カテゴリ:映画( 51 )

 8月を迎えたというのに、ここ東北の梅雨明けはまだ…、それでも日々つのる暑さは確実に夏の訪れを告げています。

 暑中お見舞い申し上げます。

 皆様方におかれましては ご健勝にてご活躍のことと存じます。

 忘れもしないあの大惨禍から6年の時間が流れて行きました。

 あの日、完成したばかりの「エクレール~お菓子放浪記~」をかばんの中に抱えながら、すさまじい傷跡の石巻に茫然として立ちつくしていた私の姿を忘れることはできません。

 これから私たちがたどる道の先にどんな未来が待っているのか想像すら出来ずに、まさに絶望の淵に立ちつくしていた自らの姿を思いおこしてもいます。

 それでも、あの日以降全国からお寄せいただいた心やさしき人の情けは、ほとんど倒れかけていた私の心を支えて下さり、未来に向けてそっと背を押しても下さいました。

 そしてあの日から、私達シネマとうほくの復興に向けた旅は始まったのでした。

 数々の困難もありました・・・それでも暖かい方々のお手に支えられながら、まるで牛の歩みの様な私たちの歩みは、それでも一歩一歩新たな未来を育んでいたのかも知れません。

 気が付いたら、私たちの手には新たな作品が授かり、そしてその作品は、全国に向けたスタートラインに立っていました。 

 「君の笑顔に会いたくて」、宮城県名取市在住の女性保護司を主人公に、「地域社会と家族の再生」、そして「子どもたちの輝く未来」を語ろうとする作品です。

 極めて限られた予算と厳しい制作条件の中での製作でございました。

 今振り返るなら数々の反省も抱えておりますが、とにかくあの日以降、私共の手によるはじめての映画がこの世に生を授かった思いでございます。

そして、この作品の全国初の試写会が720日・21日両日仙台市と名取市で開催され、製作を支えて下さった県民約800人がご参加して下さいました。

いつもながら、はじめての作品のご披露となる試写会は緊張を強いられます。

手がけて来た作品に込めた思いが観客の胸に伝わったか・・・。

幸い ご覧いただいた方々の反響は上々・・・ 涙をぬぐいながら感動を語るご参加者の姿にホッと胸をなでおろしたのでした。

いよいよ、この作品の県内、そして全国への旅立ちです。

 6年前の大惨禍からの私たちの立ち直りへの願いも語りながら…‥。
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「君の笑顔に会いたくて」


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by cinema-tohoku | 2017-08-01 16:57 | 映画 | Comments(0)

「君の笑顔に会いたくて」の仕事で函館に来ました。

 幸い、函館の更生保護女性会が熱い思いでこの作品を受け止めて下さり、明年秋の1000名目標の上映運動がスタートすることになりました。

 「君の笑顔に会いたくて」・・・ここまでの全国の上映準備は、極めて順調に進んでいました。

 この作品の持っている今日的な意義と、テーマの分かりやすさがその一つの要因だと思いますが、併せてここまでにていねいに、そして順序をたがえずに進めて来た配給の仕事の反映だろうとも思います。

 法務省、そして更生保護関係団体を中心に、上映支援の輪は全国に拡がり、上映を望むお声は相当の地から届けられるようになって来ました。

 これこそが、私たちJSNの掲げるスローシネマの仕組みなのかも知れません。

 作品が完成してから上映に向けて動き出すのではなく、企画段階で基本的な配給方針を定め、それに基づいて順序良く各方面に働きかけ、完成までには全国上映の大きな流れをつくり上げる・・・。

 「君の笑顔に会いたくて」が、これも新たな映画配給の道を語ることになれば・・・と願っています。

 仕事が早めに終わり、今日の泊りは函館・・・思いたって夕刻の函館散策に・・・。

 この町は、私が幼稚園から小学校3年生までを過ごした懐かしい町・・・。

 私のいささか長くなってしまった人生の中で、最も輝く時代をつくってくれた町であり、数々のなつかしい思い出を私の胸に刻んだ町でもありました。

 古い記憶をたどってたどり着いた、少年時代の街杉並町は、あっけない程の小さな街路でありました。

 子ども時代の記憶にあるこの街は、もっと大きなそれであったと思えるのに…。

 そもそも子どもは、果てしないほど大きな未来と夢をその胸の中にあたためながら育っているものなのだと思うのです。

 いまだに沢山の未知の世界をその胸にかかえた子どもたちにとって、取りまく回りの環境も、その目には大きく映るものなのかも知れません。

 年も重ね、そんな未来への夢の一つ一つが現実の生活の中に整理され、未知なるものも段々と少なくなってしまった私の目に映じたこの街路の小ささは、いささかの哀しさをも私に語ったのでした。

