カテゴリ:映画( 55 )

 「君の笑顔に会いたくて」上映の輪が着々と全国へ拡がっていました。

 この拡大の最大の要因は、この映画を通して子どもたちの輝く未来を語ることにご賛同いただいた方々が、心やさしきご支援の手を重ねて下さったことでした。

 そのお一人に宮城県選出衆議院議員 西村明宏さんがいらっしゃいました。

 西村さんは、その選挙地盤が、宮城県名取市を中心としたエリア、以前から原作者の大沼さんとはご交流を重ねていたこともあり、この作品に全面的なご支援をお寄せいただいていました。

 その西村さんのご尽力で、上川法務大臣への表敬訪問が実現したのでした。

 西村さんのご案内で訪れた原作者大沼さんと私を、上川大臣は皇居を望む眺望抜群の大臣室で、満面の笑顔で迎えて下さいました。

 私は、以前 上川大臣とご面識がありました。

 「じんじん」全国上映の折、当時の新藤総務大臣が作品をご覧になり大感激・・・。

 結果、総務省としてこの作品に異例なご支援をいただき、全国上映成功の大きな力となりましたが、上川大臣(静岡県選出)は当時総務副大臣をおつとめでした。

 静岡市での「じんじん」上映の折、実行委員会のメンバーに上川大臣のご友人がおいでで、この方に総務省のご支援の件をお話したところ、すぐに上川総務副大臣(当時)に、ご連絡をとって下さり、ご多忙なお時間を割いて静岡上映の折「じんじん」をご覧いただき、その後短時間でしたがお話をさせていただいたことがございました。

 大臣とのごあいさつの折に、その件をお話しましたところ、幸い覚えておいでで、大変喜んで下さいました。

そして、改めてお話申し上げました「君の笑顔に会いたくて」が語るものに、ご賛同いただき、法務省としての更なるご支援をお約束して下さいました。

こんなにも沢山の方々のお手に支えられながら成長している「君の笑顔に会いたくて」・・・この映画はとても幸せな作品なのかも知れません。

そして、その要因は、この作品が語るものが今、かけがえなく大切なものであることに多くの方々が気付かれたからなのかも知れません。

この輪を、もっともっと大きく育てて行きたいものです。

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西村議員、上川大臣、大沼さんとご一緒に


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by cinema-tohoku | 2017-10-03 16:55 | 映画 | Comments(0)

 朝、暗いうちに起き出して、夜明け前に車で青森県に出発・・・。
 高速にのって迎えた朝は、抜ける様な快晴、いささか冷え込んだ朝だと思ったら、ラジオからは、盛岡の朝の気温は9.3度、今年初の一ケタ台の気温との報せ・・・。
 車窓から望むナナカマドの実はすっかり赤く色づき、季節は一気に秋の装いです。
 以前のブログにも触れましたが、私の長年の企画でした「おおきくなあれ」(仮題)・・・あの戦火の時代に子どもたちの命を守ろうと決意した、若き保母たちの疎開保育園の史実をもとにした映画づくりが動き出していました。
 この企画の実現にあたって、私たちJSNでは、幾度かの会議を開き論議を重ねて来ました。
 そして、その中で大きな論議となったのが製作資金の調達の道についてでした。
 JSN各社とも、残念ながら経済的には厳しい現状・・・各社からの出資では100%の製作費をまかなうことは困難でした。
 それでも、この作品が語る今日的な意義をていねいにお伝えするなら、映画製作にきっと多くの方々がご賛同の手を重ねて下さることを期待して、不足する5000万円の製作費を、一口100万円のご出資による50人のご参加がまかなう方針を立てたのでした。
50人の市民プロデューサーと共に、子どもたちの命と平和を語る歩みをおこして行こうとの願いでした。
そして、この日はこの願いを携えた青森県への旅でした。
訪れた長年の友人、十和田市で小さな印刷屋を営むT氏は、私の願いを受け止めて下さり、何と100万円の現金を準備して私を迎えて下さいました。
この企画の市民プロデューサーのこれが第一号・・・。
 100万円に込めたT氏の平和への願いと、作品への期待をしっかりとカバンに詰めて、次のご依頼先、八戸のA氏とお会いして強行の日帰り出張を終えたのでした。
 この道の先に、平和願う旗が高く掲げられることを信じて・・・。
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津軽平野に裾野を広げる岩木山
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鏡の様な十和田湖



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by cinema-tohoku | 2017-10-02 17:29 | 映画 | Comments(0)

