台風の接近が報じられる悪天候の中、東京新宿の安田生命ホールは、より良き高齢化社会を願う多くの方々で満席に埋まっていました。

 新宿に拠点を置く京王デパートの方から、映画「僕がジョンと呼ばれるまで」の上映についてのお問い合わせがあったのは、まだ新緑がまぶしい春のことでした。

 これにお応えしてお訪ねした私に、京王デパート友の会のご担当者の方はこんな思いを語ってくださいました。

  “京王デパート友の会会員さんの平均年齢は66歳となる・・・。

 そんな会員の方々の最大の不安の一つが認知症についてのこと・・・。

  「僕がジョンと呼ばれるまで」の話を耳にしたが、この作品が会員さんの不安に応

えてくれるものなら上映したい・・・。

一度作品を観せてほしい・・・。

 このご要請にお応えしてDVDをお貸しして数日後、是非上映をしたい・・・とのご連絡があり、この日はいよいよその上映の当日でした。

 あいにくの天候、お客様の出足も心配されましたが、幸い会場は上映前には満席となり、友の会会員の皆様は、時には笑い、そして時には涙を拭きながらこのドキュメンタリー映画を堪能してくださいました。

 それにしてもこの作品、まこと不思議な力をもった作品なのだと思います。

 これまで認知症は、決してその症状が回復することはない、と語られてきました。

 一旦家族がこの病にかかるなら、それは家庭の、そして地域社会の崩壊にもつながることだと思われてきました。

 その認知症が、「読み」「書き」「計算」の「脳トレ」でその症状を改善させることが出来る・・・。

 このことは、超高齢化社会を迎えた今日の社会に差し込んだ見事な一条の光でした。

 上映終了後、交々に感想を語りながら会場を後にした皆様方の笑顔を拝見して、もっと多くの方々にこの作品をお伝えしなければ・・・・・。

 そんな思いを胸に強く刻んだ雨の新宿の一日でした。

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 「母」…こんな題名の作品が今月クランクイン、12月の完成をめざして制作をスタートさせることとなりました。

 製作を手掛るのは現代ぷろだくしょん、日本の独立プロ製作会社としては大いなる「老舗」、その設立は1951年にさかのぼります。

 現代ぷろは、主に「社会派」と呼ばれる作品を数多く手がけ、1956年に公開された八海事件をテーマにとった「真昼の暗黒」は当時のキネ旬ベスト1にも輝くこととなりました。

 私が現代ぷろを知ったのは大学時代でした。

 思いを同じくする仲間たちと地域で映画サークルを立ち上げ、映画を通して社会と向かい合うべく活動を続けていた折、巡り合ったのがこの「真昼の暗黒」でした。

 日本の司法当局が、そして警察権力が、不当にも無実の者に罪をかぶせようとする「冤罪」の実相に慄然とさせられながらも、底流に横たわる「真実」をテンポよく、しかも分かりやすく面白く一本のドラマに仕立てた今井正監督の力量にも感銘したことを記憶しています。

 そして、その次に現代ぷろと巡り合ったのは、私が映画の道に進んでまだ間もない頃、現代ぷろが製作した「はだしのゲン」を通してのことでした。

 一見誇張した演出はマンガの様にも思われたものでしたが、この作品は当時の親と子の平和に向けた心をしっかりとつかみ、空前の大ヒット作品となり、その後何作かの連作ともなり、日本の独立プロ史に大きな一ページを飾ることとなったのでした。

 それ以降、現代ぷろは「平和」と「人権」をテーマに絶えることなく作品を世に送り出し続けて来ました。

 1998年、会社設立からその先頭に立って、プロデューサーとして、そして監督として現代ぷろをけん引して来た山田典吾氏が他界後は、その奥様火砂子氏がその後を引き継ぎ、これも見事な製作を続けていらっしゃったのでした。

 そんな山田火砂子さんから、シナリオを添えたごていねいなお手紙を頂戴致しました。

 長年の企画がやっと実って「母」の製作に着手するので力を貸して欲しい…そんなお言葉が綴られていました。

 この作品はキリスト教に根ざした数々のヒューマンな作品を世に送り出して来た三浦綾子さんが、小林多喜二の母をテーマに描いたロングセラーを原作にとったもので、今の時代に「人権」と「民主主義」を高らかに語ろうとするものでした。