 それでも、間もなく生まれようとしている一本の映画が、着々とその輪を全国に拡げ様としていることに一人納得して、疲れた体を居酒屋のカウンターにゆだね、今日一日をおだやかに振り返ったのでした。

 明日からは又、連日の旅となることを一時忘れて・・・。

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夕暮れの大森浜からは、啄木が眠る立待岬が


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by cinema-tohoku | 2017-07-03 12:25 | 映画 | Comments(0)
 以前のブログに触れました。
 私の胸の中に長年にわたってあたため続けていた企画が、その実現に向けた歩みをおこしていました。
 「疎開保育園物語」(仮題)、あの戦火の時代に、子どもたちの命を必死の思いで守り通した保母たちと、その庇護の翼に守られ平和をとりもどした世界に飛びたって行った子どもたちの物語です。
 そして、このドラマには、その核になる一人の少年が居ました。
 健ちゃん・・・。
 あの時やっと4歳を迎えていた健ちゃんは、1945310日の東京下町を焼き尽くした業火で家族の全てを失い、一夜にして孤児となってしまったのでした。
 原作者 久保さんのお計らいで、あれから72年を経た健ちゃんとお会い出来ました。
 小さなお体に、それでも笑顔で目を細めたおやさしいお姿で健ちゃんは私たちの前に座って下さりました。
 お会いするなり健ちゃんは私に今日の面会のためにご自身の思いを書きつけた一枚のペーパーを渡して下さいました。
 そこには、精いっぱいの思いで映画をスタートさせようとする私たちへの感謝の思いが綴られていました。
 健ちゃんは疎開保育所閉所のあと、新潟県のおじさんに引きとられて苦難の戦後の歩みを始めたことをとつとつとした、それでも心を込めた語り口で語ってくれました。
 中学卒業後就職し、その後幸せな結婚もし、お嬢様2人に恵まれ、今は孫が2人もいることも・・・。
 だんだんとものが言えない時代になってきたように思う...こんな危惧も語りながら健ちゃんは、自分は巡り合わせで神様に生かされてきたのだと…それなればこそ今、平和の尊さを語る責任がある…生き残ったものとして・・・こんな思いを決意を込めた表情で私たちに語って下さいました。
 人に対しての〝善意〟だけを頼りに生きて来たことをうかがわせる健ちゃんに、72年前の自らの幼い姿とスクリーンで再会をさせたい・・・。
 そんな思いを強く胸に刻んだご面会でした。
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健ちゃんと原作者久保さん


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by cinema-tohoku | 2017-06-23 13:05 | 映画 | Comments(0)

 三浦綾子原作「母」が、現代ぷろだくしょんの手で映画化されたことは、以前のブログで触れました。

 東北での配給をお引き受けして以来、この作品を多くの方々の胸にお届けするべく努力を重ねて参りましたが、幸い、久しぶりにと思える程、東北での上映は各県の中に拡がり、ゴールデンウィーク最後の5月6日、このトップを切った宮城県多賀城文化センターでの上映が、見事なトップランナーの役割を果たしてくれました。

この上映を担った上映実行委員会では、いかにしたらこの映画を多くの方々にご覧いただけるか、幾度にもわたって議論を重ねて来ました。その中から浮かび上がって来た上映のすすめ方は、単に地区内の団体に券をお願いするだけではなく、映画上映成功にご賛同いただける数多くの方々に、「ご賛同者」としてお名前を連ねていただき、この方々と手を携えて成功をめざそうとの方針でした。

これを受けて実行委員会のメンバーは、地域への旺盛な働きかけを行い、集まった「ご賛同者」は何と321名にのぼりました。

この方々は、それぞれのよって立つお立場をこえ、「平和」と「民主主義」を語るこの映画上映成功の一点で実行委員会のお呼びかけに応えてくれた心やさしき市民の方々でした。