 企画スタートから3年・・・心を込めて努力を重ねて来た映画「君の笑顔に会いたくて」がやっと完成の日を迎え、この映画の発信地となった宮城県仙台市、名取市、そしてそれに引き続いて東京で、相次いで完成披露試写会が開かれ、トータル1,300人にのぼる方々に向けての全国発のご披露となりました。
 振り返って見れば、シネマとうほくとして製作にあたった作品は、数えてこれが4本目の作品。
 幸いなことに、いずれの作品も無事完成の日を迎え、引き続く全国上映も成功をおさめ、製作とご支援いただいた方々への義理も果たせた思いでございましたが、思い起こせばそこまでの道は、そのいずれもが茨の道でありました。
 何もない地平に設計の図を描いて、監督、脚本家とご一緒に作品をつくりあげる道・・・そして、完成した作品を多くの方々にお届けするためにつくりあげる、全国上映の歩むべき道筋とその仕組みづくり…これも又、苦労の創造の産物でありました。
 そして、これまでのいずれの作品もが、当初予定もしていなかった不測の事態に見舞われ、その対応に翻弄されることもございました。
 とても私の力では創り上げられないのでは・・・こんな不安と日々向かい合った映画製作のそれぞれの足跡でもありました。
 そんな道を、まさに一歩一歩拓きながら迎えることとなった完成披露の試写会の場は、それなればこそ有難く、又自らの歩みに一つの区切りをつける場でもございました。
 迎えた「君の笑顔に会いたくて」試写会場‥‥上映終了後、会場から出てきた方々が頬を染めながら語って下さった感動のお言葉に、これまでの苦労がまさに報われた思いにさせられたのでした。
 しかしながら道は まだほんの半ば・・・これから始まる全国上映に向けたもう一段の努力を胸に誓いながら、配給の仲間たちと交したその夜の盃でありました。
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東京も満員でした

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更女 千葉会長のご挨拶



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by cinema-tohoku | 2017-09-12 17:28 | 映画 | Comments(0)

 東北の冷害を語る「やませ」が吹き、何と36日にのぼった連続降雨に、ともすれば暗い思いが語られていた東北に、待ち望んだ夏の訪れを告げるような、素晴らしい「母」の上映会が被災地石巻で行われました。

 石巻での上映活動が始まったのは、まだ冬の寒さの残る3月のことでした。

 この作品の上映を通して、平和と民主主義のこころを市民に語ろうとした人の輪は一歩一歩市内に拡がり、迎えた本上映会は、連日の降雨も朝方にはきれいに晴れあがり、数多くの市民が会場に足を運んで下さいました。

 石巻上映は、震災以降のいくつかのハンディを乗り越えての上映会でした。

 その一つは会場問題・・・。

 あの日おしよせた波の壁は市内中心部を破壊つくし、それ以降は、市中心部には上映が出来る会場がなくなり、どこで上映をするのか、実行委員会では幾度かにわたって議論を重ねました。

 そして、その結果、心を込めて話せば、きっと市民は理解してくれることを信じて、市中心部からは相当に離れた、合併前の隣町、旧河北町にある会場での開催を決めたのでした。

 そして、もう一点、準備段階での不安要因となったのが有料催事となるこの上映会への不安でした。

 2011311日、あの日の大惨禍以降全国からのご支援の手は多くの被災者を励ましました。

 そのご支援の一環に、映画上映やコンサート等文化催事を通したご支援も数多くございました。

 そして、その支援催事は勿論のこと無料でした。

 この心やさしきご支援は多くの被災者を励まし、前進への力となりましたが、一面、文化催事は全て無料で行われる・・・こんな思いもごく当然のこととして受け止める心を市内につくることにもなっていたのでした。

 あの日から既に6年の時間が流れながら、このことはその後の市内での有料催事の実現に影ともなっていたのでした。

こんな いくつかの困難も抱えながらの石巻上映1回目・・・何と会場は満席をこえて超満員、残念ながらご入場できず払い戻しもせざるを得ない状況となったのでした。

この見事な大成功上映会は、平和と民主主義のこころを石巻市民の心に刻んだだけでなく、震災からの復興、そして自立のこころをも熱く語ってくれた様でした。

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超満員の石巻「母」会場



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by cinema-tohoku | 2017-09-04 14:07 | 映画 | Comments(0)
 8月を迎えたというのに、ここ東北の梅雨明けはまだ…、それでも日々つのる暑さは確実に夏の訪れを告げています。

