・・・。

 少なくとも映画は、嗜好品としての文化であるのだと思います。

 人がそれぞれに異なる個性を持っているように、人の好みもそれぞれに異なるものだと思えるのに、昨今、まさに一色に染まろうとしているかの如く思えてならないのです。

 そんな傾向が単に映画の枠に止まらずに、多様性を認めない社会の息苦しさにつながらなければ・・・こんなことを危惧せざるを得ないのです。

 ともあれ、こんな時代の中に「ちえりとチェリー」を涙と共に受け止めた宮城の子どもたちの胸にこの作品がいつまでも息づいて欲しい、そしてこの映画との出会いが、子どもたちの人格形成にいささかでも寄与できれば・・・。

 そんな思いを強く抱かせた上映運動でした。

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閉会総会で善意の寄付金が、あしなが育英会に

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by cinema-tohoku | 2017-02-21 16:56 | 映画 | Comments(0)
 新年のごあいさつのブログに触れました。

 私の胸の中に長年にわたって暖め続けて来た企画が、急速にその実現に向けて動き出しました。

仮題ですが「疎開保育園物語」と名付けた作品です。

 
 時は1944年にさかのぼります。

 東京品川区戸越には、子どもたちの命を育む小さな保育所がありました。

 この頃には、戦争もいよいよ敗色が日増しに濃くなり、東京への空襲はもはや避けられないところにまで来ていました。

 そんな状況を背景に、幾度にもわたった議論の末に、戸越保育所は大きな決断を下したのでした。

 子どもたちの命を守るため、日本で初めての保育所の地方への疎開という決断を・・・。

 しかしながら、下は3才からのまだ学齢にはほど遠い子どもたち・・・、保育所は保護者たちに何度も説明会を行い、この決断は実現に向けて動き出したのでした。

 そして194411月、53名の子どもたちと、11人の年若き保母たちとの疎開保育所は、埼玉県平野村の荒れ寺で始まりました。

 いつ果てるとも知れない疎開先での生活の日々は、子どもたちにとっても、そして24時間保育を強いられた保母たちにとっても過酷な毎日でした。

 それでも子どもたちは保母を信頼し、つらくともその生活の中に楽しい思い出も刻みながら育っていました。

 そして、1945310日、東京大空襲の日がやって来たのでした。

 遠くに望む東京の空が赤く染まり、不安な思いで一夜を過ごした保育所は、翌日東京に一人の保母を派遣しました。

 茫然としたまま帰って来た彼女の語る報告に、保母たちは言葉もありませんでした。

 一夜にして沢山の方々の命が奪われ、子どもたちの家族にもその被害はおよんでいたのでした。

 なかでもあの年、やっと3歳を迎えていた健ちゃんは、両親と祖父、幼い妹までもが命を奪われ、一夜にして“孤児”になってしまっていたのでした。

 健ちゃんにその悲しい事実を告げる保母の胸は悲しみにつぶれ、必死にその話を受け止める健ちゃんの目には大粒の涙が光っていました。

それでも戦火から子どもたちの命を守ろうと決意した保母たちは、数々の困難を乗り越えて、19458月、一人の子どもの命も失わずに戦争の終結を迎えたのでした。

 

 日本の歴史の中にほとんど埋もれていたこの事実の映画化企画が初めてあがったのは1984年のことでした。

 映画化を前提としての原作も出版され、準備を進めていたのでしたが、実現出来ずに終わった要因は、学齢前の子どもたちに演技をつけられないのでは・・・との危惧からでした。

それでもこの企画は、私の胸の中に長い年月を経て住み続けていたのでした。

 世に出ることになったきっかけは、日本映画界に数々の足跡を残してきたプロデューサー李鳳宇(リボンウ)さんとの出会いからでした。

李さんとの会話の折にこの企画の話をしたところ、彼は大感激!

 原作を読んだ上で、彼の会社に計り、幸い製作は決定、映画化への道は急速に動き出したのでした。

 いつまでも続く平和と、子どもたちの輝く未来を願って・・・。

 長年の私の夢は、明年春一本の映画となってこの世に生を授かりそうです。

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疎開保育園の保母と子ども


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by cinema-tohoku | 2017-02-09 16:09 | 映画 | Comments(0)