そして迎えた上映当日、初回の上映では500席の会場が満席に埋まり、結果的には650名の上映として大成功を収めることになったのでした。

上映成功に頬を染めた実行委員会のメンバーのお顔に、私もほっと胸をなでおろしたのでした。

それにしても上映会においでいただいた方々のほとんどは、ご高齢のしかも“女性„・・・。

まさに数える程しか見えない男性の姿に、男にとってもはや文化は生活の中からかけ離れた存在になってしまったのでは・・・いささかの寂しい思いも味わった上映会場でした。

 いよいよこれから各地での上映・・・人と人を信じ愛し合える社会実現のため、更に上映の輪を大きく拡げて行きたいものです。

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満員の上映会場



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by cinema-tohoku | 2017-05-10 11:27 | 映画 | Comments(0)
 「君の笑顔に会いたくて」の撮影が始まっていました。
 撮影現場は製作スタッフのもの…と決め込んで、私は全国の保護観察所回りに精を出しておりましたので、ほとんど現場には足を運んでいませんでしたが、この日は大阪からのお客様があり、お連れして久し振りの現場でした。

 なかなか天候に恵まれず、苦労の連続の撮影だった様でしたが、この日は一転しての晴天

 映画のラストシーンで、刑期を終えた啓太が、担当保護司だった香苗に自らの新たな出発を誓う、・・・このドラマにとって、とても大切なシーンの撮影の日でした。

 シナリオに語られた“2人を祝福する様な見事な満開の桜・・・„そのままに、撮影地となった、川崎町釜房湖畔の桜は、散りはじめの素晴らしい姿を私たちの前に披露してくれました。

 啓太を待っていた香苗の“おかえり„ そして、それに答える啓太の“ただいま„ これだけのシーンでしたが、啓太の一言がなかなかむずかしかった様で、何度も監督のNGが・・・ やっとOKが出た時は、スタッフたちのほっとした思いが、思わず一つにつながった春の一日の撮影現場でした。

 社会に目をやるなら、信じ難い出来事が毎日の様に報じられています。

 それでも、人を信じて、限りない人の未来をも語ろうとするこの作品は、多くの方々に支えられながら、7月末にこの世に生を受けることになるのです・・・。

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桜満開の現場


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by cinema-tohoku | 2017-04-27 17:38 | 映画 | Comments(0)

 ていねいに、そして、時間もかけながら準備が進められていた映画「君の笑顔に会いたくて」宮城県製作上映運動の第一歩が324日全国に向けて踏み出されました。 

 この日は、映画「君の笑顔に会いたくて」製作と上映を支える宮城県民の会の発会総会、そして引き続く製作発表会、更には記念パーティが行われ、東京からご参加いただいた監督、出演者の洞口さん、筧さんを始めとしたこの映画にご賛同の県内の関係者80名が見守る中で、子どもたちの輝く未来を語る県民運動はそのスタートを切ることとなりました。

 振り返ってみれば、宮城県から「地域社会と家族の再生」や「子どもたちの健やかな未来」を願って県民が手を携えた映画製作運動は、今回で4回目を数えることとなったのです。

 その1回目は2004年製作された、長編アニメーション映画「ハードル」の県民運動でした。

“いじめ”をのりこえて未来に向けて育とうとする子どもたちを描いたこの作品の、製作にあたって、宮城県古川市(現大崎市)の市民の方々はその製作の舞台として名乗りをあげて下さいました。

 そして、製作支援県民運動として、<映画「ハードル」をつくる古川・大崎・みやぎの会>をたちあげて下さり、数多くの市民、県民の手を携えた製作運動に支えられ、この作品は古川市から全国に向けて旅立ったのでした。

 2回目の県民運動は2011年完成の「エクレール・お菓子放浪記」製作支援運動でした。

“支えあう人の心のやさしさ”を合言葉に、主要な舞台となった石巻市からあがった製作を願うお声は、たちまちのうちに全県に拡がり、県知事を先頭にした製作支援運動はまさに物心両面でこの映画を支え、20112月作品は完成を迎えました。