 暑中お見舞い申し上げます。

 皆様方におかれましては ご健勝にてご活躍のことと存じます。

 忘れもしないあの大惨禍から6年の時間が流れて行きました。

 あの日、完成したばかりの「エクレール~お菓子放浪記~」をかばんの中に抱えながら、すさまじい傷跡の石巻に茫然として立ちつくしていた私の姿を忘れることはできません。

 これから私たちがたどる道の先にどんな未来が待っているのか想像すら出来ずに、まさに絶望の淵に立ちつくしていた自らの姿を思いおこしてもいます。

 それでも、あの日以降全国からお寄せいただいた心やさしき人の情けは、ほとんど倒れかけていた私の心を支えて下さり、未来に向けてそっと背を押しても下さいました。

 そしてあの日から、私達シネマとうほくの復興に向けた旅は始まったのでした。

 数々の困難もありました・・・それでも暖かい方々のお手に支えられながら、まるで牛の歩みの様な私たちの歩みは、それでも一歩一歩新たな未来を育んでいたのかも知れません。

 気が付いたら、私たちの手には新たな作品が授かり、そしてその作品は、全国に向けたスタートラインに立っていました。 

 「君の笑顔に会いたくて」、宮城県名取市在住の女性保護司を主人公に、「地域社会と家族の再生」、そして「子どもたちの輝く未来」を語ろうとする作品です。

 極めて限られた予算と厳しい制作条件の中での製作でございました。

 今振り返るなら数々の反省も抱えておりますが、とにかくあの日以降、私共の手によるはじめての映画がこの世に生を授かった思いでございます。

そして、この作品の全国初の試写会が720日・21日両日仙台市と名取市で開催され、製作を支えて下さった県民約800人がご参加して下さいました。

いつもながら、はじめての作品のご披露となる試写会は緊張を強いられます。

手がけて来た作品に込めた思いが観客の胸に伝わったか・・・。

幸い ご覧いただいた方々の反響は上々・・・ 涙をぬぐいながら感動を語るご参加者の姿にホッと胸をなでおろしたのでした。

いよいよ、この作品の県内、そして全国への旅立ちです。

 6年前の大惨禍からの私たちの立ち直りへの願いも語りながら…‥。
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「君の笑顔に会いたくて」


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by cinema-tohoku | 2017-08-01 16:57 | 映画 | Comments(0)

「君の笑顔に会いたくて」の仕事で函館に来ました。

 幸い、函館の更生保護女性会が熱い思いでこの作品を受け止めて下さり、明年秋の1000名目標の上映運動がスタートすることになりました。

 「君の笑顔に会いたくて」・・・ここまでの全国の上映準備は、極めて順調に進んでいました。

 この作品の持っている今日的な意義と、テーマの分かりやすさがその一つの要因だと思いますが、併せてここまでにていねいに、そして順序をたがえずに進めて来た配給の仕事の反映だろうとも思います。

 法務省、そして更生保護関係団体を中心に、上映支援の輪は全国に拡がり、上映を望むお声は相当の地から届けられるようになって来ました。

 これこそが、私たちJSNの掲げるスローシネマの仕組みなのかも知れません。

 作品が完成してから上映に向けて動き出すのではなく、企画段階で基本的な配給方針を定め、それに基づいて順序良く各方面に働きかけ、完成までには全国上映の大きな流れをつくり上げる・・・。

 「君の笑顔に会いたくて」が、これも新たな映画配給の道を語ることになれば・・・と願っています。

 仕事が早めに終わり、今日の泊りは函館・・・思いたって夕刻の函館散策に・・・。

 この町は、私が幼稚園から小学校3年生までを過ごした懐かしい町・・・。

 私のいささか長くなってしまった人生の中で、最も輝く時代をつくってくれた町であり、数々のなつかしい思い出を私の胸に刻んだ町でもありました。

 古い記憶をたどってたどり着いた、少年時代の街杉並町は、あっけない程の小さな街路でありました。

 子ども時代の記憶にあるこの街は、もっと大きなそれであったと思えるのに…。

 そもそも子どもは、果てしないほど大きな未来と夢をその胸の中にあたためながら育っているものなのだと思うのです。

 いまだに沢山の未知の世界をその胸にかかえた子どもたちにとって、取りまく回りの環境も、その目には大きく映るものなのかも知れません。

 年も重ね、そんな未来への夢の一つ一つが現実の生活の中に整理され、未知なるものも段々と少なくなってしまった私の目に映じたこの街路の小ささは、いささかの哀しさをも私に語ったのでした。

 それでも、間もなく生まれようとしている一本の映画が、着々とその輪を全国に拡げ様としていることに一人納得して、疲れた体を居酒屋のカウンターにゆだね、今日一日をおだやかに振り返ったのでした。