 以前もブログでご紹介しておりました、映画「母」が無事完成を迎え、試写会に行って参りました。
「母」は、これまでも数々の社会的なテーマを取り上げ、旺盛な製作活動を続けて来た、独立プロの老舗、現代ぷろだくしょんが、三浦綾子さんの原作を得て製作に取り組んで来た作品です。
 監督をつとめたのは、御年84歳になられる山田火砂子さん‥…この作品の東北地区配給をお引き受けして以来、何度かにわたってお会いして参りましたが、何せお元気!
お年相応にお足はいささか不自由になってはいるものの、頭とお口はまことにお達者、ご高齢を感じさせない情熱でこの作品の演出にあたられたのでした。
 拝見した作品は、主役をつとめられた寺島しのぶさんの名演につきるものでした。
 秋田県の片田舎、釈迦内村に生まれ、小林家に嫁いで4人の子どもを生み育て、ひたすら夫を信じ、子どもたちを愛しながらその生涯を生き抜いた小林セキの心を、名優寺島さんは見事に演じて私たちに語って下さいました。
 無学で、文字の読み書きも出来なかったセキ……それでも彼女の子どもたちに寄せた純粋な愛は、多喜二の命を奪ったあの時の不当な社会への怒りともなって、彼女を大きく成長させもしたのでした。
 そして、その人生の最後の時を、一人のクリスチャンとして静かに迎えたセキ…。
 そんな 人に向けたセキの無償の愛に彩られた一生を、寺島さんは見事にその演技で私たちに語ってくれたのでした。
 2月から全国、そして東北では5月から始められる「母」の上映。 皆様方のおいでを心よりお待ち申し上げております。

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山田監督と


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by cinema-tohoku | 2017-01-25 11:51 | 映画 | Comments(0)

前回のブログで「君の笑顔の会いたくて」の初山監督について触れました。

今回は、脚本を担当する西井史子さんについて・・・。

西井さんは奈良県にお生まれになり、一般企業の経験を経て、脚本家への道を歩まれた方です。

初山監督とメインスタッフの件で、ご相談していた折に、脚本家の候補として監督から出された西井さんのお名前に私はビックリ!

西井さんは、私にとって忘れることの出来ない製作作品となった「エクレール~お菓子放浪記」の脚本をご担当いただいた方だったのでした。

あの時、東京秋葉原で行われた初めての顔合わせに現れた西井さんのお姿に、ビックリさせられた記憶が今でも鮮明に残っています。

西井さんは、勝手ながら私が描いていた脚本家のイメージとは全く異なるお姿だったからです。

ご年齢は不詳ながら、そのお顔は愛くるしい程の若さに彩られ、語られるお言葉はまるで少女の如き響きとなって私の耳を打ったのでした。

この人が果たして・・・いささかの不安は、その後の脚本の作業で霧散・・・。

とにかく粘り強く彼女は稿を重ねて下さり、見事な決定稿は完成を迎えたのでした。

不思議なご縁で又、ご一緒の仕事となったのですが、彼女は変わらぬ粘りと情熱で完成台本に向けた仕事にあたって下さっています。

私たちが思いを込めて製作にあたるこの作品の、メインスタッフの2名がいずれも私にとってご縁のあった方々・・・。

不思議な運命が、作品の大成功へと私たちを導いてくれているのかも知れません。

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エクレール~お菓子放浪記


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by cinema-tohoku | 2016-12-16 15:34 | 映画 | Comments(0)
 「君の笑顔に会いたくて」の製作準備が進んでいました。

 この作品で監督をつとめることになるのが初山恭洋さんです。

初山さんは北海道にお生まれになり、映像の世界を志し、テレビ・映画界の重鎮深町幸男監督に師事、その後多くのドラマや映画にその演出の腕を磨いて来られた方です。

 私は、2008年に公開となった、映画「那須少年記」の配給で初めてご一緒することになりました。

 風に吹かれれば倒れてしまいそうな細いお体ながら、メガネの奥の瞳に熱い力をたたえて初山さんは私の前に現れました。

 お話をして、その誠実さに心地良い思いにさせられたものでしたが、作品の演出にあたっても彼は、誠実な姿勢で、これにあたったのでした。

 「那須少年記」は、戦後まだ間もない頃の栃木県那須地方を舞台に、大きな、そして美しい自然に育まれながら、その未来に向けて傷つきながらも成長する少年たちの姿を描いた作品でした。