 そして全国発信の第一歩として、東京で完成披露試写会を開催したのは翌月310日のことでした。

 試写会は見事に成功をおさめ、いよいよ全国発信と思った何とその翌日、あの大惨禍が撮影地と東北での上映を全て破壊して行ったのでした。

 それでもそれ以降、この作品は被災地支援の象徴とも語られ、全国827ヶ所、45万人の観客の胸に届くことになったのでした。

 そして、3回目は2013年製作の「じんじん」でございました。

 北海道剣渕町と並ぶロケ地に、主演の大地さんの願いで松島が選ばれたのは、その

世界にも誇る美しい景観と、被災地支援に寄せる思いからでした。

 この報を松島町民は大きな喜びで受け止めて下さり、村井知事を先頭にした県民運動で製作を支えて、この作品は完成後全国550ヶ所、26万人のやさしい心をつなぐこととなりました。

 これ程連続して、映画を通した全国発信の県民運動が展開されて来たのは、宮城県以外にはなかったのだと思います。

 まさに、「心やさしき地域社会」と「子どもたちの未来」を願う宮城県民の全国に誇るべき、これは足跡でもありました。

 そして、この度の「君の笑顔に会いたくて」は数えて4回目の県民運動となったのです。

 県内にそして、全国に子どもたちの笑顔が輝く未来を夢見て・・・。

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右から、洞口さん、原作大沼さん、筧さん


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by cinema-tohoku | 2017-03-30 09:44 | 映画 | Comments(0)

 映画「君の笑顔に会いたくて」製作準備に追われていました。

 映画の製作は、その完成にたどり着くまでに、いくつもの段階がありますが、その一つに、ロケーションハンティングの作業があります。

 シナリオが完成しますと、各シーン毎に、撮影場所を決めなければなりません。

 監督の描く情景のイメージを受けて、それぞれのシーンに撮影場所を当てはめていく作業がロケーションハンティング、通称ロケハンと呼ばれる作業です。

 幸い「君の笑顔に会いたくて」では、メインの撮影地となる宮城県名取市、岩沼市の市民の方々がロケハンに乗り出して下さり、いくつかの候補地を挙げて検討に入っていました。

 その中で問題となったのが、この映画のラストシーンで、とても大切なシーンの設定の件でした。

 心ならずも犯罪を犯した少年が刑期を終え、新たな出発を主人公に誓うラストシーンは、この二人を祝福する様に満開の桜の下で‥…となっているのです。

 クランクインが4月半ばに決まりましたが、この頃にはおそらく名取、岩沼周辺の桜は散っている可能性が大、気まぐれな桜の開花に対応できる別途の撮影地が必要となったのでした。

 ここに登場したのが宮城県川崎町でした。

 川崎町は、宮城県の西部、蔵王山麓に拡がる地で、平野部よりは遅い桜となることが予想される地でした。

 又、この川崎町は原作者大沼さんのご出身地でもあり、更に川崎町の町長さんは県内でも屈指の映画好き・・・・これまでもシネマとうほくの作品も町内での上映にお取り上げていただいて来た熱い心をお持ちの方でした。