 明日からは又、連日の旅となることを一時忘れて・・・。

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夕暮れの大森浜からは、啄木が眠る立待岬が


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by cinema-tohoku | 2017-07-03 12:25 | 映画 | Comments(0)
 以前のブログに触れました。
 私の胸の中に長年にわたってあたため続けていた企画が、その実現に向けた歩みをおこしていました。
 「疎開保育園物語」(仮題)、あの戦火の時代に、子どもたちの命を必死の思いで守り通した保母たちと、その庇護の翼に守られ平和をとりもどした世界に飛びたって行った子どもたちの物語です。
 そして、このドラマには、その核になる一人の少年が居ました。
 健ちゃん・・・。
 あの時やっと4歳を迎えていた健ちゃんは、1945310日の東京下町を焼き尽くした業火で家族の全てを失い、一夜にして孤児となってしまったのでした。
 原作者 久保さんのお計らいで、あれから72年を経た健ちゃんとお会い出来ました。
 小さなお体に、それでも笑顔で目を細めたおやさしいお姿で健ちゃんは私たちの前に座って下さりました。
 お会いするなり健ちゃんは私に今日の面会のためにご自身の思いを書きつけた一枚のペーパーを渡して下さいました。
 そこには、精いっぱいの思いで映画をスタートさせようとする私たちへの感謝の思いが綴られていました。
 健ちゃんは疎開保育所閉所のあと、新潟県のおじさんに引きとられて苦難の戦後の歩みを始めたことをとつとつとした、それでも心を込めた語り口で語ってくれました。
 中学卒業後就職し、その後幸せな結婚もし、お嬢様2人に恵まれ、今は孫が2人もいることも・・・。
 だんだんとものが言えない時代になってきたように思う...こんな危惧も語りながら健ちゃんは、自分は巡り合わせで神様に生かされてきたのだと…それなればこそ今、平和の尊さを語る責任がある…生き残ったものとして・・・こんな思いを決意を込めた表情で私たちに語って下さいました。
 人に対しての〝善意〟だけを頼りに生きて来たことをうかがわせる健ちゃんに、72年前の自らの幼い姿とスクリーンで再会をさせたい・・・。
 そんな思いを強く胸に刻んだご面会でした。
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健ちゃんと原作者久保さん


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by cinema-tohoku | 2017-06-23 13:05 | 映画 | Comments(0)

 三浦綾子原作「母」が、現代ぷろだくしょんの手で映画化されたことは、以前のブログで触れました。

 東北での配給をお引き受けして以来、この作品を多くの方々の胸にお届けするべく努力を重ねて参りましたが、幸い、久しぶりにと思える程、東北での上映は各県の中に拡がり、ゴールデンウィーク最後の5月6日、このトップを切った宮城県多賀城文化センターでの上映が、見事なトップランナーの役割を果たしてくれました。

この上映を担った上映実行委員会では、いかにしたらこの映画を多くの方々にご覧いただけるか、幾度にもわたって議論を重ねて来ました。その中から浮かび上がって来た上映のすすめ方は、単に地区内の団体に券をお願いするだけではなく、映画上映成功にご賛同いただける数多くの方々に、「ご賛同者」としてお名前を連ねていただき、この方々と手を携えて成功をめざそうとの方針でした。

これを受けて実行委員会のメンバーは、地域への旺盛な働きかけを行い、集まった「ご賛同者」は何と321名にのぼりました。

この方々は、それぞれのよって立つお立場をこえ、「平和」と「民主主義」を語るこの映画上映成功の一点で実行委員会のお呼びかけに応えてくれた心やさしき市民の方々でした。

そして迎えた上映当日、初回の上映では500席の会場が満席に埋まり、結果的には650名の上映として大成功を収めることになったのでした。

上映成功に頬を染めた実行委員会のメンバーのお顔に、私もほっと胸をなでおろしたのでした。

それにしても上映会においでいただいた方々のほとんどは、ご高齢のしかも“女性„・・・。

まさに数える程しか見えない男性の姿に、男にとってもはや文化は生活の中からかけ離れた存在になってしまったのでは・・・いささかの寂しい思いも味わった上映会場でした。

 いよいよこれから各地での上映・・・人と人を信じ愛し合える社会実現のため、更に上映の輪を大きく拡げて行きたいものです。

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満員の上映会場



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by cinema-tohoku | 2017-05-10 11:27 | 映画 | Comments(0)
 「君の笑顔に会いたくて」の撮影が始まっていました。
 撮影現場は製作スタッフのもの…と決め込んで、私は全国の保護観察所回りに精を出しておりましたので、ほとんど現場には足を運んでいませんでしたが、この日は大阪からのお客様があり、お連れして久し振りの現場でした。