 又、この映画で多喜二の母役を演じることになったのは、日本映画界の名優寺島しのぶさん、山田さんの思いに全面的に賛同して、東北での配給をお引き受けしたのでした。

 人の幸せを願って小説を書き続けた小林多喜二の魂は、その母の無償の愛に支えられて一本の映画に結晶し、明年全国に向けた旅を始めます。


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 一本の映画の製作企画を立ち上げ、それを完成に導き、そして更には全国公開を実現して多くの方々にご覧いただく...。

 この一連の流れの中には、とても長い時間と数多くの方々の手が必要ですし、更には乗り越えなければならないいくつもの困難な課題もあるのです。

 それなのに、そんな数々の困難を予想しながらも、今又一本、新たな映画の製作の準備を始めていました。

 以前のブログでご紹介しました「君の笑顔に会いたくて」(仮題)がそれです。

 何故に数々の困難が予想されているのに、又新たな映画製作に立ち上がろうとするのか...。

 振り返ってみるとその原点は、このテーマを...この事実を...この人を...何としても映像化して多くの方々の胸にお届けしたい...そんな映画製作の「きっかけ」となった思いが私の胸を揺り動かしたからなのかも知れません。

 そして今度の作品の「きっかけ」は、映画の原作者であり、モデルでもある宮城県名取市在住の保護司大沼えり子さんとお会いしたことからの始まりでありました。

 大沼さんは2001年保護司になりました。

 そして、この年の少年院の参観で、少年たちがその更生に向かおうとする姿に触れ、大きな感銘を受けたのでした。

 彼らのために何かしなければ...、そう思った大沼さんは、以前経験のあったDJ番組を製作し、施設の中の少年達に「こころからこころへのプレゼント」として届けることを決意したのでした。

 そんな彼女の思いは、幸い多くの方々の共感となり、それ以来毎月一時間の番組を、15年にもわたって東北・北海道の3少年院に送り届けて来ました。

 そのかたわら、彼女は保護司として、少年院を仮退院した子どもたちの社会での自立にも精一杯の援助の手を差し伸べて来ました。

 そして子どもたちは、彼女の温かい手に支えられながら、それぞれの未来に向けて新たな旅立ちを果たして行ったのでした。

 時代の閉塞感が語られ、たくさんの子どもたちがその道を失ってしまった様な現代社会に、大沼さんが、そしてたくさんの保護司さんたちが、そんな子どもたちを受け入れ、支えている姿に触れた時、いかなる困難があってもこの映画化を実現し、全国の方々の胸にお届けしたい...そんな思いにさせられたのでした。

 人が人として生きることの出来る...そして、一切の差別も偏見もない社会を作り上げるために...。

 こんな私たちの願いは、一本の映画となって来年初夏、その命を授かることになりそうです。

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7月23日・7月27日 河北新報より


 722日...この日は「ポケモンGO」の日本配信開始の日であり、又信じがたい日々のスタートの日でもありました。

 各マスコミは一斉に日本配信の情報を報じ、これにあおられた若者たちは、スマホを持って一斉に街の中にあふれ出し、日本列島は一種異様な風景に彩られることになりました。

 何故にここまで徹底して皆が同じ方向を向こうとするのか...、一つの操作チャンネルをひねっただけでかくも従順に同じ行動を取ろうとするのか...。

 まるでハーメルンの笛吹きに導かれ、破滅への道をたどっている様に思えるのは、私の杞憂なのでしょうか。

 そして726日相模原の知的障害者施設を舞台に発生した事件は、その悲惨さと異常さで、戦後例を見ない最悪のものとなりました。

 日を経るに従って次々と明らかにされる犯人の実像とその語られた動機には、驚きを通り越して肌が粟立つ思いにさせられたのは私だけではないと思います。

 彼は「ヒトラーの思想が降りて来た」と語り、明らかな「優生思想」を背景にこの残虐な事件を起こした、と語りました。

 社会的弱者たる障害者の命を、明らかな意思を持って虫けらの如く奪った暴挙には、怒りを通り越して空恐ろしい思いにさせられたのでした。

 