 当然ながら、この作品には多くの少年、少女が出演していました。

 その役を演じたのは、今やすっかり中堅俳優として大活躍の太賀や、まだデビュー間もなかったAKB48の前田敦子など・・・。

 初山さんは、こんな少年、少女たちの実際の心の成長をもねらって、皆で那須に合宿生活、そして撮影にあたっては「順撮り」の手法でこれにあたっていたのでした。

 映画の撮影は普通のケースでは、シナリオの各シーンを順番に撮るのではなく、設定された情景のシーンをそれぞれに全て撮って、後で編集でつないで完成となります。

 その方が、同じ場所に何度も足を運ぶ必要もなく、製作費の節約が計られるからなのです。

しかしながら初山さんは、合宿の期間中に成長するであろう子どもたちの心を信じて、映画ではまれな「順撮り」でこの撮影に望んだのでした。

 彼のねらいは見事に映像化され、担任の先生を守るため、子どもたちが立ち上がったラストシーンでは、彼らは見事な「感動的な演技」でこれに応えてくれたのでした。

 そして、それからずい分の時間が経って又、初山さんとご一緒することになったのです。

 私たちも製作の一翼を担う、そしてここ宮城から発信する心やさしき企画で・・・。

 きっと彼は、その持ち前の誠実さで、私たちの期待に見事に応えてくれることでしょう。


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那須少年記


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by cinema-tohoku | 2016-12-15 17:18 | 映画 | Comments(0)

先日東京出張の折、時間を見つけて一本の映画を観ました。

 今、一本の映画製作の企画を私の胸に暖めていまして、その関わりで観ておこうと思ったからでした。

 2015年、香港映画興行収入No1.に輝いた実話にもとづいたドラマ。

 資金不足で先生が一人も居なくなり、5人の園児が取り残された香港郊外の幼稚園の園長を、信じられない薄給で引き受けた一人の女性・・・。

 それでも彼女の子どもたちに寄せる「教師」としてのこころは、子どもたちを、そしてその親たちの心をもつかみ、廃園寸前だった幼稚園を見事に再生させた、まるでおとぎ話の様な奇跡の物語でした。

 主人公が、困難を承知で園長を引き受けるくだりには若干の無理がありながら、そんなことはいつの間にか忘れさせる心地良いテンポでドラマは進み、そして大団円に・・・。

 観終わった私の胸には幸せな感動が残ったのでした。

 香港映画なのに、派手なバトルもアクションもなく、ひたすら子どもたちの夢を叶えようとする大人達と、その愛情をしっかりと受け止め、自らの未来に向けて成長しようとする子どもたちの姿に、久し振りにたっぷりと涙を流した1時間52分でした。

 統計を取り始めてから24年、毎年右肩上がりで増え続ける「児童虐待」の実相・・・。

横浜で明らかになった、福島から避難生活を送る子どもに浴びせられた不当な“いじめ”と、それを放置した学校の対応のおぞましさ・・・。

 日本での子どもたちを取り巻く実態に日々触れ、何とも暗澹たる思いにさせられていた私の胸を、この映画はさわやかな一陣の風となって吹き抜けたのでした。

 全ての子どもたちに限りない「夢」と「未来」を願う風となって・・・。

 それにしてもこの映画に登場する子どもたちの“演技”の素晴らしさ・・・。

 撮影当時は4才と5才だった子どもたちが繰りひろげる“名演技”にはまさに脱帽の思いでした。

 “子どもと動物に勝る名優はいない”と語られますがまさにその通りの一作。

 皆様もご一見を・・・・・・。

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by cinema-tohoku | 2016-11-28 16:15 | 映画 | Comments(0)

 何度かご紹介していました「君の笑顔に会いたくて」(仮称)の製作準備が進んでいました。

 先日、私たちがこの作品の中で名取市と並んで撮影地として設定したいと願う、岩沼市の市長さんをお訪ねして参りました。

 私の語るこの作品の企画に市長さんは幸いご賛同いただき、ご協力を約して下さいました。

 その折に、市長さんから撮影スポットとしておすすめいただいたのが「千年希望の丘」でした。

先日、名取市を訪れた時、足をのばしてロケハンに行って参りました。

2011年東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた岩沼市沿岸部に震災瓦礫を活用して、最終的には15基の丘を造成し、再度の津波の際にはその力を減衰させ、又震災の記憶を伝えるメモリアル公園としての役割もになってこの丘の事業は始ったのでした。

 いまだにあの日の爪痕が生々しく残る海岸線に、それでもこの丘は広く太平洋と仙台空港を望みながら、スッキリとその存在を主張する様に姿を表していました。

 あれから5年… いまだに深い傷跡を語る町がある反面、その復興に向けて確かな歩みをおこした町もあることを、この丘は私に語ってくれたのでした。

  何とかシナリオを工夫して、この丘が語る「希望」と「未来」へのメッセージを映画の中に取り込んで見たい・・・・そんな思いにさせられたロケハンでした。

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青空を背景にした丘
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中心の慰霊碑



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by cinema-tohoku | 2016-11-16 14:45 | 映画 | Comments(0)