 なかなか天候に恵まれず、苦労の連続の撮影だった様でしたが、この日は一転しての晴天

 映画のラストシーンで、刑期を終えた啓太が、担当保護司だった香苗に自らの新たな出発を誓う、・・・このドラマにとって、とても大切なシーンの撮影の日でした。

 シナリオに語られた“2人を祝福する様な見事な満開の桜・・・„そのままに、撮影地となった、川崎町釜房湖畔の桜は、散りはじめの素晴らしい姿を私たちの前に披露してくれました。

 啓太を待っていた香苗の“おかえり„ そして、それに答える啓太の“ただいま„ これだけのシーンでしたが、啓太の一言がなかなかむずかしかった様で、何度も監督のNGが・・・ やっとOKが出た時は、スタッフたちのほっとした思いが、思わず一つにつながった春の一日の撮影現場でした。

 社会に目をやるなら、信じ難い出来事が毎日の様に報じられています。

 それでも、人を信じて、限りない人の未来をも語ろうとするこの作品は、多くの方々に支えられながら、7月末にこの世に生を受けることになるのです・・・。

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桜満開の現場


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by cinema-tohoku | 2017-04-27 17:38 | 映画 | Comments(0)

 ていねいに、そして、時間もかけながら準備が進められていた映画「君の笑顔に会いたくて」宮城県製作上映運動の第一歩が324日全国に向けて踏み出されました。 

 この日は、映画「君の笑顔に会いたくて」製作と上映を支える宮城県民の会の発会総会、そして引き続く製作発表会、更には記念パーティが行われ、東京からご参加いただいた監督、出演者の洞口さん、筧さんを始めとしたこの映画にご賛同の県内の関係者80名が見守る中で、子どもたちの輝く未来を語る県民運動はそのスタートを切ることとなりました。

 振り返ってみれば、宮城県から「地域社会と家族の再生」や「子どもたちの健やかな未来」を願って県民が手を携えた映画製作運動は、今回で4回目を数えることとなったのです。

 その1回目は2004年製作された、長編アニメーション映画「ハードル」の県民運動でした。

“いじめ”をのりこえて未来に向けて育とうとする子どもたちを描いたこの作品の、製作にあたって、宮城県古川市(現大崎市)の市民の方々はその製作の舞台として名乗りをあげて下さいました。

 そして、製作支援県民運動として、<映画「ハードル」をつくる古川・大崎・みやぎの会>をたちあげて下さり、数多くの市民、県民の手を携えた製作運動に支えられ、この作品は古川市から全国に向けて旅立ったのでした。

 2回目の県民運動は2011年完成の「エクレール・お菓子放浪記」製作支援運動でした。

“支えあう人の心のやさしさ”を合言葉に、主要な舞台となった石巻市からあがった製作を願うお声は、たちまちのうちに全県に拡がり、県知事を先頭にした製作支援運動はまさに物心両面でこの映画を支え、20112月作品は完成を迎えました。

 そして全国発信の第一歩として、東京で完成披露試写会を開催したのは翌月310日のことでした。

 試写会は見事に成功をおさめ、いよいよ全国発信と思った何とその翌日、あの大惨禍が撮影地と東北での上映を全て破壊して行ったのでした。

 それでもそれ以降、この作品は被災地支援の象徴とも語られ、全国827ヶ所、45万人の観客の胸に届くことになったのでした。

 そして、3回目は2013年製作の「じんじん」でございました。

 北海道剣渕町と並ぶロケ地に、主演の大地さんの願いで松島が選ばれたのは、その

世界にも誇る美しい景観と、被災地支援に寄せる思いからでした。

 この報を松島町民は大きな喜びで受け止めて下さり、村井知事を先頭にした県民運動で製作を支えて、この作品は完成後全国550ヶ所、26万人のやさしい心をつなぐこととなりました。

 これ程連続して、映画を通した全国発信の県民運動が展開されて来たのは、宮城県以外にはなかったのだと思います。

 まさに、「心やさしき地域社会」と「子どもたちの未来」を願う宮城県民の全国に誇るべき、これは足跡でもありました。

 そして、この度の「君の笑顔に会いたくて」は数えて4回目の県民運動となったのです。

 県内にそして、全国に子どもたちの笑顔が輝く未来を夢見て・・・。

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右から、洞口さん、原作大沼さん、筧さん


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by cinema-tohoku | 2017-03-30 09:44 | 映画 | Comments(0)