 早速町長さんをお訪ねして、ご相談したところ、私の願いをご快諾いただき、先日のロケハンには、何と町長さん自らご案内役を買っていただいたのでした。

 半日をかけて町内の桜のスポットをご案内いただき、ロケハン終了後は、おいしおそばまでごちそうになり、ロケハンは無事終了したのでした。

 感動的なシーンとなるだろうこの映画のラストシーンには、川崎町の見事な桜がまさに花を添えてくれるものと思います。

 お楽しみに‥‥。

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川崎町長さんとお蕎麦屋さんで



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by cinema-tohoku | 2017-03-27 16:16 | 映画 | Comments(0)
 一本の映画を企画して、これを無事完成に導くまでには、不測の事態も含め何やかやあるものなのです。
 しかも、この度の「君の笑顔に会いたくて」は、極めて短時間の中に全てが集中してしまい、これに追われて、てんやわんやの毎日です。
 不測の事態とは、急な監督の交替でした。
 当初から監督に予定して、ここまでシナリオ作り等、ご一緒にやって来た初山監督が、お体の事情で急に降板せざるを得なくなったのでした。
 まさに予測もしていなかった事態ではありましたが、シナリオはここまでにほぼ完成となっていましたし、初山さんが後任に指名した植田さんは、当初からこの映画づくりに加わっていたこともあり、何とか乗り越えることが出来たのでしたが、この間空費してしまった時間のロスが今、大きく私たちの前にのしかかって来たのでした。
 まずもってキャスティングの件がありました。
 これは、キャスティングを担当するプロデューサーのまさに獅子奮迅の努力で、幸い手当てが出来ました。
 主役の保護司役には、監督の熱い要請で演技派女優の洞口依子さん、その夫役には筧利夫さん、そして更に石丸謙二郎さん、かとうかず子さん、雛形あきこさん、等々‥…。
 こんな短時間によくも・・・と思う多彩なキャスティングとなりました。
 次に、シナリオに基づくロケ地選定の「ロケハン」の課題がありました。
 これは、ロケ地となる宮城県名取市、岩沼市、川崎町の方々の献身的なご助力で短時間の中に急速に展開し始めました。
 又、出演者のオーディションを東京と仙台で行うこととなり、このお知らせと対応…。ロケ隊受け入れの宿等の手配。
 そして、324日に予定した「製作上映支援宮城県民の会」発会総会と、引き続き行われる「製作発表会」の準備等々・・・。
 こんな全てのことが、416日に予定されたクランクインまでに行わなければならないのです。
 以前、私たちが製作した「エクレール・お菓子放浪記」では数ヶ月かけて準備していたことを、1ヶ月程の中につめ込まなければならない、この度の製作準備は、私に緊張の毎日を強いているのです。
 それでも、私たちが企画した映画が、一歩一歩その形を整え、更にはこの映画づくりに多くの宮城県民の手が添えられ始めて来ていることに、喜びを感じざるを得ないのです。
 まさに目の回るような緊張の日は、4月下旬のクランクアップまでは続きそうです。

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by cinema-tohoku | 2017-03-10 17:27 | 映画 | Comments(0)

 長編アニメーション映画「ちえりとチェリー」宮城県上映運動が、数々のドラマと感動を紡ぎながら、この度無事に終了を迎え、この上映運動の推進役だった、映画「ちえりとチェリー」宮城県上映推進委員会の閉会総会が開かれ、長かった上映運動に終止符を打ちました。