社会全体が、いつの間にか息苦しくなってはいないでしょうか。

 格差の拡大と非正規雇用の拡大、そして声高に自己責任を語るネット社会...、更には社会全体がまるで無批判に同じ方向を向き、これに組しない者を排除する思想...。

 社会全体を覆う閉塞感が、いつの間にか息苦しさになり始めてはいないでしょうか・・・。

 本来、人は皆それぞれ固有の人格と個性を持った存在だったのではないでしょうか。

 金子みすずは自らの詩にこんな言葉を散りばめました...“みんなちがってみんないい”。

 そして、「民主主義の思想」の原点は、その思想であれ、信条であれ、信仰であれ、それぞれに異なるものを認めるところから、その体系を作り上げて来たのではないかと思うのです。

 果たしてこのまま進んで良いのか、今もう一度立ち止まってその足もとを見つめて見る必要がある様に思えるのです。

このままで良いのかと...。

 リオデジャネイロオリンピックが始まり、又報道はこれ一色に染まってしまった今...。

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8月7日 河北新報より



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c川口雅幸/アルファポリス・東映アニメーション


「虹色ほたる」…とても素敵なアニメ映画を観たことを、以前ブログで紹介しました。

 作り手の熱い熱い思いが結晶したこの作品を、改めて多くの方々の胸にお届けする道がないものか考えて来ましたが、まずはこの映画の原作者川口さんとお会いすることから始めてみようと思ったのでした。

 出版社を通してご了解をいただき、先日お会いしてきました。

 川口さんがお住まいの岩手県大船渡市は、三陸沿岸にひらいた港町、リアス式海岸が深く陸に切れ込んだ天然の良港に恵まれ、かつては遠洋漁業の基地としても栄えた歴史を持つおだやかな町でした。

 私がまだ子どもだった頃、大船渡には叔父一家が生活していて、夏休み家族で泊まりに行った時の記憶がありありと残っています。

 子どもの目に映った当時のこの町のにぎわい、叔父が連れて行ってくれた映画館で観た吉永小百合主演の「赤い蕾と白い花」、そして町の寿司屋さんでご馳走になったお寿司のまるでほっぺたが落ちてしまう程のおいしさ…。

 大船渡は数々の思い出を私の胸に刻んだ町でもありました。

 しかしながら、そんな大船渡はその姿を一変させていました。

 かつてそこにあった町並みはその姿を消して、新たな町づくりを担うダンプカーが縦横に走り回る…あの大船渡はそんな悲しい姿に変わり果てていました。

 暗澹たる思いでお訪ねしたご自宅で川口さんは、それでもさわやかなお顔に満面の笑みを浮かべて私を迎えて下さいました。

 ごあいさつの後、話題は当たり前の様にあの日のことに…。

 川口さんご一家は、長年にわたって時計、宝石、メガネを扱う商店を営んでいらっしゃいました。


 あの日まで、その店は大船渡駅前にあったと…。

 そして、3月11日…押し寄せた波の壁は、そのお店を完全に破壊して、更にそこにあった数多くの商品も奪って行きました。

 幸い、川口さんのご家族は九死に一生を得て、その後高台のこの地に何とかお店を再開した…こんなお話を川口さんは淡々と私に語って下さいました。

 川口さんの処女作となった「虹色ほたる」は、<夏休み>に寄せた少年時代の川口さんの憧憬にも似た思いがモチーフになった作品でした。

 あの年の夏休み、主人公が訪れたのは、もはや「ダムの底に沈んだはずの村」…。

 そして、この物語は、そこにあった筈の、地域コミュニティや輝く程の自然、人々のつつましやかな、それでも心豊かな生活のさまざまを語ってゆきました。

 そして出版…更にはアニメ映画化…まるで夢物語の様に順調に進んできたプロジェクトでしたが、映画完成の翌年、川口さんがお住まいの町と人々の営みは、ドラマに語られる村と同様に、水のそこに消えてしまったのでした。

 何とも不思議な運命に彩られることになったこのアニメーション映画…。

 それだからこそ…あの日から5年を経た今…もう一度、この作品に命を吹き込んで、川口さんの思いのつまった大船渡の町から全国へお届けしてみたい…。

 そんな思いを胸に大きく膨らませたこの度の旅でした。

 この町にもう一度、人の営みを蘇らせる力となるために…。 


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