 振り返って見れば、足かけ3年に及ぶ長い長い運動の足跡でした。

 子どもたちの心の成長と被災地支援の願いを携えて製作側から持ち込まれたこの作品は、見事な完成度と、掲げるテーマ“命の輝き”がきらめいていた素敵な作品でした。

 配給をお引き受けして、先ずは被災地での上映を・・・こんな製作側の願いを背に石巻に足を運んだのは2015年秋のことでした。

 そして、私たちの思いを受け止めて上映を実現して下さったのは、石巻子ども劇場のお母さんたちでした。

 短い準備期間でしたが、市民に向けた丁寧な呼びかけは実を結び、20162月震災から4年の記念上映会となった全国初の上映には、多くの親と子が足を運んで下さいました。

 そしてこの日、この作品は全国で初めて子どもたちと向かい合うこととなったのでしたが、この上映に見せた子どもたちの反響はまさに見事なものでした。

 54分の上映時間の間、会場は水を打った如き静けさに包まれ、多くの子どもたちが涙をぬぐいながらこの作品を受け止めてくれたのでした。

 この反響を受け、宮城県全県にわたる上映運動組織は立ち上げられ、そして5000名にのぼる観客と手を携えた子どもの未来を語る上映運動は、この日閉幕を迎えたのでした。

 昨年から今年にかけて、日本の興行界では一本のアニメが驚異的な大ヒットを続けています。

 「君の名は」、昨年夏公開以来、240億円を越える興収をあげた記録的な作品です。

 それにしてもすごい数字なのです・・・・・公開から半年を数えるというのに いまだ興収ベストテンを譲らず、一体どこまで数字を伸ばすのか・・・。

 それでも へその曲がった私は、いささかの違和感をもってこの大ヒットを受け止めています。

 日本人は、いつの間にこんなにも「ムレタガル」様になってしまったのかと・・・。

 街に行列があれば無批判にそこに並び、そして社会の動向に関っては大勢に組する・・・。

 少なくとも映画は、嗜好品としての文化であるのだと思います。

 人がそれぞれに異なる個性を持っているように、人の好みもそれぞれに異なるものだと思えるのに、昨今、まさに一色に染まろうとしているかの如く思えてならないのです。

 そんな傾向が単に映画の枠に止まらずに、多様性を認めない社会の息苦しさにつながらなければ・・・こんなことを危惧せざるを得ないのです。

 ともあれ、こんな時代の中に「ちえりとチェリー」を涙と共に受け止めた宮城の子どもたちの胸にこの作品がいつまでも息づいて欲しい、そしてこの映画との出会いが、子どもたちの人格形成にいささかでも寄与できれば・・・。

 そんな思いを強く抱かせた上映運動でした。

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閉会総会で善意の寄付金が、あしなが育英会に

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by cinema-tohoku | 2017-02-21 16:56 | 映画 | Comments(0)
 新年のごあいさつのブログに触れました。

 私の胸の中に長年にわたって暖め続けて来た企画が、急速にその実現に向けて動き出しました。

仮題ですが「疎開保育園物語」と名付けた作品です。

 
 時は1944年にさかのぼります。

 東京品川区戸越には、子どもたちの命を育む小さな保育所がありました。

 この頃には、戦争もいよいよ敗色が日増しに濃くなり、東京への空襲はもはや避けられないところにまで来ていました。

 そんな状況を背景に、幾度にもわたった議論の末に、戸越保育所は大きな決断を下したのでした。

 子どもたちの命を守るため、日本で初めての保育所の地方への疎開という決断を・・・。

 しかしながら、下は3才からのまだ学齢にはほど遠い子どもたち・・・、保育所は保護者たちに何度も説明会を行い、この決断は実現に向けて動き出したのでした。

 そして194411月、53名の子どもたちと、11人の年若き保母たちとの疎開保育所は、埼玉県平野村の荒れ寺で始まりました。

 いつ果てるとも知れない疎開先での生活の日々は、子どもたちにとっても、そして24時間保育を強いられた保母たちにとっても過酷な毎日でした。

 それでも子どもたちは保母を信頼し、つらくともその生活の中に楽しい思い出も刻みながら育っていました。

 そして、1945310日、東京大空襲の日がやって来たのでした。

 遠くに望む東京の空が赤く染まり、不安な思いで一夜を過ごした保育所は、翌日東京に一人の保母を派遣しました。

 茫然としたまま帰って来た彼女の語る報告に、保母たちは言葉もありませんでした。

 一夜にして沢山の方々の命が奪われ、子どもたちの家族にもその被害はおよんでいたのでした。

 なかでもあの年、やっと5歳を迎えていた健ちゃんは、両親と祖父、幼い妹までもが命を奪われ、一夜にして“孤児”になってしまっていたのでした。

 健ちゃんにその悲しい事実を告げる保母の胸は悲しみにつぶれ、必死にその話を受け止める健ちゃんの目には大粒の涙が光っていました。

それでも戦火から子どもたちの命を守ろうと決意した保母たちは、数々の困難を乗り越えて、19458月、一人の子どもの命も失わずに戦争の終結を迎えたのでした。

 

 日本の歴史の中にほとんど埋もれていたこの事実の映画化企画が初めてあがったのは1984年のことでした。

 映画化を前提としての原作も出版され、準備を進めていたのでしたが、実現出来ずに終わった要因は、学齢前の子どもたちに演技をつけられないのでは・・・との危惧からでした。

それでもこの企画は、私の胸の中に長い年月を経て住み続けていたのでした。

 世に出ることになったきっかけは、日本映画界に数々の足跡を残してきたプロデューサー李鳳宇(リボンウ)さんとの出会いからでした。

李さんとの会話の折にこの企画の話をしたところ、彼は大感激!

 原作を読んだ上で、彼の会社に計り、幸い製作は決定、映画化への道は急速に動き出したのでした。

 いつまでも続く平和と、子どもたちの輝く未来を願って・・・。

 長年の私の夢は、明年春一本の映画となってこの世に生を授かりそうです。

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疎開保育園の保母と子ども


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by cinema-tohoku | 2017-02-09 16:09 | 映画 | Comments(0)